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October 21, 2006

「NOと言える国語の授業」がいじめから守る

「生きる力」を育てるという教育目標が空虚に語られることあった。
「空虚」と断定したのは、具体的な指導内容が見えてこなかったからだ。
国語の授業と「危機管理」を結びつけて考えた事がある。
「No」と言える子を育てる国語の指導である。
肝心な時に自分の意思表示ができることは大切な言語能力である。
その代表が、
・嫌なときは嫌と言える。
・助けて欲しいときは大声で助けを呼べる
・きちんと断れる。「やめて」と言える。「NO」と言える。
である。

そんな力も育てられない「伝え合う授業」とは、なんと情けないものかと思う。
どんな様々な指導をしようが、「NO」の意思表示もできず、自分の安全も守れないなら、誰もその実践を評価はしない。ちっとも「伝え合い」になっていないのだから。

N0と言える子を育てる指導は「いじめ」から子供を救う。
もちろん、言うは易し、行うは難しである。
包容力のある授業をしないと、子どもは「No」とは言わない。

(追記)
愛知教育大学の佐藤洋一先生には言語教育技術学会でもお世話になって、よく声をかけていただく。
先日、佐藤先生からレジメをいただいた。
その中に、自分が「国語」の追究課題として意識している
・「意志表示できる力=生きる力をつける国語」
・「癒しの国語=読む・書く・聞くが楽しくて仕方ない国語」
の2点について、主張が重なっていると思える箇所があった。

◆「話す力・聞く力の基礎の基礎」の1つとして
「たった1人でもいいから、信じられる人がいる安心感・信頼感」
が挙げられていた。
安心感がないと話す聞くは成り立たないというのは同感である。
話す(聞く)/関わることの「楽しさ」「喜び」「忘れられない言葉・経験」を持っていること、という主張も同じ趣旨なのだろう。
◆聞く力は「人間的な想像力」「相手への思いやり」である、として、
断片的なサインや表現から、相手が言いたいことを読み解く愛情が必要だと
書かれていた。「想像力がいじめをなくす」という私の意見と同じ発想だ。
◆「話す力の育成」は
「人間関係を創る力/トラブルを効果的に回避する力」
と書いてある。
これも「NOと言える子を育てる国語教育」という私の意見と同じ発想だ。

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