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March 29, 2006

自分に課したこと

 昨晩、自動車で近所をうろついていたら、駐車場で立ち往生している自動車があった。
 持ち主の女性の方が半分道にはみ出した車の横で申し訳なさそうにしていた。
 脱輪ではなく、段差のある場所で前輪を突っ込んだので、車体がすってしまっているのだ。
 近くの若いお兄さんが「車体がこすっちゃうから、前も後ろも動かせないよ」と説明してくれた。
 女性は、どこかに電話したあとだったが、「どうしよう」という顔をしている。
 女性の知人らしいお兄さんも立っている。
 3人には悪いけど、こんなのは楽勝だと思った。
  「とにかく一度、持ち上げて下げてみましょう」と女性には運転席でバックしてもらい、
男3人で「せーの」で持ち上げてみた。
 案の定、アッという間だった。JAFなど呼んだらJAFも張り合いのないくらいの仕事だった。

・・・こんな風に立ち往生した車を手伝ったのは2回目だ。
 前回は通勤途中のあぜ道で、対向車が脱輪しているので救出しないわけにはいかない。
 僕の後続車の人にも下りてもらって軽自動車を持ち上げた。

・・・・こんな風に立ち往生した車を手伝ったのは、自分もしてもらったことがあるからだ。
 狭い商店街のような道で対向車に遠慮したら脱輪してしまった。
 対向車と後続車が止まって、今日の僕のように「とにかく持ち上げよう」とイッキに持ち上げて
脱輪を救助したら2人ともあっという間に立ち去ってしまった。
 
 この時、僕は「いつか恩返しをしなくてはいけない」と自らに誓った。
 格好良すぎて恥ずかしいが、脱輪を救ってもらった時の感激はそれほど強烈だったのだ。
 今回で「お返し」も2回か。
 自分が助けてもらった時の「ありがたさ」を考えると、まだまだ序の口である。
 他人の不幸を喜んでいるわけではないので、でしゃばるのは禁物。
 そこのところが結構微妙なのだが、困っている人がいたら是非お手伝いしたいと思っている。

 ちなみに「せーの」で持ち上げるというと、体育館のピアノ、運動場の指令台やサッカーゴールなど、教員の世界では、けっこうありがちな仕事みたい。

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March 23, 2006

「学級経営案」の毎年の願い

 数年前の学級経営案が出てきた。
 学級経営目標は、毎年ほとんど変わらない。
 小学校も中学校も同じである。

 ①基礎・基本の徹底=当たり前のことを当たり前のようにこなすことの大切さ
→②基礎・基本の上に立った自主的・創造的な活動の支援

という2本立てである。

 ①の基礎・基本は、生活面と学習面に分けて考える。

 生活面は年によって違うが
(挨拶・返事、整頓、他人とうまくつきあう)
(挨拶、身だしなみ、言葉遣い、忘れ物)
と書いた年もある。
 念頭にあるのは
(返事、挨拶、あとしまつ)
である。

 学習面は、教科内容でなく学習習慣として
(人の話が聞ける・ていねいに作業できる・最後までやりとげる)
(自分の意見を持つ・ていねいにノートをとる・定規を使う・提出物をきちんとやり遂げる)
と書いた年もある。
 念頭にあるのは
 (丁寧さ・最後までやり遂げる・意思表示)
である。
 
 文面として例を挙げると次のように書いた年がある。

=====================
※基礎・基本の徹底
 当たり前のことを当たり前のようにこなしていくことの大切さを強調し、
それができることを素直にほめていきたい。
 それは、生活面で言えば「あいさつ・身だしなみ・言葉づかい・忘れ物であり
 学習面で言えば、自分の意見を持つこと(書き記すこと)・
ていねいにノートをとること・定規を使うこと・
提出物や宿題をきちんとやり遂げることである。

※基礎・基本の上に立った自主的・創造的な活動の援助
 各教科の知識や技能を発揮する形で総合的な学習も
個々の課題解決に取り組ませたい。
 心情面で言えば、自分のやるべきことがきちんとできた上で
他を思いやった行動へ発展させていきたい。

=====================

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「女王の教室」が崩壊した10の理由

 「女王の教室」の特別版が3月17・18日と放映された。
 女王(悪魔)になる前の、新規採用の阿久津真矢先生の自己紹介の場面があった。
 ああ、これでは崩壊するなと分かる代物だった。
 案の定、その後、教室は無秩序になる。
 おおざっぱに紹介するので、文責は私となる。

①「この組でみんなと楽しい思い出いっぱい作りたいと思います
という希望を語るだけでは、子どもには役に立たない。
 所信表明は「こんな子に育って欲しい、こんな子を育ててみせます」
というものでありたい。「楽しい思い出」は結果としてついてくるものだ。

②「私のことを友達みたいに思って下さい
というリクエストは、教師であることの否定でしかない。
 「私のことを平気でなめてかかって結構です」と同義である。

③出席をとるので「大きな声で返事をして下さい
と言うが、すかさず「大きな声の必要はないんじゃないですか
の発言が入り「賛成」「そうだ」の賛同の声でざわつく。
 「大きな声で返事する」ことが願いであり、1年を左右する指導事項なら
やらせればいい。「大きな声」の必要がないなら言わなければいい。

④事実、子どもの軽い抗議(アドバルーン)に、
そうか、ごめん、じゃあ普通でいいです」などと修正している。
 教師の権威も何もあったものではない。
 開始1分もたたないうちに「言えば何でも通る」ような安易な教室になってしまう。

⑤出席をとる。か細い返事に対し
「元気がないぞー」「返事をする時は相手の目を見た方がいいぞー」
希望は言うが、徹底もしていないし、強制もやり直しもさせていない。
 か細い返事でも通してしまうなら、最初に何も言わなければいい。
 これでは「教師の指示を無視しても注意されない」という事実をしみこませて
いるようなものだ。

⑥どことなく視線が定まらない。女王のような威圧的な眼力はない。

⑦「元気がないぞー」という中途半端に間延びした言い方が自信のなさを表している。

⑧ きちんとやれた子は認めて上げればいいし、たくさん誉めてられていい。

⑨できるのに「やらない子」を放置してはいけない。

⑩「やらない子」に安易に賛同する子も放置してはいけない。

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March 15, 2006

「自分探し」は嫌いです

 中日新聞の3月12日(日)、「未来の主役へ」という欄で、作家の海月ルイ氏のインタビューが掲載されている。
 後半の談話に釘付けになった。
====================
 今の若者で、「自分探し」と称して、旅行や新しい習い事をする人がいますけれど、私はこの言葉が嫌いです。 (中略)
 「自分」とは探すものではなく、なるものです。なりたい自分なんて、簡単にはなれません。そのためには、自分がいる環境で、課せられたことを誠実に一生懸命やることです。
 (中略)
 自分を過剰評価せず、なりたい自分になる努力をしましょう。
=====================
 ここまで言い切れる人は少ない。
 「自分探し」は聞こえのいい言葉で、決して悪いイメージはないからだ。
 でも「裸の王様」じゃないけれど、誰かがきちんと言わなくてはいけないこともある。
 「自分探しの旅」っていうのは聞こえはいい。
 けれど、それは今ある現状を逃避して、どこかに幸せはあるだろうと外へ外へ目を向けるチルチルミチルのようなものではないかと僕も思う。
 「幸せの青い鳥」は身近にあるのかもしれない。
 目の前に絶好のチャンスがあるのに、あと一歩の努力が嫌で、他に目を向けているだけの子もいるのではないか。
 幸せは探すものではなく、つかむものである。
 同じ事は「ナンバーワンよりオンリーワン」という言葉にも言える。
 ナンバーワンになる努力を怠ってオンリーワンでごまかしているようでは「オンリーワン」なんて言葉は勲章にも何にもならないのである。
 海月氏も「自分がいる環境で、課せられたことを誠実に一生懸命やることです」と言っている。
 「ナンバーワン」を争う競争から逃避するための「オンリーワン」にならないよう釘を刺さないといけない。

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March 13, 2006

「メタ認知」で教育論文を読む

 「メタ認知」という言葉を気にしながら、『国語教育』2006年2月号(明治図書)を読む。
 テーマは「読解力向上をめざす授業改革案」。
 僕がこだわった「OECD学力調査結果」を受けての特集である。

 鶴田清司氏の巻頭論文に早速、メタ認知という用語が登場する(今回の紹介はここまでか)。
====================
 PISAに限らず(中略)国内外の学力調査で正答率が低い設問に共通するのは、表現の特徴を客観的に解明するとういうメタ認知的な課題である(表現の効果を考えさせる問題、二つの文章に共通する書き方の特徴を考えさせる問題など)。つまり、言語の性質や機能に対する分析的かつ反省的な思考力である。
 これは、ふだんの授業で言語活動や言語表現を自覚化・対象化させるような指導が不十分だったことに原因がある井。文章に書かれていることが分かったというレベルを超えて、文章がどう書かれているかを分析し、読者(自分)との関わりで表現の工夫や効果を考えるような学習課題を重視すべきである。つまり批評の学習である。P6
====================
 「分析批評」という授業手法は、主観的な感動や読みにこだわらず(それを無視はしない)、客観的な表現効果や主題の読み取りに寄与すると評価されてきた。
 それは、まさに「分析批評」の授業が「メタ認知力」を鍛えるのだということを表している。
 そう考えると、新任以来こだわってきた自分の国語の授業は間違っていなかったのだと確信できる(結果は伴っていないが)。
 分析的な授業・論理的思考力の育成にこだわってきたことに間違いはなかったのである。

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March 12, 2006

オリンピック選考

 フィギアスケートの浅田真央選手は、トリノオリンピックで金メダルかも、と言われながら、先日のジュニアの世界選手権で2位となった。→ここ
 トリノオリンピック前のGPファイナルでのびのびとした演技をした浅田選手の精神力を評価する声も高かった。
 今回は「勝って当たり前」と言われるジュニアの大会だっただけに、さすがの浅田選手も精神的な負担が大きかったと(勝手に)論じられている。
 そもそも「挑戦者」は怖いもの知らずでチャレンジできる。
 オリンピック国内選考の大会で、オリンピック出場権を狙う緊張感のない浅田選手だけが伸び伸びとした演技をできたのは当然のことだ。逆に言えば「当然トリノ行き」と持ち上げられた安藤選手などは精神的に相当辛かったことだろう。
 今回、浅田選手でさえ精神的に崩れることがあるのか、ということが分かり、オリンピック前の安藤選手に対して今更ながら思いをはせる人が増えたのではないだろうか。
 メダル候補と騒がれたトリノオリンピックの選手には本当に「ご苦労様でした」と言いたい。
 
 結局オリンピックのような超大舞台で活躍するのはそれなりの実績が必要であるということが、今回の浅田選手の件で常識になってくれないかなと思う。
 女子マラソンでも同じことが言える。
 チャレンジャーのような気持ちでリラックスして選考会に臨み、好記録を出して彗星のような扱いでオリンピック出場を決める選手がいる(実績者の有森裕子に「記録では上回っている」と抗議した選手もいた)。
 でも、多くの場合、オリンピック本番では、選考会の勢いをぶつけられない。 
 自分にも欲があるし、周囲の期待も半端ではない。
 選考会が終わってオリンピック出場が決まれば、もはやチャレンジャーではいられないからだ。
 だから、大舞台での実績は大きい。
 4年に一回のワンチャンスであるオリンピックであれば、なおのことだ。
 
 トリノオリンピック金メダルの荒川選手は、「金メダル候補」と大騒ぎされなかった分だけチャレンジャーの意識を保てたのが優位だったかもしれない。実績は十分だっただけにそのことが「幸い」したのだと僕などは思う。

 生徒には「勝って当たり前のように思われて勝つのは本当に難しいことだ」と伝えたい。
 保護者には「勝って当たり前・合格して当たり前」という励ましが逆効果になることもあると伝えたい。
 マスコミには、チャレンジャーとタイトルホルダーを精神的な重圧の差をよく考えて記事を書いてほしいし、「メダル確実」というような安易な下馬評はやめてほしいと伝えたい。
 

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March 10, 2006

「メタ認知」補足

光村図書の「中学校国語教育相談室」という冊子の99号は、平成18年度版教科書のご紹介になっている。
その中の対談のコーナーで次のような部分がある。

★甲斐理恵子さんの発言
 今回の教科書は、メタ認知というか、学習している自分を客観化できるような場面が随所に散りばめられています。
(「次へつなげよう」もそうだし「学習のための用語一覧」や「学習の窓」もそうです。これらは、ただがむしゃらに学習するのではなく、自分が今どこまで来ているのか、どんなことをしているのかということを確認できるツールです。(以下略)

★藤森裕治さんの発言
 自分にふさわしい学び方を自分の中に構築していく。これが本当のメタ認知だと思うんです。(後略)

★河合章男さんの発言
そこで学習したことが次の学習で使えるようになるためには、子どもの頭の中で一般化ということが行われなければいけません。法則として意識的に自分で身につけていくということです。教科書の中でもそういったことを認識できる部分があれば、学習の定着、学力の定着につながっていくと思いますね。

 少しは「メタ認知」が分かってきたような気がする。
 自分はどれだけ認知しているかを知るんだよね。
 課題意識をもって授業に臨む。
 目標に照らし合わせて自分はどれだけ達成できたかを自己点検する。
 それは自己評価カードや振り返りカードを使う場合や、感想文・意見文・授業記録によって把握する場合があるのだと受けとめている。

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March 07, 2006

重松清の世界 「その日のまえに」

sonohi
 さすが重松清。
 泣かせる「ツボ」を離さない。作品にハズレがない。
 「愛する人の死」というテーマは、ストレートすぎるが、やはり、ぐっとくる。
 「その日の前」「その日」「その日のあと」という構成だけでも、ぐっとくる。
 44歳を超えた自分は、人生の半分を折り返したのだろうか?
 いや、折り返しどころか、何かの事情ですぐにでも死を迎えるのかもしれない。
 「死」は計画できないから辛い。
 だからこそ、永遠のテーマだなと思う。
 もちろん、「その日」まであと数ヶ月と宣告されるのも辛い。
 この作品のように 「その日」を宣告されたら、自分はどうするだろう。
 宣告されない突然の死よりも、有意義な生き方(死に方)ができるだろうか。
 「その日の前」には誰かに会って、過去を懐かしんで、やり残したことを埋めておくだろうか。
 「その日のあと」で、読んでもらえるような手紙を作るだろうか。
 「その日」に備えて家族には何を伝えようか。

 そういう、自分の「その日」を比較したくなる作品群だった。
 別々の短編だと思ったら、最後につながっているというあたりは見事だ。
 それでも『流星ワゴン』と比べると、少し印象が薄い。
 それは、『流星ワゴン』が、見事な虚構の構成の中で「死」を考えさせるのに対して、『その日のまえに』は、ストーリーに奇抜さがなかったからである。
 自分の来るべき「その日」と比較するにはいいのだが、虚構を読む楽しさは弱かったのである。
 まあ、「その日」の主役が女性が多かったので、感情移入しづらかったこともある。
 
 リアリテイのありすぎる設定なので、辛すぎて逃避したくなったのかもしれない。
 重松作品には、ふだん我々がつい目をそらしてしまう現実を直視するよう訴えかけてくる作品が多い。
 そういう意味でも、この作品は実に重松作品なのである。
 
 

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March 06, 2006

「メタ認知力」とは?

新聞に家庭教師の「トライ」の広告が掲載された。
目がクギづけになったのが次のコピーだ。
=====================
頭をよくする『10歳からのメタ認知』学習法に注目!
=====================
 和田秀樹氏との対談を元にしており、その対談の様子はHPで見られる→ここ
 この日の新聞広告でも「メタ認知」の解説は行われている。

・「認知を超えた認知」という意味で自分の考え方を客観的に判断できること
・「自分の知識は足りているか」「推論が偏っていないか」を判断する能力
・自分を客観視する能力で、基本的には自問自答の繰り返しで高めていく
・考える材料としての「知識」、それを活かす方法としての「推論」、そして「メタ認知」がよりいっそう頭をよくするための3要素。

  「認知の仕方を認知する」というのが難しい。
  心から「分かる」というには今ひとつ理解が足りていない(というよう認知の程度を意識することが「メタ認知」なのだろうか)。
ここ のようなHPもあるので、もう少し詳しく勉強してみたい。
 今一番気になるのが「授業記録」の作文が、「メタ認知」になるのかな、ということなのだが・・。
 10年以上も前、宇佐美寛氏の論文の中で「メタ言語で問え」というのが出てきたが、これも理解不十分だった。
 その頃から「メタ」が気になっていたのである。
  

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イチローの作文の論理

 以前、イチローの作文について「逆算の哲学」として評価した→ここ
 もう少し詳しく書いておこうと思う。

①僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
②そのためには中学・高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。
③活躍できるようになるためには、練習が必要です。

 この3段階の論理が「逆算の論理」である。
 すばらしい。
 一字一句変えてない、6年生で、この文章を書いているのだから。
 穴埋めワークにすれば、次のようになる。
=================================
①僕の夢は(  A   )です。
②( A )のためには(  B   )しなければなりません。
③( B  )できるようになるためには、( C )が必要です。

==================================
 
 ただ夢だけを描く子が多い。
 夢のために必要な過程を描けない子が多い。
 今すべき事を自覚できない子が多い。

 もちろん(C)を書ける子もいるが、イチローほど具体的に(C)に自信を持てる子は少ない。
 以下が、イチローの(C)の内容である。

①ぼくは、その練習に自信があります。
②僕は3歳の時から練習を始めています。
③(中略)3年の時から今までは365日中、360日は、はげしい練習をしています。
④(中略)そんなに、練習をやっているんだから、必ずプロ野球の選手になれると思います。

 穴埋めワークにすると次のようになる。
==================================
①ぼくは、( C )に自信があります。
②僕は( D )の時から( C )を始めています。
③( E )の時から今までは365日中、( F )日は、( C )をしています。
④そんなに、( C )をやっているんだから、必ず(  A  )になれると思います。

===================================
 夢の実現のために今、自分は何を努力しているか。
 そこを自覚できる子を育てたい。
 そのためにも「逆算の論理」をぜひ学ばせたい。

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「じゃんけん」の論理

 小学1年生(東京書籍の教科書)に、「いろいろなじゃんけんについてはなしあおう」
というのがあって、自分たちで別バージョンの「じゃんけん」を作らせようとしている。
 次のようなワークプリントがある。カッコは本当は四角なのだが。
=======================
 (  )と(  )と(  )で、じゃんけんを します。
 (  )は(  )にかちます。
 なぜ( )は( )にかつのですか。
 (  )は(                    からです)

=======================
 ジャンケンの論理なので、これを3回繰り返す。
 おもしろそうな穴うめワークだが、何と言っても対象は小学1年生だ。
 小学1年生にはジャンケンの論理など創作できなくて当然。
 実際、今、急に自分ができるかを試してみたが、ろくなアイディアは浮かんでこなかった。
 この課題が小1として適切であるならば、自分の発想のレベルが低すぎるのかもしれない。
 この課題が小1として適切ならば、中学課題のレベルをもっともっと上げないといけない。


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March 01, 2006

分析批評の10のものさし

 久しぶりに浜上薫さんにお会いすることができた。
『分析批評の10のものさし』は絶版だそうだが、他の書籍はあるし、近々新刊も出るそうだ。
 「分析批評の10のものさし」とは、次の10の観点のことだ。
 
1.題
2.作者名
3.視座・視点
4.設定
5.アイロニー・パラドックス
6.イメジャリー
7.色
8.伏線・クライマックス
9.レトリック
10.あいまいさ

 まあ、この10個の観点を見ただけで、すべてを理解することは無理だ。
 そのせいか、10個もいらない・もっと減らせ、という人もいた。
 10の「あいまいさ」アンビギュイティなどは、理解しづらい。
 1年に1つか2つ用語を覚えていけばいい、というスタンスが主流になると1年の内に、あるいは1単元の内に「あの用語もこの用語も」という実践は下火になっていった。
 それでも、教材分析の段階では、今だってとりあえず「あの用語もこの用語」も駆使してみてどのものさしが授業で有効かを確かめる必要がある。
 ただし、発問作りの参考にはなるが、そのまま問うていいとは限らない。
 たとえば「クライマックスはどこですか」を教師が知る必要はあっても、作品価値の読みに寄与しないなら子どもに聞く必要はないのである。


 トスランドのHPには、100の発問作りや教材分析も登録されている。
 ぼくも、その路線で早急にHPをアップしてみようと思う。

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