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January 30, 2005

メデイアリテラシー教育の基本姿勢

title_img01 「恵方寿司」というのがあって、コンビニで予約受け付け中のポスターがはってある。→詳細
 「節分の日に、その年の歳徳神(としとくじん)の位置する方角『恵方』に向かって巻き寿司を無言で丸かぶりすると、幸せになれるという風習です。」とある。
 昔からある風習のようだが、広まったのは、この数年なのだそうだ。
 そして、その理由はコンビニが1月末の商品戦略として「恵方寿司」を勧めたからなのだそうだ。
 だからバレンタインのチョコと同じように、我々消費者は、まんまとノセられているわけだ。
 それでも10年もしたら、「恵方巻き」も、当たり前のように「古くからのしきたり」のようなイベントになってしまうのだろうか。
 まあ、「土用の丑」でさえ、平賀源内が、まんまと流行らせたと言うから、その手の商売はずっとあったわけだ。
 ワインのボジョレーヌーボーが話題になるようになったのは、20年ほど前、僕らが大学時代に流行った『見栄講座』という書物によるものだと思う。
 ボジョレーヌーボーは新酒だから値段は安価・したがってどんな高級な店でも安心して注文できるというのが発端だ。

 全部は無理でも、事柄の発端というか、事の起こりを知っていたいと思う。
 それは、まんまと商売にノセられらくないという意地のようなもので、結局そういう意識が「メデイア・リテラシー」につながっていくのではないだろうか。
 
 そんなことを考えていたら、某新聞で、連続ドラマの主題歌のためにレコード会社(古いな~)がテレビ局に払うタイアップ料は3000万から5000万なのだと載っていた。
 流行(流行歌)は自然にできるものではなく、仕掛けられる物・作られる物なのだということを改めて考えさせられた。
 雑誌で「今、○○が流行中」といった記事があっても、メーカーのコマーシャルだというケースも多い。
 そんなことは当たり前と言えば当たり前なのだが、分かっていてもノセられてしまうことも多い。
 メデイアのニュースを安易に信用しないと言う姿勢をきちんと保っていきたいと思う。

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January 20, 2005

「総合学習見直し示唆」

総合学習見直し示唆 文科相、学力低下傾向で」という見出しが某新聞に載った。
ネットの新聞の見出しは、「ゆとり転換」だった→ここ

・いくら見出しで短縮とはいえ「総合学習」という教科はないよ。
 文科相の発言を引用するカッコの中でさえ「総合学習」となっており、ホントかしらと疑ってしまう。実際リンクさせた読売ニュースの記事では、きちんと「総合的な学習の時間」になっている。
・文科相発言として「特に国語を重視する観点から、総合学習の在り方を含め(中略)課題がいろいろある」ともあった。
 どこから「国語重視」が来たのだろうか。年末の読解力低下のニュースを受けているのだとは思うが。
・中学校では総合学習が210~335時間を導入し、国語105時間・数学70時間・理科25時間を減らしたという紹介記事もあった(3年分の数字です)。
 「国語重視」はこの削減時間を見れば、分からなくもない。総合的な学習の時間の運用は学校任せで、実際は学級活動に流用していることも多いのが事実だから。
・「総合学習」という誤った表現や、「OECD調査で読解力低下」と安易に不安をあおるような報道には不審を抱かざるを得ない。正確な表記や正しい定義に基づく発言ができないマスコミにアレコレ言われたくない。
 前にも発言したが「OECD調査」の「読解力」の定義は普通とは違う。
 読解力とは「自らの目標を実現し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」である、とされている。普通の定義では「書かれたテキストを理解する能力」程度であろう。
 つまり、旧態依然の国語の授業を復活し、授業数を増やしても、OECD定義の読解力を高めることは難しいのだ。
 本当は「総合的な学習」の例示項目である「環境・福祉・国際理解」などの内容を追究テーマとして設定し、情報検索したり、外部講師の話を聞いたり、社会見学やインタビューしてレポートにまとめたりすることの方がOECD定義の読解力を向上させるには有効なはずである。
 「総合」の見直しは必要だと思う。学校裁量で「何でもあり」や「やらずじまい」「やったこと」になっている学校が多いからだ。それは、以前文部科学省も通達したとおり、「より一層の充実」をはかる方向で検討するものであって、単純に時間削減するべきものではない。→文部科学省通達
 「総合」に全ての責任を転嫁するような風潮が怖い。 
 また土曜日の授業復活を含め、授業数を上乗せすればいいだろうという安易な発想も怖い。

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January 15, 2005

知的なテレビ番組に期待する

 昨年12月20日のブログのコメントに次のように書いた。
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なるほど確かにそのとおりで、マスコミも学力低下を嘆く前に知的教養に関する番組や特集に、いかに興味を向けられるかを検討してほしい。ベストセラーの書籍や高視聴率番組を見れば学力(というよりも知的好奇心)がいかに失われているか分かるというものだ。もちろんアレンジされたクイズ番組や海外取材番組などは結構人気があって、日本人の知性も決して捨てたものではない。
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 昨日、進路学習の時間に『父ちゃんはエジソン』というドキュメンタリー番組(録画番組)を見せた。
 1年前に東海テレビで放映された作品で、自らも手に障害を持つ方が、様々な福祉器具を作り出す様子を特集したものだ。
 60分番組のコマーシャル部分を早送りしてギリギリ45分。感想を書く時間がなくて見せるだけになってしまったが、中学2年生の男女とも静かに見入っていた。お金儲けだけでなく、世の中のために働くこと・自分にしかできない仕事をすることの尊さを少しでも感じてもらえたかと思う。
 世の中には、教養を高める番組・生き方を考えさせる番組もたくさんある。あとは、どう教師が見つけ紹介していくかだ。
 本日、たまたまJRに乗った。近くに女子高生の集団がいて、どうでもない話を続けていた。
 そのうち、「テレビで阪神大震災の特集番組やってて、感動して泣いちゃった」という声が聞こえてきた。
 どうでもないことを話す女子高生をも感動させるドキュメンタリー番組はすごい。
 震災の被害を扱う番組で涙する女子高生も、きちんと真面目な番組を作るテレビ業界も捨てたもんじゃない。

 

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January 14, 2005

古文の授業は暗号を解くように

 中学校2年で古文を教えている。
 一段落したので「まとめの感想・授業の感想」を書かせた。
 「難しくい」「よくわからない」という意見もあったし、
 「だんだん分かるようになった」という意見もあった。
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最初は全然意味が分からないけれど、1つづつ古語を習うたびに、この文章はそういう意味だったのかと納得できました。
★教科書を1回読むだけだと意味が全然分からない言葉も出てきたけど、その言葉の意味を調べて何回か教科書を読むと、少しずつ意味が分かってくるのが楽しくて初めて古典をもっとやりたいと思いました。
★だんだん古典を現代語に訳していくのがジグソーパズルみたいに楽しくなって、「平家物語」は楽しくない話だけどおもしろい話とかを楽しみながら訳せるといいなあと思った。古典を楽しむという題名のように古典を楽しみつつできたのでよかったです。
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 文章の読み取りを「読解」と言うが、暗号を読み解くような場合は「解読」と言う。
 古典の文章は、知っている単語や言い回しを手がかりに意味を探っていくという意味では、まさに「解読」である。
 紹介した感想は、暗号を解読するような面白さを味わった子である。
 僕が一度も使っていないのに「ジグソーパズル」という比喩が出てきたのには驚いた。
 古文は一読では分からない。分からない文章を少しずつ読み解いていく面白さが「古文を読む」ことのダイゴミであるとも言える。気分はインデイジョーンズ教授か。
 もちろん、暗号が苦手な子もいるから配慮は必要である。難しすぎる授業は敬遠される。
 ただ、読み解きの面白さを前面に出した授業をすることが、説明で終始しがちな国語の授業の突破口にならないかと考えている。

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携帯電話の電磁波に注意?

 1月12日の新聞に(ロンドン=共同)ということで、携帯電話の電磁波について警告がされていた。
 「確たる証拠は目下のところない」としながらも、人体に及ぼす危険性から「8歳以下は使わせるべきではない」と伝えている。
 携帯電話の電磁波について検索してみたら、詳しいHPがあった。
機種ごとの電磁波の数値なども紹介されており、なかなか詳しいサイトだった。
 医療機器が誤作動するから携帯電話のスイッチを切ろ、というんだから、危険がないとは言えないよね。
 発信の際はアンテナを伸ばせ、感度のいい所で使えといった自衛策もあるようです。もう少し詳しく調べてみたい。

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January 09, 2005

「赤ゴジラ」を授業にしてみたい

 広島カープの赤ゴジラこと嶋重宣選手。
 3度甲子園に出場し、全日本選抜の代表にもなった「全国屈指の左腕」。
 1994年ドラフト2位で広島へ。。鳴り物入りの入団だったが、けがもあって1999年には投手から野手へ転向。ここでもまた、ケガで一軍レギュラー入りを果たせなかった。トレードも覚悟しながら、昨シーズンは開幕から4割を越える好打率。セリーグの最多安打も視野に入るほどの活躍で打率3割3分7厘、32本塁打、84打点をマークした。首位打者、最多安打、ベストナインの3つのタイトルを獲得して、プロ入り10年目で年俸は推定700万円から550%アップの4550万円となった。
 なぜ急に成長したのか。
 嶋選手の「二軍時代の努力を、神様が見ていてくれたのかもしれない」は、なかなか言えない言葉である。。
 中国新聞で特集された「嶋重宣物語」では、まだまだ物足りないが、もっともっと検索して授業プランにしてみたいと思う。
 それにしても、スポーツ選手にとって「ケガ」は恐ろしいし、それを克服するのは本当に大変なことだと思う。

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自由な時間が「問いの情熱」を育む

 ある高校の入試問題に森本哲郎『生き方の研究』の一節があって、次の記述があった。
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 三歳から六歳ごろまでの子どもにとって、何より大切なのは、さしでがましい大人の干渉を受けずに、自分で自分の能力を開発するということである。つまり、自分で遊びを工夫し、あれこれ思案し、探索し、存分に好奇心をふくらませることだ。(中略) 
 学問とは、読んで字のごとく、問うことを学ぶことである。幼年期、それにつづく少年期が人生でいちばん大切というのは、この時期こそ、心から問いを発する、そして、問うことを自分で学ぶ年齢だからである。この時期に問うことを学びそこなうと問いの情熱はもう一生戻ってこない。
(中略)情報化社会といわれる現代の子どもたちには、問う前にすでに答えがある。(略)子どもたちは答えだけをきかされて育つのだ。そんな環境のなかで、どうして子どもたちは問うこと学べようか。
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 学力低下の問題の根底に「学習意欲」の問題がある。 
 幼年期・少年期においてこそ必要な「問いの情熱」が、情報過多の現代社会では奪われてしまう、
という論理である。学ぶ意欲の臨界年を示しているともいえる。
 評論家なら、好き勝手に世の中を批判したり、不安をあおったりすればそれで済む。
 しかし、教師としては、そうはいかない。そのような状況の中でどうすればいいかを考えなくてはいけない。
 とはいえ、トス(向山型の指導法)の中には、対応策がすでに存在する。
 たとえば、「自由試行=飽きるまで存分に触れさせる理科の授業」である。答えを与えるのでなく、まずは自由な時間を与えるのである(森田氏の文章には、この部分の前に、幼年期に「むだな時間がない」ことも批判されている)。
 飽きるまでの体験の後の「気づいたこと・分かったこと・思ったこと」の列挙。
 これなら「問いを発すること」「問いの情熱」に十分対応している。

 問うことの情熱が、問われる(教育される)ための土壌になるのなら、まずは、そこを出発点にして対策を練ってみよう。 
 「自由試行(浴びるほどの体験と情報の蓄積)」
 「思ったこと・気づいたことの列挙」
 「問題つくり」
など、向山型やトスの指導法にヒント(正解)がある。


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January 08, 2005

宿題プラスαの生徒

 本日は3学期の始業式。
 いろいろ批判はあるでしょうが、冬休みの課題を課し、本日回収をいたしました。
 中2の国語科は、冬休みのワークではなく、資料集(国語便覧)の「故事成語」をノートに書き写すという作業を課しました。故事成語22個の意味を書きます。便覧には「成り立ち」も解説してありますが、そこは写さなくてもいいことにしました。まあ、それだけといえばそれだけ。でも漢字もけっこうあるので勉強にはなるだろうと・・・。そりゃあ、ていねいな子、雑な子、出さない子などさまざまですけどね。
 その中で一人、故事成語を書き写した後で「ちょっと一言」と感想を書いてくれた子がいました。
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 なんかこんなに故事成語を真けんに見たのは初めてだったから、故事のそれぞれの成り立ちを見て納得したものや、昔風な考えやいろいろなエピソードがあっておもしろかった。ちなみに印象に残った故事は「蛍雪の功」です。
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 このような感想を期待していたわけではないので、とてもうれしかった。そして、少なくともこの子にとって、今回の宿題は決して無駄ではなかったということを確信しました(その子は、これまで作文を目立って書いてきたというわけではない)。
 実際に感想を書くかどうかは別にして、全員がこのような思いを抱きながら課題をこなしていてくれたら、と思います。
 何のために故事成語を書き写させるの?と聞かれたら、このような思いを感じてほしいからと答えよう。
 
 たった一人の事例で大きな結論を出すのもおこがましいが、思いうかぶキーワードは「情報の蓄積」です。
 
 

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January 06, 2005

選挙に行く人間を育てる

  たまたま2001年の西尾市立西尾小学校での寺脇研氏の講演テープが出てきたので、少し聞いてみました。
  次のようなくだりがありました(勝手に要約しました)。
 =====================
  以前は「小選挙区制は300あるんだよ」ということを一生懸命教えていた。
  ところが2年も経たずに小選挙区の定数は変わってしまった。。
  ということは、そういう数字を覚えることより「小選挙区制はどういう仕組みか」 を分からせることの方が大事。
  しかし、何より大事なのは「選挙の時に選挙に行くという気持ちをもった人間」 を育てること
  選挙区の数を知っていようが、仕組みを知っていようが選挙に行かないというのでは一体何のための教育か。
  歴史の年号を覚えることではなく、過去の歴史から何を学ぶか、どうすれば二度と過ちを繰り返さないか。そういう気持ちを育てることの方が大事。
 「総合的な学習」に携わっている人は、そこを十分理解している。
 「総合」的な学習」が目指すのは断片の知識を組み合わせること。
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 学校では今だって「選挙区制の仕組み」が「選挙に行く気持ち」よりも優先的に教えられています。
 選挙に行く気を育てようともしない教育を「知識偏重」というならば、やはり「知識偏重」の教育など無意味です。
 教えられれば教えられるほどその教科を嫌悪するような教育なら、やらない方がマシです。

 学力が低下したという結果報告がありました。・・・A
 同時に家庭学習の時間も、教科に対する興味関心も低下していることが報告されました。・・・B
 A・Bは相関関係にあります。
 学力低下を嘆いて、またぞろ断片的に知識を詰め込んでも、根本的な興味関心を喚起させなければ成果は上がりません。
 学力向上のカギは「勉強って楽しい」という快感をいかに味わわせるかにかかっています。
 子どもが断片的な知識の習得に躍起になり(あるいは絶望し)、その知識を応用しようという気持ちにならないのは、そもそも教師の側が「知識の詰め込み型の教育」にしか慣れていないからでしょう。
 授業に質は教師の力量に規定されます。  
 「○○の科目って楽しいね。○○の授業って素敵だね。」
 「今日習った○○を実際に使ってみたいな。将来今覚えた○○が役立つぞ。」
という気持ちを大切にする授業は、単なる知識詰め込みの授業よりは、知識を詰め込むことができます。
 意欲喚起された子供の方が、たくさんの知識を吸収する素地(容量)があるからです。
 
 
 

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January 05, 2005

塾の授業に学べ

 冬休みに息子(6年生)のお友達のお母さんと「学習塾」の話をした。
 いくつかの学習塾を見学・体験してきたのだそうだ。
 お母さんは息子ともども、S塾が気に入ったと言う。
 理由を尋ねると「授業がすごい。」と言う。
 何がすごいのか尋ねると、要旨で次のように話してくれた。
「星の解説をするのに地球や月の画面が、スーっと太陽系に変わり、続いてスーっと銀河系に変わっていった。視覚的にもすごかったし、講師の人はずっと笑顔で全然叱らなかった」
 
・・・フラッシュのような動画の資料をスクリーンに映し出したのだろう。
 視覚的なコンテンツは、保護者の心をとらえ、子供の心をとらえたようだ。
 もちろん、そのコンテンツを生かすのは、教師の語り(リズムとテンポ)である。 
 プロジェクターとスクリーンを使って授業をしても、解説が下手であれば、子どもはスクリーンに目を向けない。子どもの視線がスクリーンに集中していないのに勝手に解説を進めても何の学習効果もない。
 また「講師の人が、ずっと笑顔」というところも大事なポイントになる。
 「教師の笑顔」と「子ども落ち着き」は相関関係がある。どちらが先とは言わないが、教師の「笑顔」は保ちたい。

 自分の授業を受けている子ども・参観した保護者が「気に入った」と言われるような授業をしたいと思う。
 トス授業検定のD表を意識するだけでも圧倒的に違うと思う。
  1,授業のつかみ  
2,子どもへの目線      
3,あたたかな表情、対応   
4,明確な発問、指示   
5,心地よいリズム    

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January 02, 2005

謹賀新年(神社の豆知識)

masumi 1日遅れの新年の挨拶となりました。
 明けましておめでとうございます。
 せっかくなので、「初詣」についてのネタを控えておきます。
(1)初詣のお参りは「願い事」をするのではなく「祈念」するのが基本だとか。
 「祈念」とは「神仏に祈り、目的の達成を念じること」。
 「・・・・させてください・できるようになりますように」と単純に願うのではなく、「今年は・・・をします」と自分の誓いを神様の前で表明することなのだそうです。

(2)神社についての解説が、地元のタウン情報誌に載っていました。
 「○○宮」・・・名称の最後に「宮」が付く神社は、東照宮を除き、天皇や皇族を御祭神としている。
 「○○天満」・・学問の神様、菅原道真を御祭神とする神社。「天神様」も同じ。
 「○○八幡宮」・・源氏の氏神である八幡大神をまつる神社。
 「神明宮・神明社」・・天照大神(伊勢神宮内宮の御祭神)あるいは豊受大神(同外宮の御祭神)をまつる。
 「稲荷神社」・・本来は豊作をもたらす農耕の神、現在は商業の神をまつる。キツネは稲荷神社の神使。
 「氏神様」・・・氏族の祖先神をおまつりする。
 「鎮守様」・・・そに土地の守り神。
 「産土神(うぶすながみ)様」・・その土地に宿る神をまつる。

 今年の僕の初詣は尾張一宮の「真清田神社」
尾張氏の祖先神をまつるそうですから、上記の分類以外ということになるようです。
地元の奥町にあるのが「貴船神社」ですが、正式名称は「貴船神明社」。これは天照大神系ですね。
 ちなみに隣の稲沢市には「国府宮神社」があります。
 役人の「国府」が神社の管理をしていたから通称「国府宮」。
 「宮」が付いていますが、正式名称は「尾張大國霊神社」。尾張の守護神という意味です。
 これも、上記の分類以外かな?
 
 僕は大学の卒論が、いちおう「天照大神(記紀神話)」関連だったので、神社には興味があります。
 その割には、何も知らないので、今後もう少しこだわってみようと思っています。
 大学時代は梅原猛の著作にも凝り、生身の人間が神社にまつられているのは「鎮魂」の意味だという説を知りました。聖徳太子・菅原道真は共に不遇の死で、怨念を封じ込めるために神としてまつられたという解釈です。
 ところで、地元の木曽三川の洪水を防ごうと工事した薩摩藩の人々をまつったのが「治水神社」です。
 薩摩藩の財力を散財させ、反乱を封じ込めるための治水工事。それを命じた徳川幕府は、さぞかし「恨み」を恐れたことでしょう。
 人間が「神社」にまつられた経緯がうかがわれます。ただし治水神社の完成は昭和なんだって。
 木曽三川の治水工事についてはこちらをご覧下さい。 

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