「読解力」と「考える力」
『授業研究21』11月号(明治図書)で「なぜ知的発問づくりが必要か」という提言がある。
長瀬荘一氏が、「発問」が子どもの思考力を育てる、と述べている。
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教師が子どもに問いかけをしない授業は、教師の独りよがりの「わからせたつもりの授業」であることが多い。
教師が子どもに「質問」する授業は、子どもの断片的な知識を問う「覚えさせる授業」であることが多い。
これに対して、教師が子どもに「発問」を投げかける授業は、単なる知識でなく、教科の本質や科学的理解を獲得させようとする授業である。
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なるほど、こうして「問いかけない」「質問」「発問」と並べて語られると、その違いがよく分かる。
(ちなみに「発問」は業界用語だから、世間では「質問」との差異が理解されないと思う。)
読解力をつける授業は、教師の解釈を朗々と語り続けたり、押しつけたりすることでは成立しない。
発問を通して生徒自身で解を見いだすような授業、知的な作業によって自分でテキストを読み取っていくような授業であらねばならない。
ところで、長瀬氏の論文には「考える力」について、次のような「多くの種類がある」と列挙されている(箇条書きは私)。
・覚えたり思い出したりする記銘的思考や再生的思考。
・要素に分けて考える分析的思考
・創造(想像の誤記?)やイメージを広げる拡散的思考
・筋道を立てて考える論理的思考
・新しいものを生み出す創造的思考
・善悪や美醜についての価値的思考
・全体的視野で物事を判断する総括的思考敵視公
なるほど、読解の授業においても、それぞれの思考を促す(それぞれの思考を利用する)ことになるわけであり、「読解力」は、どの思考とも関連する能力であるように思う。
1つ前の「論理的思考」との関連も含め、「読解力」とはどんな力なのか、自分なりに決着をつけていかねばならない。
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