この詩は「夏」か「秋」か?
今日はある小学校で研究授業がありました(5年)。
授業者は2年目で、トスデイ春日井参加名簿にも名前がある方です。
子どもの反応がすばらしく、とても勉強になった授業でした。
★詩の季節を答えさせる★
導入で矢川澄子さんの「はつなつあきふゆ」という詩のNo23を紹介しました。
この矢川さんのの詩を4月から時々子どもに提示しているのだそうです。
提示されたのは次の穴あきの詩です。
○みのりはおぼえましたか
○りはうまくなりましたか
○まのぼりはどうでしたか
○みましたか、 しゅくだいは
○んなてをあげてください
○の中には「なつやすみ」が入って季節が「夏」になるという流れです。
導入部分ですから、すんなり「夏」が確定して次にいくと思ったら、反対意見が出ました。
「おぼえましたか、なりましたか、と聞いているから、夏は終わっている。
だからこの詩は秋だ」
すばらしい。
確かに、この詩の中では、楽しい夏休みは終わっている。
この詩は楽しかった夏休みの思い出を列挙しているのだ。
先生自身が、このような反論を想定していたかどうかは分からない(指導案にはなかった)。
それでも、こういう意見が出るところがすばらしかった。
先生は「そういう意見もあるね」でかわされたが、いくら「なつやすみ」が隠れているとはいえ、
季節は「秋」(夏の終わり)という意見は決してあなどれないという気になった。
もちろん僕も、夏か秋かどちらかに決めてしまおうとは思ってない。
そういう意味では、この詩は季節を特定しようとしても対立を引き起こすので、対立が嫌なら、
もう季節が鮮明に決められる詩を持ってくるべきだったということだ。
★自分の「論」を立てる★
この詩で「夏」だと説明した子や、「秋」だと説明した子の中には、
「もし、○○なら~になる。(そうならないから)だから季節は△△」
というような言い方の子がいた。
論理的な文章の指導の際に
「もし○○ならば△△である。しかし●●だったから△△ではない。」
というような反論の言い方を指導せよと言われる。
「もし○○ならば~」という言い方は、僕にとって一種のあこがれの表現なのである。
そうした表現で相手を説得できるクラスは素晴らしいなあと感じました。
子どもに力をつけている証拠です。
そして、チャイムが鳴った後の反応が「先生、授業延長してもっとやろうよ」ですからね。
いかに子供がのっていた授業かが分かります。
先生の日頃の指導の確かさを感じた授業でした。
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