OECD学習到達度調査の考察
OECDの学力調査の結果を論じるにあたり、いくつか考えたいことがあります。
まずは、この調査の信頼度です。
言い方を変えると、他国はどのくらい関心を持ってこの調査に取り組んでいるかです。
暴論かもしれないけど言いますよ。
トップグループにフィンランドやリヒテンシュタインやマカオが入ってますが、これらの国家がこの調査にあわせて万全の体制で臨み、日本がそれほどの意識もなく調査に臨んでいるのだとしたら、このような結果もやむをえないところでしょう。
12月8日の中日新聞夕刊には、この調査について、こう説明されています。
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(前略)生徒の修得内容を判定するのが目的ではないため、解答に必要な数学の公式などはあらかじめ問題用紙に印刷されており、適切に使えるかどうかを試す。
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日本の学力調査の多くは「生徒の習得内容の判定」を目的とし、数学の公式をあらかじめ提示するようなケースは少ないはずです。
「読解力」のテストは、
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文章やグラフ、表などから情報を正しく読みとり、知識や経験に関連付けて考える力を調査した
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とありました。
自分の意見を自由に記述するスタイルのテストに慣れていないのですから、開き直ればできなくて当たり前です。
私自身マークシートの共通一次世代です。
選択型のマークシートでどれだけ知識を詰め込むかを競うような大学受験が今でもまかり通っているわけですから、OECDの調査で好成績を収めるのは難しいですよ。
とりわけ低位の子が無解答や手付かずというのは当たり前です。
大学入試でも志望校の傾向に合わせるのが当然の対策です。
OECDの学力調査で好成績を取らせたいなら、そのような試験に慣れるような対策を講じるべきです。
そこまでやる気がないなら(つまり「素」の状態で受けることを「よし」とするならば)、結果に一喜一憂しないことです。
「読解力向上プログラム」を作るというならば、大学受験をOECD型にすれば、ずいぶん成果が現れることでしょう。
冒頭で「この調査の信頼度」と書いたのは、日本の大学受験のあり方を変えさせるほど、OECD型の試験は普遍性を持つかどうかが問われるという意味なのです。
そこまで信頼できるなら思い切って改革することに賛成します。
もちろん、数学的応用力は前回(3年前)が1位、今回が6位。
読解力は前回8位、今回14位。
というようになっていますから「転落」のイメージは、ついて回ります。相対的に下降したことは否めません。
というように、学力調査の結果を鵜呑みにしないで疑ってみること・持論を述べることも、この調査の狙う「読解力」です。
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Comments
私もOECDの調査結果についてはブログで意見を書いていますが、この「OECD学習到達度調査の考察」を読んでみて、なるほどそこまでは考えていなかったなと思いました。確かに、条件が同じでないのに、その結果だけを論じるのはおかしいですよね。
ただ、これは先生も感じていらっしゃると思いますが、長く教えていれば、子供たちの学力がどんどん落ちているのは肌で感じますよね。
私はその一因として、幼児期からの子供を取り巻く環境の変化があると思います。言い方を変えれば家庭教育、そして社会の雰囲気です。昔から、教育というものは社会全体の環境が影響していると言われますよね。今の日本は、子供たちが一生懸命に勉強しようとするモチベーションを持ちにくい社会になっていることは否めないと思いますが、先生はどのようにお感じになっていますか?
Posted by: ひとみ | December 15, 2004 10:09 PM
こちらの操作ミスで何度もトラックバックしてしまいました。すみません。1回目のは間違いですので削除してください。OECDについての意見大変参考になりました。
Posted by: kyouikunosusume | December 17, 2004 02:03 AM
ひとみさん。コメントありがとうございました。
学力と家庭教育力の関係はかなりあると思っています。先日、文部科学省の寺脇研さんがテレビに出てました。学力調査のコメントです。週2日休みになり授業時数は確かに減ったが、家庭や地域で学校ではできない体験や学習をする機会として生かしてほしい、という意味のことを話していました(文責は私)。同感です。学校五日制は家庭や地域が子供を育てていく絶好の機会だというのが本来の目的だったはずです。そんなことを考えながら個人懇談会のすき間の時間に教室にあった学級文庫を読みました。ビートたけしの「菊次郎とさき」(新潮社)です。この本の書評をブログに書きますので、そちらもご覧ください。
Posted by: 竹田博之 | December 17, 2004 11:41 PM