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January 29, 2006

神と仏(神社と寺院)

新年の度にこだわるのが初もうでの神社やお寺のことである。
初詣は通常、神社に行く。「神様」にお願いする。
愛知県の犬山市には成田山があって、ここも初詣客でにぎわう。
成田山って神社か、というと、そこは寺である。
どうも「参拝」というよりは「祈祷」のようだ。新車のお祓いなども有名である。
ご祈祷のために「護摩木」も用意してある。

どんな神様を祀ってあるかという神社の由来も興味があるが、寺院(仏閣)にも興味がある。
僕のような素人は神様仏様はごっちゃなのである。
しかし、人は死んでも神様にはなれない。
人は死んだら仏様になる(だから成仏するという)。
先祖は仏壇に供えてあり、神様は神棚にある(我が家はどちらもない)。
で、仏様というと分からないことだらけで観音様や阿弥陀様などがよくわからない。
ちなみに神社の区別については昨年の正月のブログで書いた→ここ

最近「十三佛」という用語を知ったので検索してみた。

http://www2.accsnet.ne.jp/~kohzanji/13buddha.htm#Ⅰ仏の供養とは何か

http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/13butsu/13butsu.htm

 13仏 十三仏 13佛 13佛

など、検索すると微妙に異なったHPが出てくる。
第1番 不動明王  第2番 釈迦如来    第3番 文殊菩薩 第4番 普賢菩薩
第5番 地蔵菩薩   第6番 弥勒菩薩    第7番 薬師如来 第8番 観音菩薩
第9番 勢至菩薩  第10番  阿弥陀如来 第11番 阿しゅく如来 
第12番 大日如来  第13番 虚空蔵菩薩 

そうか、薬師寺は「薬師如来」だよな。
観音様とよばれる場所は、地元でも笠寺観音・甚目寺観音と確かに「寺」だよな。
弥勒菩薩とか社会科の授業で仏教文化の例として資料集で見た覚えもある。
そうして「犬山 成田山」を検索してみると「不動明王」を本尊とした新勝寺であることも分かった。

http://www.gld.mmtr.or.jp/~nhase/naritasan/
 
「神仏習合」「廃仏毀釈」となるとお手上げである。
もっともっと勉強してから発信しないといけないけれど、
そんなこと言っていたら1年立っても発信できないかも知れない。
というわけで、恥を覚悟で現状報告しておく。

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「当たり前」の大切さ

 先週NHKで放映された「プロフェッショナル」はパテイシエの杉野英実さんを特集していた。
 「細部にこそ神は宿る」 「あたり前のことが一番難しい」というようなテロップが流れ、教師修行中の自分には衝撃的な45分だった。
 開店前にまず行うのが翌日の仕込み。
 味にかかわる作業は弟子には任せず、杉野さん本人が必ず手を下していた。
 クリームを絞っている時も手を氷につけて冷やし、体温がクリームの味を損なわないように配慮していた。
 弟子がオーブンを早めに開けてしまった焼き菓子はすぐさま捨てる。
 弟子が切ったショウガは3ミリ、それでは食感が悪いからと2ミリに切りそろえる。
 おいしい菓子を作るためには、どれも当たり前のことではあるが、大変なこと。
 30年菓子づくりに徹してきた杉野さんが大切にしている言葉が
=====================
 「あたり前のことが一番むずかしい」
===================== 
だった。
 当たり前のことではあっても、みんな楽をしてしまう。楽をしようという誘惑にも負ける。
 でも職人は楽をしたら、ろくなものにならない、と杉野さんは言う。
 そのことに気付いたのはパリでの修業時代。
 3年間弟子入りの手紙を出し続けてやっと入れてもらったある有名店。
 しかし、そこで出されるお菓子のレシピは料理学校のものと変わらなかった。
 特別な食材も使っていなかった。
 それでもおいしい理由は「あたりまえ」の徹底だった。
 飾り付けのいちごは少しでも痛んでいたら捨てる。
 菓子を少し焼きすぎた職人は店から追い出される。
====================
 あたり前を積み重ねると特別になる
====================
 
・・・なんと素晴らしい言葉だろう。
 我々の仕事も決して目新しいことの積み重ねではない。
 当たり前のことをきちんとこなしていくことが日々の教師修行なのだ。
 少し具体的にイメージしてみよう。
 欠席やちょっとした変化が生徒にあれば家庭連絡するのは当たり前だ。
 それでも、ちょっとしたことで連絡を怠ってしまうことがある。情けないことだ。
 生徒のノートや作文を点検するなら一言添えて当たり前だ。
それなのに、赤まるやサイドラインですませえしまうことがある。情けない。
 
 自分の授業の力量・学級経営の力量が低いのは当たり前の積み重ねが足りないからだ。
 

 

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January 28, 2006

古典の学習と「講談」

 昨日、帰宅途中の車内でCBCラジオを聞いていた。(ここ
 「講談・講釈」の話しをしていた。あとでゲストが神田陽司さんであることを知った。
 途中でバンバンと調子をとりながら、講談の一節を語っていた。
 その雰囲気は、昨年中2で学習した「平家物語(扇の的)」の次の一節とよく似ていた。
====================
 ころは2月18日の酉の刻ばかりのことなるに
をりふし北風激しくて磯打つ波も高かりけり。
舟は揺り上げ揺りすゑ漂へば、扇もくしに定まらずひらめいたり・・・・・・。
===================
 このような語りの部分には何か呼び方があるようだったが、聞き取れなかった。 
 教科書会社のCDには普通の朗読と「平曲」型の朗読がついている。
 「平曲」は実にスローなテンポでお正月の教育テレビのようで聞いているとちょっと辛い。
 それに比べ昨日聞いた講談のテンポは実にいい。
 子どもも「ああ、昔はこんな調子で話しを聞いていたのか」と思えば、平家物語も実に臨場感をもって楽しめるのではないかと思った。
 音声がないと、僕の言いたいことや感じたことはなかなか理解できないと思う。
 次のサイトから音声を聞いてみてほしい。
 ただし、昨日僕が聞いたようなスピード感のある音声はなかなか見つからない。

 神田陽司さんhttp://www.t3.rim.or.jp/~yoogy/
 神田山陽さん http://www.bekkoame.ne.jp/~iwahara/
 

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January 23, 2006

回転寿司の秘密

 「ちゅうりっぷ」という一宮市近辺のタウン情報誌2月号で「人間の心理を掴んだ回転寿司の秘密」と題したミニコラムがあった。
===================
 (前略)寿司皿が回る速度は、子どもでも追いつけ、大人が迷って取ってもギリギリ間に合うくらいの絶妙なもの。理想速度は毎分4.8メートルぐらいといわれています。目の前を寿司皿が6~7秒かけて通り過ぎる速さです。これ以上速いと客に迷っているヒマがなくなり、逆にこれ以上ゆっくりだと狙いを定めた寿司の届くのが遅く感じられてイライラするのだとか(後略)
====================
 
 こういうネタは面白い。
 こういう人間の心理に基づいた時間の設定というものを教師も意識できるといい(そのためには実験する科学者と連携しなければならない)。
 経験則でいいから
「話の途中に5秒以上空白があってはならない」
「30秒以上の説明は長い」
「子どもに任す活動は最大5分とする(時間が多すぎると個人差が開きすぎるから)。」
といった事例をたくさん集めてみたい。

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January 21, 2006

ライブドアへのバッシング

 ライブドアの家宅捜索で、新聞・テレビは大騒ぎである。
 法に反する行為があったなら、批判されるのは仕方ない。
 逮捕されるなら逮捕されればいい。
 しかし、この間まで「時代の寵児」としてヒーロー扱いしておいて、あっという間に「金の亡者」と批判する態度にはあきれてしまう。
 実は、昨年の3月のブログで同じことを書いている→ここ
 西武鉄道の堤会長が逮捕された途端にこれまでのワンマン経営ぶりが批判の的にされた。
 もし、ライブドアのやり方に既に怪しい部分があったのなら、家宅捜索の前にマスコミは批判の目を向けるべきだ。家宅捜索や本人逮捕まで知らん顔をして、あるいはさんざん持ち上げておいて、急にハシゴを外すような仕方は卑劣に見える。
 堤会長逮捕の際に僕は次のように書いた。
==========================
 こうした新聞・テレビの報道態度は、「いじめ」に似ている。
 「こいつはいじめていいんだ」と認知された者だけを、徹底的にいじめぬくのである。
 特にそれまで言いたくても言えなかった大物の場合、より陰湿で凄惨な「いじめ」が行われる。
 このような新聞・テレビのやり口に非常に嫌悪感を抱く。

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 堀江社長を擁護する気はない。
 しかし、急変する新聞・テレビの態度に「持ち上げた責任」を問いたいのである。
 もし、新聞・テレビが自分たちがいかに堀江社長を持ち上げてきたかの自己反省がないのなら、
堀江社長を選挙活動で持ち上げた自民党を批判することは不可能である。

 そういうマスコミの報道に注意を促すのも「メデイアリテラシー教育」の仕事だと考えている。

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January 20, 2006

作文のNGワード「思います」

作文や感想文で「思う」「思います」は、正直言って余分である。
ただ、NGワードに指定してまで指導したことはなかった。提出した作文に朱書きを入れる程度である。
先日生徒に書かせた作文例で考えてみる。

①僕にはとうてい無理だと思う               →無理だ
②僕だったら多分やめていると思う            →やめているだろう
③「私」に向かって怒り出す人もたくさんいたんだと思う→いただろう
④女の子は泣きたかったと思う              →泣きたかったにちがいない

  「思う」を削ってもちっとも困らない場合が多い。できるだけ削る。
 ただし、自信のない気分のこともあるだろうから、自分の心境の場合は「だろう」はOK。
 他人の心情を予想する場合は「~にちがいない」で代用。
 自分の文章にも「思う」がつかないわけではないが、できるだけ使わないように意識している。
 生徒にも、時々はNGワードで使わない作文も課してみよう(と思う)。
 

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January 19, 2006

「楽しかったです」の作文をどうするか

 春日井市の国語研究会があって、いくつか研究レポートを目にした。
 小学校1年生に対する表現指導で「はじめーなかーおわり」で書かせる指導に取り組んでいてびっくりした。
 中学3年生に作文を書かせても段落分けは難しいのだから。

 「昨日は○○をしました。楽しかったです」で終わってしまう子をどうするか、という話題があった。
 僕は感想を交え、3つの方法を示した。
 対策の1つめは「3文日記」
 新任の頃、某附属小学校の公開授業で「3文日記」の取り組みを見た。
 「昨日は○○をしました。・・・・・・でした。楽しかったです」
のような3文。真ん中の部分を入れるように強いるだけで、ずいぶん表現内容が豊かになってくる。
(学校名も先生の名前も覚えているが、実践内容がうろ覚えなので「匿名」にしておきます)
 3文のスピーチなら、5分あればたくさんの子に発表させられる。面白い実践だと思った。

 対策の2つめは「楽しかった」を書かせない方法
 三田誠広の講義録を目にしたのが98年。HPにもまとめてあるが( ここ )
「驚いたときに驚いたと書いてしまったら説明になってしまう」というようなくだりがある。
 流用すれば、

 『楽しかったです』と書かないで「楽しかった」という様子が伝わるように表現するのが「描写」だ。

ということになる。三田氏は「それでは小学生の作文以下だ」と書いているから小学校1年生が「楽しかったです」と書くのは当然ではある。
 ただ、教科書教材を読むときに「『楽しかった』と書いていないけど楽しそうな様子がわかる書き方がしてあるね」というように描写を味わうことが、自分の表現に生きるわけだ。
 別の先生のレポートには作文ワークが添付してあって、そこにはNGワードが示してあった。
 「きれい すごい たのしい おもしろい」
の4つである。
 小学1年生で取り組ませる必要はないかもしれないが、段階的にNGワードを増やしていけるといいなと思った(「思います」もNGワードに入れるべきだろう)。

 対策の3つめが「なぜなら」で続けさせる書き方だ。
 「昨日は○○をしました。楽しかったです。なぜなら~」
 「昨日は○○をしました。なぜなら~」
 理屈っぽいので好感の持てる文章ではないが、そういう書き方もある。

 とりあえず3つしか対策を示していないが、手持ちの方法が多い方がいい。
 もっともっとバリエーションを増やしてみたい。

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January 17, 2006

直木賞受賞!「容疑者Xの献身」 東野圭吾

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面白い。
 昨年度の「このミステリー」第1位。直木賞受賞。うなずけます。
 『白夜行』以来の、久しぶりの東野作品でしたが、いいですね。
 概要は、次の通り。

天才数学者でありながらさえない高校教師に甘んじる石神は、愛した女を守るため完全犯罪を目論む…。数学だけが生きがいだった男の純愛ミステリー。 

 いろいろ予習していると、「トリックに驚き」「ラストで感激」「貫いた愛」などなど。
 そんなにすごいのかなあとむしろ期待をふくらませないように心の準備をしておいたのだが、それでもトリックにやられました。
 ここでは書けないけど、そうか読者は警察と同じようにまんまと石神にだまされていたわけだ。
 容疑者も分かっているわけだから、どんでん返しなんてないはずなのになあと思っていただけに「そんなトリックがあったとは!」と驚くばかりでした。
 あえて苦言を呈すと、ラストでトリックの部分について語りすぎではないかな。
 『白夜行』は、登場人物の内面が語られなさすぎて、うなってしまいました。
 それと比べると、最後にわざわざ石神本人の内言を加えなくてもいいように感じました。
 そこは読者の想像で余韻を与えた方がよかったかも。

 中盤からは湯川博士との推理合戦でした。
 湯川博士さえいなければ完全犯罪成立だったわけですね。
 湯川博士が主役なら、まんまとトリックを見破って大喝采のエンデイングですが、石神を主役と考えると、結局は見破られてしまって、石神の希望はかなえられなかったわけで、その分、かわいそうな印象が強まりました。
 トリックを知った女性(靖子)が黙ってはいられないだろうという事を考えれば、結末は仕方ないか。
 好きな女性のためにそこまでできるの?
 自分を好きでない相手のためにそこまでできるの?
という疑問もあるようです。
 でも、ストーカーっぽくなってしまうけど、それは「あり」だと思います。
 好きな女性に幸せになってほしいといういちずな願い・・・それこそが「献身」だからね。

(追記)
『11文字の殺人』(光文社文庫)を読みました。
サスペンス溢れる本格推理!などと書いてあるのですが、『白夜行』『容疑者Xの献身』とはタッチが違い、展開が軽いなーという印象を受けました。
軽々しく殺人が続いていくあたりが、コミックの「金田一少年」シリーズのようです。
会話が多い点もコミックを読んでいるような気分になる原因でしょうか。
立ち読みした『白夜行』の文庫のあとがきに、人物の内面が一切描かれていないことに触れてありました。そうした描写の見事さに惹かれてしまうと、ぺらぺらしゃべりすぎたり内面を語りすぎたりする小説には、ややマイナス点をつけたくなってしまいます。

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「いろいろ」の作文

 期末テストの中で「思い出」の短作文を書かせた。
 100文字以上という指定である。
 行事名を並べるだけでも、ある程度の字数がいってしまう。
 しかも「いろいろ」などとごまかすと、本当に無内容な作文になってしまう。
(生徒の作文にも著作権があるので、典型例として改訂したものを提示する)。

 「いろいろ」だらけの作文
◆初めは学校のことは全く分からなかったけど、今はもう違います。中学校では小学校と違っていろいろ事を学び、いろいろな事を体験しました。3年生最後だけど、まだいろいろなことを学びたいです。

◆僕の3年間の思い出で一番楽しかったのは修学旅行です。新幹線に初めて乗ったりいろいろなところを見てまわったりとても楽しかったです。いろいろなみやげ物も買ってとても楽しかったです。

◆僕の思い出は修学旅行です。仲の良い友達と同じ宿に泊まり、いろいろな体験をし、最高に楽しかったです。初めての東京だったので少々不安はありましたが、いろいろなおみやげとかも買えてよかったです。また行く機会があれば行きたいです。

◆僕は、この3年間でいろいろな事を覚えました。それは友達から教えてもらったり自分で覚えたり先生に教えてもらったり、勉強以外でもケンカとかいろいろなもめごとでいろいろなことが分かりました。

 行事だけ並べたもの

◆僕が3年間を通して思ったことは「楽しかったな」ということ。1年生の時はオリエンテーション学習。2年生は野外学習、3年生は修学旅行、そして3年間を通しての体育大会や文化祭、合唱コンクール、どれもおもしろく印象に残っています。この3年間の思い出は一生忘れないでしょう。

◆私の3年間の思い出は、たくさんあるけれどやっぱり3年生の行事です。修学旅行や万博や体育大会や合唱コンクール、楽しかったり悔しかったり、うれしかったりどれも大切な思い出です。大人になってもずっと忘れないでいたいと思います。

◆私はこの3年間でたくさんの思い出が出来ました。1年生では初めて会う友達と仲良くなれたこと、2年生では野外学習、3年生では修学旅行と、たくさんの思い出をつくることができました。この思い出はずっと忘れることがないと思います。

・・・治療するなら「1年生の時は○○。」という表現はラベルリングに該当するので、そのあと一文でもいいからコメントを入れると良い。
 もっといいのいは、次の例のように「中でも~」「特に~」と焦点化して詳しく書くパターンだ。

 1つの行事で詳しくかいたもの

 中学校生活で一番楽しかった事は2年生の時に行った野外学習です。その中でも特に良かったのは皆でカレーを作ったことです。僕は火起こしをしました。しかし、なかなか火が点かず大変でした。できあがったカレーは人生の中で一番美味しく感じました。


 生徒の文例から、もっともっと対策を講じたいと思う。
 

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January 16, 2006

教材の準備は日々の意識から

 本中学校の部活動には何人かのボランテイアの方にお手伝いしてもらっている。
 陸上部にも本校OBの方が入っていただいて土曜日を中心にコーチとして練習をみてもらっている。
 14日(土)は、雨だったのでミーテイングと室内練習を行った。
 コーチの方は、雨天時にはビデオを用意してくださる。
 今回は小学生の「30人31脚」の特集を早送りで紹介していただいた。
 それぞれの小学校のトレーニングの様子や、ミーテイングの様子、大会当日の泣いたり笑ったりの場面を子どもたちは興味深く見ていた。
 その後、左手のない女の子がソフトボール部で活躍している特集も見せていただいた。
 私も時々はビデオを準備して、学活や道徳で利用する。
 確かに、子どもには受けがいい。冗長な教師の話よりは効果が上がる。
 ただ、ここのところ用意もしなかったし、見せてもこなかった。明らかに怠慢だったと思う。
 いつも「子どもの役に立つ教材探し」を意識してテレビ欄をチェックして録画したり、新聞やHPや保存しておきたいと思う。
 

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January 13, 2006

提出物をもらう時のルール

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 3学期に入って、冬休みの課題の回収を行った。
 提出期限については担任にもよく分からないことがある。
 女子の保健体育のプリントを集めようとしたら
・「最初の授業の日だと思う」
・「提出する日は聞いていない」

と混乱していた。
 その時、ある子のプリントを見て解決した。
 写真が不鮮明だが、プリントの上に「1/10までにやる」と書いてあったのだ。
・・・写真をクリックすると見やすくなります
 こうやってプリントに提出期限を書く子がクラスに1人か2人いる(1人か2人しかいない)。
 この生活習慣が全員に身に付いたらすごいと思う。
 ちなみに我が家の子どもには
・学校でもらったプリントは必ず名前を書く
・裏向きにたたむと中身が分からなくなるので、表向きでたたむ
・その日のうちに母親に手渡す

ことを指導しているが、だんだんルーズになってきている。
 学級担任としては、配布するプリントについても、きちんと習慣化させたい思う。
 上記のようにもらったプリントに提出期限を明記できる子は、どこかで「いい思い」ができるはずだから。

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January 11, 2006

高校入試の課題作文

愛知県の公立高校入試問題には論作文がない。
それが当然だと思っていたら他府県はそうではなかった。
生徒に購入させている朝学習の問題集によると、
平成16年の公立高校の入試では79%の都道府県で課題作文が出題されたという。
最近の傾向として「話す・聞く」の場面を想定した問題や、与えられた資料(文章・図表・グラフなど)を読み取って意見を書く問題が増えていると。
・・・だったらOECDの学力調査の論述問題と同じじゃないか。
79%の都道府県ではOECD調査に対応できるのではないか。
 ちなみに課題作文のタイプの割合も提示されていた。
 テーマ指定型(二段落構成の指定が多い)・・・・・・・・・・・48%
 デイベート型(賛成・反対など1つの立場を選んで書く)・・10%
 図・グラフ読み取り型・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21%
 文章読み取り型(詩歌や鑑賞文・論説文への意見)・・・・ 21%

 他府県では、しっかり作文指導がされるのだなと思った。
 ところが『国語の基礎学力を育てる』(鶴田清司著 明治図書)P25に次のようにある。
========================= 
 ある県の中学校では、「書くこと」の指導はもっぱら社会科の教師が担当するという。なぜなら、高校入試で論述式の問題が出るのは、国語ではなく社会科だからである。この話しを聞いたとき、改めて事態の深刻さを感じた。中・高では、(一部の熱心な教師を除けば)国語の時間に作文指導をほとんどしていないのだ。
=========================
 そうなのか?
 でも「ある県」とあるから、それも一部の県の特殊な例なのかもしれない。
 本当のところはどうなのだろう。
 他府県での実態を知りたいなあと思う。
 討論や評論文指導に意欲的なトスの教師なら、どこの都道府県でも熱心に作文指導していると思うのだが。

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January 10, 2006

不適格教員の共通項

教育論文の参考文献をあたっていて、教育雑誌のバックナンバーを探した。
「どうすれば学力低下を防げるか」を特集した『現代教育科学』2004年4月号。
向山洋一氏の連載で、不適格教員に共通する欠点が6つ挙げられている。
以下、竹田が抜粋引用する。

①視線が子どもに向けられていない。
②無表情(にこやかな表情ができない)
③指示が明確でない。何をやっていいのか分からない。
④言葉が途中で消える。言葉が届かない。
⑤ハンカチほどの場所から立ったまま動かない。
⑥歩きながらや黒板に書きながら発言する(子どもに背を向けて言う)。

いくら研究熱心でも、教材研究が優れていても教師の技量が低ければ授業が成立しない。
授業が成立しないのでは、読解力向上も論理的思考も「絵に描いた餅」である。
だから失礼な言い方だが大学の立派な教授が小中学生相手に授業して、うまくいくとは限らない。
そういう意味では、教材研究も大事だが、授業の技量・指導技術はもっともっと科学され、研究されるべきだ。
向山型の学習方法のよさが「脳科学」で説明されるようになってきた。
自分も「読解力向上」の研究より、授業の技量の研究をしてみたいと思っている。

市内の若い先生を相手に今年の研究成果を発表する機会が与えられることになっている。
ぜひ、この6項目を最後に紹介しておこうと思っている。

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January 09, 2006

街角見守りロボット

街角見守りロボットの検証実験というニュースがあることを知った。→ここ
 
=========================
IT技術で子どもを守る試みが06年2月、大阪でもはじまる。
まず、自動販売機などにICタグリーダーや防犯カメラ、センシングネットワーク等の防犯機能を装備。
子どものランドセルに取り付けたICタグを読み取ることにより通過検知や緊急時の通報を行うという実験だ。
こうした防犯機能つきの自動販売機などを「ユビキタス街角見守りロボット」と命名、子どもにも安全な街づくりをめざす。
===========================
 何に驚いたかというと、ロボット(センサー)自動販売機に内蔵されるという発想だ。
 僕は「危機管理」の観点から、次の2つは以前から注目していた。
(1)携帯電話
 携帯電話には様々な機能が組み込まれ、まさにITのオールインワン状態である。
 GPSもあり、金融決済機能もあり、娯楽的にはテレビやラジオや音楽プレーヤーも付随して、デジカメも当たり前になった。
 ストップウオッチやボイスレコーダーは地味ながら結構便利な機能である。
 携帯電話にワンプッシュの緊急コール・緊急ブザーがつくのも時間の問題だろう(もうあるかな?)。
 ICタグなんて嫌だなあと思う人も「携帯電話」の所有は嫌がらないはず。
 おそるべし携帯電話、いや「ケータイ」。
 
(2)コンビニ
 コンビニにATMがついてポストがあって小包もやっててチケット予約もできる。
 コンビニの何がすごいと言って「24時間営業」「有人店舗」の2点がすごい。
 ようするに、コンビニへ行けば人がいて、警察と連絡がとれるのだ。
 最近の交番は無人の場合が多く、役に立っていない。
 コンビニは防犯カメラがあるから、トイレもATMも治安はいい。
 災害時には、そこらの防災用具倉庫よりもはるかに食糧も生活用品も常置されている。
 いっそ、コンビニが交番になり市役所の支所になり、郵便局になり、災害対策本部になってしまえばいいのだ。
 おそるべしコンビニ。

 と、思っていたら、次は「自動販売機」か。まいったなあ。
 全国に500万台はあると言われる販売機。確かに道路に面していて、電源が入っていて、音声もOKだから、有効利用するにはもってこいの設備だ。
 自動販売機に避難警報の放送設備を内蔵するのもいいかな(それはコンビニに付けるか?)。

 ちなみに村上龍の『希望の国のエクソダス』では、全国の中学生がネットで情報提供してマーケテイングを確立するというくだりがあった(と記憶している)。
 教育団体トスの全国的なネットワークを駆使すれば同じようにかなりの情報を共有できる。
 ロボットとICタグという機械の反応だけでは確かな情報入力も危機管理もできない。
 人間の手入力による情報提供や、コンビニ店員のような人間による安全確認は永遠になくならない。
 危機管理にもっともっと雇用が回ると「安全な国家」になると思うのだが。

・・・こういうニュースを話題にして、「安全なまちづくり」「日本の将来」について子どもたちに考えさせてみたいと思う。
 

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ラベリングの効用~小見出しの意義4~

 年末年始と春日井市の教育論文の仕上げに時間を費やしてしまった。
 OECD学力調査の結果を受けての「読解力」向上の授業実践を研究テーマにした。
 OECD調査の、ある意味での「目玉」は、論述タイプの設問に答えられない生徒が多かったことである。
 というわけで「読解力」をテーマにしながら、意見文を書く手だてを考察した。
 その中で、結果的に浮かび上がってきたのが「ラベリング」の重要性だった。
 「ラベリング」については、このブログでも何度か下書き風に書きためてきた。
 しかし、後で読み直してみると、どうしても難解である。
 過去のブログを校正するより、改めて書いた方がいいと思い以下に書いてみる。

 このブログだって「タイトル」というものがあり、本文がある。
 メールにも「件名」があり、本文がある。
 新聞には「見出し」があって本文がある。
 書物には「題名」や章ごとのタイトルがあって、本文がある。
 このように本文を総括するような予告するような「タイトル」「件名」「見出し」をつける作業が「ラベリング」である(と解釈している)。
 「ラベル」は、ないよりはあった方がいい。いや、ないと困ることも多い。
 自分の作文に「ラベリング」をするというのは、結局何を言おうとしているのかを端的に示すことである。
 教材文を「ラベリング」するというのは、何について書かれているかを端的に把握することである。
 だから「理解」活動においても「表現」活動においても、ラベリングの指導をすべきなのだと考えている。 

 本文の内容が「具体」であるとすれば、ラベリングした言葉は「抽象」である。
 要約指導は、この「抽象化」の指導であると言える。
  宇佐美寛氏は「要約」は単なるレッテル貼りにすぎないという立場から「要約=抽象化」よりも「具体的に論じる」ことを勧めている(著作集『論理的思考をどう育てるか』)。
 宇佐美氏の主張を、僕は次のように解釈している。
 「お正月はいろいろな人に会いました。」「いろんな所へ行きました。」という作文に誰も感動しない。
 誰と会ったのか、どこへ言ったのか「具体的に」書けない作文はラベリングされていても内容は不足している。  だから大切なのは抽象ではなく、具体なのだ、と。

 もし「お正月はいろいろな人に会いました。」というラベルの一文が使いたいなら、次の2つの方法があるのだと僕はとらえている。
===================
A:「お正月はいろいろな人に会いました。
  例えば、岐阜のおばあちゃんや伊勢のおじいちゃん、隣の町のあきらおじさんの家族です」

B:「お正月は岐阜のおばあちゃんや伊勢のおじいちゃん、隣の町のあきらおじさんの家族などに会いました。
  このようにお正月はいろいろな人に会いました。」
===================
 Aは「抽象ー具体」のタイプ、Bは「具体ー抽象」のタイプということになる。
 抽象と具体の「架け橋」は「例えば」や「このように」といったつなぎの言葉である。 
 ちなみに表現不足の子も2つのタイプがある。
(1) 具体的な記述がダラダラしていて要するに何が言いたいか抽象化できないタイプ
(2) すぐに抽象語でくくってしまって、具体的に描写できないタイプ
 当然、どちらも指導対象であるが、指導の方向が正反対である。
 大切なのは「抽象と具体の往復」。
 その往復できる力を支えるのが「『理解』と『表現』の往復活動」なのだと考えている。
 自分の作文にラベリングできる力が読解力につながっていき、
読解でラベリングした力が、自分の作文のラベリングに役立つからだ。

 ラベリングが難しいと感じるのは、文中にない言葉を自分で考えなくてはいけない場合だ。
 文中の言葉を抜き出すような国語の読みとりは簡単だが、自分で考えるのは難しい。 
 要約指導でも、文中の言葉を別の抽象語で置き換える場合は、なかなか生徒から答えが出てこない。
 「主題」を考える時も、文中にない言葉で主題を表す場合は、なかなか生徒から答えが出てこない。
 文中にない答えを考える場合、何を言っても正解というわけではない。そこには「論理的な整合性」が必要である。
 文中にない言葉を吟味させる場合、思いつかない子は「だから国語は嫌い。どうしてそんな言葉が思いつくかが分からない」といった気分になる。
 だからこそ、簡単な小見出しなどのラベリング作業を繰り返し、文中にない言葉で統括する場合もあることに慣れさせる必要があるのだと考えている。
 
 いっても 
 
 
  

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