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April 28, 2006

詩を書かせる

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 (画像をクリックすると大きくなります) 
中学1年生の国語の教科書(光村)の最初の教材は、工藤直子の「のはらうた」である。
 教材を読む(読解する)のではなく、音読や視写を楽しむ単元である。
 「いろんな書き方で、自分の好きなように書いてみよう」
 ・文字の色や形や大きさを工夫して。
 ・全体のバランスも工夫して。

と活動させた。すばらしい作品がたくさんできた。
 子どもの才能はすばらしい。
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April 17, 2006

「Presents」 角田光代


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Presents(プレゼンツ) 角田光代
「人生には、大切なプレゼントがたくさんある。」一生の間に女性が、親・友人・恋人・子供などからもらう様々なプレゼント。直木賞作家・角田光代氏の文章と、人気イラストレーター・松尾たいこ氏の絵が、プレゼントにまつわる印象的なシーンを切り取った至福のコラボレーション本。

 角田光代氏の書物として初めて読んだ。
 何というか短編ゆえの物足りなさを感じてしまったが、それは自分が最近ある程度の分量に慣れてしまったからで、昔の僕ならこの程度の短編集が気に入っていたと思う。
 短編の魅力は「俳句」と同じで、全てを語りきらないところだ。
 語りきらないから不満も残るが、うまくいくと余韻になる。
 「もう少し読みたいなあ」というところで中止されることでかえって、イメージが広がっていくのである。
 それにしても「うまいなあ」と思った。女性へのプレゼントだが気にならなかった。
 それぞれの作品の設定もラストも巧みだった。ぜひ、これを契機に他の作品も読んでみようと言う気になった。
 圧巻は最後の作品。
 「えっ、こんなプレゼントあり?」と思える意味深なプレゼントだった。


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April 16, 2006

『スキマ時間勉強法』

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 和田秀樹氏の本。正式名称は「大人のためのスキマ時間勉強法」(PHP文庫 \495)
 例えば、お金を節約する本を買うくらいなら、その本代を節約した方がいいという人もいる。
 スキマ時間を活かす本を読むくらいなら、その本を読む時間を他に使えという人もいる。
 しかし、

 ★将来の10000円のためになるなら、節約本の500円も価値があるし、
 ★今後一生の時間活用のためになるなら、1冊の本を読む1時間は決して無駄ではない。

・・・というような発想を、この本から触発された。
 タクシー代を使ってでも時間を有効に使う。
 座席指定券を買ってゆったりと電車に乗る。
 朝食をきちんと食べ、休憩時間はをきちんと休憩した方が、仕事の能率が上がる。
といったあたりは、「損して得とれ」「急がば回れ」のような逆転の発想法である。
 目先の利益や目先の忙しさに目を奪われてはいけない。
 ちょっと集中すれば、このブログも10分足らずで書ける。
 書くことで自分の頭を整理できるし、書いておけば、将来「探す手間」が省ける。
 そういう点で、自分を叱咤激励するには、最適の1冊だった。
 
 それにしても、どうして本気でやれば5分でできてしまうようなことを先延ばしにしてしまうのだろう。
 和田氏も書いている。 
 8時台のテレビ番組なら8時54分には終わる。
 9時の番組が始まるまでは最低6分ある(CM等を考えれば10分ある)。
 だったら、そのスキマの10分で何か1つ仕事を片づけられる。
 なのに、ついつい無為にその10分を過ごしてしまう。
 5分あったらできること・10分あったらできること・・をリストしておいたら、
ずいぶん有効に時間を使えることだろう。
 昔から「仕事を頼むなら忙しい人に頼め」と言われてきた。
 忙しい時ほど、何とか工夫しないと仕事がこなせない。
 今年度は、少々仕事量が増えて、4月からあたふたしている。
 でも、そんな時だからこそスキマ時間をを活かせるノウハウを身につけたいと思う。

 ちなみに忙しい人は、この本の目次に目を通すだけでもいい。きっと役に立つ!
 

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芥川賞受賞作品『沖で待つ』

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 僕は月刊誌の『文芸春秋』で読んだので、単行本に収録された別の作品は読んでいません。
 僕は、自分自身「です・ます」を好んで使うので、『沖で待つ』の文体が、自分レベルのように感じて、何となく「軽さ」を感じてしまいました。
 聞くところによると男女の「恋愛」でも「友情」でもない、「同期愛」を描いたところがいいのだそうです。
 芥川賞受賞の評の中にも、「女性総合職の出現によって女と男の対等に働く場が生まれた。それは新しい現実である」と書かれていたそうです。
 「女と男の対等な職場」が新しい現実なのですか。
 僕は小学校・中学校の教師をして20年ほどになりますが、ずっと男女対等な立場で仕事をしています。
 男女の感情を超えた感覚は、僕にとってはむしろ当たり前のものです。 
 「同期」の感覚は十分共感します。
 共感はありますが「新鮮味」はありませんから「新しい現実」とは思いません。
 ですから、それで「芥川賞」か、と思うと、今ひとつ物足りないのです。
 『蹴りたい背中』を読み終わった後の「え、これで終わり?」「え、これが芥川賞?」という感覚とよく似ていました。
 読みやすさが、今後の読書活動のきっかけや、今後の表現活動のきっかけになるといいですね。
 というわけで、中・高校生が「取り組みやすい・読みやすい・目標にしやすい」という意味でなら、この芥川賞作品は価値があるのかも知れません。
 
 たとえば、直木賞作家の重松清ですが、受賞作品の『ビタミンF』は、特にどうとも思わない作品群でした。
 『ビタミンF』で直木賞を取るなら、もっと前に別の作品で賞をあげればよかったのに、と思えるのですが、直木賞候補の順番待ちもあるようなので仕方ありません。
 作家糸山秋子氏については『沖で待つ』でなく、別の作品を読んだ上で、もう一度コメントしてみようと思います。
 実際、彼女の他の作品の方がいい、という意見もたくさんHPに出ています。
 すでに何度も芥川賞候補・直木賞候補になっていたそうですから、別の作品を読んだ時「さすが芥川賞作家!」とうなるかもしれません。その感激を期待しています。

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「言わずとも分かれ」

 先月のサークル例会で、
「5時間目の始まりに給食の食器が残っていたらどうするか」
が話題になった。
 1つの指導例が「教師が黙って片付ける」だった。
 私は、最低限「これ、どうしますか?」と子どもに投げかけるべきだと思った。
 「どうしますか?」と言われて
・自分が残した、という自覚がある子。
・給食当番・掃除当番・日直など関連のありそうな子
が「僕がやります」と言うかも知れない。
 もし、そうやって言い出す子がいたら「叱る場面」が「誉める場面」に変換するわけだ。
 誰も言い出さなかったら、教師が片づければいい。
 最初なら犯人探しするほどのことではない(度重なれば、確かめねばならない)。
 
 「黙って片づける」というのは後ろ姿で教育する類の指導で、美しいが難しい。
 かつて、教育雑誌に次のように書いた。
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先生がやっているのを見習って子どもがやるというのはハードルが高い。
自分の行為の善し悪しもわからない生徒・分かっているけど面倒だから
やらないという生徒は、きちんと注意してやらせなければ、
自分たちからやるようには絶対にならない。

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 「言わずとも分かれ」が通用することを期待しては行けない。
 「言ったことすら通じない」ことが多いのだ。。
 やるべきことをきちんと伝え、伝えたことを確かめる必要がある。

 だからこそ「言って聞かせ、させてみて、誉めてやらねば・・」
という山本五十六の言葉が光るのである。
 
 ちなみに山本五十六の言葉を検索してみると、奥が深かった→ここ
==========================
 「やつてみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。」
 又は、
 「やつて見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」
 ★ 非常に有名なこの言葉には続きがあります。
 次のようなものです。
  「 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず 」
  「 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず 」

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  「やってみせ・・・」だけが山本五十六の格言だと思っていたらいけない。
  謙虚に学ぶ姿勢、しつこく調べる姿勢が大事だなあ。

 なお、 「言わずとも分かれ」については、かつて次のように書いたことがある→ここ
 
 

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April 07, 2006

名古屋大学学長の式辞

 昨晩、中日新聞社に初めてメールをした(一部改正)。
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 去る3月12日(日)の中日新聞で作家海月ルイ氏が「自分探しは嫌いです」というインタビュー記事を書いています。
 4月5日夕刊に掲載された名大平野学長の式辞はほとんど、この記事に追随した内容になっています。

「最近『自分探し』と称して本当の自分が他にあるかのように思い、置かれている場から逃げようとする
若者が多いと心配している」

という発言を紹介していますが、中日新聞ご本人は何も感じませんでしたか?
 あるいは、学長は式辞の中で引用の断りをしたけれど、新聞記事では触れなかったのでしょうか?
 
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/03/post_6fab.html

 以前、海月氏の記事に感銘した自分としては放置しておけません。
 自分のブログでも取り扱っていくつもりです。
 なお、このメールは新聞掲載を希望している訳ではありません。 
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 4月5日の夕刊の見出しが
 「自分探し」に逃げずに努力を

 紹介した海月ルイ氏の記事と酷似しているのは明らかである。
 
 
 

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