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December 26, 2006

関心→認識→知識

 『文芸春秋』7月号が「愛国心論争」がテーマだったので取っておいた。
 石原慎太郎氏の論文の中で目を引く箇所があった(P112)。
 「今の子供たちにいきなり『愛国心を持て』と唱えることがいかに乱暴な話で、いかに短絡的なことかがまったくわかっていない」という文脈の中で、
 

今の子供たちは、さらにいえば子供たちの親の世代に、そういったスポーツの場面を除いて、国に対して心からの「愛着」を持ついかなる理知的な契機があるだろうか。
 愛着なりその逆の嫌悪なりの根底に在るものはその対象への関心に他ならない。関心の前提には認識がある。認識とは、とにかくもそれについての知識を抱いている、ということだ。若い世代にこの日本への愛着が希薄なのは、この国について関心がないから。関心がないのは、この国について何も「知らない」からではないのか。知らなければ、国に対する思い、好き嫌いなど持ちようがあるまい。

と述べている。そして「歴史をきちんと学ぶこと」「母国語をきちんと自分のものにする」ことを説いている。
 きちんと歴史の知識を教えることが国への愛着を育むという考え方は、先日、中日新聞社説でも取り上げられた伊吹文科相の発言とも重なってくる。
 
「学校で歴史的な事実を教えることで、結果的には国を愛する態度が養われてくる」
 歴史教育の必要性を強調した伊吹文明文科相の答弁です。「愛国心は結果」はその通りと思います。
 学校では、各教科で歴史、伝統、文化、風土などをしっかり教えることです。そこまでで十分です。

 この部分については石原慎太郎氏も伊吹文科相も社説氏も私も同じ意見なのである。 

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