戦後60年
戦後60年。昭和80年にもあたる。区切りのいい年である。
今年はいつになくテレビ番組も「太平洋戦争」関連が多かった。20年目にあたる日航ジャンボ墜落の特集も多かった。
僕は昭和36年生まれ。20年早く生まれていたら、戦中・戦後の大変な時代に遭遇していたことになる。
昭和1けた生まれの両親は戦争体験者だが、戦中のことを詳しく聞いたことがない。辛かったのではないかと思うとどうしても聞くのを遠慮してしまう。
前任校の校区に名城大学の農学部(農場)があって、古めかしい立派な建物がある。
20年近く前、新任の頃に農場見学の依頼に行った折りに中に入って、その建物の古めかしさにドキドキしたものだ。
その建物が昔の軍事工場(鷹来工廠)の本部そのものなのだと最近知った。→ここ
この工場では、「風船爆弾」という笑い話のような秘密兵器を作っていた。
「あの建物が軍事工場だったんだよ」
知らなければ、そんな一言も子どもには伝えられない。
知らずに校区の教師をしていたことが恥ずかしい(今だって校区にいろんな名所があるにちがいない)。
もちろん、実際に工場で働いた人の話が聞ければ、子どもの心に響くことは間違いない。
前任校では「総合的な学習の時間」で、神社のドングリを調べたり町のバリアフリーを調べたり、職場体験をしたりした。
それはそれでよかったが、戦争体験を聞くような場の設定を「道徳」や「総合」で設定すればよかったと反省している。そのような形でお年寄りと交流してもよかったのではないかと・・。
ただし、お年寄りの話を聞くのは決して容易なことではない。
元教員のような方でさえ、子どもにわかりやすく話していただけるとは限らない。
そういう意味では「聞き語り」は人選が勝負なのである。
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