重松清の世界 『見張り搭からずっと』
春には読み終えていた作品だが、読後感が重かったので感想を書けないでいた。
『リング』に匹敵するようなホラー小説という印象を持ちながら読み進めたが、リアリテイという意味では『リング』以上である。
あとがきによれば第二章の「扉を開けて」は恐怖小説の一編として掲載されていた、とある。確かに「怖い」。
『四十回目のまばたき』の文庫版の解説で藤田香織氏が、本書に触れている。
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私は『見張り塔からずっと』に登場する場所同様のニュータウンで暮らしていて、表の顔と裏腹の地元の陰湿さも知っていたし、自殺した肉親をもつ友人も、若くして成り行きで結婚した友人もいた。でも、そんなことにはなるべ触れないようにして、それまで生きていたのだ。見ないようにさえしていれば、傷つくこともなく、心乱すこともなく、平穏に生きている。
それなのに、重松清は私に、目撃させようとしていた。誰によっても「遠い夢物語」ではなく、極めてリアリテイのある設定で、登場人物の苦しみや痛みを見せつける。見せつけておいて、心を乱しておいて、すっと一歩下がるように結末は読者にゆだねる。
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なるほど、見事な評だ。
見て見ぬふりは「思考停止」につながる。
「現実を直視し、なお厳しい現実を想像しろ」と重松清は訴えているのだろうか。
「いじめ」は学校だけであるのではない。団地では新参者が「いじめ」を受ける。バブルがはじけて値下がりした物件を手に入れようモノなら、値下がり前に購入した人たちの恨みを買うのは当然だ。
・・・そのことを想像すると第一章の「カラス」が読める。信じたくはないが十分ありうる世界なのだ。
子どもを失った家庭の前に、同じ年の子が転居してきたら平静でいられるか。かわいがっえあげたい気持ちと許せない気持ち・・・そのことを想像すると第二章の「扉を開けて」が読める。
なみなみならぬ母親の愛を受けて育った息子と結婚してしまう女は、義母と、うまくやっていけるか。
・・・そんなこと無理に決まっている・恐ろしいバトルが起こると想像すると第三章の「陽だまりの猫」が読める。ただし、この章は予定した復讐ができなくなってしまうという意味で「どんでん返し」がある。復讐を企てる女の執念が圧巻だった。
読後感は重かった。それは自分が現実(特に「負」の世界)を直視してこなかった・現実的な悲惨な世界を想像してこなかったからだ(想像すれば「ナイフ」や「疾走」の世界も受け入れられるのだ)。
人物のキャラもすごいが、カラスやサッカーボールといったコモノもすごい。
人物間のトラブルを描くのに、コモノが実に効いているのだ。
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