自由な時間が「問いの情熱」を育む
ある高校の入試問題に森本哲郎『生き方の研究』の一節があって、次の記述があった。
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三歳から六歳ごろまでの子どもにとって、何より大切なのは、さしでがましい大人の干渉を受けずに、自分で自分の能力を開発するということである。つまり、自分で遊びを工夫し、あれこれ思案し、探索し、存分に好奇心をふくらませることだ。(中略)
学問とは、読んで字のごとく、問うことを学ぶことである。幼年期、それにつづく少年期が人生でいちばん大切というのは、この時期こそ、心から問いを発する、そして、問うことを自分で学ぶ年齢だからである。この時期に問うことを学びそこなうと問いの情熱はもう一生戻ってこない。
(中略)情報化社会といわれる現代の子どもたちには、問う前にすでに答えがある。(略)子どもたちは答えだけをきかされて育つのだ。そんな環境のなかで、どうして子どもたちは問うこと学べようか。
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学力低下の問題の根底に「学習意欲」の問題がある。
幼年期・少年期においてこそ必要な「問いの情熱」が、情報過多の現代社会では奪われてしまう、
という論理である。学ぶ意欲の臨界年を示しているともいえる。
評論家なら、好き勝手に世の中を批判したり、不安をあおったりすればそれで済む。
しかし、教師としては、そうはいかない。そのような状況の中でどうすればいいかを考えなくてはいけない。
とはいえ、トス(向山型の指導法)の中には、対応策がすでに存在する。
たとえば、「自由試行=飽きるまで存分に触れさせる理科の授業」である。答えを与えるのでなく、まずは自由な時間を与えるのである(森田氏の文章には、この部分の前に、幼年期に「むだな時間がない」ことも批判されている)。
飽きるまでの体験の後の「気づいたこと・分かったこと・思ったこと」の列挙。
これなら「問いを発すること」「問いの情熱」に十分対応している。
問うことの情熱が、問われる(教育される)ための土壌になるのなら、まずは、そこを出発点にして対策を練ってみよう。
「自由試行(浴びるほどの体験と情報の蓄積)」
「思ったこと・気づいたことの列挙」
「問題つくり」
など、向山型やトスの指導法にヒント(正解)がある。
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