「言わずとも分かれ」
先月のサークル例会で、
「5時間目の始まりに給食の食器が残っていたらどうするか」
が話題になった。
1つの指導例が「教師が黙って片付ける」だった。
私は、最低限「これ、どうしますか?」と子どもに投げかけるべきだと思った。
「どうしますか?」と言われて
・自分が残した、という自覚がある子。
・給食当番・掃除当番・日直など関連のありそうな子
が「僕がやります」と言うかも知れない。
もし、そうやって言い出す子がいたら「叱る場面」が「誉める場面」に変換するわけだ。
誰も言い出さなかったら、教師が片づければいい。
最初なら犯人探しするほどのことではない(度重なれば、確かめねばならない)。
「黙って片づける」というのは後ろ姿で教育する類の指導で、美しいが難しい。
かつて、教育雑誌に次のように書いた。
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先生がやっているのを見習って子どもがやるというのはハードルが高い。
自分の行為の善し悪しもわからない生徒・分かっているけど面倒だから
やらないという生徒は、きちんと注意してやらせなければ、
自分たちからやるようには絶対にならない。
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「言わずとも分かれ」が通用することを期待しては行けない。
「言ったことすら通じない」ことが多いのだ。。
やるべきことをきちんと伝え、伝えたことを確かめる必要がある。
だからこそ「言って聞かせ、させてみて、誉めてやらねば・・」
という山本五十六の言葉が光るのである。
ちなみに山本五十六の言葉を検索してみると、奥が深かった→ここ
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「やつてみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。」
又は、
「やつて見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず」
★ 非常に有名なこの言葉には続きがあります。
次のようなものです。
「 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず 」
「 やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず 」
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「やってみせ・・・」だけが山本五十六の格言だと思っていたらいけない。
謙虚に学ぶ姿勢、しつこく調べる姿勢が大事だなあ。
なお、 「言わずとも分かれ」については、かつて次のように書いたことがある→ここ
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