さざれ石
「さざれ石の巌となりて苔のむすぶまで」という国家『君が代』の一節について、安易に聞き流していた。
「さざれ石」というのは音のイメージから「流れる石=漱石」のようなものだと思っていたからだ。
でも違っていた。
「さざれ石」は鍾乳石と同じ成分で、長い年月を経て、小さな石から大きな岩石に積み重なっていくのだ。
「さざれ石」で検索するだけで、いろんなサイトに出会え、いろんな事が分かった→ここ
このリンクサイトが述べているように「さざれ石が巌になる」は比喩ではない。
岐阜(恵那IC近く)の「博石館」にも実物がある。
10年以上前に学年旅行で行っただけなので、再度でかけて写真を撮ってみたいと思っている。
こんなことを思い出したのは、国語の教師でありながら、国語の知識が不足していることを強く感じるからだ。
「今こそ分かれめ、いざ さらば」という『仰げば尊し』の一節も「分かれ目」だと思っていた。前任校で同僚の国語の先生に言われるまで気がつかなかった。
知ってしまえば何かの折りに話をすることができる。
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『こそ』があるから意思を表す『別れむ』が『別れめ』になる。
これが『係り結びの法則』だ
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最近は『仰げば尊し』を歌わないし、知らない生徒がほとんどなのでネタとして使えないが。
僕が以前からよく小ネタとして使うのは「風とともに去りぬ」の「ぬ」だ。
これは、僕自身、中学生の時は理解していない「ぬ」だったからだ。
1学期の古典(和歌)の授業でも使った。
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「風と共に去りぬ」の「ぬ」は完了の「ぬ」。意味は「去ってしまった」
ふだん我々が使う「ぬ」は否定の「ぬ」。でも否定の「ぬ」だったら「風と共に去らぬ」になる。
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こうした小ネタはきちんと整理しておきたい。
また、こうした小ネタをもっともっと増やしたい。
ちなみに「さざれ石の巌となりて」の「の」は、主格を表す「の」である。
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「の」には2つの用法がある。
1つは我々が普段使う「の」。
もう1つは「が」の意味になる「の」。
「さざれ石の巌となりて」は「さざれ石が・・」の意味である。
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慣れてしまえば当たり前の用法だが、生徒には機会あるごとに提示して定着を図らねばならない。
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