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May 29, 2005

重松清の世界『四十回のまばたき』

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(1)書評を読むと、これは重松作品には思えないという意見もあるようだが、僕は極めてまっとうな重松作品だと思う。
 作者30歳の時の作品である。
 考えてみれば作者だって年を重ねていくのだから、その年齢と実体験に基づいた内容であればそれだけリアリテイが出せる。30歳だからこそ表現できた重松ワールドを、後の中年男の世界の作品群と比べても仕方ない。
それにしても、この作品は僕は結構いいと思った。
 ついでにいうと重松清について情報不足だった僕には藤田香氏の解説が役に立った。作者の歴史がよーく分かった。

(2)僕は作品の展開よりも、主人公「啓司」の人物設定に惹かれた。
 彼は感情を出すのが苦手で、人と接するのが苦手で、内面ではそれなりに喜怒哀楽を持っているのに、外に対しては常に冷静で淡々としている。
 周囲への観察眼は鋭く、相手に自分を読まれる前に、相手を読んで対応するというタイプである。
 僕自身がそこまでではないにしろ、そういう一面があることをこの本を読んで改めて実感した。
 そして重松作品に惹かれる理由が、物事に動じない・他人と距離を置く・どこか冷めた部分を持つ・冷静に他人を観察する、そんな人物設定に興味と共感を持ったからなのかもしれないと思った。
 『エイジ』の主人公は中学生だが、周りに振り回されず、注意深く周りを観察している。
 『半パンデイズ』の主人公は、小学生でありながら、冷静に大人を見ている。
 『流星ワゴン』の主人公は、とんでもないワールドに足を踏み入れながら冷静に行動している。
 『舞姫通信』の主人公教師も明らかに周囲に溶け込んでいない。
 僕自身も、自分を守りたいから、過度に他人に交わらないし、他人に全てを委ねない。
 そんな自分を軽蔑もするが、仕方ないなとも思う。
 そういう自分には、つきあいの悪い重松作品の登場人物が抵抗なく読めるのである。もちろん「こいつほどつきあいの悪いのは駄目だよな」と自分を反省する材料としても読んでいるのであるが・・。

 重松作品の主人公が、他の人間ではうまくつきあえないような人物とうまく対応できる(あるいはその人物が一目置いている)というのは、「憧れの人物設定」であると僕は思う。
 とんでもないアメリカ人作家とすんなりと打ち解けてしまう「啓司」。
 「半パンデイズ」の主人公と「よっさん」の関係、「エイジ」と「ツカちゃん」の関係も同じだった。
 話が出来過ぎなのだけれど、そういう人間関係は心地よいのである。
 
(3)突拍子のないストーリーでありながら、すごくリアリテイが感じられるというのも重松作品の魅力の一つで、この作品も、もちろんそうなっている。
 「季節性感情障害」で冬の間眠り続ける義理の妹。
 不思議なアメリカ人作家との出会い。SFでもないのに、そんなとんでもない場面設定に違和感を感じさせないところが作家の腕なのだろう。

(4)文庫で言うと226・227ページはクライマックスである。
 泣けなかった亡き妻を思い泣く。
 そして、「これからはずいぶん涙もろくなるはずだ」と断言する。
 主人公の成長というか変化が見事に描き出される。
 だれもが抱えている「穴ぼこ」、それを埋める「漆喰」といった比喩も実に効果的だ。
 
(5)主人公に人生の示唆を与えた不思議なアメリカ人作家について、ネタバラシのような形でオチがつく。
 なんか余分だったなあ。なんであんなオチをつけなくてはいけなかったのかな?

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May 24, 2005

JR西日本の脱線事故

「JR西日本・脱線事故」で検索したら、たくさんのHPがヒットした→ここ
 マスコミ批判のJPなどもいくつかあった。
 その一方、僕からすればマスコミと同じレベルで問題のあるHPもあった。

(1)一番気になるのは「JR西日本の体質が一番の原因だ」という論調である
 一番の原因は、まずはスピードオーバーであろう。
 それを通り越して、企業の体質や日勤教育のような運転手への圧力を論じるのは筋違いである。
 どれぐらい筋違いかというと
 「いじめの原因を加害者ではなく学校にある」
とするのと同じくらい筋違いである。
 確かにいじめの現場が学校で、教師の指導が行き届かなかったとしても、学校は日々子どもにストレスを与えているとしても
 「だからといって、いじめという行為が許されるわけではない」
 「だからといっていじめの加害者を免罪されるわけではない」
のである。
 でも、加害者の子どもより、学校という存在の方がマスコミはターゲットにしやすい。
 このようなケースと、今回のJR西日本のケースが、僕にはすごく重なって感じられるのだ。
 
(2)続いてマスコミんのやり玉にあがったのが、事故当日のボウリング大会や宴会である。
 詳細は避けるが、JR西日本は大企業である。違うエリアや違う部署での慰安的な行事まで本当に批判の対象にしていいのだろうか(批判していいケースもあるかもしれないが、批判しなくてもいいケースもありはしないかという意味で書いている)。
 僕は公立中学の教師である。
 自分の学校で事故や不祥事があれば慰安行事をカットするのは当たり前である。
 では、近隣の小中学校に事故があったら、本当に慰安行事までカットするだろうか。
 近隣の小中学校の事故や不祥事で、世間の見る目が厳しく事は覚悟する。それはそうだが、慰安行事まで自粛せねばならないのか、そこまで批判するのは過剰反応ではないかと思う。
 あるテレビ局のある番組で不祥事があったら、お笑い番組を自粛するか。
 ある新聞社の他支局で不祥事があったら、別の支局も同罪か。
 何か、ニュースの話題がどんどんずれていくようで世間を誘導するマスコミの動きが怖い。

(3)これは、あるラジオで司会者がコメントしていた話。
 列車のスピードオーバーについて運転手の責任だけが問題になっている。おまけに運転手は、前の駅でもオーバーランさせていた。
 では、この場合、全部運転手の責任なのか、車両の欠陥を疑わなくていいのか、と。
 賛成である。
 その後、この車両のブレーキが甘いというニュースも聞いた。
 車両の軽量化で安全が軽視されたのだとも。
 ただし「ブレーキが甘い=オーバーランした=遅れた時間を取り戻すためにスピードオーバーした」という論理なら、僕はあまり擁護しない。
 擁護するのは「ブレーキが甘いから、直線で出したスピードがカーブで減速できなかった」という場合である。

(4)70キロの制限速度のカーブを120キロで入ってしまったという。
  それは、どれぐらい危険なことなのか。どれくらいレアなことなのか
 他の運転手ではありえないことなのか。通常絶対にありえないことなのか。
 マスコミがモザイク処理して運転手のインタビューするなら、そこを聞いてほしい。
 一般の自家用車で言えば、「ここは高速道路ではありません」の自動車専用道路は80キロといった制限速度を守るのがきわめて困難なほど、みんな飛ばしている。小雨の高速道路で80キロ制限という時も同じである。
 「70キロ制限を120キロ」と聞けば、論外なほどのスピードオーバーだと世間は思う。
 しかし、我々には列車運転の知識も常識もないのだから、そこを補足・検証してもらわないと、この事故を論じられないのだ。

 このように一面的なマスコミの取り上げ方にきちんと正対し批判していくのが「メデイアリテラシーの授業」である(と解釈している)。
 JR西日本を擁護する気などさらさらないが、一面的に批判する気もない。
 マスコミの批判記事を鵜呑みにする気もない。

 

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May 20, 2005

沖の鳥島と石原東京都知事

かねてから東京都の一部である沖の鳥島について、石原都知事は漁業のような経済行為に対し支援すると語っていた。
今日のニュースによれば都知事本人が沖の鳥島に渡り、付近の海でスキューバダイビングもやったとだと。→ここ 「竹島の日」を制定した島根県もすごいと思うが、石原都知事もすごいね。さすが、以前尖閣諸島に西村議員が上陸した時に画策しただけのことはある→ここ
 小泉首相は「靖国参拝に対する干渉は受けない」という発言をしている。→ここ
 教科書検定での「竹島は日本の領土」という指摘も含め、最近言うべき事をきちんと言う「日本」が感じられるようになってきました。呪縛がとれたのでしょうか。

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