「正しいことは言うな」
中日新聞7月18日付の朝刊に「ひろさちやのほどほど人生論」という連載がある。
「正しいことは言うな」という逆説的な表現の意味を知って感銘を受けた。
確かに、教師という仕事上、子どもの失敗を責めることは多い。
しかし、「どうして、宿題を忘れたんだ」などと相手のミスを責めてみても、
その言葉が正しければ正しいほど相手を追い込んでしまうだけだ。
言われた方は一番聞きたくない言葉を耳にして憎しみさえ、わいてくる。
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怠けている人間、遅刻した人、それぞれに事情があり、理由があるはずです。
その事情・理由を斟酌(しんしゃく)することなく正しいことを言う人は、じつは、
ー正義という名の魔類ー
になっているのです。
仏教では、その正義という名の魔類を
ー阿修羅ー
と呼びます。阿修羅というのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりがないために、神界から追放されて魔類になった存在です。(後略)
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「阿修羅」とは、そういう意味だったのか→ここに詳しく書かれている。
教師は「よかれ」と思って平気で子どもを傷つけることがある。
悪意がない分だけ、たちが悪いのだという。
正義感を振りかざす鈍感な教師はまさに阿修羅だな。
何も言わずにじっと相手の聞いて上げる行為が「慈悲」なのだとも書いてある。
何と、仏教の教えは奥が深いのか。
仏教に没頭するつもりはないが、宗教をバックボーンにすると自分の言動を律することができる理由がよく分かる。
(追記)
以前、紹介した『身につけよう!江戸しぐさ』の中に「見て分かることは言わない」というのがあった。
「おやせになりましたね」「太ったんじゃないの」「ひどい汗ですね」など、見て分かるようなことを稚児のように言ってはいけないとある。
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見て(暑いんだな)と察したらすぐ冷たい飲物を出すものだよ、というわけです。急な雨で濡れていたら、サッと手拭いを差し出す方が感性度が高く、相手の思いやりが偲ばれるものです。
それに加えて「読んで分かることは聞かない」というのもあります。
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何の配慮をする気もないのなら、見て分かることを言うな、というのは、実に鋭い指摘である。
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