対照実験の論理
理科の中間テストの問題を見ていたら「アサガオの葉がデンプンを作る実験」が気になった。
A:緑色の部分
B:白色の部分
C:アルミでおおった部分
AとBを比べて「葉緑素」の有無が関係あることに気づく
AとCを比べて「日光」の有無が関係あることに気づく
ある条件の有効性を比べる際は別の条件をが同一にしておくのが基本である。
これを「対照実験」というんですよね。
ウイクペデイアの辞書にも掲載されていた。
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厳密な意味での実験では、比較のための対照(コントロール)実験が行われる。これは観察対象とする現象にある要因が影響するという仮説を実験で検証する際に、その要因だけを変え、それ以外の条件を同じにする実験をいう(対象 と対照 を間違えないように注意)。
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でも、この「対照実験」の論理は、分からない子には分からない。
小学校の発芽条件の実験でも、
①土 と ②バーミキュライト
③水有り と ④水なし
⑤日光有りと ⑥日陰
の6通りの実験装置を作る。さまざまな条件設定をする。
子どもはどの条件を比べているのかが理解できなくなる。
この「対照実験の論理」は国語教育で鍛えられないのだろうか。
テスト監督しながら考えていた。
「あった!」
「それも、以前から取り組んでいた分析批評の方法だ」
比較をすれば「似ている部分」と「異なる部分」が出てくる。
共通点探しが「類比」。
相異点探しが「対比」。
ベン図でいえば真ん中が「類比」だ。
対照実験で統一した条件を理解するというのは、ベン図の中心の共通項を理解するということだ。
「○○の部分は同じだが、△△と◎◎の部分が違うから、原因は△△か、◎◎のどっちかだ。」
しかも、この場合、共通点は多くして、外側は1つのみ、というところがミソだ。
外側の要因が複数あると対照実験にならない。
これと同じ発想ができるよう、比較の練習をさせる。
「男と女の違いをまとめよう」という時は、まず「同じ人間だけど、××は違う」と言わせる。
「夏と冬の違いをまとめよう」という時は、まず「同じ日本でも、××は違う」と言わせる。
これは、基準やカテゴリーが違うと比べられないことを理解する訓練だ(だから「私と仕事のどっちが大事なのか」は比べられないのである)。
ただし、この場合、外側をできるだけたくさん列挙させることがメインになる。
したがって、対照実験の論理と、比較(対比)の論理は完全一致するわけではない。
その違いを自覚した上でなら、対照実験の試行練習として「対比」の学習があっていい。
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