January 13, 2020

文科省のPISA読解力の見解は?

読解力についていえば、前回までは、「読解力」の定義は、書かれたテキスト(本や新聞など出所や校正・校閲がしっかりした書きもの)の中から「情報を探し出す」「字句の意味を理解する」「統合し、推論を創出する」「内容と形式について熟考する。」等でありました。つまり「従来型」の範囲内での「読解力」を問うものだったといえるでしょう。

 今回からは、オンライン上の様々なデジタルテキスト(ブログ、投稿文、宣伝サイト、メール文)など、文責が誰にあるのか、出所が定かであるのか、校正・校閲がしっかりなされているのかなどが一見明確ではない文書について、「質と信ぴょう性を評価したり」「矛盾を見つけ対処したりする」ことも求めており、問題自体もその7割がPC使用型調査のために開発された新規ものとなっています。つまり、前回までの「読解力」の調査からは大きく変化しているということです。

 OECDの責任者であるシュライヒャー局長も、現代社会においてデジタルの世界で求められる読解力に焦点を当てたこと、「フェイクニュース」が広がる世界での読解力がより重要な能力になっていることを明確に言及しており、今回のPISA調査は、これまでの「読解力」の範囲に加え「情報活用能」をも求めていることは明らかだと思います。

初中教育ニュ-ス(初等中等教育局メ-ルマガジン)第373号(令和元年1224日臨時号)

【矢野 文部科学省大臣官房審議官(初中教育担当) 特別寄稿】PISA調査2018GIGAスクール構想

https://www.mext.go.jp/magazine/backnumber/1422844_00003.htm

この審議官の言葉が一次資料なら、求められる読解力は

1 「情報を探し出す」

2 「字句の意味を理解する」

3 「統合し、推論を創出する」

4 「内容と形式について熟考する」

5 「質と信ぴょう性を評価する」

6 「矛盾を見つけ対処する」

で、これは、

◆これまでの「読解力」に「情報活用能力」を加えたもの◆

ということになる。これを後段で

◆新たな読解力(読解力と情報活用能力のハイブリッド型)◆

と呼んでいる。これがまさに新学習指導要領の先の課題ということになるだろうか。

なお補足の形で、従来の物語の読みを否定せず、並行して指導すべきだと述べている。

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1 PISAは全世界で同時に調査を行うため、文化に依存する価値観や筆者の気持ちなどは問わない。

2 PISAの読解力や書く力を議論するときには、日本の国語科の伝統的な読解力と区別する必要がある。

3 「ごんぎつね」の気持ちを丁寧に読解する活動をPISA読解力低下の「処方箋」として流したのは、的を射たものとは言い難い。

4 「読解力」に加え「情報活用能力」という「新たな課題」がOECDから各国に投げかけられている。

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これからは、「読解力」と「情報活用能力」なのだと何度も出てくる。

日本の伝統的な読解力と区別しろという指摘も重い。

矢野氏の私見とあるものの、文科省の見解と見てよいだろう。文科省のHPなのだから。

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文科省と新井紀子氏の真逆の見解

「ノートが取れない」中学生。日本の子どもたちの読解力はなぜ落ちたのか。新井紀子さんインタビュー

https://www.businessinsider.jp/post-204493

これまで共感することの多かった新井紀子氏だが、今回のインタビュー記事内容には疑問があった。

「是々非々」が、PISA読解力の基本スタンスだから、いくらファンの一人でも、批判的に読む態度は維持したい。
具体的には、1人1台タブレットを否定する次のくだり。

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新井:これはもう終わりだなと。特に小学生には絶対、タブレットは良くないと私は確信しています。
実際、先進的に導入した私立学校や家庭で既に弊害が出ています。小学校からタブレットドリルで学ぶと、紙や長文にはもう戻れないんです。意外なことですけれども、検索すら自分ではできなくなる生徒が出てくる。 学びが非常に“消費的”になるのでしょう。 けれども、大学や社会で求められる学びは“生産的”な学びなので、タブレットドリルで育った子は立ち直れないほど挫折してしまう。

浜田:新井さんも関わっていらっしゃる板橋区の実例で、実際に読解力が上がっている授業では、ICT教育とは無縁の、新聞記事を読んでその要約を書く、という「昭和的」な方法で成果を上げています。実際の現場とは違う政策がなぜ進んでいくのでしょう。

新井:現場を見ていないからだと思います。タブレット導入で今まで7時間かかっていた授業が2時間で終わり、残りは深く考える時間に当てる、というような授業は、麹町中学校のようなある意味「特殊な環境」の学校だけでできることだと思います。保護者も経済的な余裕があり、民間からも支援が集まるような私立学校並みの環境が整っている。それが本当に地方でもできるのかを検証せずに、タブレットという言葉が一人歩きしています。
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・・・これは文科省のメルマガで取り上げている箇所と重ねることができる。

真逆なのだが根っこは同じなのだ。

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今回のPISA調査で明らかになったわが国の教育上の最大の課題は、デジタルデバイスについて、家庭での子供たちの自主的な使用が先行し、OECD諸国に比較してゲーム遊びやチャットなど「遊び」に多く使われている反面、「宿題をする」「学校の勉強のためにインターネット上のサイトを見る」「関連資料を見つけるために授業後にインターネットを閲覧する」等、学校や家庭での学習にデジタルデバイスを使用している者の割合が非常に少ないということです。
 つまりデジタルデバイスをどのように使うべきかということが、家庭においても学校においてもあまり教えられていない状況にあり、子供たちが「自主的」に「遊び」に使っている実態が先行してしまっている、その結果「OECD諸国の中で際立って、学習にデジタルデバイスが使われていない。」ということがこの調査の「きも」なのです。
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新井氏のタブレット反対説は、タブレットが学びにつながらないから反対というもの。
文科省のデジタルデバイス必要説は、今のままではタブレットが「遊び」にしか使われていないからこそ必要というもの。

同じことだ。

今のままなら、新井氏の言うように、タブレットを与えても学びの役に立たない。せいぜいドリル学習にしか使われない。
しかし、だからこそ、タブレットが「情報収集」や「情報選択・検証」といった学習に使われるよう教えていかねばならないのだ。
今は特殊な環境である「麹町中学校」を「どこにでもある当たり前の学校」にしていく必要があるのであって、麹町中学校を特別視していては何の進歩もない。

そもそもタブレット=ドリル学習ではない。
新井氏のつくったRSTだってPC入力ではないか。
むしろタブレットを悪者扱いする意図が分からない。

学習にデジタルデバイスを使う政策を推進するのは、タブレットを遊び道具としか見ていない稀有な日本人を世界標準に戻すためには喫緊の課題だ。

繰り返すが、タブレットが遊びにしか使われていないから、今こそ学校で正しく教えていく必要があるのだ。






































































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January 01, 2020

記述式問題とプログラミング的思考

国語の記述式問題に対しては、「答えが千差万別になるから採点が不安」との批判、誤解がある。

しかし、試験問題で課す以上、千差万別や十人十色はありえない。自由な解釈を問うているわけではない。

プログラミングでいうと、たった1つコードが違うだけで、プログラムは動かない。あるいは目的通りの動きをしない。

我々が記述する文章にも同じような精密さを求められる場合がある。
契約書や規約、法的書類などだ。十人十色に読まれては困るのだ。
しかも、現代は外国人にも通じなくてはならないから、阿吽の呼吸は通用しない。きちんと明示し、達意の文章で示さねばならない。
プログラミングのコードほど厳密でないにしても、ある程度の厳密さで記述しないと誤解が生じ、トラブルが生じる。
だから、「プログラミング的思考」「プログラミング的な表現力」が必要になる。誰が読んでも一義にしか読めない文章だ。
新井紀子氏の公開授業も、道案内を題材に「一義になる文を書く」というものだった。
お分かりになると思うが、これがプログラミング的であることは明らかだ。
記述式の解答をAIに採点させるという話もあったらしいが、これも、AIがプログラミングのように一義に読めるかを確かめるためだと思うと合点が行く。
AIに読み取ってもらえないような多義的な表現、条件を逸脱した表現は「不可」の時代が来る。
一義にしか読めない文章を書くのが記述式テストの本意であるのに、「答えが多様になるから採点が大変だ」との批判があった。おかしい。
それは解答が間違っているし、そもそもの記述式解答の意図が分かっていない。
自己採点でバラツキが多かったとの批判があった。あるいはアルバイトの採点で大丈夫なのかという批判があった。
しかし、そもそも条件を正しく読み取れない生徒は、示された模範解答と自分の解答が同じかどうかの理解ができない。
自己採点できない読解力の低さが問題なのであって、記述式問題が悪いわけではない。
生徒が条件設定を理解できる力をつけない限り、このようなおかしな批判はなくならない。

ここは三段論法で締めてみる。

①プログラミングは、society5.0の社会に必須な能力だ。
②一義にしか解釈されない文章を書くことが、プログラミングできる子供たちの育成につながる。
③だから、条件に合わせた一義の記述式問題は、どうしても必要だ。

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日本教育技術学会での衝撃

12月21日、日本教育技術学会京都大学大会でとても話題になったのが、OECD 生徒の学習到達度調査の中の「生徒の学校、学校外におけるICT利用」の報告書でした。
http://www.nier.go.jp/kokusai/pisa/pdf/2018/06_supple.pdf

日本の学校でのICT活用が国際ランキングで極めて低いことを示すグラフがズラリと続きます。これでもかと続きます。
子供が自宅で学習として活用する度合いが最下位レベルであることも示されます。
ところが後半部。子供の1人ゲーム利用、チャット利用が国際ランキング第1位。
ネット環境、ICT環境が整っていないわけではないのに、勉学や能力開発に活用する政策も遅れているし、子供自身の意識も低い。
ICTはエンタメ利用にしか使われていない。
マスメディアが特段取り上げなかったからと気にも留めなかったことを反省しています。
何ページにも渡る報告書ですが、決して読み取れないほどむずかしいわけではありません。

自分自身のPISA型読解力を、まず糾弾せねばという思いでした。

①第一次情報を正確に取り出す。
②書かれた情報の意味を解釈し、推論する。
③テキストと熟考、評価し、知識、考え方、経験と結びつける。

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「情報」の学習指導(光村版)

   

光村図書の方が置いていった「情報の扱い方」の資料。

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◆新しい学習指導要領では「情報の扱い方に関する事項」が新設され、「情報と情報との関係」「情報の整理」の二つの系統で示されました。◆「情報の扱い方に関する事項」は、従来の指導内容を整理し直したものです。

例えば、これまでも、説明的な文章の学習で、段落どうしの関係など、文章内の情報と情報との関係についての指導は行われていました。

しかし、これからは、このような指導と情報と情報の関係性の観点から、より意識して行い、その成果を自分の表現に役立てるなど、汎用性のある力にまで高めることが大切です。

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なるほど。

新学習指導要領を真剣に読み込んでいなかったし、明らかに勉強不足だった。

その指導のポイントも、大切な指摘だった。

ステップ1:情報を取り出す

ステップ2:情報を整理する

ステップ3:関係を捉える

ステップ4:発信する

 

このステップ3の「整理」の中に、4つの方法が示されている。

【場面や目的に応じてさまざまな思考法を使う】

①観点ごとに整理する・・・表

②分類して整理する・・・・表

③共通点・相違点を整理する・・ベン図

④順序・流れ・関係を整理する・・フローチャート図

 

また④の「関係」の中に、2つの論理が示されている

【分析・吟味の方法を知る】

①原因と結果・・・原因 ⇒ 結果

②意見と根拠・・・根拠 ⇒(意見と根拠をつなぐ考え)⇒ 意見

 

説明を省くが、根拠と意見の間に(意見と根拠をつなぐ考え)が入っているところが良いと思う。三角ロジックに近い流れになっているからだ。

「情報の読み取り」という観点で、従来の国語の指導内容を整理し直す発想を自分もしっかり身につけようと思う。

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読解力は、より重要な能力

OECD教育・スキル局長アンドレアス・シュライヒャー氏のコメントが124日の中日新聞に掲載されていた。

見出しは「読解力はより重要な能力」。

さらに詳しい内容が教育新聞129日号に掲載されていたようだが、コンパクトな、こちらの記事を打ち込んだみる。

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読むという行為の性質は大きく変わっており、今回の調査ではデジタル世界における読解力に焦点を当てた。従来の紙の書物は専門家が内容を精査し、書いてあることは正しいと信じられていた。しかし、インターネット上の情報は真偽が分かりにくく、答えも一様ではない。複数の出所の情報を比較し、事実か違憲かの区別をつけることも求められる。こうした意味での読解力を付けるには、デジタル機器をただ使うのではなく、どう使えばいいのかを教えることが大切だ。フェイクニュースが広がる世界で読解力はより重要な能力になっている。

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なるほど。情報の真偽を見極めるための「読解力」が、今後ますます重要になることはよく分かる。

ただし、違和感もあった。

従来の紙の書物は専門家が内容を精査し、書いてあることは正しいと信じられていた。しかし、インターネット上の情報は真偽が分かりにくく、答えも一様ではない。

「従来の情報は正しかった、今は真偽が分かりにくい」という構図だが、そうとも言えない。

従来の紙の書物は専門家が内容を精査し、書いてあることは正しいと信じられていた。しかし、インターネット上で真逆の情報が溢れることも多くなり、必ずしも正しいと言い切れなくなった。自己責任で情報の真偽を判断せざるを得ない。

 「従来の情報が正しい」というんは、あくまで「信じられていた」だけで、本当に正しかったかどうかが別だ。これまではフェイクニュースが堂々と報じられてきたが今は化けの皮が剝がれるようになったのだとも言える。

 とにかく複数のテキストから総合判断する・批判検討するという読みのスタンスが大事だということが分かる。PISA調査問題も、学テ問題も、大学共通テスト記述問題も、複数のテキストから情報を読み取ることが求められている。この方向は、もはや後戻りできない。

従来の紙の書物は専門家が内容を精査し、書いてあることは正しいと信じられていた。

 無論、この「紙の書物」には教科書も含まれる。教科書に書いてあるから正しいわけではない、という読みのスタンスが大事だということも分かる。

シュライヒャー氏のTEDトーク、下記のサイトは日本語もコピペできる。

https://www.english-video.net/v/ja/1667

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December 15, 2019

大学入試記述式を延期にする理由があるのか?

大学入試の記述式延期の理由が不思議でならない。

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 2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される国語と数学の記述式問題について、文部科学省は、来週にも実施の見送りを表明する方針を固めた。複数の関係者が明らかにした。採点者の質の確保や自己採点の不一致率の高さなどが課題となっており、現状のままでは実施できないと判断した。

 記述式問題をめぐっては、約50万人の受験生の答案を採点するため、民間委託で8千~1万人の採点者が動員される。短期間で正確な採点ができるか懸念があることに加え、特に国語では自己採点が難しく、受験生が実力にあった出願先を選びにくくなるなどの問題点が指摘されていた。

 受験生らの理解が得られないとして、野党が秋の臨時国会で追及。与党内にも見直しや延期を求める声が高まっていた。

https://www.asahi.com/articles/ASMDC7WFZMDCUTIL03S.html

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・・・「自己採点が難しい」というのは、「解答が多様で1つに決まらない」ということなのだろう。

次のような記事もある。

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◆課題として、真っ先に挙げられるのが、採点者によって点数のばらつきが生じかねず、自己採点が難しい点だ。

大学入学共通テスト後、出願先の大学を決める際には受験生自身の自己採点が欠かせない。しかし、自己採点と実際の採点結果が一致しなかった受験生の割合は特に国語で高く、28.233.4%に上った。数学でも6.614.7%が一致しなかった。こうした中、文科省が国公立大学に対し、2次試験を受けられるか選考する「二段階選抜」の材料から国語の記述式の成績を外すよう要請する検討を始めたことも報じられた。

混迷深まる大学入学共通テスト、「記述式」も導入延期か:日経ビジネス電子版

https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/121000951/

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・・・ 自己採点の結果が3割ほど一致しなかったのは事実なのだろうから、否定しようがない。

しかし、試行問題の場合、椿原先生がされているように、設問の条件をきちんとクリアすれば、ほとんど模範解答と同じ文章が完成する。条件指定や字数指定は、むしろ解答がバラつかないためのヒントになっている。時間はかかるかもしれないが、その場で対応できるから記憶力が要らない。記述問題はむしろ得点源になるのだ。

しかし、解き方の指導を受けていないと

100字も書くなんて大変だ。

②複数の条件に合わせて書くなんて大変だ。

③解答は自分で作らないといけないから大変だ

という先入観が捨てきれない。

 自分で解いてみたことのない記者や、解き方の指導を受けていない記者は、おそらく記述式問題と聞いただけで①②③を連想してしまい、受験生が負担だと思い込んでしまう。ステレオタイプの反応だ。

 解き方の指導を受けていない学生は、自己採点がずれる可能性が高い。教科書が読めない基礎的読解力の低い生徒も、複数の条件設定を理解できないから自己採点がずれる。

 3割ほどの学生が自己採点でずれがあるというのは、確かに多い。しかしPISA調査でも下位成績の集団が多かったことを考えると、残念だが、それくらいの割合いるのが現状なのかなと思う。

 それでも、記述式問題を延期するべきではなかった。

 記者は分かっていないのかもしれないが、学テBによる記述型の問題は、もうこれまでずっと行われてきている。そして、解き方の指導を受けていれば、どの子もほとんど同じ解答が書ける。

 もし記者が自分で解いたこともなく、条件を満たせば同じ解答になると知らないまま、自己採点がずれる生徒の言い分を鵜呑みにして記述式の延期を迫っていたのだとしたら、それは真面目に準備してきた受験生に迷惑をかけたことになる。記述式の方が点数が稼げると思っていた受験生は、一定数いたはずなのだ。

 新井紀子氏は、教科書が読めないようでは、自己採点ができないから、進学に大きな影響があると言う。大学入試の記述式問題について正解と自己採点のズレる生徒が3割近くいることが、延期の理由にもなっているが、彼らは、基礎的読解力に問題があるのではないだろうか。

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自己採点と実際の採点結果が一致しなかった受験生の割合は特に国語で高く、28.233.4%に上った。数学でも6.614.7%が一致しなかった。

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 今回のPISA問題で、公開されているモアイの問題。

 「別の謎が残りました」の「謎」を問う自由記述の問題は、実は本文中に答えがそのまま書いてある。

 実際には、そのまま引用しても正答なのだが、日本の正答率は697%だったと言う(中日新聞124日付より)。

つまり、正答率を逆にみれば、3割は間違えていることになる。

「謎」の中身を抜き出せない3割の学生は、記述問題の模範解答に正対して自己採点できないのではないか、と私は思う。

やってみると分かるが、「謎」を問うPISA問題は、けっこう簡単で、逆に「え、自由記述?、答え書いてあるじゃん」と戸惑ったくらいだ。

 強引に「だから」を使うが、だから「3割の学生が正解と自己採点がズレるから記述式問題を延期する」というのは、低いレベルに合わせた無理筋な愚策であると思う。

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December 14, 2019

松本サリン報道から25年

第2のグレタと称する8歳の環境活動家がCOP25(の会場付近?)で熱弁したという。

「地球温暖化に警鐘を鳴らすことをアピールできたようです」というナレーションに続き、彼女の言葉が紹介される。

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時間はありません。あと8年で気温が1、5度C上がります。
政治家が無意味な言葉で時間を無駄にする間に人々は死に家を失うのです。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000171332.html
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こういう映像を垂れ流す報道は、日本人のリテラシー能力をどう考えているのだろうか。
こんなの会場付近で騒いだだけじゃん。
道徳の授業の終末で、こんな粗雑な受け売りの意見を書く子がいたら、たしなめると思う。

◆この子の訴えの科学的根拠や出典は何か、
◆今、政治家は何もしていないと言い切る根拠は何か。
◆どこの人々が死に、家を失うのか。
◆気温が1.5度上がると本当に人は死ぬのか?

日本人のリテラシー能力が高まったら、こんな発言はニュースにならない。
報道した側の知性が疑われるからだ。
根拠不明のヘイトスピーチではないかと一笑に付される。
これで「地球温暖化に警鐘を鳴らすことをアピールできた」と称えるとは、日本人のリテラシー能力をなめているとしか思えない。

http://agora-web.jp/archives/2043182.html

PISA調査結果のニュースも煽情的だった。
記述式問題延期も、国会の桜問題も同じで、内容はしょぼいのに見出しでいたずらに強調する。

日本人のリテラシー能力がみくびられているからニュースになる。
それは25年前の松本サリン報道から全く変わっていない。
政治色の強いニュースは発言しにくいが、偏向報道の類のニュースについて、しっかり向き合ってみたい。
無論、自分の発言に偏りがないかは、しっかり注意していきたい。

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マジシャンズセレクト

先週、帰宅後、ぼーっとしながら観ていた「月9」のドラマ「シャーロック」。
12月9日の回は「マジシャンズセレクト」がキーワードになっていた。

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“マジシャンズセレクト”と聞けば、『古畑任三郎』の第2シーズンにあった「魔術師の選択」のエピソードが思い浮かぶ。言葉巧みに相手を誘導し、こちら側が選ばせたいものを相手に取らせるという、手品で用いられる常套テクニックである。12月9日に放送された『シャーロック』(フジテレビ系)第10話を読み解く上で最も重要なキーワードとして登場したこの“マジシャンズセレクト”は、もしかするとこのドラマ全体にとっても最重要なキーワードとなったのではないだろうか。
https://realsound.jp/movie/2019/12/post-458733.html
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 自分の明確な意思を伝えずに、相手に思い通りの行動をとらせることで、今回は知事が秘書に「お前に任せたぞ」と圧力をかけて、知事の思惑通りの悪事を働かせるわけだ(究極の3択をさせる場面があった)。「忖度」にも近い。
 このマジシャンズセレクトは、優秀な教師なら巧みに使っているかもしれない。直接明示はしないが、うまく子供をのせて自由にさえているように見えて想定内の行動をさせていく。
 大村はまの「仏様の指」の話も、これに近い。奥田正造先生が大村はまに話したエピソードとして『教えるということ』に出てくる。若い先生は知らないか。

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「仏様がある時、道ばたに立っていらっしゃると、一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は、そのぬかるみにはまってしまって、男は懸命に引くけれども、車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。いつまでたっても、どうしても車は抜けない。その時、仏様は、しばらく男のようすを見ていらしたが、ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間、車はすっとぬかるみから抜けて、からからと男は引いていってしまった。」

「こういうのがほんとうの一級の教師なんだ。男はみ仏の指の力にあずかったことを永遠に知らない。
自分が努力して,遂に引き得たという自信と喜びとで、その車を引いていったのだ」

もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら、男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。
けれども、それでは男の一人で生きていく力、生きぬく力は、何分の一かに減っただろうと思いました。
仏様のお力によってそこを抜けることができたという喜びはありますけれども、それも幸福な思いではありますけれど、生涯一人で生きていく時の自信に満ちた、真の強さ、それにははるかに及ばなかっただろうと思う時、私は先生のおっしゃった意味が深く深く考えられるのです。
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 子どもが自分でやったと信じて、自信をもてばよい。教師にやってもらったなどと気づかなくていい。これが教育=EDUCATE=引き出すの本質だ。
 そんなことを考えられただけでも、実りのあるテレビ鑑賞だった。

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December 10, 2019

PISA調査結果に関する新聞の悪意ある見出し

Pisa

「新聞の見出しに惑わされ、情報を正しく把握できない」

 PISA2018調査結果が発表された。結果の考察も大事だが、センセーショナルに扱った新聞報道の考察(批判)も大事だ。

 「高一読解力15位に後退 OECD調査、真偽見抜く力弱く」

というのが、地元中日新聞の一面トップの見出しである。

数学的応用力が6位、科学的応用力は5位で下がりはしたが依然トップ水準と言うのだから、OECD調査結果を報じたいなら、そちらを書けばいいのに、悪いことだけ見出しにするところが悪意に満ちている。

 資料によると、読解力は、「OECD平均より高得点のグループに位置するが、前回より平均得点・順位が統計的に有意に低下。長期トレンドとしては、統計的に有意な変化が見られない「平坦」タイプ」とある。長期トレンドは平坦のグループに属するのに、「後退」を強調する点も悪意に満ちている。
 なお、新聞記事本文をよく読むと「長期的傾向の分析では米国などと同じく変化がない『平坦』タイプとされた。」とちゃんと書いてある。
「平坦」という調査報告内容は分かっているのに、見出しでは「15位に後退」と危機を煽っている。しかも、1位の中国は正しくは「北京、上海、紅蘇、浙江」。3位マカオ、4位香港といった限定した参加地域を抜いてOECD加盟国でみれば、日本は11位である。
 「教科書が読めない」「情報を活用できない」「長文を読めない、書けない」 などの問題点がないとは言わない。
しかし、見出しで誤った方向に誘導する新聞報道は問題だし、その見出しに踊らされる読者も問題だ。


「見出しだけで判断せず、自分で元資料を確かめる」

「事実と意見を混同しない」

などが、読解力の第一歩と考えると、このような新聞記事を冷静に判断するリテラシー能力こそが求められる。

 今回の新聞の見出しは、25年前、無実の河野さんを犯人扱いした松本サリン事件と同じレベルである。

 この見出しに惑わされるようは、我々のリテラシー能力も読解指導も25年間進歩していないことになる。

・・・妹尾昌俊氏さん、まとめるの早いな〜。結果報告が出たその日の夕方には、ネットニュースに分析が上がっている。
自分の書きたかった見出しの愚かさが書いてあるし、問題の分析も終わっている。さすが、やることが早い。

 【PISAショックとか言うな!】読解力低下をどう受け止めるか(妹尾昌俊) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20191204-00153583/

 

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December 09, 2019

丁寧な指導ができてこそ、コーチングだ。

先のダイアリーで、コーチングと称して「教えない」で威張っている教師のことを書いた。
「総合教育技術」11月号で田中博之氏が、学テ問題対策の「丸投げ」を批判していることと重なった。
 少々長いが引用する。
==================。
 新しい学習指導要領では、活用問題的な学力観が重視されます。もうすぐ新学習指導要領に基づいた新しい教科書ができあがりますが、活用問題への指導書の配当時間数が、少しは増えるのではないかと予想されます。もしも1時間でもあれば、学期に1問だけでもいいので、活用問題に取り組んでみてほしいと思います。
 その際に注意してほしいことがあります。それは、活用問題を子どもに解かせるときに丸投げをしない、ということです。
丸投げというのは、教員は机間指導で見て回ってアドバイスはするものの、基本的に「はい、これを解きなさい」と言って、子どもに自力で解かせるやり方です。 
 子どもたちが活用問題を解けない理由は二つあります。一つは論述して書く力が弱いことです。これは決定的な問題ですから、問題解決の過程や根拠を文章で書く練習をしなければなりません。もう一つは、どんな既習の知識や技能を使えば解けるのかを、正しく思い出せないことです。既に学習した知識や技能を活用せず、やみくもに解こうとしてもできませんから、「難しくてできない」と言い出すのです。
 かといって、「教えすぎると、子どもの考える力を奪ってしまうのではないか」と懸念する先生方もいることでしょう。それは正論ですが、活用問題は難しいのです。丁寧な指導が必要です。
(中略)
 授業中に補助輪付きの時間を、5分でもいいのでとってほしいと思います。活用問題はテクニックを覚えればできるわけではありません。一種のひらめきが必要であり、低位層の子どもがひらめくためには、どの知識が使えそうなのか、どんな公式が使えそうなのかなど、問題を解くために手がかりになるような既有知識を想起させることが重要です。例えば、必要になる既習の計算の技をヒントカードにして「ヒントが欲しい」子どもに挙手させて配るなど、見通しレベルの既有知識の想起をしてほしいと思います。
    「新学習指導要領を反映し活用問題を重視へ」より
===================

・・・田中氏の言う「丁寧な指導」も、子どもにヒントを与えて既有知識の想起を促すという意味では極めて「コーチング」的だ

 このコーチング的な丁寧な指導の対局が「丸投げ」だ。
 「教えすぎると、子どもの考える力を奪ってしまう」と「教えると、子どもの考える力を奪ってしまう」では意味が違う。
 ダメなのは「教えすぎる」であって、「教える」ではない。

 教師の重要な仕事である「見通しレベルの既有知識の想起」を怠ってはいけない。

 蛇足で書くが、「教師が教える」代わりに「子ども同士の話し合いに委ねて、教師が何もしない」は、もっとタチが悪い。
 教師でも難しい「既有知識の想起を促すヒント」を子供に出せるわけがない。
 もし、利発な子が「そうだ、○○を使えばいいんだ」と発言して、みんなが納得したとしたら、それは「ヒント」ではなく「教え込み」だ。

 配慮のない教師、見通しのない教師、子どもに任せっぱなしの教師は、次の①②③を起こす。

①みんなの前で恥をかかせる
②意味の分からないこと・嫌なこと・難しいこと・失敗しやすいことをやらせる。
③つまらないことを我慢させる

 コーチは本人のやる気を促すべき存在だ。
 だから、「テイーチ」より「コーチ」と言いながら何も教えない教師は、まさにコーチの真逆の存在だ。

 とにかく「テイーチ」より「コーチ」「ファシリテート」などと格好のいいことを言いながら、何も教えない教師は、何者でもない。

何を威張っているんだとつくづく思う。

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コーチングできるのが、優れた教師では?

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「体育科教育」12月号にコーチングの話題があった。

 「主体性を引き出すアカデミック・コーチングのすすめ」
  菅原秀幸(アカデミック・コーチング学会会長)

 (1)テイーチングが「教え込む」のに対して、コーチングは「引き出す」であり、両者の方向性は真逆です。
 (2)コーチングの目的は、能力を最大限に引き出すために、適切な行動を自らとるように促すことにあります。

・・・educateの語源がラテン語の「引き出す」だから、コーチングの方が本来「教育」の本質なのだという言い分。
  テイーチングとコーチングの方向性が真逆だという菅原氏の次の一節がとても興味深い。

◆コーチングのスタートは、教育学を修めながら、テニス・コーチとして新しい指導方法を考え出したテイモシー・ガルウエイにあるとされています。その当時の指導スタイルは、模範的なプレーを知っているコーチが、命令形で教え込むというものでした。
 (中略)ガルウエイも、練習プランの作成から、スイングの仕方まで手取り足取り、こと細かに生徒に教えました。しかし教えれば教えるほど、生徒のもっている力が発揮されないことに気づいたのです。
  そこで、ガルウエイは、「教える」ことから「問いかける」ことへと指導方法を変えてみました。つまり、それまでの「ボールをしっかりよく見て打って」と教えていたのを、「飛んでくるボールの縫い目は、縦に回転していたのか、横に回転していたのか?」
 「ラケットにボールが当たる直前のボールの動きは、上昇中だったか下降中だったか」などと問いかけたのです。この結果、生徒はボールに集中し、もてる力を発揮できるようになりました。

・・・「問いかける」がコーチングの基本というなら、我々がめざす「優れた教師」は「コーチング」を含んでいることが分かる。
 我々は一方的に教えるだけの授業などは毛頭めざしていない。子どもの目の色が分かるようなすぐれた発問づくりに邁進してきたからだ。

  そもそも菅原氏は「教える」と書けばいいところを「教え込む」とネガテイブに表記して、イメージ操作している。

  すぐれた教師は「教え込む」を避ける努力をしている。
  子どもたち自身が気づき・考え、行動できるよう、発問を工夫し、授業展開を工夫し、場づくり・教材づくりに苦心している。

  だから、教師は「一方的に教え込む存在」、コーチは「引き出す存在」という対立構造そのものがミスリードなのだ。

◆「教える」ではなく「問いかける」ことで、力を最大限に発揮できる状態を作りだす、これがコーチングの基本であり、それをになうのがコーチです。

とあるが、「教える」と「問いかける」は対立概念だろうか。
 「問いかけることで、教える」が、我々がいつも取り組んでいる授業展開だから、次のように言い換えられる。

※「問いかける」ことで「教えたい内容」を習得する状態を作りだす、これが「教える」の基本であり、それをになうのが教師です。

  宇佐美先生が主張した発問の「間接性の原理」は、まさに「教えないで教える」であったのだと理解している。


  ところで。
  
  「これからはコーチングの時代だ」と、子どもに丸投げしている教師がいるとしたら、それでは「コーチ」の仕事をしていないことが分かる。
 「子供に気づかせる努力・発問(質問)の工夫」を怠る者は、コーチでも教師でもない。

  「教え込む」より「気づかせる」の方が、実は手間がかかるし、指導の腕も求められる。
  コーチングには、その「気づかせる」が求められているというのに、「教え込む」よりもはるかにレベルの低い「教えない(何もしない)」をやろうとしている教師がいるとしたら、それは、まさに「コーチング」とは真逆だ。


  何もしない < 教え込む < 問うて気づかせる

 「コーチング=教えない」を口実に、ただサボっているにすぎない。まさにコーチングの歪曲だ。


  我々がめざすべき「すぐれた教師」は、子どもの能力を最大限に引き出すために努力と工夫を続けるのだから、「コーチ」を含む存在だ。

というのが、今回の自分の結論だ。

  部分的に抜粋したので菅原氏の真意とはズレるかもしれないが、「コーチ」よりも「教師」の方が求められているのだという思いを強くした。

  菅原氏の論稿の冒頭は、ウイリアム・アーサー・ワードの言葉を引用している。

◆平凡な教師は、ただしゃべる
 よい教師は、説明する
 すぐれた教師は、やってみせる
 偉大な教師は、やってみようという気にさせる。

  しかし、自分の都合のよい解釈をする怠け者教師は、教師とは「しゃべらない・説明しない・やってみせない」が望ましいのだと豪語する。
 「やってみようという気にさせる」=「教えない」とは、どこにも書いていない。「教えない」教師を理想とする意味はどこにもないのだ。

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「PEAK PERFORMANCE 最強の成長術」

Peak

ここ数年読んだ研究者のオールスターズのような一冊。
「フロー(熱中体験)」のチクセントミハイ、「意志力」のバウマイスター。
「ファストシンキングとスローシンキング」のダニエルカールマン。
「一万時間の法則」のマルコムグラッドウエル。
「マシュマロテスト(とは出てこなかったけど)」ウォルターミシェル。
「マインドセット」のキャロルドウエック、ケリーマクゴニガルなどなど。
帯で「大絶賛」として紹介されているのが、「モチベーション」のダニエルピンク。
安易な「一万時間のルール」を否定して、鍛錬の密度・集中度を述べた一節もあった。
やった気になる「マルチタスク」より「シングルタスク」の方が成果が上がることも述べられていた。
「ルーテイン」の効能も。

これまではメンタルな啓発本しか読んでこなかった。
しかし、当たり前だけど身体的な成長術も体得しないとパフォーマンスを発揮できない。
この本には、休息や睡眠の重要性がしっかり書かれていた。

「負荷+休息=成長」という方程式。

これは、大学時代にトレーニングの知識として学んだ「超回復」の理屈に似ている。

■超回復とは?
超回復とは、筋力トレーニング後に24~48時間くらいの休息をとることによって起こる現象で、休息の間に筋肉の総量 がトレーニング前よりも増加することをいいます。
■筋肉増加のメカニズム
筋肉を増加させるには、筋肉の破壊と修復を繰り返さなければなりません。
筋力トレーニングを行うことによって筋肉は破壊され、それから「24~48時間」かけて徐々に修復されます。
トレーニング後は筋肉が破壊されてしまうので、トレーニング前よりも筋肉の総量 は減少しますが、適切な時間休息を与えることで修復され、さらには超回復が起きて、一度減少してしまったはずの筋肉がトレーニング前よりも大きな筋肉になるのです。つまり、超回復が起こるのを待ってから次のトレーニングを行う方法が、筋肉を増加させるには理想的といえます。
■休息時間の重要性
超回復を知らない選手たちは、超回復が起こる前(筋肉の修復を待たず)に次のトレーニングを行ってしまいます。これは、筋肉の破壊だけを繰り返していることになりますので、筋力トレーニングを続けているにも関わらず、期待通 りの成果を出すのが難しくなるのです。
 超回復の原理を有効に利用することによってはじめて、筋肉は強く逞しくなります。

http://www.cramer.co.jp/training/rest_3.html


知識としては睡眠の重要性を分かっていながら、実践が怠ってきた。
締め切り前は、寝る時間を削るくらいの気迫が必要だと思ってきたが、それは。実際の成果から言えば「自己満足」にすぎない。
深夜になればなるほど、パフォーマンスは下がっていく。分かっているけど、やっているのだから愚行であったとしか言いようがない。

選択と集中、オンとオフの切り替え。余分なものを断つ絶縁能力と書くと、またメンタルに寄ってしまう。
「長期的に持続可能」であるために、とにかく身体を大事にしようと思う。

 

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November 16, 2019

中央公論12月号 伊藤氏貴氏への反論

中央公論12月号「国語の大論争」で伊藤氏貴氏は、新井紀子氏のRSTの問題を提示している。

 次の二つの文章の表す意味は同じか異なるか
◆幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。
◆1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。

 中学生の正解率は57%に過ぎず、高校生は71%。
 その要因として、氏は「既習の知識に合わないからだ」と言う。
 「中学生が間違えた最大の理由は、幕府と大名の関係を知らなかったためだろう」
 「国語と言うより日本史の問題だろう。文章を読むことは、外部の知識と切り離して考えられるものではない」とも。

 中学生で「幕府、大名、ポルトガル人、沿岸警備」が分からないことはない。
 これは単純に「受け身の文への書き換えは混乱しやすい」ということなのだと自分は思う。
 受け身の文への書き直しという文法の授業は、むしろ英語の構文で扱われる。受け身や完了形、目的語などは、英語と日本語と合わせて文法の授業をするべきだと思うし、実際、中学校の国語の文法では、英語に絡めて教えたものだ。高校生なら英語文法でも受け身表現への書き換えをしつこく練習させられる。それも正答率が高い要因だろう。

 続く以下の記載には驚いた。
 国語教科書の代表編集を行っているにしては、生徒の実情をご存知ない。

=========
もし厳密に修飾関係を理解できているかどうかを問うためならば、たとえば構文を変えず、次のようにしてみれば、中学生でももっと正答率は上がったのではないかと思われる。

◆Aは、B年、CをDし、EにはFを命じた。
◆B年、CはDされ、AはEからFを命じられた。


「幕府」「大名」などという、うろ覚えの単語に気を取られず、純粋に修飾関係だけを追えるからだ。これは「読解力」というより「注意力」の問題である。
=========

・・・確信を持っていうが、このようにABCDで表記したら、中学生も高校生も正答率は間違いなく下がる。中学生57%。高校生71%には絶対に届かない。
 記号化して問うてみよという伊藤氏の発想こそが、むしろ、高校で「論理国語」が必要であることを裏付けている。

 具体的な対象のある数字で考える「算数」から、抽象数や記号で考える「数学」に移行するように
 具体的な対象のある言葉で考える「国語」から、抽象概念や記号で考える「論理国語」に移行すると考えると、実にスッキリするからだ。

「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」という構文を
「Aは、B年、C をDし、EにはFを命じた」
と置き換える思考作業こそが「論理国語」の真骨頂だ。

 だから 伊藤氏の上述の意見をトレースするならば、次のように反論する。

「幕府」「大名」などという、うろ覚えの単語に気を取られず、純粋に修飾関係だけを追う。これこそが「読解力」というより「論理力」の問題である。

「論理学的な内容を導入することに反対しているわけではない」という伊藤氏は、論理国語への疑問をシニカルに書けば書くほど、実は論理国語の必要性を述べてしまっているのだ。

 伊藤氏への反論と書いたが「伊藤先生、ありがとうございます!」という心境である。

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中央公論12月号 「ロギッシュ」と「ミクシ」

 中央公論12月号「国語の大論争」の特集では、三森ゆりか氏の田嶋幸三氏対談が印象的だった。サッカーの強化を言語技術教の習得から始めたお二人だ。話が面白い。

(三森氏)
私はドイツでサッカー観戦の面白さに目覚めたのですが、サッカーと「ロギッシュ」(ドイツ語で「論理的な」)という言葉は切っても切り離せないものでした。解説を聞いてしばしば、「今のプレーはロギッシュだ。なぜなら・・」というフレーズが出てきました。プレー一つ一つに理由がある。このプレーはロジカルにこんなメリットがありましたね、といった分析の仕方がドイツでは普通なのです。一方、日本に解説を聞いていると、「今のプレーは凄かったですね」などと言います。テレビ画面を見ていればわかることを言葉でトレースする。
(田嶋氏)
そう、「ボールが浮いてしまいましたね」というタイプの解説が日本では多いよね。視聴者も画面を見ているのだから、起こったことはわかっているのに。それより「では、いったいなぜ浮いてしまったのか」「蹴った時の足の位置はどうだったのか」という分析や原因を視聴者は知りたいのですよ。現象はなぞっても現象はなぞっても原因の方は言ってくれない解説では、欲求不満がたまりますよ。


・・・「ボールが浮いてしまいました」「オフサイドです」は、実況ではあっても解説ではない。解説者の仕事は、起きた状況の分析や原因を解き明かすことだ。解説者は実況が本分ではない。ナルホド!

 ドイツでは「ロギッシュ」か。
 そういえば、フィンランドでは先生も子どもも「ミクシ(「なぜ)」だった。
 子どもが答えを言うと、「ミクシ? どうして〇〇だと思うのか」と教師が問う。
 教師が答えを言うと、逆に子どもが「ミクシ?」と問う。
 意見を述べるときは、説得力のある理由をセットにすることが習慣化されていると言う。

 ロギッシュとかミクシとかが日常的に交わされる環境が、母語教育の基盤になるのだ。
 
 さて、上述の田嶋氏の言葉を読んで、子どもの感想文指導と重なった。感想文で必要なのは、実況でなく分析と解釈だ。

◆「次に主人公は◯◯しました」というタイプの感想文が多い。しかしストーリーはわかっているのだから、その説明は要らない。それより自分はどう思ったか、なぜそういう行動をしたか自分なりの解釈を展開してほしい。

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«学テから大学入試まで一貫している。