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October 31, 2006

教師発の「いじめ」

 教師が「いじめ」に加担している、と言われるのは悲しいことだ。
 最悪の事態といってもいい。
 だからこそ、我々教師は、自分の言動に細心の注意を払わねばならない。
 TT教師が特定の子に張り付いたり、作業のたびに、特定の子に支援を続けたりすれば、その子が出来の悪い子なのだと知らしめているようなものだ。「小さな親切、大きなお世話」なのである。
「 なんでオレんばっかり」と逆ギレされるほど、その子をしつこく注意していれば、周りの子も、そこまでしつこく注意していいのだという気になる。
 「おそいなあ」
 「早くやれよ」
 「おい、やる気あるのか」
 「何点以下は不合格だぞ」
 「未提出の人は、ここに名前を書いておくぞ」
というような、さりげない発言が、特定の子を傷つける。
 そして、子どもたちの中に「あの子はバカにしていい」というお墨付きを与えるきっかけになってしまう。
 そのような「いじめの言い訳」を与えるような言動にならないように教師は配慮していかねばならない。

===============

 ところで、たとえ教師が冗談をエスカレートさせて特定の子を小馬鹿にしたとしても、

だからといって、パンツをずりおろすような非道な行為をした子が免罪されるわけではない。

 当然だ。
 教師は、小馬鹿にしたかもしれないが、パンツなどずりおろさない。
 そのところを混同して、「先生がいじめていたから、僕たちもいじめていいと思った」などといった弁明を真に受けるべきではない。
 いじめの具体的な内容で考えれば
 「先生が小馬鹿にしていたから、僕たちもパンツをずり下ろしていいと思った」
 「先生が悪口を言っていたから、僕たちも殴っていいと思った」
という論理が、いかに破綻しているかはお分かりいただけるだろう。 
 そこまで先生が断罪されるべきではない。
 どさくさに紛れて教師に全ての罪をなすりつけているような報道もある。
 しかし、教師は暴行もしていないし、教師は無視や仲間はずしをしていない。
 暴行や仲間はずしをした張本人は未成年で断罪できないので、その分、学校が糾弾される。
 だからこそ、「教師がいじめに加担した」「教師がいじめのきっかけになった」という言い訳に利用されることは回避しなければならない。

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October 30, 2006

「いじめ」と「いじめ」以外

 本日の中日新聞のコラムにも文部科学省の「いじめ」の定義が書いてあった。

1)自分より弱い者に対して一方的に
2)身体的・肉体的な攻撃を継続的に加え
3)相手が深刻な苦痛を感じること

 これなら、さまざまな行為が「いじめ」に含まれる。
 しかし、世の中にはさまざまな犯罪があるから、れっきとした犯罪名があるなら、その犯罪名で扱うべきだろう。
 おどし・中傷・誹謗は「恐喝」、暴力は「暴行」というようにだ。
 
 とはいえ、それだけではよく分からない行為、どう考えればいいか分からない行為がある。

◆昨日まで仲の良かった友達がメールで「死ね」と書いてきた。
→ これは「自分より弱い者に対して」の行為と言えるかどうか。
 昨日まで対等だったのだから、加害者には単なる「仲違い」口げんか」という意識しかないかもしれない。もちろん言われた方は、ショックを受ける。したがって、このようなケースの場合、加害者・被害者の双方に見解の相違が起こる。

◆聞こえよがしに「うざい」「きもい」などと言う。
→本人に言ったのかどうかの判断があいまいなので、てごわい。加害者は被害者からクレームがついたら「言っていない」とシラを切る。そのような証拠不十分になるギリギリのところで無視したり、嫌みを言ったりしているのだから、被害者もクレームを付けなくなる。どうせ「気のせい」だとか「思いこみ」と言われて終わるからだ。そう思われると思うと辛くても訴えられない。そのことが被害者の辛さを増幅させる。被害者本人にとっては悔しくて悔しくて仕方ないことだろう。このような行為を恨んで遺書に書いたとしても、名前を書かれた本人はシラを切る。学校が事情を聞いたくらいでは、「いじめ」認定は難しいのである

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人に言えない「いじめ」があると思え

 教師の見えないところで「いじめ」は起こる。
 同じような意味合いになるが、人に言えないような「いじめ」がある。
 あまりに悲惨すぎて相談することもできないような「いじめ」、例えば裸にされるような行為である。
 水泳の着替えで裸を見られる・下着を隠される・バスタオルを奪われる・いきなり更衣室から外へ出されるというような悪ふざけは度を超しすぎているが、それゆえ教師や保護者に言うことさえためらわれてしまうのだ。
 重松清の小説『ナイフ』では、みんなの前で射精されられるといういじめの描写がある。

・教師や保護者に言えないような悲惨さを伴う行為であるだけに
・非常に陰惨で苦痛を伴ういじめであるにもかかわらず
・本人は誰にも相談できず、苦しみを一人で抱え込んでしまう

 そのような「いじめ」も存在することを意識して子どもに接しなくてはいけない。
 「いじめられてない?」
 「いいえ、大丈夫です」
という答えが返ってきたからと言って絶対に安心してはいけない。
 「大丈夫です」と言いながら全く大丈夫でない例もたくさんある。
 かすかなサインを出しながら「大丈夫です」と言った子に対して、教師が言葉通り受け止めて見逃してしまったら、その子はどれほどのショックを受けるだろうか。
  
 繰り返すが、簡単に相談できない「いじめ」の方が陰惨で深刻なのである。 

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いじめの断定は難しい

 いじめ自殺のような問題が出ると、学校側がいじめを認めた認めなかったで大騒ぎになる。
 自殺しているんだから、相手に精神的な苦痛を与えるようないじめがあったことは明らかではないか。学校の隠蔽体質は全く変わらない、といった論調で学校は批判される。
 でも、想像して欲しい。
 いじめの加害者は多くの場合、その学校の子どもである。

自殺者が出ました。遺書には○○君の名前が書いてあります。

というだけで、○○君を加害者とする「いじめ」があったと断定できるわけがない。
 万が一、ぬれぎぬのいじめ自殺の加害者にされたら、そちらの親も子も大変なショックを受ける。
 そう考えたら事実確認は極めて慎重に行わねばならないのは当然である。
 だから、申し訳ないけれど「「自殺者した子の言い分が100%正しい」という前提では学校の調査はできない。
 学校は、軽々しく○○君を断罪することはできないし、それはしてはいけないのである。
 それにしても、学校における自殺が起きた場合、それを学校の内部調査で進めるのは、かなり難しい。
 第三者である警察に介入でもしてもらわないと解決は難しいと私は思う。

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いじめの問題~教師は見抜けない?~

いじめだけでブログを続けようと思ったが、すこし脱線した。
しかし、復活して、もう3つ4つ書き留めておこうと思う。

「いじめ」の本質を考えると、教師がいじめを発見するのは容易なことではない。
というのは、

教師の見えないところで「いじめ」が起こる

が、まずは基本だからだ。
 子供だって教師にバレバレの状態では「いじめ」などはしない(することもある)。
 だからこそ、教師は
1)自分の見ていない部分で「いじめ」が起きていることを想定し
2)自分の死角を減らす努力をする必要がある。

場所で言えば、
・放課中の教室や廊下
・トイレ
・登下校の道
がベスト3になるだろう。
 放課に子供だけの状態をつくることに注意する。それはいわば「空白禁止の原則」だ。
 教師不在の時間が多ければ多いほど、「いじめ」発生の確率は高くなるとみていいだろう。
 放課もできるだけ教師が子供の近くにいるということは、男性教師なら平然と男子トイレを覗くくらいのことはするということだ。
 ただ、登下校時となると、教師の手の届く範囲を超えている。 
 地域の教育力や家庭の教育力に頼って、遠慮なく一報うただけるような土壌作りが必要である。

★「いじめ」で検索してみたところ、、上位に公的なブログもあった。
 茨城県の「これが、いじめ」は、詳しい解説がある。

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October 28, 2006

新庄選手のグローブの話

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 朝のニュースで、引退する新庄選手は初給料で買った7800円(?)のグローブを最後まで使っていたのだという話題を紹介していた。
 札幌ドームでの引退会見にについて次のようなニュース記事があった。
 

首にスカーフを巻き、茶色のジャケットと白いシャツとズボン姿で登場した新庄選手。阪神入団時の背番号「63」を刻印したグラブを用意したテーブルに置き、「初めての給料から、7500円で買った。こいつがもうプレーできないと言っていました」。これまで4回修理したといい、「昨夜、(もし)ウッズのライナーを受けていたら破れていたでしょう」。日米通算17年間のプレーで満身創痍(まんしんそうい)となった自身の姿と重ねた。

 
 詳細がないか、さらにネットで調べてみた。→ここ
 2005年3月の報道ステーションのインタビュー記事のようである。

古館:新しいことにチャレンジする、リストバンドしたり、いろんなことを工夫する反面で、試合の時に使っているグラブは、タイガースの始まりの時の(63の)刺繍が入ったものをそのまま修理して使っているんですよね。 新庄:なんで知ってるんですか? 古館:ここに来るまでに、知らなかった情報はないかと資料集めしましたもん。 新庄:いや、そうですよ。ソックスはほとんど1回で終わりますね。ソックスとか下着は1回はいたら終わりみたいな感じなんですけど、グラブだけは18歳の時に8000円で買った。そのいちばん最初の給料もらって買ったグラブを、今、16年目ですよ。 古館;普通グラブは一年でダメにする選手が多いじゃないですか。 新庄:ほとんど今は一年が多いですね。 古館:かなりの大手術をしないと。 新庄:しました、4回しました。 古館:それだけずっと使い続けようと思ってるんだ。 新庄:アメリカから帰ってくるときでも、グローブだけは自分のバッグにおいて持って来ました。 古館:お守りですね。 新庄:お守りというか、まあ、コイツがプロ野球人生をながくやらしてくれてると思ってるんで。アメリカに行った時に、オレのグラブ握って手を入れようとしたヤツがいたんですよ。そいつと喧嘩しました。だって形が変わるから。アメリカの選手はぶっといというか手が大きいから穴が大きくなるから、その分自分の感覚がなくなるから。
   道具を大切にする話はイチローも有名だが、グローブ8000円というのも驚きだ。  一流プロ野球選手なら何万円ものグローブを使っていると思うからだ。  今の中学生だって1万円をこえるグローブを買うだろうし、ぼろくなれば新しいグローブに買い換えるのが普通ではないだろうか(大会に出るためなら、親も道具には喜んでお金を出すだろう)。  今の時代だから、修理するより新品を買った方が安上がりだろうし、そもそも新庄選手ならライセンス契約でいくらでもメーカーからグローブは提供されるはずだ(そうしたメーカー提供品は練習で使い、本試合は愛用のグラブを使ったのだそうだ)。  ちなみに、新庄選手愛用のグローブを、職人による特殊加工で再現した「限定グローブ」は税込定価178,500円なんだとネットで知った→ここ。  かつて12億円を蹴って、年俸10分の1にすぎないメジャーニューヨーク・メッツへの挑戦を選んだ新庄剛志選手。  派手なパフォーマンスだけが話題になりがちな新庄選手だが、奥が深い。  初給料で買った8000円のグローブを17年間使い続けた新庄選手の真摯な精神を中学生にも伝えていきたい。 

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必修科目の未履修問題も解決か?

必修科目の未履修問題の話題は、これで終わりにします。
文科相は救済措置に否定的だったのに、安部首相が救済措置を言い出しているのだとか(共同通信記事)。
対象者7万以上となると、杓子定規な補習授業は影響が大きいと言うことだろうか(補習授業をどう運用するかで、再び学校間格差が生じ、不平等が起きることもあるわけだ)。

未履修生徒の救済策検討 首相が文科相に指示  政府は28日、全国の高校で必修科目の未履修が相次いで発覚した問題で、単位不足が懸念される生徒に対する救済策の検討に入った。安倍晋三首相が27日、伊吹文明文部科学相を首相官邸に呼び、指示した。文科省は教育委員会向けに示す対応策の内容を検討するため、各地の実態把握を急いでいる。  伊吹文科相は救済に否定的な考えを示していたが、全国の都道府県教育委員会の27日時点の集計で、未履修の高校が41都道府県の約400校に上り、単位不足の恐れのある生徒が7万人以上となる見込みであることが判明。事態の深刻化を受け政府は方針転換を迫られた。  文科省初等中等教育局は「(世界史などの履修に必要な)70時間の授業は、大学入試シーズンが一段落した後、3月末までに行う補習で十分対応可能」としている。  ただ、中には盛岡市の私立校のように一部の高校3年生が4科目、350時間分の補習をしなければならないような“想定外”のケースもあり、未履修の生徒全員が来春の卒業までに指導要領通りの時間数をこなすのは困難。政府はこうしたケースに対し、どのような救済が可能か検討する。  安倍首相は27日、官邸で記者団に「子どもたちに原因があるわけではなくて、学校側に原因があり、教育委員会もチェック機能を果たし得なかったことに問題がある」と指摘。その上で「子どもたちの将来に問題が発生しないよう対応すべきだと考えているし、そのように指示している」と強調した。  与党内では「(生徒は)かわいそうだ。もう一度授業を受けさせるようなことは必要ない。世界史の本でも読み、論文を出してもらうなど、寛大な措置を取るべきだ」(森喜朗元首相)などの声が上がっている。

「子どもたちに原因があるわけではなくて、学校側に原因があり、教育委員会もチェック機能を果たし得なかったことに問題がある」という安倍首相の指摘は、僕の考えと一緒じゃないか!ブログに証拠を残しておいてよかった!
 政府は文部科学省と違って国民の批判に弱いから、救済の方向で落ち着くんじゃないかな?

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October 27, 2006

少し反省・・・

必修教科未履修の問題について、少し感情移入しすぎた。
次の事例で考えてみた。
==================
何かの手違いで税金を未納扱いされた場合(引き落としされなかったような場合)
その人に悪意がなかったからと言って、その税金は払わなくていいか。
「すみませんが、70万円徴収ミスでした。払ってください」
と言われたら、何らかの措置はあるだろうものの、結局は払うことになるだろう。
同じ論理で言えば、
自分のミスでなくても、ルールに沿っていなかった以上、ルールを守る方向で行動してもらうことになるだろう。
===================
 したがって、70時間分履修してもらうと言われれば、これは反対のしようがない。正論だからだ。
 あとは履修の方法やら期間やらをどうするかという「方法」の問題だ。
 そして、ここまできたら「ごまかし」のないように厳重に平等を守ることだ。

 ただし、以前、ブログで書いたように、自分は正しいと主張しすぎると「阿修羅」という鬼になってしまう。
 正しいから主張していいとは限らないのである。

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未履修の実態調査は誰のため?

必修科目の未履修で高校卒業できない生徒が出る・・・という話題が波紋を呼んでいる。
「世界史くらい世の中の常識だから、受験に無関係でも知っておくべきだ」という批判もあった。
世の中の常識程度の世界史なら「中学社会」で十分習っている。
中学社会・中学理科のレベルは、他教科の教師からみると正直なかなか「常識以上」なのである。
高校の歴史の授業が「大人の常識として知っておいて損はない」というのは、やや現実離れした話である。

昨日のブログでは「受験生に過酷な補習はすべきでない」という趣旨で述べた。
仮に自分の子どもが該当したら、いたたまれないからだ(実際は違います)。
もう1つの理由は「そんなこと言い出したら、かなり多くの学校が大なり小なり違反やら違反すれすれのことをやっている」と直感的に思ったからだ。
本日の共同通信のニュースは次のように述べている。

未履修、29都道県で 東京、新潟など新たに判明  高校の必修科目の授業を他の科目に振り替えなどしていた未履修問題で、新たに東京、新潟、岡山などで未履修があったことが判明、生徒に必修科目を履修させず、3年生が卒業できない恐れのある高校は全国29都道県で168校に上ることが26日、各都道府県教育委員会などの調査で分かった。  文部科学省は各都道府県教委に対し、27日までに実態を報告するよう求めており、さらに数が増える可能性がある。  未履修が判明しているのは北海道、青森、岩手、山形、福島、茨城、栃木、群馬、東京、長野、新潟、山梨、静岡、愛知、岐阜、富山、石川、福井、岡山、広島、鳥取、山口、香川、愛媛、福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎の各都道県。  東京都教育庁によると、都立八王子東高では、3年生の在校生320人のうち181人が公民分野で「政治・経済」「倫理」の履修を選択していたのに、実際には倫理を履修しておらず、世界史など他の科目の授業を受けていた。  香川県の私立大手前高では、理系を選択した3年生87人に、地理の時間に世界史の授業を実施。福岡県の県立田川高では、3年生の全員275人が、必修の世界史や日本史を履修せず、ほかの科目の授業を受けていた。

ますます人数が増えてきたぞ。
再度言うが、正直に報告した学校だけ厳しい対応に迫られるなら、それは酷な話だ。
それを言うと正直に必修科目を履修した高校の生徒が不利になると反論が出る。
そういう批判は高校生自身が確信犯だった時に言ってほしい。
高校側は確信犯だったと思う。「開き直りだ」という批判もあるが、実態はほぼ「右へ習え」ではなかったのかと思う。
じゃあ、教育委員会や文部科学省は、本当に知らなかったのか。
確信犯的に「見て見ぬ振りしていた」のであれば、断罪すべきは管理側であって現在の高校3年生や過年度生の落ち度ではない。 
「分かってしまった以上、放置はできない」の強硬措置をとる発想は管理者にとっては当然だと思う。
しかし、文部科学省は見過ごした自分たちの落ち度を含めて多いに反省し、現在3年生への過度な負担には最大限の配慮や特例措置を講じて欲しい。
繰り返すが、自分の子どもや教え子が今年に限って、しかも夏休み前ならまだしも、この時期になって、こんな話題で振り回されることを想像したらいたたまれない。
未履修の調査は、あくまで実態把握を目的として欲しい。
そうでないと、実態調査にさえ不正が生じる。 
 
「お前は教師だから身内に甘い」と言われるかも知れない。
私は「学校に甘い」つもりはないが、「生徒に甘い」と言われれば否定はしない。
「生徒に甘い」という立場に立って、ルール無視を肯定していると言われるのは悲しい。
でも、思い切った意見を述べることで、議論が深まるなら光栄である。 

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October 25, 2006

履修してない高校を糾弾できるか?

 必修科目を受けていないので卒業できない高校生がいる、というニュースが昨日流れた。
 えっ、そんなこと話題にしていたら、全国でたくさん該当校が出ると思うけど大丈夫なの?と思ったら本日の共同ニュースで、下記のように掲載された。予想通りだ。

必修を未履修、10県59校で 文科省が実態調査へ

 富山県の高岡南高校などで、学習指導要領で必修となっている世界史などの授業を履修させなかったため在校生が卒業できない恐れが出ている問題で、少なくとも全国10県の59校で、必修科目を履修していない生徒がいることが25日、共同通信の調査で分かった。
 中には、数年前から未履修が続いていたり、未履修の卒業生がいる高校もあった。学習指導要領違反の可能性もあり、文部科学省は同日、全国の都道府県教育委員会に実態把握を求める通知を出すことを決めた。27日までに回答を求める。
 調査は全国の都道府県教育委員会のほか、公立を中心に各都道府県で大学進学率の高い高校の一部を対象に実施した。
 未履修が判明した高校は岩手県の27校のほか、山形県11校、福島県10校、福井県5校、青森、栃木、富山、石川、愛媛、宮崎の各県で1校ずつ。
 石川県では私立星稜高校で5年前から、一部生徒に世界史などの授業をしていなかったことが判明。また、同校によると、3年生約680人の全員が卒業に必要な音楽の単位が不足しているという。
 福井県では5校で計約700人の在校生が必修科目を履修していなかった。
 学習指導要領では高校の地理歴史は世界史が必修で、さらに日本史、地理から1科目選択して履修する。未履修校の多くは大学受験対策として生徒が選択した1科目だけを履修させていた。

 ほら、どんどん増えてきたよ。
 私立高校を調査したら、もっと増えるだろう。
 音楽等の実技教科もきちんと調査したら、もっと増えるだろう。
 大学入試に必要ない科目はドンドン切り捨てたいというのが、高校生の本心だ。
 これから70時間分も補習などで補っていくというが、1校だけではすまないことは、今日のニュースで明らかだ。
 該当校の受験生は大学入試本番直前の冬休みに補習を受ける。
 バレずにすんだ高校生は、知らん顔して補習をまぬがれる。
 必修科目を履修しなかった卒業生は、おとがめなしなのか?

 学校側の不手際や落ち度を糾弾するのはいい。
 でも、騒ぎ出したら該当の高校生に負担がかかる。
 マスコミは、高校生の一生を左右する覚悟があるのか。
 第一報を報じる前に熟考しなかったのか。

 私は「不正を働いた高校生を見逃せ」という主張をしているわけではない。
 まあ、気持ち半分は「見逃せばいい」と思っている。
 この場合は高校生自身には「不正の意識はない」と考えられるからだ。
 相手は受験生。
 これからが大変な時期なのだ。
 何か特例で対処しないと悲劇が起きる。
 文科省も、教育委員会も学校も今更ほじくってどうするというのか?

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October 23, 2006

がんばれ日本のモノづくり~がんばれ大垣精工~

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地元中京テレビの「トップランナー」という5分もないような番組で「大垣精工」という会社が紹介された。
プレス製品や金型と言われると、「岡野工業」と同じジャンルである。会社のHPもある→ここ
大垣精工が製作する「ハードデイスクのサスペンション」は、10万分の1という間隔で磁気デイスクと磁気ヘッドとの間と保っている。この精度の製品が作れるのは世界で4社しかないという。
すごいなあ、そんなモノづくりの会社が近所にあるなんて。
身近で素晴らしい技術を持つ工場の存在を無視して日本の未来を嘆いてばかりいられない。
日本を救うのは「モノづくりの技術」なのだとつくづく思う。

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いじめ指導の教材は直球勝負でいいか?

トスランドで「いじめ」で検索をしたら「わたしの妹(松谷みよ子)」という詩を扱った実践に出会った。
「わたしの妹」の全文も紹介がある→ここ

実に重い。実話を元にしているそうで、それも重さを助長している。I
いじめで孤立し、死んでいった妹の様子を冷静に語る詩は「壮絶」ですらある。
先日、『ハッピーバースデイ』という本を読破した。いじめに関わるリアルな描写がある。どこか引用して生徒に提示しようとも思ったがストレートすぎるかなと思った。
それは、先日新聞報道された自殺した子の遺書も同じである。
あまりにストレートすぎるのもどうかと思ってしまう。

重松清の「ナイフ」の第一章も読み直してみた。
コピーして並べてみたが、これも、あまりにリアルな苦しい「いじめ」だけに他の先生に紹介できなかった。
遺書だとかいじめの描写をそのまま読ませるのもどうかと思ってしまうのだ。

しかし、やんわりした資料ではピンとこない子も多い。
「道徳」ではなく、「学級指導」なら直球勝負でいいか。
長い目で育てる心の教育ではなく、緊急対策の必要な心の指導なら直球勝負しないと間に合わないか。

何となく答えが出なくて立ち止まってしまう。
そんな悠長なことを言ってるから自殺が起きるのだ、と指摘を受けそうだ。
もっともっと「いじめ」対策について、たくさんの情報がほしい。

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October 21, 2006

「NOと言える国語の授業」がいじめから守る

「生きる力」を育てるという教育目標が空虚に語られることあった。
「空虚」と断定したのは、具体的な指導内容が見えてこなかったからだ。
国語の授業と「危機管理」を結びつけて考えた事がある。
「No」と言える子を育てる国語の指導である。
肝心な時に自分の意思表示ができることは大切な言語能力である。
その代表が、
・嫌なときは嫌と言える。
・助けて欲しいときは大声で助けを呼べる
・きちんと断れる。「やめて」と言える。「NO」と言える。
である。

そんな力も育てられない「伝え合う授業」とは、なんと情けないものかと思う。
どんな様々な指導をしようが、「NO」の意思表示もできず、自分の安全も守れないなら、誰もその実践を評価はしない。ちっとも「伝え合い」になっていないのだから。

N0と言える子を育てる指導は「いじめ」から子供を救う。
もちろん、言うは易し、行うは難しである。
包容力のある授業をしないと、子どもは「No」とは言わない。

(追記)
愛知教育大学の佐藤洋一先生には言語教育技術学会でもお世話になって、よく声をかけていただく。
先日、佐藤先生からレジメをいただいた。
その中に、自分が「国語」の追究課題として意識している
・「意志表示できる力=生きる力をつける国語」
・「癒しの国語=読む・書く・聞くが楽しくて仕方ない国語」
の2点について、主張が重なっていると思える箇所があった。

◆「話す力・聞く力の基礎の基礎」の1つとして
「たった1人でもいいから、信じられる人がいる安心感・信頼感」
が挙げられていた。
安心感がないと話す聞くは成り立たないというのは同感である。
話す(聞く)/関わることの「楽しさ」「喜び」「忘れられない言葉・経験」を持っていること、という主張も同じ趣旨なのだろう。
◆聞く力は「人間的な想像力」「相手への思いやり」である、として、
断片的なサインや表現から、相手が言いたいことを読み解く愛情が必要だと
書かれていた。「想像力がいじめをなくす」という私の意見と同じ発想だ。
◆「話す力の育成」は
「人間関係を創る力/トラブルを効果的に回避する力」
と書いてある。
これも「NOと言える子を育てる国語教育」という私の意見と同じ発想だ。

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October 20, 2006

いじめを防ぐ指導~「後悔先に立たず」~

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『大人になれなかった弟たちに・・』(光村国語 中1)は、食料の乏しかった戦時下で弟の配給ミルクを盗み飲みしてしまう僕の話である。
弟は栄養失調で終戦を待たずに死んでしまう。
戦争のころを思い出す「僕」は、大人になっても「弟の死」について苦しんでいる。
「僕は誘惑に駆られず我慢すべきだった」という思いはいつまでも消えないのだろう。

ちょっとした自分の行為が他人に嫌な思いをさせる・他人を傷つける。
それは相手にとっても辛いことだが、自分自身にとっても辛いことだ。
ちょっとした行動で一生辛い思いをすることもある。だからこそ、自分の言動には最新の注意を払ってほしい。

自分の高校の時の事例をクラスで話す。
高校の体育の時間にサッカーのキーパーをしていた友人が肩の骨を折った。
接触プレーで肩口から転倒したのである。
そのせいで、大学入試を棒に振った。
本人も辛かっただろうが、そんな怪我をさせてしまった相手も辛かったことだろう。
そのことを想像するだけで、第三者だった僕まで辛い思いをした。とてつもなくショックだった。
だからこそ、相手も自分も一生背負ってしまうような「辛い出来事」は回避したい。

前任校で、アーサー大野さんという盲目の歌手の方のコンサートを行った。
大野さんが失明した原因は、友達がステージの照明スポットを誤って(ふざけて)当ててしまったからだ。
大野さんも辛かっただろうが、失明させてしまった相手も辛かったことだろう。
僕は、そのようにお互いが辛い思いをする出来事を耳にするだけで、重い気持ちになる。

自分の軽い悪ふざけが原因で学校に来られなくなったり、自殺するなんて、これほど辛いことはない。
そのことは、何度も何度も子供に話をし、子供の意識に刷り込ませていきたい。

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October 17, 2006

「言葉の裏読み」がいじめを防ぐ

国語で言葉にこだわった授業をしていると「Aと書いてあるからAなのだ」という理解になる(当たり前か)。
しかし、人間の言葉と心は複雑で「書いてあることと裏腹」ということもある。
「Aと書いてあるけど本心はBなのだ」ということだ。
中1国語の『大人になれなかった弟たちに・・』の中に栄養失調で子どもを失う母のセリフがある。

ヒロユキは幸せだった。母と兄とお医者さん、看護婦さんにみとられて死んだのだから。空襲の爆撃で死ねば、みんなばらばらで死ぬから、もっとかわいそうだった

 これは大人の解釈で言えば「裏腹」である。幸せだと思いこまないとやりきれない母親の悲しい心境が隠れている。「強がり」とか「やせがまん」も同じような態度のことだ。
しかし、子どもは「ヒロユキは幸せだと思う。~と書いてあるから」と当然のように「幸せ」だと反応する子が半数いる。
本心でないことを口にする、ということがなかなか想像できないのだ。
そこで、次のような例を使って話す。

◆本当はすごく痛いんだけど「痛くないよ」と言うことがあります。この時に「あっ、そう、痛くないんだ」と、あっさり認めてしまっては冷たい人間になってします。「そうは言ってるけど本当はどうなのかな」と声をかけてあげられるといいんだよ。

相手を心配かけまいとして、思ってもいないことを言うことがある。
その時に、言葉通り受け取って放置してしまうような子どもには、したくない。
「発した言葉の裏を読む」ことは、国語の読解指導の中の1つとして位置づけて指導していきたい。

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「想像力」がいじめを防ぐ

国語の授業で人物の心情の読み取りをする。
書いてあることから、書いていないことを想像する(妄想はいけない)。

具体例はマニアックで申し訳ないが中1国語の『大人になれなかった弟たちに・・』で疎開の相談に行った僕の家族が親せきに「うちに食べ物はない」と門前払いになる場面がある。
黙って立ち去る母。
なぜ、母は事情を説明したり言い返したりしなかったのだろうか?

子どもたちからは次の3つが簡単に出る。
1)腹が立ったから
2)悲しかったから
3)言い返しても無駄だから

クラスによって次の2つが出る。
4)親せきとの言い合いを子どもに見せたくない
5)親せきだって必死で家族を守っているのだから

どれが一番いいか、とか、どれが正解かということではない。
普通の子どもが思いもつかない(5)のような解が考えられることを話し、それぐらい、いろんな答えを考えてみようと話す
どれも考えられる。考えられるなら考えられるだけ列挙してやることが読みの力なのだと思う(正確には言えないが、大西忠治氏の書物にそう書いてあった)。

そんな風にたくさん理由を考えることにどんな意味があるのか?
雑談まじりに次の話をした。
===================
たとえば、授業中机に伏せている子がいる。
「授業をさぼるな。やる気はあるのか」と、つい叱りたくなる。
でも、体調が悪いのかもしれない。
放課にトラブルがあって泣いている(泣き顔を隠している)のかもしれない。
そう考えたら、簡単に叱ってはいけないのだということが分かる。
だから、何かあったら原因や事情を何通りか考えてみるといいんだよ。
====================

想像力があると、相手の立場に立てる。
いろんなケースを想定できれば、一方的に断罪するような失敗を回避できる。
「想像力」がいじめを防ぐ、というのが1つの持論である。

(追記)
某反省会があって、某教育大学教授のY先生を前に酔って力説する機会があった。
Y先生はウーロン茶だった。
この場合、先生がお酒を飲まない理由を考えたら
・元々お酒に弱い。
・昨日飲み過ぎた。
・これから用事がある。
・車で来ている。
・体調が悪い
といった理由が考えられる。
このようにあらゆる可能性を考えることが「おもいやり」なのだと思います。
だから、国語の授業で「生きる力」を育てられるんです、と言ったら分かっていただけた。

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October 16, 2006

「いじめ」対策の1つは男女混合

教師発のいじめは論外として。
女子の体型や風貌を口汚くののしる男子がいることは認めるとして。

男子のボスが気弱な男子をいじめるような時、男子の力で押さえるのは難しい。
そんな時「○○君、やめてよ」と言い切れるのは強気な女子である。
幼なじみのネアカな女子に言われたら横着な男子もなかなか言い返せない。
もちろん女子なら「先生、○○君が△△君ともめています」と報告できる。
一方、女子の陰湿ないじめが生じたとき「女子がトロいことをやっとるぞ」と先生に報告できるのは男子である。
女子同士で先生に報告すれば「チクリ」と呼ばれて問題が深刻化する。
しかし、男子なら女子のいじめの標的にはなりにくい。
女子に無視されようとハバにされようと男子のグループの中で生きていけるからだ。
逆に男子に「いじめの中心」などと呼ばれることは避けたいと思う女子は多い。
ちょっとませた女子なら異性に悪く思われたくないと思う。

だから、子供の言いなりになって、好きな子同士=男女別々 ばかりやっていてはいけない。
男女ペアでは、さすがに色々差し障りもあるので「男女混合グループ」がいい。
同性とはうまくやれないが、異性なら受け入れてもらえる子も存在する。
そのような男女の相互作用、相互の抑止作用を生かした学校生活に展開したい
(ちなみに、それは学級編成から始まっている)。

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いじめ対策

学年で「いじめ」対策について検討した。
学年主任として、次のような提案をした(一部非公開)。

1)学校生活は「好きな子同士」だけでは成り立たないので、意図的に「好きな子同士」にならない場面を作っていく。
2)異性はいじめの対象になりにくいので「男女混合」の機会を設ける。
3)「いじめやからかい、差別」のような場面を見逃さないよう、今まで以上に目を配る。
4)心配な子は11月の教育相談を待たずに、事情を聞く。

====これまでの流れと今後の対応======
1)いじめ自殺についての担任からのお話で意識の喚起(実施済み)
2)「いじめ・無視・仲間外し」のアンケートの実施する(本日実施)。
  →いじめを許さないことの宣言と、抑止効果の期待
3)合唱コンクールを契機にクラスの団結を図る
4)11月の校外学習の計画・実施を契機に、協力して班を作ったり、好きな子同士でなくても一緒に行動したりすることを「当たり前」にする。
5)後期の係分担決めを契機にして、協力して好きな子同士でなくても仕事を果たすことを「当たり前」にする。
6)アンケート結果と各先生からの情報を元に教育相談・懇談を実施する。

・・・・・個人的にも国語の教科指導の中で男女混合班で相談したり暗唱テストをしたりする場面をつくり、クラスの「和」を支援したいと思う。

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October 14, 2006

いじめのアンケート

いじめのアンケートなど効果がないと以前は思っていた。
しかし、今は違う。
「アンケートをとる」という行為に抑止効果があると考えるからだ。
こういうのがいじめなんだよと具体例を挙げられると「ああ、自分もやってるな」と気づく子がいる。
「ああ、先生は見てくれている」と安心する子もいる。
先生は、以下の項目は許さないぞと言う宣言がアンケートには表れるのだ。
今回のアンケート内容は以下の通り。
匿名でなく、実名でのアンケートを来週の月曜日に実施する。
==================
いじめ・無視・仲間はずしのアンケート
          1年(          )

 中学校の仲間との生活も半年を過ぎました。お互いに仲良くなっていく中で、限度をこえた行動も見られるようになってきました。
 いじめ・無視・仲間はずしは学校生活を共にする中で絶対に許せない行為です。
 皆さんの周りではどうでしょうか。日頃の生活を振り返ってみてください。 

暴力を使ったいじめ
1)その子が気に入らないからと叩いたり蹴ったりする
 (  )したことがある。( )されたことがある ( )見たことがある

2)軽い気持ちで押したりたたいたりする
(  )したことがある。( )されたことがある ( )見たことがある

ことばを使ったいじめ
1)その子の嫌がるような言葉を言う(嫌なあだ名・気持ち悪い・バカ・・・)
(  )したことがある。( )されたことがある ( )見たことがある

2)その子の嫌がるような事を手紙などに書く
(  )したことがある。( )されたことがある ( )見たことがある

3)脅迫(きょうはく)のような言い方をする(・・・しないと殴る・無視する)
(  )したことがある。( )されたことがある ( )見たことがある

仲間はずし
1)○○さんを無視しようと呼びかける・実際に無視する。
(  )したことがある。( )されたことがある ( )さそわれたことがある

2)その子の机をはなす。その子のノートやプリントをよける。
(  )したことがある。( )されたことがある ( )見たことがある

3)その子が発言すると笑う。
(  )したことがある。( )されたことがある ( )見たことがある

4)その子を物をかくす
(  )したことがある。( )されたことがある ( )見たことがある

・・・ 「いじめられる子にも問題がある」「いっしょにいじめないと、自分がいじめられる」というのは自分がいじめる言い訳にはなりません。
 いじめ・無視・仲間外しをされた人の気持ちをよく考えましょう。

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いじめ自殺への緊急対策

いじめの自殺問題は危険である。
それは、どうしても「連鎖」を呼ぶからだ。
我慢の限界で生活している子は、同じようないじめで自殺している子の報道を耳にすると。それまで張りつめていた糸が切れてしまうこともある。
だからこそ、それぞれの学校で対策を立てていかねばならない。
今回、学年主任として、次のような文面を作った。

子どもの自殺という悲しいニュースが時々報道されます。  原因が、学校内でのトラブルである場合は多く、胸が詰まります。  「いじめ」に悩んで自殺した小学校6年生の女の子の遺書の一部です。

 この手紙を読んでいるということは私が死んだと言うことでしょう
 私は、この学校や生徒のことがとてもいやになりました。それは、3年生のころからです。なぜか私の周りにだけ人がいないんです。
 5年生になって人から「キモイ」と言われて、とてもつらくなりました。
 6年生になって私が差別されるようになりました。それがだんだんエスカレートしました。一時はおさまったのですが、周りの人が私をさけているような冷たいような気がしました。
 みんなは私のことがきらいでしたか? 気持ちわるかったですか? 
 私は、みんなに冷たくされているような気がしました。
 それは、とても悲しくて苦しくて、たえられませんでした。

 
 修学旅行の部屋割りを決める際に、今回、自殺した女子だけ部屋が決まらず、担任や同級生のほかの女子も含め、3回にわたって話し合っていたことが分かっています。だれかが一言さそってあげれば解決する問題ではないでしょうか。
 皆さんのクラスでは、席替えや班決めなどで、もめたことはありませんか? 
 
 毎月行われている席替えでも、連続してその女子の隣の席に決まった男子に「気の毒だ」という声が上がったという話です。どうしてわざわざ人の嫌がることを口にするのでしょうか?。
 皆さんのクラスでは、ノートやプリントを集める時に1人の子の分だけよけてみたり、すれちがっただけで「気持ち悪い」「うざい」と聞こえるように言ったりする子はいませんか? 

 「うざい」「キモイ」「あっち行って」「しゃべらんで」といった言葉を平気で口にする人がいます。言う方は、ほんの軽い気持ちで口にします。でも、言われた方が本当につらい気持ちになるのです。
 あなたの一言で、その子が学校に来れなくなったり、心の病にかかったり、命を落とすようなことになったらどうしますか。あなたも一生、その責任を感じて生きていかねばなりません。その覚悟はありますか?
 
 皆さんにお願いです。
◆いやな思いをさせている子は、今日から止めましょう。
◆嫌な思いをしている子は、がまんしていないで、先生やおうちの人に相談しましょう。
◆そんなトラブルを見かけた子は、知らん顔していないでストップさせましょう。
 だまって見ている人にも責任はあるのです。

・・・このまま文書にして提示することは支障があるので、これを元に各担任がお話しをするということでまとまった。
各クラスの詳細は分からないが、とりあえず第一手を打った。
「いじめ」は簡単にはなくならないかもしれない。
しかし、いじめ自殺は何とか防ぎたい。
「先生達は、いじめに取り組むよ」の宣言が第一手である。

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October 10, 2006

教育の強制性

野口先生の講座の中で当日の毎日新聞の社説が紹介された。

http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20061009k0000m070124000c.html

なるほど、硬派教育の野口先生が反発されるはずだ。
私でも反発できる。

問題は、改革の方向性とその中身である。「規律ある人間の育成」を目標に掲げる安倍首相は、教育への国の関与の度合いを強め、管理の徹底を目指しているように映る。しかし、その方向は、教育をできるだけ学校や地域の自由に任せ、子どもたちをのびのびと育てていこうという教育本来の理念から、かけ離れてはいないか。
→教育本来の理念は「教育をできるだけ学校や地域の自由に任せ、子どもたちをのびのびと育てて」いくことだと、いつ誰が定義したのか。その定義はおよその理解を得られているというのか?
教育本来の理念に「自由」はありえない。教育は一定のルールや約束事に基づいて、歴史的に定められたルールや約束事を学ぶ(身につける)ものであるはずだからだ。
できるだけ自由に任せて「2年生で九九の習得、3年でわり算の習得」といった約束が守れるわけがない。

 改正案のポイントの一つは「国は教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」との条文を設けて国の関与を明確にし、教育振興基本計画の策定を政府に義務付けている点だ。現行法の下でも文部科学省が教育の指針となる学習指導要領を策定しているにもかかわらず、あえて明文化することによって、教育内容への国家の介入を強めることにつながらないかとの懸念が生じる。
→「国は教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」のは、現在の様々な問題を考えれば当然のことで、それを「教育内容への国家の介入を強めることにつながらないかとの懸念が生じる」と言ってしまったら、誰がどう、この国の教育を統率していくというのか。

 安倍首相が強調する教員免許の更新制度や国の監査官による学校評価制度の導入も、運用によっては教育現場を一層締め付けかねない。こうした管理強化により、学校や教員はこれまで以上に教育委員会や文科省の顔色をうかがうようになり、教育現場にぎすぎすした雰囲気と混乱をもたらすのではなかろうか。教育への国の関与はできるだけ抑制的であるべきだ。
→ 一方で、問題教師(授業不成立だとかハレンチ教師)がいれば、教員の質の低下を憂い、教員の規範意識の低下を嘆き、首を切られない公務員体質を批判しているではないか。
 学ばない教師や授業不成立の教師をきちんと整理するには「教員免許の更新制度」は当然のことで、多くの国民が望んでいるだろう。
 国の関与を抑制して問題教師が横行した時にマスコミが「国は何をしているのか」と声を荒げるのは目に見えている。 
 教育現場の管理と競争が強まることで、子どもたちの心からゆとりが消えてしまいかねない。
とは、きわめて聞こえの良い言葉ではあるが、現場の危機感を理解していないし、こうした甘い言葉に油断していると、あっという間にマスコミに袋叩きに合う。しっぺ返しと言ってもいい。
 何と言っても、この2日前の同新聞社説には次のように記されている。

(前略)少女はなぜそこまで追い詰められたのか。遺族が最も知りたいことに、今学校も教委もきちんと答えられない。昨秋来の「空白」を埋める覚悟で徹底的に調査し、説明するのが最低限の責務だ。

 そして、学校、教委は自己検証が必要だ。なぜ目をそむけてしまったのか。例えば、学校側は少女が自殺を図った日に遺族から遺書を見せてもらっているが、内容は断片的にしか覚えていないという。このあやふやさは何だろう。少女が回復して学校に戻ってきた時に備えて何をすべきかなども含め、事件を教訓とした学校づくりを真剣に考えなかったのか。
 再び目をそらすことなく、なぜ少女の叫びを受け止められなかったのか、当時の自分たちの内心まで顧みて考えてほしい。いじめ問題を抱えない学校はまずない。今回の「失敗の過程」が報告され、全国の学校現場で共通の教訓として生かされなければならない。そうでなければ今回のケースはあまりに救いがない。
 1986年、東京の中野区立中野富士見中学2年・鹿川裕史君が「このままじゃ『生きジゴク』になっちゃうよ」と遺書を残して自殺した。明らかになった陰湿ないじめの実態は社会に大きな衝撃を与え、この20年の間各種の啓発授業やスクールカウンセラー制度などさまざまな方策が導入された。だが文部科学省が集計するいじめ件数(小・中・高校)は昨年度2万件余。この2年やや減少したとはいえ表に出ない部分は相当なものだろう。表に出ない部分から命を絶つ少年、少女が相次いでいる。
 鹿川君は自分の死でいじめが止まるよう願って遺書に書いた。「俺(おれ)が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃいみ(意味)ないじゃないか」
 こうした悲劇を再発させない決意を新たにしたい。

 
→いじめ自殺を防ぐために文部科学省も教育委員会も学校も全力を挙げよと、現状の甘さを糾弾しているではないか。
 それはいじめ自殺防止のために「国は教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」と訴えているのと同義なのである。 
 「国は教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」のは当たり前のことなのだということを2日前の社説が訴えている。
 「二枚舌社説」だと言われても仕方あるまい。 

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親への感謝

10月9日(月)、尊敬する野口芳宏先生の講座を聴く機会があった。
1日講座と言うことで、たくさんの学びがあった。
自分の意識になかったという点でまずは書き留めておきたいことがある。
野口先生が、次のような話をされた(文責は竹田)。

家庭教育」と言っても、家庭に期待できる教育効果は極めて低い。
今の世の中できちんとした体系で教育できるのは「学校」だけだ。
ぜひ、学校教育が家庭教育を補ってほしい。
例えば、学校が「親の言うことはきちんと聞け」と言い続ける。
それを聞いて、子どもが親の言うことをきちんと聞くようになったら、
きっとその親は教師に感謝し「先生の言うことを聞け」と言うようになるだろう

・・・「親がダメだ」と批判してるだけでは何も改善されないし、学校と保護者がお互いに批判し合うだけでは何の成果も上がらない。
だからこそ、まずは教師が「親のありがたみ」を子どもに教えることから始めようということなのだ。

振り返ってみると、私自身、親の大切さを話したのは、ずいぶん昔のことだ。
たとえば祝日の意味を説明しながら
「父の日」「母の日」「敬老の日」「勤労感謝の日」などに触れたこともある。
しかし、最近は、連休の過ごし方を話すだけで、祝日の意味を語ってこなかった。
(家庭にいろいろ事情があると、父の日・母の日は全体の前で触れにくい)
それは、おうちの人への感謝を語ってこなかったということでもある。

おうちの人があなたたちのことを真剣に考えている。
いろんな場面でおうちの人はあなたたちのことを支えている。

ということをアピールする。
それは親自身が言ってはしらけることだから、やはり第三者の教師がフォローしてやるべき事柄なのだ。
たとえば、5月に次のようなブログを書いた。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/05/post_a3c5.html

部活動の練習のためにわざわざお弁当を作っていただける保護者への感謝の念をきちんと伝えていかねばならない。
体育大会・文化祭・校外学習とお弁当を作っていただく機会も多い。
学年通信でぜひお礼を述べようと思う。

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October 09, 2006

「砂糖」について

「砂糖の害」についての、私の疑問についてコメントがいただけ、次のサイトを紹介された。
TOSSウオッチ掲示板である。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/bbs02/msg.php?mid=256&form=tree

その中で、「砂糖の害」の授業は、すでに古くなったマクガバンレポート報告を元にしており、今では「砂糖の害は否定されている」ということが語られている。
 中でも「砂糖への疑惑の払拭」というサイトは、「砂糖の害」の授業で言われるような問題点を丁寧に否定している。
 このサイトに難色を示すとすれば、独立行政法人の農畜産業振興機構という団体は、「砂糖」をPRする側なのかなと思える点だ。
 

砂糖を科学する会のメンバ-で、群馬大学の高橋久仁子教授の調査によると、「砂糖の摂りすぎはカルシウムを奪い、骨を弱くする」という説が語られ、「砂糖をたくさん食べると、血液が酸性になる」、「牛乳に砂糖を入れると牛乳中のカルシウムが無駄(ダメ)になる」などが本当である、と思い込んでいる人が結構いるということです。
 この情報のネタ元を高橋教授は探してみました。栄養学の専門書には、どこにもこのような記載はありませんので御苦労なさったそうですが、ある大学教授が繰り返し一般向けの本のなかに書いている「砂糖はビタミンB1を含まないので、たくさん食べるとB1が不足し、ピルビン酸が増え、血液が酸性になる。これを中和しようとして骨のなかのカルシウムが血中に溶け出し、尿中に排出されてしまう。」というのが出所であると高橋教授は突き止められました。
 これは昭和10年代から、ある学者によって唱えられていた「酸性食品である砂糖を食べると、体の酸性化を防ぐために、カルシウムが中和の目的で消耗する。」という説を継承したものだそうです。それが「砂糖の脱カルシウム作用」として昭和50年代半ば、マスメディアにより大きく紹介され、全国的に広まったようです。
現在の栄養学では、人間の身体には本来血液を中性に保つ働きがあり、ある食品を食べたことによって酸性やアルカリ性になることはないとされています。また、砂糖は酸性食品ではありません。この2つのことからも、この説が科学的には誤ったものであることは明らかです。

・・・この意見の反論が見られない限り、「砂糖がカルシウムを奪う」も方がいかがわしいということになる。

 

砂糖はブドウ糖と果糖が1つずつつながっている二糖類と言われる炭水化物です。(中略) では、お米を食べて腸内に入ったでん粉はどうなるのでしょうか。これは小腸内のマルターゼ等の消化酵素でブドウ糖になるのです。これは腸から吸収されて体の中ではブドウ糖として存在するのですから、砂糖を食べても、お米を食べても、結局体の中ではブドウ糖になり、そのブドウ糖がもとは砂糖にあったのか、でん粉からきたのかの区別はできないのです。
 砂糖はカルシウムを溶かすという説について言えば、砂糖はブドウ糖になるわけですから、砂糖を食べても体の骨のカルシウムなどと一切反応はしません。

 朝食を食べて脳にブドウ糖を送り込むのに「デンプン」も「砂糖」も変わりがないと言っている。
 寝る前にココアを飲んだらよく眠れるとか、疲れたときは糖分(チョコ)を摂れとか、雪山で遭難したら飴やチョコで飢えをしのげ、という言説を考えると「砂糖の害」より「砂糖の利点」の方が、今の僕には優勢なのである。

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October 08, 2006

「砂糖の害」と「朝食のすすめ」

知らないこと・分からないことをそのまま書く。
食育の授業の代表は、砂糖の害であり、朝食のすすめだと思う。

◆脳は100%糖分で生きています。
◆糖分が不足する=低血糖状態になれば、脳が働かずにボーッとし、全身がだるくなったりします。
◆だから朝食には糖分を十分に補うことが大切です。

という授業をすれば「糖分が必要だ」ということになる。
 そのことと「砂糖は害だ」ということは、ある意味で対立するわけだから、
ここはきちんと授業しないと誤解を与えてしまう。
 今の僕はこのあたりがよく分からない。
 朝食のすすめには、たとえば次の記事がある→ここ
======================
朝食を抜くと何が問題なのか。

 人間は食事を体内で糖分に変え、エネルギー源にして活動している。朝食を抜くと、午前中の活動に必要な糖分が入ってこない。特に脳は糖分をため込めないため、食事の間隔があきすぎると活動が鈍り、集中力も保てなくなる。

 朝食に関する子どもの健康、生活への影響に関する国内外の研究では、朝食を食べる方が、〈1〉肥満が少ない〈2〉テストの成績が良い〈3〉体力測定の結果が良い〈4〉非行が少ない――などの結果が出ている。
=======================
 もちろん砂糖と糖分は違う。
 朝食に砂糖を摂れとは言っていない。
 ご飯を食べれば、それは糖分になるのだから。
 
 ただし、だからこそ「糖分は必要、砂糖は不要」と断言していいのかどうかを、はっきりさせたいのだ。

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砂糖の害(2)

砂糖の害を訴えるHPがある。たとえば ここ ここ
 一方で「砂糖は悪くない」と訴えるHPがある。たとえば ここ
=========================

1986年に日本の厚生労働省にあたるFDA(米国食品・医薬品局)が、「砂糖類の健康面における評価」を発表。それまで砂糖が原因だといわれていた肥満、心臓病、糖尿病、虫歯、高血圧、異常行動などの疾病と砂糖摂取について、研究や文献を包括的に検証した結果、虫歯を除く疾病については、直接的な因果関係はないと結論を出しました。さらに現状での砂糖摂取量では、健康に影響を及ぼすことはないという見解も示されています。
 また1997年には、FAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機構)の合同専門家グループが、ローマで「人の栄養と炭水化物」という報告書を発表。砂糖摂取と肥満、生活習慣病、異常行動の間に直接的な因果関係は認められないと結論づけました。このように多くの国際機関で砂糖の安全性が証明され、同時に砂糖の効用に関する研究も着実に進んでいます。
===========================
 砂糖と健康セミナーは、次のように報告されている。
8月22日に「下関グランドホテル」で行われた「砂糖と健康セミナー~砂糖は笑顔のエネルギー~」。司会を務める九州朝日放送で御馴染みの人気パーソナリティ・徳永玲子さんと参加者との楽しいやり取りで和んだ雰囲気の中、横浜国際バイオ研究所前会長の橋本仁先生が、「心身の健康と砂糖」というテーマで講演。糖の働きや砂糖の原料、製法などの説明後、砂糖と健康との関係について分かりやすく解説。砂糖と肥満、砂糖の糖尿病、砂糖を摂ると肥満や糖尿病につながる等の誤った認識により砂糖の摂取を控えている人がいますが、それは全くの誤解であり、砂糖が直接的に肥満や糖尿病などを引き起こす要因がないことは科学的に明らかになっています。むしろ脳の唯一のエネルギー源であるブドウ糖を素早く摂取できる砂糖は、必要不可欠な栄養源。安眠や情緒の安定を促進したり、鬱病の予防効果があるといった人間の身体にとってプラスになる要素が多くあります。リラックス効果のある甘いものを適度にとり、毎日を笑顔で元気に過ごしましょう、といったお話を楽しくしていただきました。

 ただし、先の「砂糖の話」のサイトでは、そのサイトを次のように批判している。
==========================
砂糖健康学入門…おいしく安全一番/お砂糖プラスでもっと楽しい生活/あなたの脳にお砂糖は足りていますか?/あなたの“こころ”にお砂糖は足りていますか?…このような「お笑い」とも見間違う砂糖業界の広告より告発本のほうが消費者の利益に叶っている。牛乳業界の宣伝に似て、全ての利得を業界に収斂するような見え透いた手法に辟易させられる。
==========================
 さて、我々は、このような両者の意見が対立する中で、どう子どもに教えていけばいいのだろうか。
 我々は公立教師だから、公式な機関の見解を重視することになるだろうか。 

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砂糖の害

Image11_1
食育の授業が注目されるようになり、「砂糖の害」の授業も定番になってきている。
先日のサークル例会でも、模擬授業(講座)の練習がされた。
「砂糖のとりすぎは問題がある。でも、いたずらに不安をあおるのはいかがなものか」
という視点でネット学習してみることにした。
 今回検討した講座プランで、初耳だったのが砂糖の成分表示についてだった。
 そこで、成分表示→ここ
=======================、
エネルギー・たんぱく質・脂質・炭水化物・ナトリウムのこの5項目は、どんな栄養表示をする場合にも必ず表示しなければならない項目になっています。
他の商品との比較しやすいように、表示する栄養成分の順番も単位も決まっています

========================
 5つの成分表示には義務があり、順番も決められている。
 「炭水化物の代わりに、糖質と食物繊維が表示されている場合もあります」ともあるが、砂糖そのものの成分表示については表示義務がないことが分かる。

◆ただし、商品名に「カルシウム入り」という栄養表示がある場合は、必ず栄養成分表示を行わなければならない。
◆表示する義務はないが、「鉄」「オリゴ糖」などは自主的に消費者の方への情報提供として表示しているものもある。
◆「ポリフェノール」は栄養成分ではないので、消費者方が栄養成分と間違えないように、栄養成分表示の枠外に表示されている。
◆栄養成分でないものの量は、現在のところ表示義務がない。
などを、成分表示の基礎知識として知っておかねばならない。

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October 07, 2006

「つらいことはないか」

「いじめによる自殺」というのは、現場の教師にとっては辛いニュースである。
「ちょっとしたからかい」は、いつもある。
だから「ちょっとしたからかい」に傷ついて学校に来なくなったり、心の病にかかったり、死を選んだりする子は、どこの学校でも起こりうる事態なのだ。
事態がこじれてしまえば「ちょっとしたからかい」は「いじめ」としか見なされない。
口にした本人が、いくら「そんなつもりでなかった」「悪気はなかった」と言っても手遅れだ。
相手が嫌な思いをしている限り、その行為は「ちょっとしたからかい」では済まされないのである。
だからこそ、「いじめ」の報道を、自分の元のように受け止めていきたいと思う。
10月6日(金)の中日新聞朝刊のコラム「中日春秋」に、作家池波正太郎さんのエピソードが紹介されている。

========================
ある日の放課後、担任の先生が池波さんを人けのない図画室へ連れて行った。
「つらいことはないか」。
先生は両親の離婚を知っていて、新しい暮らしを聞きながら出前のカレーライスを差し出した。一気に食べ終えた池波さんが感動して涙ぐむと、先生は何度もうなずき「困ったことがあったときは私にいいなさい。」以来、池波さんはのびのび登校したそうだ(『食卓の情景』)
=========================

「つらいことはないか」
「困ったときはいいなさい」
という言葉を自然に使える教師になりたいと思う。

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October 05, 2006

事件の後始末

共同通信によれば、トラックを飲酒運転し車に追突、炎上させて女性を焼死させて逃走したとして、危険運転致死罪などに問われた運転手福永耕紀被告(36)に対し、仙台地裁は3日、懲役7年(求刑懲役8年)の判決を言い渡しと言う。

 卯木誠裁判長は「被告はこれまでも飲酒運転をしており順法精神の欠如は著しい」と指摘した。
 判決によると、福永被告は4月2日午前3時半ごろ、3軒をはしごして飲酒した後、トラックを運転。意識がもうろうとする中、宮城県名取市の県道交差点で信号待ちをしていた大友祐子さん=当時(36)=の車に追突、炎上させ焼死させた。
 福永被告は逃走し、宮城県警は業務上過失致死と道交法違反(ひき逃げ)容疑で逮捕。
 その後、祐子さんがコーチをしていたバレーボールチームの監督折原美根子さん(58)らが厳罰を求める署名活動をし、県警や仙台地検に提出。福永被告は危険運転致死罪などで起訴された。

 過失致死・危険運転致死罪では、相手を殺しても懲役7年か。
 しかも、飲酒運転をごまかすために逃亡したというのに。

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October 01, 2006

「きつねの窓」安房直子

Kitune

 「きつねの窓」は、6年生の教科書教材だ(だった?)そうだ。
 それとは知らずに読んだが、とてもいい話だった。
 この場合の「いい」というのは、奥の深さである。決して明るいハッピーな話ではない。悲しい雰囲気もある。何がいいたいか明確でない感じもある。でも、だからこそ、じっくり考えてみたくなる作品なのである。
 あるHPには次のようにあった→ここ

「きつねの窓」という作品をご存じだろうか? 安房直子の代表作である。若い猟師が、親を殺された子狐とであう。子狐は染物屋の少年に化けているが、若者はその正体を既に知っている。子狐は若者の指を桔梗の色で染める。染めた指を菱形にしてつくった窓には懐かしい人が現れるのだという。狐はこうしていつも死んだ母親と会っているのだと。半信半疑のまま若者が染められた指で窓をつくると、その中に昔好きだった少女の顔がよみがえった。喜んだ若者は、きつねに乞われるまま仕事道具の鉄砲を渡してしまう。ところが家に戻るとうっかり手を洗って、魔法は消える。

小学校の国語の教科書に長い間掲載されていたので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。親を亡くした子狐がけなげでかわいいのなんの。狐だとばれても一向に気にしない、一所懸命な間抜けぶりがおかしく、ありったけのせつなさをまき散らす。おかしみとせつなさは隣り合わせなのだ。これは安房直子の得意とする通奏低音で、賢治や南吉をはじめとする日本の童話作家たちはずっとこの「おかしみと隣り合わせのせつなさ」を大切にしてきたように思う。

 きつねは、若者を懲らしめたいわけではない。純粋に、指を染め、懐かしい人に会える秘密を教える。
 「せつなさ」
 その通りだ、読後感の「悲しさ」は「せつなさ」というのがぴったりだ。
 ネットでは授業実践報告も見られたが(例えば、ここ)、それを見る前に、もう少し1人で教材解釈を楽しんでみたい。

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「ねずみのおなか」長崎源之助

Nezuminoonaka
絵本って、個人で購入するのはちょっと高価で迷うこともある。
今回も購入本ではない。
それにしても、ほのぼのとしたいいお話である。
絵本のストーリーをどこまで紹介していいか迷ってしまうが、こんな感じ。

「人気者のサーカスのゾウが、行進の途中でお店のおせんべいをつまんで食べる。
お店は評判になって繁盛する。
おかげでおせんべい屋さんに住んでいたネズミの親子はおなかいっぱいになり、ゾウの元にお礼を言いに来る」

お話の最初にネズミ親子がサーカスのテントにいるゾウを訪ねてきて、食べ物をもらう。
おせんべい屋さんは、はやらなくて、そこに住むねずみのおなかをすかせていると知ったゾウはおせんべい屋さんで「この店のおせんべいはおいしい」というパフォーマンスをする。

普通のお話なら、最初に象がネズミを助けたら、次はネズミが象を助ける。
このお話は、最初に象がネズミを助け、次も象がネズミを助ける。
おせんべい屋さんが繁盛しておなかがポンポンになったねずみの親子を、象が鼻息で転がして遊んでいる場面で物語は終わる。

そういう「見返りをもとめない象」の姿が、僕にはまぶしい。

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「シャカ」 油野誠一(福音館書店)

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手塚治虫の「ブッダ」を読んでいると、それだけでは満足できなくなる。
なんといっても手塚版は架空の人物も設定してあるそうで、どこまで史実なのか気になってくる。
しかし、仏教や釈迦の本はかなり専門書になるので、手にとりにくい。
そこで、絵本。
これはシャカの一生を、おそらくかなり史実に忠実に描いているのだろう。
非常に分かりやすくまとめられていて、ありがたい本である。

シャカは王子である。
それゆえ「世間知らず」に育てられる。
ある日「老人」を初めて見てショックを受ける。
次に「病人」を見る。
次に「死人」を見る。
ショックを受けた王子を慰めようとして、王はこの世の楽しみを教えるための3つの宮殿を造り、毎晩のようにパーテイーを開く。
酔いつぶれた人々の姿をのあまりの愚かさに、王子は城を出る決心をする。
結果から言えば、贅沢を尽くした宮廷生活が、王子に「本当に生きること」への思いを駆り立てたのだ。
父親は反面教師だったということか。
王子としての29年間の生活が、むしろ出家後のシャカの基盤になったということだ。
その1点だけでも、シャカの人生は数奇で魅力的である。
手塚版「ブッダ」で知った名前がたくさん出てくる。
ビンビサーラ王・スダッタ・アーナンダ・・。
手塚版では見なかった(と思う)印象的なエピソードがある。

子どもを亡くして混乱している女性にシャカが言う。

「まだ死者を一度も出していない家を探し、その家から白いケシの実をもらってくるがよい。」

死者を1人も出していない家など、どこにもないことに気づき、女性は「生きている者は必ず死ぬ」ということを理解し、子どもの死を受け入れたのだと言う。
・・・すばらしい。教え諭すのではなく、本人に気づかせるように指示を与えたのだ。
この女性は自分で気づき、自分で納得し、自分で解決していかねばならなかった。
このようなシャカの教えと教え方の深さにうなってしまった。
このようなエピソードを「宗教色が強い」と排除するのでなく、さりげない形で子どもたちに伝えていければと思う。

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