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August 22, 2005

「郵政民営化」の論理

 もう20年も前になるか、「命の授業・命の値段」というような道徳のネタがあった。→ここ
 人間の体の成分ごとの単価で計算すると人間の値段は3000円(だったかな)になってしまう。
 「人間の値段は○○円です。反論できますか?」というような授業実践だった。
 何となくまんまとのせられるような論法だなあと違和感があった。 
 今なら反論できる。次の一言だ。

 「その値段で実際に人間を作ってみて下さい」

 人の値段が3000円だと断言するなら、どうか3000円払うから人間を作ってみてほしい。
 それができないなら、人の値段付けたところで無意味である(値段がつけられないが、やむなくつけるという意味で保険金や補償金が支払われる)。
 この場合、ぐちゃぐちゃ反論するのは駄目で、やはり「蜂の一刺し」をしたい。
 「一刺し」ができないなら、できるまで「待つ」くらいの心意気がほしい。
 
 最近の政治状況も、よく分からない。
 郵政民営化反対派が、今になって離党やら新党立ち上げで息巻いているのが変だ。
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 小泉さんが党首になった4年前から、郵政民営化反対派は離党すべきだったのではないか。
 郵政賛成派の小泉さんの下で、4年間何をしていたのか理解できない。

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 別に小泉政治にだけ肩を持つ気はない。
 小泉さんにも言いたいことはある。
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 ①「郵政民営化反対」は「行財政改革反対」とは別である。一緒にしないでほしい。
 ②また、「郵政民営化」には賛成でも、今回の法案には反対だという人もいる。
  つまり「郵政民営化反対」と「今回の郵政民営化法案反対」とは別である。一緒にしないでほしい。
 ③「郵便貯金や財政投融資」と「郵便事業」は同じレベルで「民営化すべし」とは言えない。一緒にしないでほしい。

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 特に、③は、民営化反対の格好の攻撃対象になっている。

 「民営化されれば、山間部や離島にまで今のように郵便が届かない。だから民営化に反対だ」
・・・現在、山間部や離島にも「食糧等の生活必需品」が円滑に届いているならば、はがきや封書が届くぐらいは楽勝である。
 もし「食糧等の生活必需品」も届かないような困難な場所なら、むしろはがきや封書が届かないことも覚悟の上で生活していると思うのだがいかがだろうか(ここまで論じるのは本来「勇み足」である)。
 極端に言えば、次の3段論法が成り立つのだ。
 ①はがきや封書が届かなくても人は死なないが、食糧が届かなくては死んでしまう。
 ②しかし、人が生活している以上、食糧は何らかの形で届いている。
 ③ならば、はがきや封書も食糧と同様に届けられる。

 民営化反対の人たちの論理は2段で反論できてしまうぞ。
 
 ①離島や山間部では、例えば缶コーヒーの値段(定価)が都会より高いのか。
 ②物品の定価が都会と同じならば、はがきや封書だって同様に都会より高額になるとは言えない。
  (もし起こるとしたら、都会における郵便料金の値下げである。都会のスーパーでは過当競争で安売りが激化するように)

・ 民営化反対した議員のいる選挙区に「民営化賛成」の候補者が立つのは当然で、「刺客」は不当な発言だ。
 「刺客に狙われたかわいそうな議員」というレッテルで同情を買おうとしているとしか思えない。
・「金で何でも動かせると思っているホリエモン」だと。金や数の力(自民党というレッテルの力)で地元=特定の国民 に利益誘導してきた政治家が、どうしてホリエモンを批判できるの?ホリエモンに道徳的な批判を語れる政治家はいるの?

 僕の論理にも、どこか穴があるかも知れない。それならそれで潔く認めようと思う。
 とにかく「かみあわない議論」を大人がするのは止めて欲しい。分かっていてやるなら、なおのことだ
 今は、意図的にかみあわないように、巧妙に「論理のすり替え」を行っているようにしか思えない。
 教育も国民の義務なら、投票行動も国民の義務である。
 悪あがきのような痴話喧嘩のような、みっともない場面を子どもに見せて、義務遂行の意欲を失わせないでほしい。
(後日記)
8月22日の中日新聞夕刊の社会時評で日垣隆氏が次のように述べている。
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 三事業を同列に論ぜず、郵貯と簡保は解体して民間に移行し、郵便は国民の財産として継承しつつ、これら諸問題を一つ一つ解決してゆく、という選択肢こそ最も合理的だと思う・・・
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 民営化法案に反対しておいて、民営化だけが命である党総裁が率いる執行部に公認されると思っていた人々
は能天気すぎる。
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 どちらも同感である。「けれども民営化すれば、すべてうまくゆく、というのは本当か。冷静に考えてみよう」という立場も同感である。
 世の中はAかBの二元論だけではうまく進まないのである。

 

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