愛国心と教育基本法改正
「愛国心」などと書き込むだけで、怪しい読者が増えるかも知れないが、まっとうな気持ちで教育基本法改正を考えてみたい→ここ
「愛国心」復活は戦前の軍国主義につながるのだという発想が存在する。
例えば、次の例と重ねてみる。
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株に手を出して失敗した人がいる。
その人は、今後株に手を出さなくなるかもしれない。
でも、だからといって「株は手を出すな」と全ての人が撤退することはあり得ない。
たとえ、株で痛い目にあった人がいても、「株」が悪いわけではない。
だから、株のシステムはこれからも存在する。
社会は「リスクもあるが株は経済の基本システム」という姿勢は変えない。
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一部の人が苦い経験をしても、体勢は変わらない。
この例に「愛国心」を挿入してみる。
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「愛国心」が強すぎて失敗した人がいるとする。
その人は「愛国心」に懐疑的になるかもしれない。
でも、だからといって「愛国心を教えるな」と全ての人が撤退することはあり得ない。
たとえ、「愛国心」で痛い目にあった人がいても、「愛国心」が悪いわけではない。
だから、「愛国心」という精神は存在する。
社会は「リスクもあるが愛国心は国家思想の基本システム」という姿勢は変えない。
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失敗から学ぶことは大切だが、失敗を警戒しすぎると先に進まない。
そう、次のことわざと同じだ。
羮(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)を吹く
〔屈原「楚辞(九章、惜誦)」〕羹の熱いのに懲りて、冷たい膾まで吹きさまして食べる。
一度失敗したのに懲りて、度の過ぎた用心をすることのたとえ
「愛国心」の教育に対する過剰な反応は「「あつものに懲りてなますを吹く」の状態なのだ。
「愛国心」の教育の「愛国心」という言葉が問題ならば「隣人愛」教育でもいい。
あるいは「思いやり」教育でいい。
自分の都合や利益だけでなく、隣人や社会全体のことに思いをよせることのできる日本人が育って欲しい。
「思いやり」教育が推進されるなら「愛国心教育」といった名前を捨ててもいいと僕などは思う。
堀江元社長は自分の利益しか考えない人だったようだ。
東海地区のフェロシルトのように不法投棄の社長も自分の利益しか考えていない。
国家公務員の中にも自分の省庁の利益や自分の保身・将来の利益しか考えていない人がいるらしい。
そんな風潮だから「思いやり」の教育が必要なのだ(それが「愛国心」教育に通じる)。
軍国主義復活の懸念をするくらいなら、利己主義の国民の増加を気にすべきだ。
利己主義者の増加の方がはるかに現実的だ。
利己主義者ばかり増えては国家が成り立たないことを、全ての国民が理解すべきだ。
脱「利己主義者」という意味での「愛国心教育」なら、多くの支持を得られると思う。
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