中2の国語の「モアイは語る」について、続きを書く。
教科書の記述は、イースター島は森林の消滅によって文明が破壊されモアイ像も作られなくなった、というのが主旨である。森林消滅の根本的な原因は人口増大によるとされている。家屋や燃料や船、そしてモアイを運ぶ「ころ」などに木材が使われたということだ。
しかし、別の書籍によると、イースター島には奴隷狩りのような形で島民が連れて行かれたことや、伝染病で島民が絶滅状態になったこと・島民同士の争いでモアイ像が破壊されたことが書いてあった。
ネットでも次のような解説がある。→ここ
となると、モアイが作られなくなったこと(文明の崩壊)の原因を森林破壊だけに押しつけるのは極めて危険な発想である。言い方を変えれば「ミスリード」である。
限られた教科書の紙面で全てを書き尽くすことは難しい。しかし一面的な書き方は教育的にもよくない。さまざまな可能性に言及しつつ、可能性の低い原因を消去し、可能性の高い原因を残すのが、論理的な文章の基本である。
そもそも5世紀に移住したのに、突然モアイ像が作られ出したのが11世紀頃だと書いてあるが、そうなると空白の600年が気になるのが自然な発想である。
むしろ11世紀になってわざわざモアイを作り出したことにこそ疑問が生じる。まあこれは先にリンクしたHPで「10~16世紀に島を支配した長耳族が権力誇示のために巨像を作った」と解説しているので教科書以外の記述のおかげで納得できたというところである。それにしても教科書が言うような単なる「祖先神・守り神」とHPが示す「権力誇示」とでは少し意味合いが違う。奈良の大仏だって「大きさ=権力誇示」だったはずである。
結局、論証抜きで言えば、私は教科書とは異なる図式で「モアイ消滅の原因」を考えてしまう。
部族の権力誇示の道具であったモアイ像の消滅は食糧危機による「争い」というのが、私の印象なのである。
教科書のように、モアイ像を引き合いにして生徒に警鐘するなら、「森林破壊は文明を崩壊させる」よりは「食糧危機は人々の心を荒廃させ戦争をもたらす」とでもしようと思う。環境破壊も深刻だが、人間同士の紛争も相変わらず深刻な問題である。
ついでに「モアイは語る」の最終段落についても疑いの目を向けてみる。
・人類はこのままでは2030年に80億を越える。
・しかし、農耕地の限界から考えて、80億人分の食糧が限界である。
・だから、限られた資源を大切に生活しよう。
という3段論法になっている。
・本当にこのまま80億・100億まで順調に人口は増大するか。減少の要因はないのか。
・このまま農耕地に頼った食糧生産であり続けるのか。新たな進歩はないのか。
・30年以内に「食糧」以外の危機はないのか。
「食糧」以外の問題で地球が滅びるなら、そちらの対策が先決であるが、その自覚はあるか。
また、
<人口増大→森林破壊→食糧危機→文明崩壊>
というのが教科書の論理展開になっているが、森林破壊はCO2増加(地球温暖化)や生態系破壊の問題と絡んでいることは生徒も承知している。
「食糧危機」だけを取り上げるのは、「イースター島」との共通項が「食糧危機」だったからというご都合主義にように思えてしまう。
疑って読むことにより、見えてくるものがある。
疑って読むから、叙述の細部までが気になってくる。数字の1つ1つが吟味され、論理の飛躍にチェックが入る。
もちろん、疑って読むには予備知識が必要で、教科書以外の資料に目を通し比較するからこそ見えてくることもある。
教科書を疑って読め、ということは、他の情報源と比較しろ、ということでもある。
疑って読めるということは、比較して論じられるように幅広く情報を獲得しておけるということである。
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