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August 31, 2006

「素数ゼミの謎」

Sosuu
 1学期に「博士の愛した数式」を読んで、その勢いで「素数ゼミの謎」を読んだ。
 「博士~」を読んでいなかったら、興味がわくこともなかったかもしれない。
 日本のセミは6年・7年土の中で育つ、と言われる。ただし毎年出現する。
 アメリカのセミの中には13年・17年周期で大発生するものがいる。他の年には一切現れないので「周期ゼミ」ともいうらしい。
 このあたりの解説は次のHPに詳しい→ここ
 こうした大量発生の生き残りセミは「素数を周期とするセミ」に絞られていったというのが著者の考えである。
 そして、その根拠が「数学」なのである。
 僕なりの理解で簡単に説明すると、
・以前は、さまざまな周期のセミがいた。
・ところが、違う周期のセミと交配すると、周期がずれて、変な時期に出現するので長い年月の中で絶滅する。
・ということは、違う周期のセミと出会わない種類のセミの方が種を保存しやすい。
(違う周期のセミと重なった方が出会いが多くていい、というのは誤りです)。
・ということは、他種のセミと周期が重なりにくい素数を周期とするセミの方が種を保存しやすい。
・というわけで、今でも13年・17年といった周期でセミが大量発生している。

 個人的には日本のセミも興味がある。
 愛知県・尾張地方では、昔は小粒のニイニイゼミをたくさん捕まえたのに、今はほとんどアブラゼミである。
 ただし、春日井市の勤務校はたくさんクマゼミがいる。クマゼミの発生するのは土地が汚れているのだという人もいる。
 今年の夏の終わりにツクツクボウシの鳴き声をよく聞いた。ツクツクボウシが増えているように思うのは気のせいか?
 こうしたセミに関する自由研究は来年にしよう。
 今年は「博士~」の影響で「数字のマジック」について考えてみた。
 誰とも重ならない「素数」が好きなんて思ったことはなかった。
 でも、重ならないからこそ周囲に惑わされず自分の生き方ができる。
 だから、「素数」はすばらしいんだな、と思うようになった。

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August 27, 2006

中1自殺の遺書

ニュースによれば、中学1年生の自殺があり、原因は3年にもおよぶ「いじめ」だったのだとか。
新聞やネットで遺書が公開された。

■遺言書
 最近生きていくことが嫌になってきました。クラスでは「貧乏」や「泥棒」と言う声がたえず響いていて、その時は悲しい気持ちになります。それがもう3年間も続いていて、もうあきれています。それに、毎日おもしろおかしくそいつらは笑っているのです。そう言うことでこの度死ぬことを決意しました。
 私が、死んだ後の物は(弟2人の名前)で分けて下さい。机にある小判は私だと思って持っていて下さい。
 (弟2人の名前)は僕の分まで長生きして、いい職について下さい。
 いつも空から家族を身(原文のまま)守っています。
 さようなら
 いままで育ててくれてありがとう
 母さん父さん
 By.(男子生徒の名前)

 なぜ中学校で「いじめ」が分からなかったのか、指導できなかったのか、防げなかったのか
が話題になる。
 小学校からの「(言葉による)いじめ」だから、注意して観察はしていたものの、そんなに深刻にはとらえられなかったのかもしれない。
 外傷をもたらす「いじめ」に比べて、言葉によるいじめは現行犯でないと把握しにくい。
 また発覚しても「そんなこと言ってはいかんだろう」というような口頭注意にとどまりやすい。
 そもそも言っている方にも、「そんなに悪意を持って言っていない」というケースが多い。
 言う方は軽い、言われる方は重い。
 だからこそ、こわい。
 「覆水盆に返らず」で書いたように、「ごめん」ですまない事態である。
 「そんなに相手が傷ついているとは思わなかった」は言い訳にはならない。
 教師も同じで「そんなに深刻な事態だとは思わなかった」は言い訳にはならない。
 子どもの口にする言葉1つにも、細心の注意を払わねばならない。

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ナイルパーチ~「ダーウインの悪夢」

Naseer100_2
 「ダーウインの悪夢」という映画がある(らしい)。検索したらヒットした。試写会などで感銘を受けた人の記事がたくさん見られた。
 6月だったか、ビクトリア湖の生態系を破壊する外来種の魚のことをテレビで紹介していた。
 現地では高価で食べられないその外来種は日本でも白身の魚として外食産業で利用されていると報道されていた。
 気になっていたので調べてみた。
 魚の名前は「ナイルパーチ」。ネットサーフィンで画像ももらってきた。
 こんな不気味な魚、切り身でなかったら食欲はわかないだろう。
 逆に言うと切り身で出されたら分からない。以前は「白スズキ」という名前で売られていたと言う。
 ネット通販でも堂々と「ナイルパーチ」で売られている→ここ
僕の個人的な関心は食の安全だった。
 ただ、「生態系の破壊」のような環境問題としても重い→ここ

ヴイクトリア湖 (アフリカ)へのナイルパーチLates niloticusの移入
▼1960年代初頭にスポーツフイツシングを目的に移植され、しばらくの潜伏期ののち、1980年代に入って“爆発”した。5OO種近い固有のカワスズメ科魚類(シクリッド)のうち200種ほどがすでに絶滅かそれに近い状態にある。とりわけ植物プランクトン食の魚種が激減したことから、植物プランクトンが大増殖し食われないまま湖底に堆積し、湖底の無酸素化を招くなど、湖の水塊全体の状況が大きく変化した。
▼そのいっぼうで、単価の高いナイルバーチが激増したことから漁獲高は著しく高り、湖の水産業は統計上の活況を呈することとなった。しかし、ナイルパーチを漁獲するためには大がかりな装備が必要なため、零細漁民は水産会社の労動者となり、熱帯気候下で脂分の多いパーチの肉を冷凍したりチップとして加工するための産業も興った。これらの大きな急激な変化によって、地域社会や産業構造から食文化までもが激変した。
▼パーチ加工用の燃料を得るために流域の森林伐採が著しく加速きれ、湖は(水塊の生態系の激変もあって)極端な富栄養化へ向かって坂道を転がり落ちているのが現状である。最近ではホティアオイも大増殖し、湖内へ光が充分に届かなくなり、光合成が活発に行われず酸素不足になるという、新たな問題も生じている。

 「ビクトリア湖の悲劇」は、地元住民の経済活動を発展させながらもズタズタにしてしまっているという社会問題としての側面も重い。
 冒頭で示した「ダーウインの悪夢」は、こうした問題を訴えたドキュメンタリーである。
 
 検索で見つけたおまけのHPがある→「JAMARCの開発魚」。
 「開発魚」という言葉がこわい。
 知らずに口に入っていると思うとこわい。
 自分の知らない事実がたくさん存在することがこわい。

(追記)
 テレビで見た番組はテレビ朝日で日曜日の夜11時から放映している『素敵な宇宙船地球号』。
 バックナンバーで4月30日(427回)を参照してください。

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August 26, 2006

違う意味の「情報教育」

 先日、広告でPCの価格を見た。 
 15インチ液晶ノートタイプがNECやSONYなのに10万円くらいで買える。
 自分が数年前に買ったときは広告を見比べてようやく20万円を切るものを選んだのに、いつからそんなに安くなったのだろう。
 自分の購入したい物がある時は注意して価格を見る。家電店にも行く。
 しかし、いったん購入してしまうと、当分はあまり気にしなくなる(安く売っているのを見ると悔しいという思いもある)。
 まあ、今回は自分のPCに支障がないから10万円で売っていても別に関係ないのだが。

 実は以前、調子の悪いプリンタをもったいなくて苦労しながら使っていたことがある。
 3万円か4万円した代物であったが、プリンタについて意識しないうちにずいぶん価格が下がっていた。
 そんなわけで意を決して家電店に行ったら、そこそこの代物で2万円もしなかった。それでいて、これまでの苦労が馬鹿馬鹿しくなるくらい速くて静かできれいだった。 
 その時の感想は「こんなことなら、もっと早く買えばよかった」だった。

というように、知らないうちに、自分の所有している物品よりもはるかに便利な物が、手頃な値段で購入できることがある。
 その「情報」を知らないことは、非常に「ロス」なのである。
 この場合の「ロス」は金銭のこともあるし、時間のこともある。時は金なりだから時間のロスは、場合によっては金銭のロス以上に腹が立つ。
 
 世の中で「情報」とは、こういう意味で使うことが多い。
・「もったいない、光通信を知らないなんて」とコマーシャルで言っている。うちは光ではないから気になっている。
・妻が知人にお願いしてあった4枚のスマップのコンサートチケットをキャンセルした。ネットオークションに出したら10万円で売れたので知人は喜んでいたそうだ。
・一宮駅の前にチケットショップがある。新幹線に乗る前に、ここで「のぞみ」のチケット(指定回数券)を購入すると自動販売機で指定できるので窓口で並ばなくてもいい(もちろん、ちょっと安い)。

 「知らないと損するんですよ」という「情報」をきちんと入手し、整理し、活用できることが日常生活における「情報活用能力・情報処理能力」である。
 学校教育で言う「情報教育」に比べると、すごくドロドロしているでしょう?
 でも、我々は一生涯、経済活動から離れられない。
 「損得」についてタブー視しないで、きちんと意識させていくことも大事だと思う。
 買うともったいないこともあれば、買わないともったいないこともある。
 知らないともったいないこともあれば、よけいに知りすぎて大損することもある。

 僕は、この手の「情報教育」が好きだ。
 株もやらないし、ネットオークションもやらないから、実生活では「損得」はあまりないけれど、そういう話が好きなのである。

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「覆水盆に返らず」の教育

 「覆水盆に返らず」ということわざを知ったのは高校生の時のことで、それも「It's no use crying over spilt milk」という英語のことわざの和訳としてだった。
 「覆水」なんていう難しい言葉にも驚いたが、英語圏でも同じような意味の言葉があることにも驚いた。
 要するに「後悔先に立たず」のことだから、目新しい意味ではなかったのだが。
 
 我が家には朝顔のプランターがあって、とりえあえず今夏も生育させている。
 この暑い時期に水やりを怠るとたちまち干からびてしまう。
 そう意識してはいたものの残念ながら何本かが枯れた。
 枯れてしまった朝顔にいくら水をやっても、もう遅い。
 せっかくいくつかの花を付けている朝顔も枯れてしまうと何ともならない。
 枯れてしまった朝顔を見ながら、そしてついつい水をやりながら「覆水盆に返らず」ということわざを思い出してしまった。
 枯れてしまってからあわてて水をやってもう遅い、そのような失敗を経験して、改めて「世の中には取り返しのきかない失敗もあるんだな」と実感した。
 息子はカブトムシのエサやりを怠って、カブトムシを死なせてしまった。死んでから慌ててエサをあげても手遅れである。
 車をぶつけたりこすったりして嘆いてから気をつけても、もう遅い(まあ、大事故への警鐘だと思えばありがたい)。
 
 「ごめん」でやり直せる失敗もある。リセットしたり交換したりしてすませられる失敗もある。
 でも、シュミレーションゲームとは違う。絶対に元に戻らない失敗もある。
 そのことを思い知るには「小さな失敗」を経験するのが一番いい。
 植物や小動物には申し訳ないが、そのような失敗経験のために協力願えればと思う。
 もちろん、枯らせてしまった・死なせてしまったという「事実」にきちんと向かい合わせなければ意味がない。
 枯らせてしまったこと・死なせてしまったことへの後悔がないのでは、失敗を生かす動機にもなりえない。
 
 「小さな失敗」を体験させるだけではいけない。
 「小さな後悔」をきちんと体験させることが大切だ。
 教師や保護者がコントロールできる範囲の失敗・後悔をきちんと体験させるカリキュラムが必要である。

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August 24, 2006

1学期末の学年通信

 新学期を前にして、2学期最初の学年通信(中1)に何を書くか苦しんでいる。
 なぜ苦しむかというと、目の前に子どもがいないとイメージが沸いてこないからだ。
 まあ、頭が仕事モードになっていないからかもしれない。
 ところで、今更ながら、1学期最後の学年通信を付記しようと思う。
 これはこれで、けっこう苦心した作品である。「作品」と呼びたくなるほど愛着のある1枚であると自画自賛してる。
==========================
 「ご入学おめでとう」というあいさつをしてから3か月半。
 中学校という新しいステージで、新しい仲間と新しい勉強を始め、部活動やテストにも取り組んできました。
 たくさんの不安があり緊張があり、体力的にも辛い時期があったことでしょう。
 そんなみなさんに、今日は「1学期を乗り越えておめでとう」という言葉を送ろうと思います。
 「はえば立て、立てば歩けの親心」という川柳があります。
わが子はかわいくてしかたありません。ようやくハイハイをしたら「早く立ってほしい」と願い、ようやく立ったら次は「早く歩いてほしい」と願うというように、親の願いは次から次へと続きます。
「中学校で、うまくみんなとやっていけるかな」という心配がなくなると、
「テストでいい点をとってね」
「部活動もしっかりやってね」
「できれば、○○高校へ入ってね」
というように、おうちの人の願いは次から次へ増えていきます(それが親心なのです)。
でも、だからこそ、みなさんには「とにかく1学期を乗り越えたんだ」という事実に胸を張ってほしいのです。
たくさんの学校を回って「命の授業」をされている助産婦の方は、いつも「みんな生きているだけで100点満点」という言葉で授業を終えるそうです。
 私たち教師も、毎日みなさんにいろんな願いを突きつけてきました。
 でも、1学期を終える今、みんなが無事に1学期を過ごせたことを喜びたいと思います。
 夏休みも同じです。夢の実現のために各自の目標を立てて行動してほしいことはもちろんですが、何よりも大事なのは「無事に過ごす」ことです。
 どうか、全員が無事で、そして笑顔で2学期の始業式を迎えてほしいと思っています。


「みんな生きているだけで100点満点」の100点をとるための方法

(1)安全な生活を心がけましょう。「ちょっとの注意」が大きな事故を防ぎます。
(2)健康な生活をこころがけましょう。食事と睡眠があなたの健康を守ります。
(3)心の健康にも気をつかいましょう。悩みがあったら相談しましょう。

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August 19, 2006

ブログとHP

ブログも立派なHPである。
しかし、ブログは、速報性が優先されるので、内容的には不十分なことも多い。
そんな訳もあって、ブログで考えた内容を教育実践のプランとしてHPに変えてみた。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/cat1960017/index.html

が、昨年のブログでのメモ書き。
 途中書きで放置してあったものを、今日、少し書き加えた。
 まだ、完全版ではないがHPにアップした。

http://homepage2.nifty.com/take-t/sekinin.htm


 このようなHPの形への変形をさせないと、教育実践プランとしては有効利用できないのである。

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「コンビニ」と、まちづくり

  コンビニ ”安全拠点”に

という記事が掲載された→ここ

昨年10月から今年3月末までの半年間に、女性や子供が危険を感じてコンビニエンスストアに駆け込んだケースが、全国で5300件余りに上ったことが19日、日本フランチャイズチェーン協会(東京)が実施したコンビニの防犯活動に関する調査で分かった。  同協会は昨年10月から、加盟コンビニ4万1677店舗で地域防犯に協力する「セーフティステーション(SS)活動」を開始。「駆け込み」への対応や、未成年への酒類販売制限など、活動開始から半年の取り組み状況を調査し、3万6622店舗から回答を得た。  それによると、駆け込んできた人に店側が対応した件数は、全国で計5325件。店舗数が多い東京が704件で最も多く、以下神奈川県445件、大阪府412件、北海道397件、愛知県358件の順だった。駆け込みの理由では、痴漢やストーカーなど不審者からの緊急避難が最も多かった。  コンビニからの110番通報は、全国で3万426件。内訳は「万引き・窃盗」28.0%、「たむろ」14.2%、「不法駐車」12.7%、「因縁・恐喝」11.8%などだった。

 コンビニが都市の安全拠点になるのは自然の成り行きだ。
 交番が無人であることが多いが、コンビニは24時間有人で警察との連携も十分である。
 そのことは、以前も書いた→ここ

(2)コンビニ  コンビニにATMがついてポストがあって小包もやっててチケット予約もできる。  コンビニの何がすごいと言って「24時間営業」「有人店舗」の2点がすごい。  ようするに、コンビニへ行けば人がいて、警察と連絡がとれるのだ。  最近の交番は無人の場合が多く、役に立っていない。  コンビニは防犯カメラがあるから、トイレもATMも治安はいい。  災害時には、そこらの防災用具倉庫よりもはるかに食糧も生活用品も常置されている。  いっそ、コンビニが交番になり市役所の支所になり、郵便局になり、災害対策本部になってしまえばいいのだ。  おそるべしコンビニ。

 ただ、これは都心部でのことであり、かなりの地方へ行くとコンビニはない。
 夜中に地方の道路を通っている時に、道に迷いそうで不安になることもある。
 ドライブインなども過去の遺物で閉店になっていることがある。
 「道の駅」も営業時間がある。
 したがって地方の道路を夜中に通っていると自動販売機の飲み物くらいしか確保できないことがある。
 そんなひっそりとした場所だからこそ、24時間体勢の「安全拠点」がほしいと思う。
 交番では何かのついでに立ち寄ろうとも思わない。
 公設でもいいからコンビニを設置してくれないかあと思う。
 

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キッズテクノサイエンスショー

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 「米村でんじろう先生のサイエンスショーと科学技術の面白さが体験できる楽しい1日」ということで、8月16日に「キッズテクノサイエンスショー」に家族ででかけた。

主催:愛知県・愛知県教育委員会・(財)科学技術交流財団
共催:(独)科学技術振興機構研究成果活用プラザ東海
後援:名古屋市・名古屋市教育委員会

という安心感もあるのか、すごい人だった。でんじろうさんのショーが午前・午後1500人ずつの参加。
 ショーを見る前後に、さまざまなブースでものづくりなどを体験した。
 各ブースは工業高校の研究会・産業技術研究所・発明協会愛知支部などによって運営されていた。
 ちなみに、我が家の子供は親の奮闘もあり、次のブースを体験できた。
★木製プラスチックのペンダントづくり。木製プラスチックは当然だが木のにおいがする。燃やしても安全だって。
★CDに色をつけて中心にビー玉をつけて作るコマ
★CDに針金で足をつけて、モーターをつけて作るUFO
★トヨタの未来自動車「I-UNIT」への乗車(運転はできません)。
★圧密木材を利用したおもちゃ。圧縮された木材をお湯につけると膨らんでくるのはインスタントラーメンみたい。
★燃料電池車の試乗。現在、燃料電池車は1台ウン億円。水素満タンにして200KM走行可能だそうです。
 
 家族連れが往復ハガキを何枚も出してまで参加を望んだのは、やはり「知的な体験」に対する関心が高いからだろう。
 
 「でんじろうのサイエンスショー」の中身は、空気砲・ブーメラン・風船などでした。

 どんな点に魅力があるのかを振り返ってみると
★各ブースとも「科学的な原理を利用したものづくり体験」で、できあがった作品はお持ち帰りできる。
★サイエンスショーの魅力の第1は、「大型」化。 
 家ではとうてい作れない巨大な空気砲や、大きな風船は見るものを圧倒します。それだけインパクトが強い。
★サイエンスショーの魅力の第2は「数量」。
 風船を割ると、中からたくさんの羽根(種の模型)が降ってきます。その大量さに圧倒される。
★サイエンスショーの魅力の第3は「身近な材料」。
 段ボールを使った空気砲・厚紙を使ったブーメラン・風船など家で追試できる材料で演出されている。
★やはり無料というのも大きいのかな。
 でも応募ハガキを出して当たらないなら、有料でも入場できる方がうれしい。
★主催・共催・後援が安心できる団体である。

 このような盛況なイベントから、教師が集まるイベントや家族・子ども対象のイベントに人を集めるノウハウ、子どもが喜ぶ知的体験のノウハウを学んでいきたいなあと思う。

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August 17, 2006

「孤独の効用」

 久しぶりの発信ですが、古い発言を流用する。
 PCの動きが重たくなったので、ファイルの削除をしていた。
 その際、ついつい文書をのぞきこんでいて、結局削除できずに困ってしまったものが、たくさんあった。
 ◆   ◆   ◆
 「THE21」というPHPのビジネス雑誌(2004年12月号)に斎藤孝さんの連載がありました。
 初めて読んだのに最終回でした。
 それにしても、いい話でした。
 特集タイトルは「頭がいい人のパソコン仕事術」です。520円。
 斎藤氏の連載のタイトルは「孤独の効用」
==============
 多くの日本人は道場に通うことが練習だと思い込んでいるので、毎日でも通いたがるわけだ。本来は、一度習った型を、次に道場にいくまでの一ヶ月なら一ヶ月間、一人で毎日繰り返し練習すればいい。
そうして習った型を身につけてから再び道場にいき、さらに次の型を習う。
 だいたい勉強でも習い事でも、なかなか上達しない子供というのは習っているときしかやらないものである。
 習うことと練習して身につけることを混同しているのは、子供だけでなく大人もそうだろう。何にしても技を身につけるためには、一人で練習を繰り返す、孤独な時間を持たなくてはならない。

==================
 サークルや研究会が自分の授業の力量を伸ばすのではない。
 日々の授業そのものを意図的に仕組むことが、授業の力量を伸ばすのだ。
 ただし、一方で我々は絶えず学び続けていかねばならない。
 人から「習う」こと、本から「習う」ことを忘れてはいけない。

 個人的に断言すると、「学び」は書き留めておかないと風化します。
 10年前の自分は「結構いいこと書いていた」と思うことだってざらです。
 書き留める能力は才能でも何でもありません。
 「継続」が、書き留める力を伸ばすのです。
 それは向山先生の生き方・学び方の追試でもあります。
◆   ◆   ◆
 夏休みにセミナーに参加しなかった自分への言い訳みたいをするつもりはない。
 ただ、自分は「じっくり一人でこもる時間」がほしい性分である(人付き合いが悪いと入っても過言ではない)。
 それでも、夏休みも残り2週間になったので、いつまでもこもっていないで、外気に触れる訓練をしていかねばなるまい。このブログへの発信も、その練習みたいなものである。 
 


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August 07, 2006

ルールを守るという意識

 プロボクシングの亀田選手の判定をめぐり、いろいろな反論があるようだ。→ここ
 僕も中継を見ていたので「負けじゃなかったのか」という憤りはあった。
 しかし「えっ、勝ったの?」というような新聞の見出しはひどい。
 ジャッジは3人いて、2対1だった。
 それだけ接戦だったということではないか。
 KOだけでは勝負が決まらないから「審判」がいるのだし、3人の審判がジャッジをするのだ。 
 審判は審判の基準で判定を行っている。
 素人が素人の目でウンヌンするのは勝手だが、何もテレビ局に抗議電話するほどのことでもない。
 なぜ、素人が素人判断で「負け」を断言し、2対1のジャッジを批判するのだろう。
 その素人は(あるいは新聞は)、各ラウンドの判定を数値で示したのだろうか。
 審判によって判定された結果を守るのが、プロボクシングの勝敗のルールだ。
 そのルールを無視して「負けじゃないか」などと批判するのは、
===================
ルールなんて、どうでもいい。自分の見識の方が大切だ。
自分の判断の方が正しい場合は、ルールは無視していい。

===================
と言っているように思えてならない。
 春のワールドベースボールでも、疑惑の審判が話題になった。
 6月のワールドカップサッカーの日本のオーストラリア戦での審判も疑惑として残った
(「あれは私のミスジャッジだった」「オーストラリアが勝ってほっとした」と審判が認めたというニュースさえあった)。
 それでも、時が流れれば「まあ、仕方ないか」で流れていく。
 当然だ。審判の判定には従うのだというルールが存在するからだ。
 判定に当事者がクレームをつけるというルールがプロボクシングにあるならば、ルールに従って粛々とその権利を行使すればいい。
 悪法もまた法である、というのは1つの事実だ。
 どうしても、今回の審判に問題があるなら、審判の在り方にクレームを付け、どうしたら疑惑の判定がなくなるかを議論したり提案したりして、法の改正・ルール改正に向けて改革していけばいい。
 亀田3兄弟の振るまいが無礼で目触りであるならば、それはチャンピオンになるかならないかとは別に議論していけばいい。
 僕は格闘技にも礼儀は必要で、口の聞き方には注意して欲しいと思う。
 だから、無礼なチャンピオンは反対である。
 でも、横綱と違って、無礼者はチャンピオンになれないというルールはないんだから、それは言っても仕方ない。 嫌ならボクシングを無視するしかない。
 新チャンピオン誕生を歓迎はしないが、ジャッジは亀田選手をチャンピオンに認定したのだ。
 チャンピオンになった亀田選手には罪はない。
 批判はボクシング協会に向けるべきものであって、亀田選手に向けるべきではない。
 亀田選手に対しては、試合前の挑発する言動に対して「マナー」として糾弾すべきだと思う。 

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August 01, 2006

数値の意味を考える

 数値の大きさは「相対的」に判断される。
 世の中で何十万部売れた書籍が大ヒットと言われるが、教育界に限定すれば1万部でもすごい。
 野球観戦や有名アーテイストのコンサートなら一夜で3万人集まることもあるが、教育の集会ではそうはいかない。
 さて、先日ラジオで聞いた「乳がん」の死亡者は年に約1万人ほどだと言う→ここ
 乳がんにかかる年令と性別を考えると、該当年令の女性にとっては、かなり高い率での死亡率ということになる。だから、さまざまなメデイアで乳がん検診が話題になる。
 一方、交通事故による死者は1万5000人をピークに今は7500人程度だという→ここ
 数値の意外な少なさにばかり目がいってはいけないことは、次の記述からも明らかである。
=============
厚生労働省の「平成16年 人口動態調査」によりますと、平成16年のわが国での死亡原因のうち、悪性新生物による死亡は、死亡総数の31.1%にも上りました。一方、交通事故による死亡は、総数のおよそ1%に過ぎません。こうしてみると、不慮の事故としての交通事故で死亡する確率は、死亡者の総数全体から見れば、それほど高くはないといえるでしょう。
 ところが、警察庁交通局の「平成16年中の交通事故の発生状況」によりますと、平成16年の1年間で、わが国で発生した交通事故は95万2,191件、重軽傷を合わせた負傷者数は118万3,120人にも上りました。死者の数こそ近年では減少傾向にはあるものの、発生件数、負傷者数はともに増加。これらの数字は実に過去最悪を記録しているのです。

==============
 それはそれとして、あらゆる年代層が対象になる交通事故で死ぬ率と、一部の年齢層に偏る乳ガンで死ぬ率をン考えたら、これは後者の方がはるかに大変な事態と言うことが分かる。
 ちなみにwikipedeiaで交通事故を検索すると「交通戦争」についての次の記述があった。
==============
交通事故死亡者は、戦後の高度経済成長期に自動車保有率が上昇するのと比例して増加し年間1万人以上が死亡する事態となった。1970年は1万6765人が死亡した。戦争でもないのに膨大な人数が犠牲となることを比喩して「交通戦争」と呼ばれた(日清戦争の戦死者は約1万3千人)。)
===============
 日清戦争の戦死者の数から「交通戦争」と呼ばれたのか、というのも1つの驚きだった。 

 さて、死者の数値として、もう1つ考えたいものがある。
 自殺者数である→ここ
=================== 
2004年のデータでは、日本の年間自殺者数は32,325人(警察庁発表)に達していて、2003年の自殺者は34,427人で過去最高を記録している。日本を含むいくつかの国では自殺は主要な死因のひとつである。(日本人の死因の第6位で、とりわけ20代、30代では死因のトップ。)
====================
 自殺死者3万人は、交通事故死者の4倍。
 20代、30代の死因のトップ、全体での死因の6位、というのはすごい数値である。
 最近新聞やテレビで「うつ病」についての特集が多いのもその対策なのだろうか→たとえば、ここ

 1つの数値では、その意味を理解することは難しい。
 数値は「相対化」されて初めて意味を持つことも多い。
 「相対化」するためには、比較すべきさまざまな他の情報にあたってみる必要がある。
 調べた先には、またさまざまな「知らなかった」数値が出てきて、調べるというのは本当にあくなき追究なのだと思うのである。
  

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