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November 27, 2005

小見出しの意義~構造化の自覚~

 教育論文を書くときは、章立てをする。
 場合によっては、事前に章立てを決めておく。
 章立てをして、小見出しを付ける。
 小見出しがあって、内容ごとのまとまりを区分けしてあるから、
全体の位置づけも分かる。次のように。

             ①OECD調査の考察
  読解力の研究・・・②研究の課題設定
             ③授業実践
             ④研究のまとめ

 そして、その①②③④は、さらに(1)(2)とか、abcという形で細分化されていく。
 これが僕の考える「構造化」である。「階層化」「ツリー」という意味でもある。
 「論理的思考」が身についているかいないかの差の1つが、この「構造化の自覚」だと思っている。
 教育論文で「章立て」がなかったら、「問題外の論文」と思うのが普通である。
 その視点から、従来の学校作文で「論理的思考」がなかなか育てられない原因を考えてみる。
 あるいは、「論理的思考」を育てる作文指導を考えてみる。
 =================
 学校で行われる作文は「章立て」を必要としないものが多い。
 したがって、「構造化の自覚」が育てられない。
 章立てできるほどの、ある程度の文量の負荷や、ある程度の項目の提示をしてやるべきだ。
=================
 「章立て」を必要としないというのは、作文のテーマが単発で1つの事がらを述べるだけの場合が多いという意味だ。
 行事作文・教科書教材の感想・あるテーマに対する意見文。
 これらは、一段落・ひとまとまりの内容で書けてしまう。
 運動会の作文でも形式を指定しなければ
 (1)前日までのこと
 (2)当日の朝
 (3)リレー本番
 (4)運動会を終えて
というように章立てする(あるいは小見出しをつける)ことは、まずない。
 そのような1章ですまされる作文だけを訓練させていては「構造化の自覚」は達成させられず、
論理的思考も育てられないというのが私の考えだ。

 
 
 

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November 25, 2005

サブタイトルの意義

 かつて岩下修先生が作文の書き方のヒントを教えてくださった。
 正確に引用できないので、自分流に書いてみる。
===================
 作文のタイトルに「の」を続けていく。
 「修学旅行」
 「修学旅行の1日目」
 「修学旅行の1日目の夜」
 「修学旅行の1日目の夜のマクラ投げ」
というように。
 最初の部分が邪魔になったら
 「夜のマクラ投げ」
でもいいし、さらに
 「夜のマクラ投げの思い出」とか
 「激しかった夜のマクラ投げ」
のように、詳しくしていけばよい。
====================
 研究論文などの場合は「の」で続ける代わりに、サブタイトルに回す。

 「読解力の指導~理解と表現の双方向からのアプローチ」
 「読解力の指導~学力低下の指摘を受けて」
 「読解力の指導~論理的思考力の育成」
 
というように。
 「の」を続けたり、サブタイトルをつけるというのは、
・対象を深く掘り下げる
・対象を絞り込んでいく
という意味を持つ。
 子供は、ほかっておけば、このような絞り込みの思考が働かない。
 指導しなければ大半の子供の感想文は

・「蝉しぐれ」を読んで
・「故郷」の感想

といったタイトルで終わってしまうのだ。
 かつて、小学校で修学旅行の行事作文を書かせた時も題名を意識させた。
 作文の内容は全員発表できないが、題名発表なら全員可能だからだ。
 その時のレポートはHPにアップしてある→ここ

 今回の「故郷」では、上の題は×とした(誰でも書ける題だから)。
 というよりも「故郷」に続くサブタイトルを考えさせたかったのだ。
 で、どんなタイトルが出来上がったかというと

△「昔と今」「変化」「過去と現在」「故郷の友達関係」「人の行動・性格」
△「ヤンおばさんの真実」「わたしの心境」「ルントウの心境」「ルントウの気持ち」
 
○「変わってしまったルントウの今と昔」
○「昔から今へ 未来へと続く物語」
○「変わり果てた人々 小さなのぞみ」
○「旅立ちの日に」
○「地上の道」
○「変わり果てた故郷」
○「金色の丸い月」

 できる子は容易に題名を創り出すことができる。
 できない子は、結局「『故郷』を読んで」としか書くことができない。
 だからといって書けない子を責めても仕方ない。
 「何について書こうとしているか」
 「何について書いたか」
を端的に表現するトレーニングが必要である。

 
 

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November 21, 2005

タミフルの疑問(日本は危険な薬品を押しつけられていないか)

 医薬品「タミフル」について、現在のところ2つのニュースがある。
 1つは、「鳥インフルエンザ(あるいはそこから発生する新型インフルエンザ」の特効薬として大量に備蓄せねばというニュース。
 2つは、インフルエンザの治療に使ったために異常な事故が起きたというような副作用のニュース

 当然ながら、新型インフルエンザの特効薬として備蓄が騒がれるなら、副作用についてきちんと確認したいところだ。
 ラジオやテレビで見聞きした(つまり記憶が定かでない)ところによると、次のように言われていた。
1) タミフルには、副作用の危険性がきちんと説明してある。
2) 米国の報道によると、副作用による死亡事故は日本人だけで、大したことないような言い方である。
3) 新型インフルエンザ対策でタミフルの備蓄が叫ばれているが、世界で使用するタミフルの8割が日本。
 
→1)副作用の死亡例が日本しかないのは、大半のタミフルが日本で使用されているからではないか。
   つまり、日本人にだけ死亡例があったのは統計学的に当然の結果である。
→2)なぜ、日本とアメリカ(?)でだけタミフルが消費されるのか。
→3)鳥インフルエンザから変異して発生するであろう新型インフルエンザに効果があるという説は、どこから来た  のか。
  
 あてずっぽうで言うと、次のことが心配される。
=====================
 他国で使われないような危険な薬が日本に押しつけられている
======================
 もし、そうだとしたら、結局エイズを引き起こした血液製剤と同じ道を歩むことになる。
 だからこそ、正確なニュースを入手する必要がある。そして、できれば上記の心配が妄想であったことを証明してほしい。
というわけで、ネット検索をしてみた。
 まずは、製薬会社Inhouse Pharmacy Japanのタミフルの説明→ここ
 「タミフル」は、「新型インフルエンザ」には効果がないことは、以下の説明から明らかである。
=========================
A型およびB型インフルエンザ以外のウイルスによって起こる、インフルエンザのような疾病(例:ウイルス性腹痛、風邪、感冒、インフルエンザが原因でない呼吸器疾患)の治療におけるタミフルの効果は、証明されていません。
=========================

 副作用の説明は以下の通り

これまでに報告された副作用には、吐き気、嘔吐、気管支炎、睡眠障害、めまいなどがあります。(副作用はこれ以外にも報告されています。詳細は医師に相談してください。)

 リンクフリーと書かれHPでタミフルの解説があった→ここ

==========================
 ・タミフル(オセルタミビル)の添付文書には、「精神・神経症状(頻度不明) 精神・神経症状(意識障害、異常行動、譫妄、幻覚、妄想、痙攣等)があらわれることがあるので、異常が認められた場合には投与を中止し、観察を十分に行い、症状に応じて適切な処置を行うこと。」と書かれてある。
 平成17(2005)年11月に、タミフル(オセルタミビル)を服用した患者2人が、異常行動を来たし、死亡していたことが、報告された(1人は、車道に走り出て、大型トラックに撥ねられて死亡し、もう1人は、マンションの9階から転落死)。
 一般に、インフルエンザでは、他の感染症に比して、発熱に伴い、譫妄状態(熱性譫妄)が見られることが多い(熱性譫妄は、必ずしも、インフルエンザ脳症の合併を意味しない)。
 このような異常行動や異常言動が、本当に、タミフルの副作用なのか、慎重な解明を期待したい。

 ・タミフルは、鳥インフルエンザにも、有効とされる。
==============================
 副作用については「精神・神経症状」「異常行動」という言葉が登場するが、それがインフルエンザの症例である可能性も触れている。つまり安易にタミフルの副作用と結論づけるなと述べている。

 「極東ブログ」という個人のブログで既にタミフルについてニュース記事などが実に詳細にまとめられている→ここ。 
 日本でのタミフル使用が世界の76%という指摘などもあり、非常に役立つ情報満載であった。
 
 再度言う。「日本は危険な薬品を押しつけられていないか」という僕の発言が単なる妄想であってほしい。
 それが証明されるよう今後も情報収集しようと思う。
 
 
 


 
 

 

 

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November 19, 2005

ドラゴン桜の作者(三田紀房氏)の話

 先日、私学高校のイベントでドラゴン桜の作者である三田紀房氏氏のトークショーがあった。
講演会ではなく、トークショーだったのは、30分ほどの話と少々の質疑応答とサイン会(書籍販売)というプログラムだったからか。
 脱サラして漫画家になったというのも不思議な話。
 ご自身は東大出身でもないのに、詳しくノウハウが書けるのも不思議。
 そんな興味があって、話を聞いた。
 正直言って、「ドラゴン桜」の各講師ほど理路整然とした話し方ではなく、やや緩慢なところもあった。
 会場が県下名門の滝高校だから、東大進学を目指す現役高校生が多いと思っていたのかもしれない。
 保護者のような年齢層が多かったので、話す内容を変更すると話しておられた。
 以下は、僕の勝手な要約。
 
 「ドラゴン桜」の龍山高校の授業は、灘高校では、むしろ「普通」の授業である。
 進学校の「普通」の授業が「意外」に受け止められる所に読者のニーズがあった。
 当初は学校再建の弁護士の話のつもりだったが、読者の要望で東大合格のノウハウの形になった。
 灘高校の生徒は、勉強でいかに楽をするか、いかに効率よく勉強するかを考えている。
 そこで「本当の勉強とはそんなものじゃない」というような理想論を押しつけるのは子どもに酷だ。
 とにかく、「受かる」ことに目標を絞り込んで勉強をさせた方が子どもは楽になれる。

 
・・・ただし「ドラゴン桜」の授業は、知的な好奇心を持たしているし、むしろ普通の授業よりもそれぞれの学問の本質に迫っていると思う。

 普通の学校の授業に対して思っていたことは、「なぜ、いきなり授業を始めてしまうのか」。
 なぜ、いきなり「教科書の○ページを開いて」なのか。
 その前に、その教科の授業を行う意味だとか、教科の魅力を語ってほしい。あるいは、なぜこの方法の授業をするのかを語って欲しい。そうすれば、もっともっとその授業に興味を持てる。

・・・いわゆる「趣意説明の原則」である。
 たしかに、「ドラゴン桜」の先生方は、授業方法の説明や、教科の本質を語ることで、授業を受ける生徒に納得させている。行動の意味が分かることは、行動の見通しが立てられることでもある。
 これならやれそうだ・この方法なら実力がつきそうだ、という見通しがあるからがんばれる。
 そういう意味では、趣意を語ることは「最後の行動まで示す」という原則にも通じるのだと思う。

 なお、「家庭教師のトライ」での三田氏の対談がこちらで見られる→ここ


 

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November 17, 2005

「逆算の哲学」  イチローの生き方

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「イチロー『勝利の方程式』」 永谷修 三笠書房(王様文庫)を資源回収でいただいた。
 なかなか読み応えのある1冊だった。 

 イチローの小学校の卒業文集の作文は有名である。
 プロ野球選手になりたい
→そのためには、中学や高校で全国大会に出る
→そのためには、今、練習が必要
というわけで、小学校3年からは、365日中360日は練習、友達と遊べるのも週5時間くらいという生活を送っていたそうだ。
 そんなイチローは、
・夜の7時からフィットネスクラブでトレーニングすると決めたら、逆算してその日の行動をきちんと計画する。
・CM撮影でホテルを決めるときは、トレーニングするためのフィットネスクラブがあることを条件にする。

という。それは「準備周到人間」「計画的人間」とも言えるが、僕は「逆算」というキーワードが印象的だった。

 逆算の哲学・・だから「今」やるべきことが見えてくる。

 いい言葉である。
 黒板には    計画を立てる=逆算する  と書いた。
 生徒は久しぶりに真剣に聞いていた。イチローの威力である。
  
 

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November 14, 2005

『震度0』 横山秀夫

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『半落ち』のような警察物のストーリー。
 「警察小説はここまで進化した!」という帯のコピーは派手派手しい。
 「阪神大震災のさなか、700km離れたN県警本部の警務課長の不破義仁が疾走した」というのが、事件の発端。
 さまざまな人物が登場し、さまざまな事件が絡んで、どんな結末を迎えるのかとワクワクしながら読んだ。
 うーん、残念ながら、ラストにはガッカリ。
 もう少し、スケールの大きな展開になるのかと思った。
 本当に阪神大震災と関わりがあるのかと、(あるいは、いつになったら阪神大震災の現場と結びつくのかと)期待していながら読んだのに、N県内部の出来事という形で収まった。
 しかも疾走した不破の見つかった現場・結末といったら・・・・。
 作品の冒頭に登場した本部長の椎野が、ラストでガタガタになっていく様も尻すぼみのような印象を持った。
 警察内部はこうも複雑なのか、キャリア組とノンキャリ組のすさまじい出世の攻防は、正直言って難しかった。
 でも、そんな世界があるんだなあという意味では興味深かった。
 ラストの奥深さ、ヒューマンドラマとしての完成度から言えば『半落ち』の方に軍配が上がる。
 犯人が誰か、犯行の手口は何か、ではく、こういう内部のドラマが「本格警察小説」ということなら、それはそれでジャンルとして確立することを否定はしない。
 ただ、ミステリーや推理小説のつもりで読んだ僕には、やや肩すかしの内容だった。
 いつにない辛口批評は、期待が大きかった反動である。
 ちなみに、『半落ち』よりも『出口のない海』の方が好みである。

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「空中ブランコ」(文藝春秋) 

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恐るべし伊良部一郎!
 「イン・ザ・プール」と、ほぼ同じ設定によるトンデモ神経科医のドタバタストーリーである。
 風変わりな医者の伊良部と、奇妙な看護婦のマユミ。
 僕のイメージでは「南海キャンデーズ」の2人と重なっている。
 伊良部はもう少しデブ、マユミはもっと美人という設定になっているが。
 さて、トンデモ神経科医の伊良部の元へ、毎度毎度患者がやってくる。
 患者は怪しげだと思いながらも、意味のない注射を打たれながらも、再び診察に訪れてしまう。
 そして、読者である僕も、ついついページをめくってしまう。
 それは、やはり伊良部の医師としての診断にそれなりの信憑性があり、彼の治療にそれなりの成果が現れているからだ。
 そうしたドクター伊良部の医療行為に対する安心感・信頼感が登場人物には芽生えているし、読者である僕にも芽生えている。
 「強迫神経症」「ブランケット症候群」「イップス」「嘔吐症」。
 精神科らしい医学用語に支えられているので、怪しげなんだけど、どこか納得させられるし、どこか安心させられるのだ。
 そういう意味では、登場する患者だちは「イン・ザ・プール」の時よりも、すんなりと伊良部を受け入れ足繁く通院しているように思う。
 「ホットコーナー」や「女流作家」などは、感動すら覚える仕上がりになっている。
 まさに、癒しの1冊である。
 このコミック系の作品が直木賞というのは、どうもなあ・・・。

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November 11, 2005

「よろしいですか」

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 『目からウロコ!日本語がとことんわかる本』(講談社+α文庫)というのが学級文庫にあったので一部だけ目を通してみた。
 敬語の間違いを解説するコーナーで「いま、よろしいですか」という例があった。
 形容詞に「です」は付かないのだということは以前から聞いていた。
 だから、「よろしいですか」は間違いで「よろしゅうございますか」になるということは分かっていた(でも、現実的な言い方ではないとも思っていた)。
 ところが、次のような記述があったのでびっくりした。
===================
 なお<よろしいです><楽しいです>の、<形容詞+「です」>の形は、1952年に文部省が発表した『これからの敬語』で初めて認められた言い方です。それまでは、形容詞の丁寧形としては「よろしゅうございます」「楽しゅうございます」という言い方だけが正しいとされていました。
===================
 なんだ、1952年に、形容詞+「です」はOKになっていたのか。もう50年も前じゃん。
 じゃあ「よろしいです」でも、いいわけだ。
 そして、知ったかぶりして「形容詞に『です』は付かないよ」などと言ってはいけないわけだ。
 
 ところで、次の解説は読んでも読んでも分からなかった。
 ===================
 ご用意してください
 謙譲表現の標準的な形式「お(ご)・・・・する」を誤って使った例です。
 謙譲語とは、自分あるいは自分側がへりくだることによって、相手を相対的に高める言葉です。
 ところが、例文の「ご(用意)して」は相手の動作であり、敬うべき相手に謙譲表現を使っていることになります。大変失礼な言い方です。 
 正しくは「ご用意ください」「用意なさってください」です。
 「お(ご)・・・ください(さる)」「・・・なさる」は、尊敬表現を作ります。尊敬表現は、相手を敬い、会話に出てきた第三者を敬う言葉です。その人ばかりではなく、その人の行為や状態、所有物にも使います。
===================
 正解が「ご用意ください」なのは自然に分かる。
 「ご用意なさってください」は二重敬語だから駄目だということも分かる(分かるけど使ってしまいそう)。
 でも、上記の解説がどうにも理解できない。 
 「用意する」と「用意をする」では品詞が違うから扱いが違うようなのだが、一般的には差異など感じない。
 それでも「ご用意して下さい」には違和感を持つ。ただし違和感を持つ理由がうまく説明できない。
 要するに感覚的に敬語を理解できても、理屈で理解できていないから、生徒にきちんと教えられないのである。

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アガリクスは「ガンに効く?」

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(今回は、時事ニュースの考察ではなく、メデイアリテラシー教育の1例として書きます)。

 10月に「アガリクスはガンに効く」と架空の体験談を掲載した書籍を出版した史輝出版の役員が逮捕された。  アガリクスはガンに効く、という書籍の広告なら、私もよく目にした。
医学博士が監修ではなかっただろうか(あるいはそのように思わせる宣伝広告だっただろうか)。
 いかがわしい宣伝本は「バイブル本」と呼ぶことになっているそうだ。
 そして、アガリクスのような健康食品を「がんに効く」と広告したり、販売したりすることは薬事法違反ということになっている。
 ただし、表現の自由の問題もあって、バイブル本やHPで紹介するだけでは規制対象になっていないらしい。   だから、今のところ「ガンの体験者」の投稿もそのままHPに掲載されている→ここ
 
 それにしても、今回のようにバイブル本の出版が規制され、逮捕者が出るならば、広告を垂れ流した新聞社も責任を負うべきだと思わざるをえない。
 今の世の中では、新聞に掲載されたんだから大丈夫だろうと思うことは自然の発想で、新聞広告まで「疑うのが常識」にはなっていないからだ。
 もし、「うちは広告を載せているだけですから責任を負いませんよ」と新聞社が開き直ったら、新聞そのものの信憑性まで否定することになってしまう。
 でも、やっぱり、広告内容の信憑性まで新聞社に要求することは無理か。
 
 ならば、みなさん、新聞広告は新聞社が内容を保障したものではないことをきちんと理解しましょう。
 そして、また時に新聞記事そのものも、たまたま取材した人の一方的な立場の意見しか載らないこともあるということを理解しましょう。
 また、当然ながら、その新聞社の後援や主催行事が詳しく紹介され、他社の後援や主催行事が小さく扱われるのはごくごく当然のことだということも理解しましょう。

 ちなみに厚生労働省のHPから次の文書を見ることができた→ここ(PDF)。
 条例の名称は恐ろしく長い。
 健康増進法第32条の2
 「食品として販売に供する物に関して行う健康保持増進効果等に関する虚偽誇大広告等の禁止及び広告適正化のための監視指導等に関する指針」
 特に次の太字の箇所を新聞社はどうとらえているのかの回答が欲しいものだ。
==========================
 これに対し、広告依頼者から依頼を受けて、当該「広告その他の表示」を掲載する新聞、雑誌、テレビ、出版等の業務に携わる者は、依頼を受けて広告依頼者の責任により作成された「広告その他の表示」を掲示・放送することから、直ちに同条の対象となるものではない。
 しかしながら、当該「広告その他の表示」の内容が虚偽誇大なものであることを予見し、又は容易に予見し得た場合等、特別な事情のある場合においては広告依頼者とともに同条の適用があり得る。
===========================

 今回の私の発言は11月8日の中日新聞夕刊、早わかりQ&A「アガリクスの『バイブル本』なぜ出版社が摘発されたの?」という特集を参考にしている。
 この特集は、新聞広告を掲載してしまった新聞社の責任には一切触れていない。
 新聞社の責任回避のための特集にも思える。
 なぜなら上記の32条の2の太字の部分に触れていないからだ。
 かつて、カイワレが0-157の原因として騒がれたときも、その後「なぜ、このような問題が生じたか」を他人事のように特集している新聞があった。煽ったのは新聞やテレビだろうという意識の見られないその記事にあぜんとしたものだ。
 オウム真理教の時も同じように他人事のような総括をしていた。
 今回も似たようなもんだな。

(補足)
 史輝出版とライブ出版と青山書籍は同じ会社のようで、会社名を変えて巧妙にバイブル本を売っていたようだ。
 写真の本の著者「桜井一正」は、以下のように紹介されている。
====================
桜井一正[サクライカズマサ]
昭和27年生まれ。昭和55年、東京大学医学部卒業。第69回医師国家試験合格。その後東京大学付属病院老人科物療内科、青葉台病院、相模原南病院に勤務。ガン免疫の臨床研究に携わる。平成14年より、医療法人社団東西会理事に就任。現在、東西医学ビル若若クリニック副院長を務める
=======================
 

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November 10, 2005

「愚直」の一念

 中日新聞の夕刊で元プロボクシングチャンピオンの輪島功一氏の連載が続いている(まもなく終わる)。
 11月8日の99号では、「心技体」ではなく「心体技」の順だとして、次のようなくだりがあった。
======================
 「体」が「技」より先に来るということは、「簡単なことを一生懸命にやれ」ということだね。ロードワークも縄跳びも体操も、やるのは簡単。ただし飽きる。これをアーアと思ってだらだらやる人間と、「これがオレを鍛える」と一心不乱にやる人間の差は歴然として表れます。人に笑われるほど愚直になれるのは、一種の才能なんだ。単調な練習をいやがる選手は一流にはなれないよ。
=======================
 「愚直」とは、こんな素晴らしい意味を込めた言葉なんだなと、あらためて感じた。
 ちなみに、先日、イチローの「宿題をやれ」というアドバイスは「退屈なことも、嫌なことも一生懸命にやれ」という愚直の意味だと思っていた。実際は「嫌な宿題を我慢してやると、その分練習が楽しめる」というものだったが。
 ともすれば、教師は生徒が飽きないようにリズムとテンポをし、教材を開発し、指示発問を練りに練る。
 しかし、そのような教師の援助がなくても、子どもは自分自身の意志で退屈さに耐え、何事にも一生懸命取り組んでほしい。
 

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November 01, 2005

消費税の論議

 今回の発言は「政治」ではなく、国語の授業(ニュースの読み取り)として発言しています。 

 衆議院選挙で自民党が盤石の体制になったからだろうか。
 年金の財源問題もあり「消費税増税」があちこちで聞かれるようになってきた。
 小泉首相は「私の任期中はやらない」と語っているが、
1年後の総裁選は出ないと行っているから、次の首相が「ババ」を引くわけだ。
 いいかげんな首相だと、消費税増税を言い出すと袋叩きにあってしまう。
 それが嫌だからと行って、所得税などの減税措置を行ってしまうと、消費税増税の意味がなくなってしまう。
 あらたな消費税増税分は目的税として他に流用しない「福祉税」とするような話もあった。
 年金の財源が足りない・少子高齢化で所得税が足りないから消費税率アップ。
・・・どこかで聞いたことのある議論。「国民福祉税」だ。詳細は、ここ
 細川内閣がいきなり提出した7%の国民福祉税。
 それは当時3%の消費税を廃止して、福祉に限定した福祉税を導入するというものだった。

================
○細川総理 国民福祉税については、このペーパーの大きな一、その(1)のところに、国民福祉税については云々と、高齢化社会においても活力のある豊かな生活を享受出来る社会を構築するための経費に充てることを目的とする旨、法定し云々と書いてございますが、まさにそのような趣旨でございまして、目的税という言葉の定義ははっきりいたしませんが、今までの消費税とは明らかにその目的が異なっておりますし、広い意味で目的税と申し上げてもいいのではないかと思っております。
================

 今になって、年金財源が確保できない・福祉が立ち行かなくなったというわけでしょう?
 それで今になって消費税を挙げるなら12%だとか15%だとか言ってる。→ここ
 だったら、10年前に福祉税やっておけばよかったじゃん。
 福祉税、要するに増税論議になると「断固反対」というトーンになって、目先の損失にとらわれて反対コールが起こる(マスコミが反対コールを煽る)。
 大体、今だって小渕内閣の時に目先の利益にとらわれて実施した「定率減税」を元に戻すのに(つまり気分的に増税になることに)難色を示すトーンなのだ。
 もう財源が逼迫しているんだから、目先の利益で減税なんて言わないで欲しいし、やむ終えない消費税アップならさっさとやってくれという気分である。今やらなければ、かえって後で大きな苦しみを伴うんだから。
 もちろん、安易に消費税増税に走らないでほしい。
 今でも「消費税反対」の団体はある→ここ
 なぜ消費税を上げる前に、法人税などは上げないのか、無駄な金の使い方を止めさせないのかという意見はよく分かる。
 そもそも国家の使うお金は大きすぎてよく分からない。
 先のどうでもよかった総選挙が700億円? そんなの参議院の自民党員に責任とらせてよ。
 
 
 

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