「覆水盆に返らず」の教育
「覆水盆に返らず」ということわざを知ったのは高校生の時のことで、それも「It's no use crying over spilt milk」という英語のことわざの和訳としてだった。
「覆水」なんていう難しい言葉にも驚いたが、英語圏でも同じような意味の言葉があることにも驚いた。
要するに「後悔先に立たず」のことだから、目新しい意味ではなかったのだが。
我が家には朝顔のプランターがあって、とりえあえず今夏も生育させている。
この暑い時期に水やりを怠るとたちまち干からびてしまう。
そう意識してはいたものの残念ながら何本かが枯れた。
枯れてしまった朝顔にいくら水をやっても、もう遅い。
せっかくいくつかの花を付けている朝顔も枯れてしまうと何ともならない。
枯れてしまった朝顔を見ながら、そしてついつい水をやりながら「覆水盆に返らず」ということわざを思い出してしまった。
枯れてしまってからあわてて水をやってもう遅い、そのような失敗を経験して、改めて「世の中には取り返しのきかない失敗もあるんだな」と実感した。
息子はカブトムシのエサやりを怠って、カブトムシを死なせてしまった。死んでから慌ててエサをあげても手遅れである。
車をぶつけたりこすったりして嘆いてから気をつけても、もう遅い(まあ、大事故への警鐘だと思えばありがたい)。
「ごめん」でやり直せる失敗もある。リセットしたり交換したりしてすませられる失敗もある。
でも、シュミレーションゲームとは違う。絶対に元に戻らない失敗もある。
そのことを思い知るには「小さな失敗」を経験するのが一番いい。
植物や小動物には申し訳ないが、そのような失敗経験のために協力願えればと思う。
もちろん、枯らせてしまった・死なせてしまったという「事実」にきちんと向かい合わせなければ意味がない。
枯らせてしまったこと・死なせてしまったことへの後悔がないのでは、失敗を生かす動機にもなりえない。
「小さな失敗」を体験させるだけではいけない。
「小さな後悔」をきちんと体験させることが大切だ。
教師や保護者がコントロールできる範囲の失敗・後悔をきちんと体験させるカリキュラムが必要である。
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