「読解力」=けんか読み
読解力は単なる内容理解の上に、自分の思考判断を加えられるかどうかが問われている。OECDも指導要領も同じである。
中1(光村図書)の『クジラたちの声』を読んで、段落ごとに一言感想を書かせる。
例えば、①②段落を、まとめて感想を書かせる。
今はやりの言葉で言うと「つっこみ」をさせる。
「ほんまかいな」「そうかなあ」とか「なんでやねん」 「それは分からんやろう」のように・・・。
まあオーソドックスなのは5W1Hである。
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①大昔から船乗りたちは、船がクジラの群れに近づくと、低く不気味な音が船底にこだまするのを知っていた。彼らはそれをクジラの鳴き声だと信じていた。
②しかし、当時の研究者がいくらクジラの体を調べても、声を出すために必要な声帯は見つからなかった。人々は、声帯がない以上、鳴き声を出すことはできないはずだと考え、船乗りたちが聞いたのは、何か別の音だろうということになった。
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◆「大昔」っていつごろの事?
◆「当時の研究者」っていつの事?
◆船乗りや研究者って、日本人?
◆声帯がなくても、叩いたり、こすったり、鼻息とかで「音は出せる」って思わなかったのかな?
もちろん、生徒からは、こんな鋭い意見はなかなか出ない。
そこまで意固地にならないし、意地悪くアラ探しなどしないからだ。
◆僕も、その音を聞いてみたいなあ。
◆どんな音なのかなあ。
くらいが無難な感想である。
でも、そのような「つっこみ」の意識で本文をよめるかどうかが目的意識を持って文章を読めるかどうかの分かれ目となる。
宇佐美寛氏は「ケンカ読み」と言った。
「批評読み」というと「分析批評」と混同しするので、「ケンカ読み」がいい。
私は、この「ケンカ読み」の実践を知ってから、読みの構えがガラッと変わった。
批判するには、精読・熟読が必要で、自分の読みの精度が試される。
何しろ相手は教科書の著者である。簡単に批判できる相手ではない。
浅はかな読みで批判をすると「返り血」を浴びることになる。
だからこそ、真剣勝負ができる。だからこそ、自分の読みの力も鍛えられていく。
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