July 24, 2008

酷暑の中の陸上大会

本日は、毎年恒例中学校の陸上地区大会だった。
年によっては台風の心配もするが、今年の心配は「猛暑」だった。
確かに猛暑・酷暑だった。
グランドコンデイション記録によると以下のような結果である。
10時 35度 湿度57%
11時 35度 湿度57%
12時 35度 湿度52%
13時 37度 湿度49%
14時 38度 湿度45%
15時 40度 湿度47%

さすがに40度の報告が会場に流れると「おー」と、どよめきが起こった。
午後は風力1M程度の風も吹いていて、湿度も下がってきたので感覚的にはずいぶん楽だった。
それでも、終了の4時まで厳しい日差しだった。

このような猛暑・酷暑の中での大会は健康管理が大変である。
そもそもこれほどの猛暑・酷暑の中での中学生の大会実施は問題があるのではないか、と思うほどだった。
この暑さの中で1500M・3000Mを走る中長距離選手は本当に大変だと思う。
でも、自分の競技時間だけグランドに出てくる選手よりも大変なのは大会役員・審判である。
交代制で半分の時間をグランドで過ごした私も後半かなりしんどかった。
交代の度に水分補給をしたり体を冷やしたりしたのだが、厳しい1日だった。

高校野球もそうだが、全国で、この猛暑・酷暑の中でさまざまな大会が開催されている。
中学校も、全国大会(中学総体)がお盆すぎに行われるので、今は地区大会・県大会の時期なのだ。
そもそも、学習に適さないほど暑いから夏休みなのに、この夏休みに運動大会が開催されるこの矛盾。
「部活動で日々鍛えているから大丈夫!」だと願いたい。
全国で熱中症患者が出ないことを願うばかりである(本大会は無事終了しました)。

さて、明日25日は春日井市の小学校の陸上大会。
こちらも、熱中症などの事故がないことを切に願っている。

追記:
地震があれば、大会は中止となる。
岩手で震度6強の地震があった当日である。
地震被害にあった方にお見舞いの気持ちを抱き、のんきに陸上大会を実施できた幸せに感謝もする。
「本当に愛知でも大きな地震があったら・・」と漠然と思うのではなく、「大地震は近いうちに起きる」という前提で物事を見ていかなくてはならないという思いを強くした。

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July 23, 2008

春日井サボテンと王子製紙春日井工場

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 春日井市の副市長 本間奈々さんのブログで、春日井市のサボテンプロジェクトが政府インターネットテレビで紹介されていることを知った。

 観光教育=地域学習=町おこし・町づくり=郷土愛
という発想で「春日井の自慢は何か」を考えている。
 春日井という「くくり」は結構単位が大きい。
 以前勤務していた西の地区にとって「日本三大ニュータウン=高蔵寺ニュータウン」といってもピンとこない。
 現在勤務している東の地区にとって「徳川家康が長久手の戦いで『勝川』と名付けた町」といってもピンとこない。
 春日井サボテンの栽培も桃山地区の農家に限定されるから、実生日本一とはいえ、春日井市民の多くが関わった産業というわけではない。
 企業の規模で言えば「王子製紙 春日井工場」が大きい。市民の雇用にも貢献している。

http://uub.jp/arc/arc.cgi?N=527によると、東京の「王子村」を発祥とする王子製紙は工場進出した場所に「王子町」を作っていったという面白い事実も分かった。
こういう小ネタは、おもしろい。
====================
製紙業界と地名の関係にこだわってみました。明治以来の歴史ある業界であり、地名由来の企業名や、企業名を冠した地名が多く見られます。それだけ、製紙業界は雇用等を通じた地域経済との結びつきが強いということかも知れません。

・王子製紙:東京府下王子村(現:東京都北区王子一丁目)が最初の工場所在地で、1875年に社名を「王子製紙」に改称→地名先行

しかし、地名由来の企業名が工場進出により新地名として「伝播」しており、
・苫小牧工場:北海道苫小牧市王子町(工場なのに駅前)
・江別工場:北海道江別市王子(旧北日本製紙、1970年合併)
・春日井工場:愛知県春日井市王子町
====================
 特化した分野で全国的なシェアを誇る中小企業も面白い→ここ
 でも、雇用を確保して地域経済に貢献している大企業も、きちんと把握しておかないといけない。
 ちなみに市内の小学校3年生の多くは、遠足(社会見学)で、サボテン農家と王子製紙の工場見学を行う。ただし、王子製紙の工場見学は、教育団体のみ・バス内のみで、撮影厳禁である。
 高学年で、観光教育(春日井のPR)の視点からサボテンや王子製紙を取り上げるなら、
小3とは異なったアプローチ・小3よりレベルアップ・スケールアップした取り組みを考えないと、しょぼくなる。

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July 06, 2008

ブランド商店街

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 愛知県の「ブランド商店街」認定の取り組みがある。
http://www.pref.aichi.jp/shogyo/sido/brand/brand_index.html
 

商店街ブランド化推進事業は、地域の食・人・物・文化・歴史等を活かすなどして、特徴ある取り組みをしている商店街を「ブランド商店街」として認定し、広くPRするとともに、他の商店街にも特徴ある取り組みを促し、県内商店街の活性化を目的としています。

●平成18年度認定商店街
一宮市伝馬通3丁目商店街振興組合(一宮市)
一宮市本町商店街(一宮市)
銀座通り商店街振興組合(瀬戸市)
末広町商店街振興組合(瀬戸市)
勝川駅前通商店街振興組合(春日井市)
みのじ発展会(清須市)
桜町本通り商店街振興組合(豊田市)
本町発展会(西尾市)
表参道発展会(豊川市)
形原商店街振興組合(蒲郡市)
蒲郡商店街振興組合(蒲郡市)


 ・・・ちなみに、私の生まれ育った旧西枇杷島町の枇杷島通りも「みのじ発展会」として選定されている。
 みのじ街道沿いは、自動車が行きかうのも不便な道幅で、多くの店も閉じたままだ。
 そのような自分の育った場所が、活性化のためにがんばっているのだと思うと、たまらなくうれしい。

春日井の勝川駅前商店街は、前任中学校時代に職場体験で数店お願いをした。
 その際、「個々の店で職場体験を交渉するよりも、駅前商店街として仕事をしてもらう形の方がいいのでは」という提案をいただいた。夏祭りのようなにぎわう時にボランテイアで何かできないかという話題もあったが、立ち消えになった。その商店街がブランド認定を受けたことは、自分とは無関係ながら、とてもうれしい。

 まったくのあてずっぽうの話だが、高齢社会は脱クルマ社会だ。
 若い夫婦ならレジャー気分で郊外型の大型店舗に行き、大量の商品を購入する。お店の人とべったり付き合うのも苦手な人が多い。
 しかし、町全体が高齢化したら、そこそこの距離で、そこそこの品物が調達できればいい。そして顧客のニーズにあわせて親身になってくれるお店がありがたくなる。
 かつての何でも屋さんのように移動販売で自宅近くまで売りにきてくれるシステムもうれしいし、 かつてのお米屋さんや酒屋さんのように宅配してくれるシステムもうれしい。
 実際のところは、ネット販売も、通信販売もお届けサービスだし、顧客の注文傾向をデータベース化して、次のニーズを店側から提案するケースも多い。
 いずれにしろ、うすれかけた地域のきずなを取り戻すきっかけを「商店街」は持っている。

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産業観光~モノ作り中小企業~

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「元気なモノ作り中小企業300社」の選定がある。
 2007年版が、下記のサイト。
http://www.chusho.meti.go.jp/keiei/sapoin/monozukuri300sha19fy/19index.htm 
 
 たとえば春日井市は下記の企業が選定された。

(1)株式会社ISOWA(春日井市)
・・・世界最速の段ボールシート製造機械を提供
   国内シェア45%を誇る。国内で生産される段ボールの約80%に何らかの形で関わっており、輸送ビジネスのインフラを支えている。
(2)株式会社エージック(春日井市)
・・・車の酸素センサー部品、電子レンジ機能部品を製造。自動車用酸素センサー部品では世界シェア46%、電子レンジの機能部品「マグネトロン」用では同シェア40%。
(3)東洋電機株式会社(春日井市)
・・・エレベータの安全をオプトエレクトロニクス技術で支える。エレベータ用センサーは国内シェア約70%で国内トップ。
(4)三豊機工株式会社(春日井市)
・・・冷間圧造工具の総合メーカー。独自のノウハウを駆使して開発した冷間圧造工具「ダブルヘックス」は国内シェア70%。

このサイトからは、2006年版もチェックできる。
春日井市の2006年の選定企業は、東海メディカルプロダクツ(春日井市)。
・・・国産初の日本人サイズの心臓補助医療器具の開発。国内シェアは約30%。

 このような企業があることを紹介し、地元に自信と誇りを持たせることの意義は深い。
 産業観光の視点でいえば、ぜひ、このような企業の見学も可能になるといいのだが、見学に対応できる従業員やスペースの確保を考えると、現実的には難しい。
 補助資料を作る・ビデオ教材を作る・中小企業の総合資料館を設置する。
 「つくばサイエンスツアーバス」 http://www.i-step.org/tour/bustour/index.htm や名古屋の循環バス「メーグル」http://www.ncvb.or.jp/routebus/のような案内バスを設置するような施策がほしい。

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産業観光の意義

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 2008年6月29日の中日新聞サンデー版 大図解シリーズは、「ものづくりを知る旅 産業観光を楽しむ」。
とても丁寧な解説で、どの文章も要保存だった。

■工場などの生産現場や近代化を支えた産業遺産などを訪ねる「産業観光」が熟年の人たちや家族連れの旅のスタイルとして関心を集めています。
■「産業観光」とは、歴史的文化的価値のある産業文化財(産業遺産等)、生産現場(工場・工房・農漁業)産業製品等を対象とする観光です。
■企業博物館や研究しせつを回るバスを運行したり、ホームページやガイドブックでモデルコースを紹介したりと各地で産業観光を盛り上げる動きが進んでいます。
■外国人旅行者の誘致などを目指し、国も力を入れています。国土交通省は08年4月、工場など受け入れ施設向けの「産業観光ガイドライン」を策定しました。
・・・「産業観光ガイドライン」はPDFファイルだが、読みごたえがある。

http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha08/04/040425/02.pdf

 平成13年名古屋で「全国産業観光サミット」が開催され、その後「全国産業観光フォーラム」が続いている。
 ものづくりのすばらしさを伝えることは、次世代の技術者を育てる教師の大切な仕事。
 ものづくりの現場が身近にあることを伝え、たくさんの人の来訪を促すことは、明日の町づくりを支える教師の大切な仕事。
 だから、産業観光を含む「観光教育」の意義は深い。

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July 01, 2008

東野圭吾『手紙』とさだまさし「償い」

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 DVDだけで東野圭吾の「手紙」を論じるのは悔しいので、ちゃんと読んでみた。
内容は、この間から書いている通り。
文藝春秋のサイトには、次のようにある。
http://www.bunshun.co.jp/book_db/7/11/01/9784167110116.shtml

■内容紹介■
罪を償うとは、絆とは……。強盗殺人犯の兄を持った少年の姿を通し、犯罪加害者の家族を真正面から描いて感動の渦を巻き起こした問題作
強盗殺人の罪で服役中の兄、剛志。弟・直貴のもとには、獄中から月に一度、手紙が届く……。しかし、進学、恋愛、就職と、直貴が幸せをつかもうとするたびに、「強盗殺人犯の弟」という運命が立ちはだかる苛酷な現実。人の絆とは何か。いつか罪は償えるのだろうか。犯罪加害者の家族を真正面から描き切り、感動を呼んだ不朽の名作。

 謝罪のための仕送りを続けるさだまさしの「償い」と比べるなら、手紙を受け取った被害者家族の言葉がいい。
◆「彼が自分の過ちを悔いているのはよくわかる。だけどいくら謝られても、反省の弁を聞かされても、母親を殺された無念さは消えない。」
◆「何度か、もう手紙を送ってくるなという意味の返事を書こうとしたよ。だけどそれさえも馬鹿馬鹿しかった。そこで徹底的に無視することにした。返事がなければそのうちに届かなくなるだろうと思ったんだ。しかし彼の手紙は届き続けた。やがて気づいた。これは彼にとっての般若心経なのだとね。こちらからストップをかけないかぎり彼は手紙を書き続ける。ではストップをかければいいのか。そこで私の中に迷いが生じた。彼の手紙を止めることは事件の完全な終結を意味する。事件を終わらせていいのか。告白すると、事件の終わりを受け入れる決心がつかなかった」

・・・さだまさしの被害者家族も「ストップ」をかける気になったから手紙を出したのだろう。
こちらから言い出さないかぎり続く仕送りをストップさせて、もう事件を終わらせようとしたのだろう。
それは、純粋に「許し」だったのかもしれないが、「もう、かまわないでほしい」と書いてあるのだから、やめてほしかったのだろう。

 『手紙』の中で、殺人犯である兄の最後の手紙が示されている。ネタバレになってしまうが・・。
◆「私は手紙など書くべきではなかったのです。」
◆「緒方さんへの手紙も、おそらく緒方さんにとっては犯人の自己満足にしか見えない不快きわまりないものだったに違いないと。そのことをお詫びしたく、このような手紙を書きました。もちろん、これを最後にします。どうも申し訳ありませんでした。」

・・・謝罪の気持ちを伝えるとは、これほど難しいものなのだ。

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June 30, 2008

秋葉原事件と「手紙」(東野圭吾)

 百歩ゆずって秋葉原事件の犯人に同情する部分を感じたとしても、殺人という行為は絶対に許さない。
 派遣雇用への怒りは感じるが、だからといって殺人は容認しない。
 絶対に秋葉原事件の犯人をヒーロー扱いしてはいけない。
 しかし、残念ながら、愉快犯・模倣犯が後を絶たないようで、ついに30人を越えたそうだ。

 http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-30X791/1.htm

犯行予告、3週間で30人摘発=未成年14人、無職10人-警察庁
2008年6月30日(月)16時53分配信 時事通信
 東京・秋葉原の通り魔殺傷事件後に相次いでいるインターネットへの犯行予告書き込みで、全国の警察が29日夕までに、29件の30人を摘発したことが30日、警察庁のまとめで分かった。未成年者が14人を占め、職業別では無職の10人が最多だった。
 同庁によると、「大量殺人します」「爆破する」といった犯行予告を書き込んだとして摘発されたのは、11~43歳までの男女30人で、女性は4人だった。
 未成年者は半分近い14人で、このうち13歳が3人、11歳も1人いた。30代と40代は1人ずつだった。
 職業別では、最多が無職の10人で、アルバイト6人、大学生4人、会社員と中学生3人ずつ、と続いた。
 
 そんな殺人犯・模倣犯には、東野圭吾の「手紙」をぜひ読んでほしい。
 でも、きっと読まないだろうから、かいつまんで教えてあげるよ。
 殺人犯の弟である主人公は、友人をなくし、アパートを追い出され、就職もできないんだ。
 恋愛をすれば厳しく身元を調べられ、何か事件があれば真っ先に疑われるんだ。
 殺人犯は自分の犯した罪のせいで、自分の家族までもが不幸になる事実をしっかり想像しておくべきなのだ・・というようなセリフが出てくる。その通りだ。
  
 死刑になった宮崎勤の父親は、当の死刑囚よりも早く命を絶った。
 家族は死刑囚以上に、責任を感じ、周囲の差別に苦しんで、一家離散状態になった。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/unknown7miyazaki.htm
被害者、遺族の悲劇はいうに及ばないが、事件で宮崎家の家族や親類の多くも婚約の破談、離婚、退職に追い込まれた。改姓した親族もいた。逃げるように住み慣れた町を後にした人もいた。
 父親は、被害者への賠償金を支払うため先祖代々の土地を売り払い、5年後の94年11月、青梅市内の多摩川にかかる橋の上から飛び降り、自殺した。

 そのような事実も、また犯罪の抑止力になるのだから、繰り返そう。
 罪を犯せばあなただけでなく、あなたの身近な人もその罪を背負うことになるし、苦しく辛い一生を送ることになる。あなたが死刑にならなくても、あなたの家族の中に死を選ぶ者がいるかもしれない。
 自由な生活を奪われた家族は、あなたが刑務所でのんきに隔離されている間、あなた以上に辛い思いを強いられるのだ。 

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June 29, 2008

さだまさし「償い」と菊池寛『恩讐の彼方に』

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 罪を償う尊い行為を考えさせるエピソードの筆頭として『青の洞門』、菊池寛の『恩讐の彼方に』がある。
 どこまでが実話で、どこからが実話でないかは微妙だが、たとえ実話でなくても、十分に意義のある作品だ。
 ただし、菊池寛の『恩讐の彼方に』は妾殺しのような内容を含み、文章表現も難しいので「青の洞門」として伝わる民話の方が受け入れやすい。道徳の副教材も「青の洞門」である。
たとえば、次のサイトから内容が把握できる。

http://www.d-b.ne.jp/siga/panora/honyabakei/yabakei360.html

 次の部分などはクライマックス言えようか。

年も60歳をこえているうえ、ひたすら岩かべをほりつづけたため、すっかり体がよわりきっている禅海にむかって、「禅海、わすれたか。 わしは、お前に殺された中川四郎兵衛の子、実之助だ。父のかたき討ちにきた。かくごしろ。」と、武士がさけんだ。 このことばをきいた禅海は、「なんで忘れましょう。この四十年間、あなたの父上をころした罪に、いつも苦しんできました。その罪ほろばしのために、穴をほりつづけているのです。もうすこしです今、あなたの手にかかって死ぬのが本当ですが、あと三年、命をかしてください。この洞道ができましたら、いつでもあなたに討たれます。どうかおねがいします。」と、手をついてたのんだ。しかし武士は、「いや、ならぬ。かくごしろー」と、刀に手をかけた。 そばでようすを見ていた、跡田村の庄家喜作さんは、けんめいにふたりの中にはいると、実之助に、禅海の三年の命ごいをして、工事をつづけることにした

 3年後、実之助はトンネルの完成を禅海と手をとりあって喜び、敵討ちを放棄する。トンネルを掘り初めて30年。罪を犯してから40年後、禅海は許しを得たのだ。
 禅海は、被害者の肉親である実之助に宣言して贖罪のために穴掘りをしたわけではない。工事が終わったら殺されてかまわないと語っている。
 ひょっとしたら実之助は禅海がこのような行為をしていることも知らないまま、一生憎しみを抱いて過ごしたかもしれない。禅海が実之助に贖罪の意思表示していないのだから、それは当然だ。
 その意味で、禅海和尚の行為は、もともと自己完結な行為であって、加害者へのメッセージには、なっていない。

 それでも読者の心を打つのは何だろう。
 裁判官も加害者にさだまさしの「償い」を勧めるなら、「青の洞門」を勧めればよかったのに、と感じたのはなぜだろう。
 被害者に一切の謝罪をしていない禅海の贖罪行為など無意味ではないか、と切り捨てる気になれないのはなぜだろう。

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さだまさし「償い」と「風切るつばさ」(木村裕一)

 『風切るつばさ』(木村裕一)という作品は小6の東京書籍の国語教科書にある。
 初めて目にした時は驚いた。
 しかし、自分の感じ方が独断的なのかもしれないが、次第に、この作品のよさ(重さ)を感じるようになった。

おおざっぱに言えば、
主人公のツルは、親友のためにしたある行為で仲間はずれにされ、ショックで体が動けなくなる。
当の親友は多くを語らず、主人公の脇でじっと彼が動ける日が来るのを待ち続ける。

という内容である(2人の名前がクルルとカララで混同しやすい)。
 最初の印象は「この内容は、まずいんじゃないの?」だった。
 親友のカララは、自分のためにした行為で主人公クルルが周囲から非難されている時に何の弁護もしなかった。下記のように書いてある。

「そのときから、クルルは、まるで仲間殺しの犯人のようにあつかわれるようになった。だれ1人、かれの味方はいない。カララでさえ、だまってみんなの中に交じっている」

 なんと厳しい状況であろう。
 クルルにしてみれば、親友のカララにだけは守ってもらいたかったに違いない。
 その後のカララは、はっきりと謝罪の言葉を言うわけでもなく、動けなくなってしまったクルルの横に寄りそうだけだった。
 クルルだって今さら謝罪すればすむ問題ではないと思っているのだろう。
=========================
 もしカララが「さあ、いっしょに行こう!」と言ったら、たとえ飛べたとしても首を横にふるつもりだった。「おれなんかいらないだろう」とも言うつもりだった。でもカララは何も言わなかった。ただ、じっととなりにいて、南にわたっていく群をいっしょに見つめていた。
========================
と書いてあるから、謝罪の言葉など通用しなかっただろう。
 しかし、だからといって謝罪もせずに黙ってそばにいる神経が最初は分からなかった。

 ただ、何度も読んでみると、黙って寄り添っていた期間がずいぶん長かったことが読みとれる。
 主人公のクルルが飛ばないなら、カララは一緒に飛ばない、つまり一緒に死ぬ覚悟を決めていたらしい。
============================
日に日に寒さが増してくる。(こいつ覚ごしてるんだ・・)クルルの心が少しずつ解けていく気がした。(そうか、おれが飛ばないとこいつも・・)と思った。
=============================
 最後には主人公は親友を許した。
 それは、言葉ではなく謝罪の行為が主人公の心を動かしたのではないだろうか、と読める。
 逆説的に言えば、

◆謝罪の言葉をいくら繰り返しても「言えば許される」というものではない。
◆大事なのは相手に気持ちを考えて行動することだ。

ということになる。
 さんざん非道いことをしておいて「ごめんね」と一言謝って、それで相手が許さないと「謝ったからもういいだろう」と開き直るような子が現実には存在する。謝罪の言葉の軽さにあきれることも多い。

 それを考えたら、この親友の行為も一理あるのかなあという気がしてきたのだ。
================
大事なのは言葉ではない
================
 もし、これが教科書編集者の意図だとしたら、すごいことだ。
 6年生の国語の教科書のトップバッターに
◆「言葉が全てではない」
◆「心のない言葉は要らない」
を意図的に配置したのだとしたら、見事だ。
 言葉を伝える=心を伝えることの重さを十分に感じさせてくれる作品だ。
 
 さて、この作品も「償い」について考えさせる。
 「ごんぎつね」の悲劇は、きちんと謝らないでおいて陰でコソコソお詫びの品物を届けたから起きた。
だから4年生の子どもには「コミュニケーションの大切さ・きちんと言葉で伝えることの大切さ」を伝えたいと思う。
 それを踏まえた上で、6年生の子どもには「いくら口で謝ったって心がこもっていなければ相手の心に響かない」という1つ上の行動を要求しているのだと言える。

 先にも書いた。
 自分の感じ方が独善的なのかもしれない。
 押しつけるつもりはないが、このような読みも可能範囲なのだと思っている。

 さだまさしの「償い」を考えよう。
 世の中には、罪を償うために、被害者の感情を逆なでしないために、意識的に被害者との接触を避け、日々の行為で贖罪を貫いている人も多いと思う。
 その代表例が菊池寛「恩讐の彼方に」=「青の洞門」である。
 これも、小学校の道徳教材になっているので、次に考察を加えてみます。

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June 21, 2008

さだまさし「償い」と『ごんぎつね』

 「償い」を考えさせる児童作品といえば『ごんぎつね』が思いうかぶ。
 小学校4年生の国語教科書の定番作品だ。
 自分のいたずらで兵十につらい思いをさせたと思いこんだ「ごん」は、償いのために栗やまつたけを送り届ける。
 残念ながら兵十はかえって盗人扱いされてしまうなど、必ずしもごんの「償い」は通じない。
 おまけに、ごんは自分の償いのみつぎ物を「神様のしわざ」と思う兵十に不満を持つ。
 ごんは自分の「償い」を伝えたかったのだろうか。
 ごんは自分の「償い」に感謝してほしかっただろうか。
 最後に兵十はみつぎ物を持ってきたごんを盗みに来たと思って銃で撃ってしまう。
 「ごめんなさい」
 「いたずらのおわびをしに来ました」
 「自分の償いのしるしを受け取ってください」
と言えない人間ときつねの間であるがゆえに起きた悲劇である。

相手に通じない「償い」は「償い」になりえない。
という教訓さえ感じる作品だ。

みなさんは言葉が通じ合えるのだから、謝罪も償いも言葉で示しましょう。

 そんな気にさせる作品なのである。

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さだまさし「償い」と東野圭吾「手紙」

Photo

さだまさしの「償い」の歌詞を読んで、東野圭吾の「手紙」を思い出した。
といっても、実は本を読んでいない。DVDだけなので、書籍とはストーリーも異なっていると思う。

DVDでも十分「償い」を考えさせられた。
殺人犯の兄は愚直に手紙を出し続ける。
弟に、そして被害者宅に。
殺人犯を家族に持つ弟は、兄の手紙を疎ましくさえ思うようになる。
転々と職を変えねばならず、自分の人生を狂わされてしまったからだ。
被害者宅には読まれない手紙の山が積んである。封も切られていない。
加害者からの手紙など読む気になれないのだ、というような心境だ。

兄の「償い」の手紙は、なかなか相手には通じないのである。
そのことを思い知らせるこのDVDは、実に重い作品だった。
「こんなに謝っているんだから許してあげてもいいじゃないか」
「こんなに『償い』の手紙を出しているんだから、許してあげてもいいんじゃないか」
という淡い期待を吹き飛ばす現実の辛さを感じさせる作品だった。

さだまさしの「償い」を読んで、素直に感激できなかったのは東野圭吾の方が「償い」の意味を深くえぐっていたからだ。

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さだまさし「償い」は、道徳資料になるか?

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 さだまさしの楽曲に「償い」があるのだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%9F%E3%81%84_(%E3%81%95%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%97)

 「実際の裁判で引用され話題となり、命の尊さ、犯した罪への償いを考えさせるため、運転免許更新の際の放映ビデオ内で使われているほか、交通キャンペーンにも使用されている」のだそうだ。
 詩の内容は以下の通り。ネット検索すると動画で歌も聴ける。
 便利な世の中になったものだ。
 http://jp.youtube.com/watch?v=yX4lwo5nL98&feature=related
====================
償い    作詩・作曲:さだまさし

 月末になると ゆうちゃんは薄い給料袋の封も切らずに
 必ず横町の角にある郵便局へとび込んでゆくのだった
 仲間はそんな彼をみてみんな貯金が趣味のしみったれた奴だと
 飲んだ勢いで嘲笑っても ゆうちゃんはニコニコ笑うばかり

 僕だけが知っているのだ 彼はここへ来る前にたった一度だけ
 たった一度だけ哀しい誤ちを犯してしまったのだ
 配達帰りの雨の夜 横断歩道の人影に
 ブレーキが間にあわなかった 彼はその日とても疲れてた

  人殺し あんたを許さないと 彼をののしった
  被害者の奥さんの涙の足元で
  彼はひたすら大声で泣き乍ら
  ただ頭を床にこすりつけるだけだった
 
  それから彼は人が変わった 何もかも
  忘れて 働いて 働いて
  償いきれるはずもないが せめてもと
  毎月あの人に仕送りをしている


 今日ゆうちゃんが僕の部屋へ 泣き乍ら走り込んで来た
 しゃくりあげ乍ら 彼は一通の手紙を抱きしめていた
 それは事件から数えてようやく七年目に初めて
 あの奥さんから初めて彼宛に届いた便り

 「ありがとう あなたの優しい気持ちは とてもよくわかりました
  だから どうぞ送金はやめて下さい あなたの文字を見る度に
  主人を思い出して辛いのです あなたの気持ちはわかるけど
  それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」
 
  手紙の中身はどうでもよかった それよりも
  償いきれるはずもない あの人から
  返事が来たのが ありがたくて ありがたくて
  ありがたくて ありがたくて ありがたくて
 
  神様って 思わず僕は叫んでいた
  彼は許されたと思っていいのですか
  来月も郵便局へ通うはずの
  やさしい人を許してくれて ありがとう
 
  人間って哀しいね だってみんなやさしい
  それが傷つけあって かばいあって
  何だかもらい泣きの涙が とまらなくて
  とまらなくて とまらなくて とまらなくて
========================
 しかし、私は、個人的には、このゆうちゃんの「償い」の行為の価値を素直に認められない。
 なぜなら、被害者の奥さんが手紙を出したのは「思い出して辛いから、送金はやめてください」
という理由だとちゃんと書いてあるからだ。
 ゆうちゃんを許すための手紙か、これ以上関わらないでほしいという絶縁の手紙かと言われたら後者の意味合いの方が強い。
 「手紙の中身はどうでもよかった」
 「返事が来たのがありがたくて」
と単純に感激しているが、これでは、「これ以上つきまとわないでほしい」と手紙をもらったストーカーが大喜びする「大きな勘違い」と変わらないではないか。
  
 ゆうちゃんにとって、「仕送り」は、せめてもの償いの気持ちである。
 その気持ちは尊い。
 でも、相手は「仕送り」される度に、辛い思いをしてきたのである。
 7年間、仕送りをされる度に、亡くなった主人を思いだして辛かったのである。
 自分の思いだけでは「償い」は評価できない。
 相手の感情を逆撫でするような行為は「償い」とは言えない。
 償うとは、それほど難しい行為なのだ。

 この歌詞にある行為は、
◆「償い」しないよりはマシである。 しかし、7年間続けた自分の行為すら相手に届かないこともある。それほど「償い」とは難しいものなのだ
という意味を教えるなら意義深い。
 「ゆうちゃんの行為がまさに『償い』だ、見習いなさい」と伝えるだけならあまりにも薄っぺらだし、それは、この詩の内容からしたら「誤読」だと思う。

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June 15, 2008

「派遣労働者の絶望」

フリーター・ニート・正社員の問題は何度も書いてきた。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/09/post_6ecd.html

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/09/post_4bb0.html

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/11/post_8c7e.html

世界のトヨタ自動車も期間工やら派遣社員でコストカットをしている。
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2008/06/post_26e1.html

そのような社会のひずみを受けて、日々の生活に困っている人・将来に期待が持てなくて困っている人がたくさんいる。

だからといって絶望して、無差別殺人をしていいわけではない。それは当然だ。
しかし、全てではないにしろ「自殺する人」「他殺する人」は根っこの部分が同じではないかと、最近強く感じる。
この間までは洗剤を混合させた自殺者の増加が問題になった。
そして、今回の無差別殺人。
「自殺」も「他殺」もひっくるめて対処する策の重要な1つに「雇用の安定」があると自分は思う。
有識者に、そのようなコメントはないものかと思っていたら見つけた。
6月13日(金)の中日新聞朝刊の鎌田慧氏の特別寄稿。
タイトルは「派遣労働者の絶望」
見出しは「不安雇用 若者追い込む」
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かつて私が「絶望工場」と名付けた労働現場の悲惨はさらに深まり、若者たちはなんの保証もない移動を繰り返している。
自己責任社会の中で、自殺か他殺か、その選択しかないほど追い詰められている。
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自殺しても世間からすぐに忘れさられてしまう。
その腹立たしさが「他殺」に向かってはいないか。
ならば、根っこを救済しない限り、同じ惨事が起きる。

繰り返すが「無差別殺人」を擁護するつもりはない。
無差別殺人するような奴は射殺すればいいのに、と本気で思っている。
でも、今のままでは、同じ事が繰り返されるだろうとも本気で思ってしまうのだ。

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「かさ」を表す自分の言葉

前回のブログ「科学的思考~」と前々回のブログ「リットル」を重ねた報告をする。
350mlと500mlのペットボトルを提示して「どっちがたくさん水が入る?」と聞く。
全員が500mlを選ぶ。視覚的に明らかだ。
「どうしてそう思ったか、わけが言える人?」
これは大人でも難しい。
自分でも何と答えていいか分からないまま尋ねてみた。
「こっち(500ml)の方が大きいから」
という意見が出た。
なるほど。確かに「大きい」だな。

次に500mlと1Lのペットボトルを比べる。
全員が1Lを選ぶ。これも視覚的に明らかだ。
「どうしてそう思ったか、わけが言える人?」
これは、どう答えるだろうか。
さっきより手が上がっている。
「こっち(1L)の方が大きいから」
「長い」
「長くて大きい」
「太い」
「長くて大きくて太い」
などが出た。
なるほど、「長くて大きい」というダブルも「長くて大きくて太い」にトリプルも、子どもなりによく考えた証拠だ。

子どもなりに、「どう表現したらいいか」について知恵を絞ることが大事なのだ、と前回のブログで学んだ。
「大きい」も「長い」も「太い」も、厳密には、不的確な表現かもしれない。
でも、何とか、この場に合う表現を探そうとする行為が大切なのだと思う。

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June 14, 2008

科学的な思考と文学表現

Hyousi0804
ありがたいことに「サイエンスウインドウ」という冊子が学校に配られる。
科学技術振興機構の出版物で、HPからもダウンロードできる。
http://www.jst.go.jp/rikai/sciencewindow/

古くなったが4月号は「言葉ってスゴい!」が特集。
理科的な立場から、言葉・表現・思考について言及している。
P8は、次の見出し。

「分かった!とは自分のことばで説明できてはじめて得られる感覚でしょう」

・・・この指摘は、すばらしいと思う。とても重要な指摘だ。

特に興味深かったのは「文学的な表現」とも言える比喩表現と、科学的な表現の折り合いだ。
P13の記述。
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理科の観察事象を発表したり、レポート記述をする場合、比喩表現(メタファー」のようないわば文学的な描写表現は推奨しないというのが教育現場の一般的なスタンスだろう。
(中略)
ところが、こういった事象と初めて向き合う子どもたちは、食塩水が塩をもうこれ以上とかすことがないと気付いても「飽和」という言葉は、知らないので当然出てこない。
ある子どもはやっとの思いで「水が満腹だ」と言い、ある子どもは熱が伝導していく様子を「ロウが逃げるようにとける」と表現した。対象を人物にたとえた擬人表現である。
 井上教科調査官(国語科)は、「これらの比喩表現は子どもが思考の過程で用いたもので、生活の基盤から出た主体的な言葉です。先生方には子どもの豊かな表現を上手に取り入れて、科学の言葉に結びつけてあげてほしいですね」と話す。
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 全く同感なので、数ヶ月経過しても、いつか記しておきたいと記憶していた部分だ。
 同じような意味がP15の八嶋真理子先生の次の言葉。
「子どもたちにとって、イメージがたくさん生まれる国語と、実験や観察などの体験がたくさんできる理科とを、一工夫して組み合わせると、楽しい授業に発展すると思います」
 これも意義ある言葉だと思う。
 P18・19にはPISA学力調査の「科学的リテラシー」の特集もあり、
 「探求心や自信、楽しさ、目的意識が足りない」
 「自ら疑問を見つけて問題集にない問題の解決を」
とある。
 勝手に仮説を設定すると、次のようになる。
◆自分の言葉で科学的事象を表現することで、主体的な学びが生じるのではないか。
◆自分の言葉で科学的事象を思考することで、科学的リテラシーの力がつくのではないか。

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