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February 21, 2006

「ドラゴン桜」11巻の学び(2)

「ドラゴン桜」11巻は、国語対策の叙述が多く、参考になることが多かった。
中でも、ぶったまげたのが
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一文二義で作文を書く練習
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宇佐美寛氏の書物から学んできた自分にとって、文章の基本は「一文一義」である
(と書いたこの文は、一文二義になっている)。
「一文一義」の文は味気ない、と書いてある。
基本的・初歩的であるが故に、一文一義が続くと少々幼いということか。
宇佐美氏の指導は一文一義の文を確かな接続語でつないでいく、というものだ。
たとえば、次のように。

一文一義の文を書く。
文と文を接続語でつなぐ。
すると、論理の展開が確かなものになる。
しかし、読んだ感じがややくどくなる。
だから、一文二義にする。
すると、くどさが半減する。

と書いていても、やっぱりちょっとうんざりしてきてしまうので、やめたくなってきた。
もちろん、基本は一文一義であり、その基本をきちんと学んでおく段階はいる。
その上で、その発展型として一文二義の文も使いこなせるようにさせたい。
多義文を接続語を使って、一義文にさせる練習や
二つの一義文を接続部を用いるなどして二義文にする練習をさせていくことで
マスターさせられるのではないかと考えている。

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February 19, 2006

「ドラゴン桜」11巻の学び その1

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『ドラゴン桜』11巻は、もうずいぶん前に発刊されていたし、ずいぶん前に学んでいたが、まとめずに放置してしまった。3月には12巻が出るそうだからまとめておかないと。

何といっても驚いたのは河合塾協力で示された「受験に合格するタイプ」と「落ちるタイプ」。
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予備校の授業はすべて終わった時に、さっさと帰る受験生は合格しやすい。
だらだらとしている子は落ちる。

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 中学校の授業後や部活動後も同じような印象がある。
 確かに友達づきあいもある。おしゃべりもしたい。
 でも、さっさと下校できない子は、結局、桜木の言うように自己管理ができず、気持ちの切り替えができず、メリハリがつかず、注意が散漫なのだと思う。
 お友達を「切れない」のは女子に多い。
 下校途中の歩道で座り込んでまでおしゃべりしているのも、たいていは女子だ。
 帰ってからも長電話したりメールに時間を費やすのも、女子が多い。
 部活動を引退して底力を発揮する時期に、男子が伸びることが多いというのも、そんなところに原因があるのかもしれない。
 逆に言えば「部活動を引退したらがんばる」なんて言っている男子でも、友達に引きずられてダラダラしているようでは、伸びる要素がないということだ。
 桜木が言うように大切なのは気持ちの切り替えで
遊ぶときは遊び、勉強するときは勉強するタイプは確かに強いと思う。
 「よく遊び、よく学べ」なんて古典的な格言だ。
 
 だらしない子は、よくズレる。
 授業中に塾の宿題をして、放課中に次の時間の宿題をやって、次の授業中には友達に手紙を書いて、居眠りをする。部活動中に世間話をして、家に帰ってから友達と長電話して,、塾でがっこうの授業の予習をしれ、学校の授業中は寝不足で寝る。
 その瞬間の欲求を優先し、先の見通しが立てられない子はズレる。
 イチローは自分の計画の沿って生活していたから、友達の遊ぶ時間はほとんどなかった、と6年生の卒業文集に書いている。
  「自己管理能力」という言い方が一般的だと思うが、子どもに訴えるキーワードとしては「ズレる」がいいかなあと思う。

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February 12, 2006

先行報道は許されるのか

リンク: @nifty:NEWS@nifty:皇太子ご夫妻も「お喜び」(共同通信).

 宮内庁長官の7日の発言として「お父さまも知らない段階で報道が出て、めでたいことでもありながら残念である」と新聞にも報じられている。 
 ご懐妊のニュースが先行報道され迷惑だったとのことだが、当たり前だ。
 ご懐妊をめでたいことだという雰囲気が強ければ強いほどご本人にはプレッシャーがかかる。
 「おめでたいこと」だからといって本人の気持ちも考えず、本人の承諾も得ないで報道する姿勢はそもそもどうかしている。
 僕は、今回のご懐妊のニュースを聞いて「おめでたい」なんて全く思わなかった。
 そんなこと過剰に報じるべきではないと嫌悪感を抱いた。
 そう思っていたら宮内庁長官の発言が新聞にも報じられた。
 マスコミはこの宮内庁長官の発言をどう捉えるのか、そこをきちんと書かないのは姑息だと思う。

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February 07, 2006

「死なないで! 1945年真岡郵便局『九人の乙女』」

 maoka
 学校の図書館にあった1冊。川嶋康夫著(農文協)1995年第1刷である。
 南の「ひめゆりの塔」、北の「氷雪の門」と言われる樺太の戦争悲劇の話。
 しかし、自分の常識(固定概念)から言うと分からないことだらけであった。
 
 ・ポツダム宣言受諾が8月15日なのに、その後も樺太ではソビエト軍の侵攻が続き、真岡町は戦火に巻き込まれた。
 ・8月13日に樺太庁は本土への「緊急疎開」を決め、引き上げ作戦が開始された。
 ・しかし、空襲は続き、ソビエト軍の殺戮が繰り返された。
 ・真岡町の8月20日付け戦災死亡者名簿によると死者は418人。行方不明者59人(実際は倍?)
 ・ソビエトの南樺太侵攻から戦争終結の2週間で軍人700人・民間の戦災死者1800人、沈没した引き揚げ船  の犠牲者(死者・行方不明者)が1700人。
 
・・・戦火と化した真岡の郵便局交換台で最後まで従事した9人の女性が自決をする。これが樺太の悲劇である。

 本を読んだ印象でいうと、
・確かに侵攻はあった。集中砲火もあった。
・しかし、自決した女性たちはロシア軍にとらわれる前に青酸カリを飲んでいる。
・集中砲火が止んだ後のロシア軍と生き残った郵便局員とのやりとりを読む限り、「死ななければならない」ような状況は見えてこない。白旗を揚げた郵便局に入ってきたロシア兵は残虐な行為をしていない。女性が強姦されたとも書かれていない。
・つまり、「このままロシア軍が侵攻したら、何をされるか分からないという恐怖と不安から自決した」のであって、本当に自決しなくてはならない状況ではなかった、ということだ。
・自決に追い込まれたのは「もし襲われたら大変だ」という風評・噂によるものだったと現代の感覚では思う。

 中学生に戦争の悲劇を訴えかける1冊だとは思う。
 しかし、「乙女のまま清く死にたい」という理由で自決を選んだ彼女たちの行為は、どこまで共感的に受け止められるだろう。
 戦争未体験の40代の男には「なぜ、死を急がねばならなかったのか」が分からないし、「ひめゆり」も 「氷雪」」も日本国内の風評の犠牲者のように思えて仕方ないのだ。
 
 次のようなHPも熟読しながら、もう少し勉強してみようと思う。 

 「九人の乙女と樺太の戦い
 http://m-take-web.hp.infoseek.co.jp/fujinomiya6.html
 http://www.tv-asianews.com/mika/0831.html

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作文のNGワード「という」

 サークルの吉田先生が、伴先生が話していたこととして教えてくれた。
作文指導で「という」を使わせない、(という)話しだった。
 なるほど「という」(という言葉)は、余分といえば余分で削ってもほとんど困らない。
 「という」が必要なのは、婉曲表現でストレートに言いにくい場合である。
 ただし、子どもに達意の作文を書かせていく上では「婉曲表現」など用いずにストレートに表現させる習慣をつけさせるべきだ。
 とはいえ、自分も論文を書いていて、何カ所か「という」(という表現)を使いたくなった。
 ・「というような意見」
 ・「ではないだろうかと考えられる」
などの表現は字数稼ぎでない限り削ってしまいたい。
 

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February 02, 2006

「図書館読み」と「無人島読み」

 川崎寿彦氏の「分析批評」の書籍の中に「無人島読み・図書館読み」という言葉が出てくる。
作品の背景や作者の経歴といった予備知識を一切入れないで、作品から得られる情報だけで読んでいこうというのが「無人島読み」である。
 基本的に僕は「無人島読み」の立場だった。
 宮沢賢治の生い立ちや妹のことを知らないと作品を味わえないなんておかしいと思ったのだ。
 ところが、今回の授業では無人島読みでは味わえないような作品に遭遇してしまった。
 アラスカの写真家星野道夫さんの随想である。
 星野さんは、ある日、古本屋で手にしたアラスカの写真集の中の1枚に魅了されアラスカ行きを決意し、ついには14年もアラスカに在住するようになってしまう。
そんな彼の元に例の写真を撮ったご本人が偶然現れる。
その運命の数奇さが作品のおもしろさなのだが、実は、この随想の数年後、星野さんは撮影の準備中ヒグマに襲われて死んでしまう。
 その事実を知っているかどうかは、感想を書く際には大きく影響するはずである。
 ヒグマに襲われた星野さんの最期を知って、それでも自然への憧れだとか夢だとか言えるかどうか・・。
 当然ながら2段構えがいいのだと思う。最初は無人島読み、最後に事実を伝える図書館読み。
 図書館読みは「おまけ」というか発展。
 こうしないと文章を根拠にする習慣が崩れてしまう。
 
  

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