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August 07, 2006

ルールを守るという意識

 プロボクシングの亀田選手の判定をめぐり、いろいろな反論があるようだ。→ここ
 僕も中継を見ていたので「負けじゃなかったのか」という憤りはあった。
 しかし「えっ、勝ったの?」というような新聞の見出しはひどい。
 ジャッジは3人いて、2対1だった。
 それだけ接戦だったということではないか。
 KOだけでは勝負が決まらないから「審判」がいるのだし、3人の審判がジャッジをするのだ。 
 審判は審判の基準で判定を行っている。
 素人が素人の目でウンヌンするのは勝手だが、何もテレビ局に抗議電話するほどのことでもない。
 なぜ、素人が素人判断で「負け」を断言し、2対1のジャッジを批判するのだろう。
 その素人は(あるいは新聞は)、各ラウンドの判定を数値で示したのだろうか。
 審判によって判定された結果を守るのが、プロボクシングの勝敗のルールだ。
 そのルールを無視して「負けじゃないか」などと批判するのは、
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ルールなんて、どうでもいい。自分の見識の方が大切だ。
自分の判断の方が正しい場合は、ルールは無視していい。

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と言っているように思えてならない。
 春のワールドベースボールでも、疑惑の審判が話題になった。
 6月のワールドカップサッカーの日本のオーストラリア戦での審判も疑惑として残った
(「あれは私のミスジャッジだった」「オーストラリアが勝ってほっとした」と審判が認めたというニュースさえあった)。
 それでも、時が流れれば「まあ、仕方ないか」で流れていく。
 当然だ。審判の判定には従うのだというルールが存在するからだ。
 判定に当事者がクレームをつけるというルールがプロボクシングにあるならば、ルールに従って粛々とその権利を行使すればいい。
 悪法もまた法である、というのは1つの事実だ。
 どうしても、今回の審判に問題があるなら、審判の在り方にクレームを付け、どうしたら疑惑の判定がなくなるかを議論したり提案したりして、法の改正・ルール改正に向けて改革していけばいい。
 亀田3兄弟の振るまいが無礼で目触りであるならば、それはチャンピオンになるかならないかとは別に議論していけばいい。
 僕は格闘技にも礼儀は必要で、口の聞き方には注意して欲しいと思う。
 だから、無礼なチャンピオンは反対である。
 でも、横綱と違って、無礼者はチャンピオンになれないというルールはないんだから、それは言っても仕方ない。 嫌ならボクシングを無視するしかない。
 新チャンピオン誕生を歓迎はしないが、ジャッジは亀田選手をチャンピオンに認定したのだ。
 チャンピオンになった亀田選手には罪はない。
 批判はボクシング協会に向けるべきものであって、亀田選手に向けるべきではない。
 亀田選手に対しては、試合前の挑発する言動に対して「マナー」として糾弾すべきだと思う。 

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