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January 29, 2006

「当たり前」の大切さ

 先週NHKで放映された「プロフェッショナル」はパテイシエの杉野英実さんを特集していた。
 「細部にこそ神は宿る」 「あたり前のことが一番難しい」というようなテロップが流れ、教師修行中の自分には衝撃的な45分だった。
 開店前にまず行うのが翌日の仕込み。
 味にかかわる作業は弟子には任せず、杉野さん本人が必ず手を下していた。
 クリームを絞っている時も手を氷につけて冷やし、体温がクリームの味を損なわないように配慮していた。
 弟子がオーブンを早めに開けてしまった焼き菓子はすぐさま捨てる。
 弟子が切ったショウガは3ミリ、それでは食感が悪いからと2ミリに切りそろえる。
 おいしい菓子を作るためには、どれも当たり前のことではあるが、大変なこと。
 30年菓子づくりに徹してきた杉野さんが大切にしている言葉が
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 「あたり前のことが一番むずかしい」
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だった。
 当たり前のことではあっても、みんな楽をしてしまう。楽をしようという誘惑にも負ける。
 でも職人は楽をしたら、ろくなものにならない、と杉野さんは言う。
 そのことに気付いたのはパリでの修業時代。
 3年間弟子入りの手紙を出し続けてやっと入れてもらったある有名店。
 しかし、そこで出されるお菓子のレシピは料理学校のものと変わらなかった。
 特別な食材も使っていなかった。
 それでもおいしい理由は「あたりまえ」の徹底だった。
 飾り付けのいちごは少しでも痛んでいたら捨てる。
 菓子を少し焼きすぎた職人は店から追い出される。
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 あたり前を積み重ねると特別になる
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・・・なんと素晴らしい言葉だろう。
 我々の仕事も決して目新しいことの積み重ねではない。
 当たり前のことをきちんとこなしていくことが日々の教師修行なのだ。
 少し具体的にイメージしてみよう。
 欠席やちょっとした変化が生徒にあれば家庭連絡するのは当たり前だ。
 それでも、ちょっとしたことで連絡を怠ってしまうことがある。情けないことだ。
 生徒のノートや作文を点検するなら一言添えて当たり前だ。
それなのに、赤まるやサイドラインですませえしまうことがある。情けない。
 
 自分の授業の力量・学級経営の力量が低いのは当たり前の積み重ねが足りないからだ。
 

 

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