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December 29, 2006

新渡戸『武士道』に惹かれた理由

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 PHP文庫の『武士道』のあとがきに岬龍一郎氏が、新渡戸『武士道』に惹かれた理由を書いている(P200)
 自分の感想と本当によく似ていたので驚いた(氏が「全共闘」という部分は私とは別)。 

じつのところ戦後生まれの私が、武士道なるものに興味をもったのも、この新渡戸稲造の『武士道』を読んからのことである。もしこれが、江戸時代に書かれた封建制を支えるような忠君主義的なものであれば、歯牙にもかけなかったであろう。(中略)
 新渡戸『武士道』を読んで、私は自分の浅学を恥じた。この本は、けっして古めかしい道徳を語っているわけでも
、封建制度の因習を記したものでもなかった。むしろそれは、世界文化と比較しながら格調高く書かれてあり、人間としての普遍的な倫理観を内包した本だったからである。

 また「道徳の神髄 『仁・義・礼・智・信』」という見出しのついた部分がある。
 僕が子供のころ見ていたNHKの人形劇「南総里見発見伝」で「仁義礼智忠信孝悌」という八つの玉を持つ人物が登場した。まあ「仁義」「義理と人情」というと、これも子どもの頃に全盛だったヤクザ映画の常套句である。。
 孔子は「仁・義・礼・智・信」の「五常の徳」と「忠・孝・悌」を合わせた「八つの徳」で人の倫を説いてきたと岬氏は言う。
1)仁=思いやり
2)義=正義の心
3)礼=礼儀・礼節
4)智=叡知・工夫
5)信=信用・信頼
6)忠=いつわりのない心
7)孝=父母を大事にすること
8)悌=年長者に従順なこと
具体的に言うなら、「人にはやさしくあれ」「正直であれ」「嘘をつくな」「卑怯なことはするな」「約束を守れ」「弱い者をいじめるな」「親孝行をしろ」「兄弟仲良く」といったことで、これらの想いを「良心」というのである。それゆえに、われわれはこのモラルを犯すと、良心の呵責に襲われるのである。(P211)
 簡単に「人としての正しい行い」といっても、それは個人的な観念であり、いわば「道徳(モラル)」である。実行しなければ罰せされる法律(ルール)とは違う。法律ならば、してはいけないことが成文化しているので明確にわかるが、自己の観念にもとづく道徳は、人間の内面に据えられた「良心の掟」であり、その規準は個人によって捉え方が異なるからである。(P210)
など、要保存の文章がいっぱいであった。
 私が『武士道』に惹かれた理由も、どこに出しても恥ずかしくない人間としての基本的なモラル(徳)が具体的に述べられていたからだ。
 その事も、あとがきで岬氏次のように解説している(P207)。
 新渡戸の記した『武士道』は、人間としてかく在るべきという道徳規範の本であり、たとえ民族が違っても、人が健全なる社会を築き、美しく生きようとするときの”人の倫”に変わりはなかったからである。
 だから『武士道』の精神を今の教育に活かせばいいのだ。
 でも、そういう言い方をすると『教育勅語』も同じことになる。
 『教育勅語』にマイナスイメージがあるように『武士道』にもマイナスイメージがある。現代人が武士の精神を持つ必要は全くない。
 というわけで、日本人が昔から規範意識の拠り所してきたものは何か、もっとさかのぼってみたいと思っている。

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