心の教育はいるのか、いらないのか?
12月20日付の中日新聞のコラム「中日春秋」に、「惻隠」や「憐憫」が出てきた。→ここ
ホームレスの老女を殺害した中学生の殺伐とした話題と、古き良き時代の日本人を温かい心意気を比較している。ホームレス襲撃は社説でも取り上げられている→ここ
「惻隠の情」は以前もこの新聞コラムで触れられていた→ここ
明治時代の日本人のよさを引き合いに出すあたりは、ベストセラーの『国家の品格』を意識したような文脈で、先日も同じようなコラムがあった。→ここ。
いずれも、失われた日本人の品性を取り戻せと訴えているように感じられる。
日本の規範意識・道徳意識の欠如を嘆いているなら、今の「教育基本法」の改正に賛成すればいいのではないか。
しかし4日前の社説では、教育基本法改正に疑問を呈している→ここ
公共の精神や愛国心は大切だし、自然に身につけていくことこそ望ましい。国、行政によって強制されれば、教育勅語の世界へ逆行しかねない。内面への介入は憲法の保障する思想・良心の自由を侵しかねない。新しい憲法や改正教育基本法はそんな危険性を内在させている。
・・・「公共の精神や愛国心」=「心の教育」と考えていいならば、心の教育の必要性は肯定しているのだということになる。心の教育を自然に身につけることは肯定していることになる。
しかし、国や行政による強制・内面への介入は反対で、思想・良心の自由の侵害も反対している。
思想・良心の自由の侵害などと言って遠慮しているから、ホームレス襲撃などという非道な行為が起こったのではないか。
『国家の品格』は「卑怯なことをするな」を徹底させ、「武士道(教育勅語の12徳みたいなもの)」の復活を説いている。
道徳教育の押しつけや強要は反対、『国家の品格』=モラルの徹底には賛成では、「二枚舌外交」である。
要するに「心の教育」が必要なのか、不必要なのかががはっきりしないのである。
マスコミの言動に振り回されていては「教育」は成り立たない・・・これも『国家の品格』からの学びである。
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Comments
非常に良い、親愛なるあなたに感謝
Posted by: Cipto Junaedy | May 22, 2014 07:57 AM
おっと、何かを忘れてしまった... http://demam.biz/cipto-junaedy/
Posted by: Cipto | May 22, 2014 07:59 AM