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January 28, 2007

循環型リサイクル

Kanesue
 近所のスーパーにポスターが貼ってあった。
 「青果センターの野菜くずから、いちごを生産!!」とある。
 スーパーで処分した野菜くずを集約して堆肥にしていちごの契約農家で利用してもらい販売しているという流れである。
 いい話だと思う。
 でも、一方で「そんなこと当たり前ジャン」とも思ってしまう。
 この取り組みをする前は燃えるゴミに出していたのだろうか。
 堆肥にできる野菜ゴミはきちんと分別・収集して有効利用していく社会にしてほしい。
 でも、堆肥になるからいくらでも「野菜ゴミ」をだしていい、という理屈にはならない。
 リサイクルしていいからペットボトルをいくらでも再生産していい、という理屈にはならないのと同じだ。
 そもそもの生産の過程で良識をもつ社会になってほしい。

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がんばれるか?不二家

Fujiya_1
 不二家の賞味期限の不正表示や工場でのずさんな管理の報道を聞くと、会社や役員への怒りがわいてくる。「つぶれて当然」とさえ思う。
 いくら店に並んでいても購入する気にはならないし、そもそも今ではスーパーからは商品が撤去されている。
 しかしながら、である。
 通勤途中に「不二家」の店舗がある。
 信号待ちの僕の車中からは確認できないが、営業停止の通知が貼ってあるのだろう。
 実際に営業停止している店舗を見て、そこで働いている人の事の想像すると、やっぱり「がんばってほしい」と思う。販売に携わってきた人には罪はないし、その人たちも被害者なのだろうと思ってしまう。

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January 25, 2007

静脈産業

毎日、知らないことを自覚することの繰り返しである。
江戸時代の循環型社会のことを調べていたら「静脈産業」という言葉に引っかかった。
「はてなダイアリー」では次のように出てきた。
====================
資源を掘り出し、輸入し、加工し、組み立て、物流網に載せて販売する一連の産業を「動脈」とするならば、使い終わった製品を回収し、再利用し、あるいは再生し、あるいは廃棄することに関わる産業のことを「静脈産業」という。
静脈産業
 製品の製造・配送等を行う産業が動脈産業と呼ばれるのに対し、静脈産業とは製品が廃棄物等となった後にその適正なリサイクルや処分等を行う産業を指す。また、特に、廃棄物等の適正なリサイクルや処分等を行うための物流を静脈物流という。環境白書 用語解説
=====================
 動脈に対して、静脈。
 日の目を見ることの多い「動脈産業」に対して、華やかさのない「静脈産業」であるが、当然必要な分野である。
 「裏方」のようでありながら大変必要だということをイメージ戦略するためにも、「静脈産業」という言葉はいいなあとつくづく思う。と同時に知らなかった自分を恥ずかしく思う。

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January 23, 2007

新型インフルエンザ対策

新型インフルエンザについて新聞で少し知った。
・全人口の4分の1が感染
・食糧備蓄
・タミフル接種者の優先順位
・社会機能のマヒ(自宅から出ない)
といった内容だった。
 自分を基準にするのは恥ずかしい限りだが、そんなに深刻に考えていなかった。
 しかし、厚生労働省のHPを読むと、何だかとても大変な事態を想定しているらしいことが分かってきた。
 ただし、あちこちのサイトがPDFなので、上記の内容がどこにあるのか、なかなか見つからない。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/index.html

QAは次のサイト
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/02.html

米国疾病管理センターの計算式に日本をあてはめると、新型インフルエンザが全国的に流行した場合、約1/4の人が感染すると予想され、また、医療機関を受診する患者数は最大で2500万人と推定されています。
だと。
 だから2週間程度の食糧備蓄も推奨されているのだ。。
 大流行(パンデミック)という言葉もキーワードになっていて、次のような不安を増幅させるサイトも見られた(でも大切なのだから仕方ない)。
 http://blog.moura.jp/influenza/2006/08/qa_e287.html

 下のサイトは米国保健福祉省の「個人・家庭編」の準備についての和訳。
 作成者は青森県の保健衛生課。
 登録更新日が2006年2月7日になっているから、もう1年前の発信である。。
 http://www5.pref.aomori.lg.jp/hoken/18964/cpub.html

 ここでも「パンデミック」に備えて食糧備蓄や社会機能の破綻について言及している。
 新型インフルエンザの流行は、ここまで想定されているのである。
 ここまで自己責任で求められているのかと思うと

「そんなこと聞いていないよー」

という人はどうなるのか。
 本当に「パンデミック」が起きたらどうなるのだろうか。
 ダイエットのための納豆なんかどうでもいいから、こういう問題に敏感にならねばならない。

 ちなみに、一番大事なのは和訳の次の箇所だと思う。

Topics 8
正しい情報を得ること
 正しい情報を得ることは、最善の準備策である。信頼できる情報を提供してくれる情報提供源を確認すること。パンデミック時に、正しくかつ信頼できる情報を得ることは必須である。
∇ 新型インフルエンザ対策関連情報は、国(厚生労働省、国立感染症研究所などの機関)のウェブサイトで提供されている。
∇ 各都道府県及び地域(市町村等)のウェブサイトから関連情報を得ること。
 青森県の場合は、青森県結核・感染症情報ネットhttp://www.pref.aomori.lg.jp/kansen/で関連情報を提供しています。
∇ ラジオやテレビから新型インフルエンザ関連情報を得ておくこと。また、新聞や雑誌の記事、ウェブサイトからの関連情報を収集すること。
∇ 地域の公衆衛生当局(保健所、都道府県の感染症対策部門など)に相談すること。
∇ もし、自分専用の、あるいは家族専用の事前対策計画を策定するときは、都道府県や地域(市町村)が策定した事前対策計画を参考とすること。


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January 22, 2007

寺子屋のテキスト~「往来物」~

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日本の道徳について、関心を持つと、教育勅語・武士道といった戦前から明治初期の教えに遡る。
 『国家の品格』にも出てくるから、今話題の部分である。
 そして、武士道のベースとなる教えを、もっともっと遡れば神道や儒学・仏教の教えに遡る。
 「論語」の知恵なども、日本の伝統となって染みこんでいる。

 では、明治時代と大和・奈良時代の中間にある江戸時代あたりはどうか。
 先日は「童子訓」というものを調べた→ここ 別の目的で購入した『サライ』1月18日号をパラパラめくったら、江戸の寺子屋の解説があった。
 そこで出てきたのが「往来物」という寺子屋でのテキストだ。
 「往来物」で調べていくと、詳しいサイトがあった。

http://www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/indexOurai.htm

 しかもNHKの昨年の10月の教育番組で特集をしていたことも分かった。
 テキストのバックナンバーをあわてて注文するとして
HPをパラパラ眺めてみる。
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200610/thurseday.html#2

江戸の教科書として使われていた「往来物」は職業別に細かく分かれていた。
商家の子には「商売往来」、農家の子には「百姓往来」、船大工には「船由来記」、子ども達は各々将来の仕事を見据えつつ職業用語や心構えを学んだ。
ところが不思議にも、この往来物には実際に役立つ仕事上のマニュアルは殆ど出てこない。
本当の職業技能は実地によってしか身につかないと誰もが思っており、子どもにはあえて書き物でのマニュアルを与えなかったのである。
往来物を入り口に「子どもにはみなまで教えず自分で工夫させる、考えさせる」という江戸の教育の大方針を描く。

 文字で伝えられないから実地で修行する(丁稚奉公も、これに該当するか)。
 そのような伝統の文化が日本にはあった。
 ちなみに6月に「江戸しぐさ」について興味を持った→ここ
 ウイキペデイアにも次のようにある。
 江戸しぐさ(えどしぐさ)は日本における江戸期の商人の生活哲学・商人道。しぐさは仕草ではなく思草と表記する。もともと商人(あきんど)しぐさ、繁盛しぐさといわれ多岐にわたる項目が口伝により受け継がれたという。現代の世相に鑑み江戸人の知恵を今に生かそうという観点から教育界・宗教界の一部で注目され始めている。
商家に伝わる門外不出の未公開の処世術あるいは、倫理観、道徳律、約束事ともいうべきものであろうが、未公開かつ口伝であったことから正確たる文書は現存せず芝三光(しば・みつあきら)(本名=小林和雄)とその後継者により普及されてきた。

 「しぐさ」も文字で伝えられないと書いてある。
 文字で表せない江戸の文化について調べてみようと思う。 

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January 15, 2007

エタノール燃料の未来は明るいか(3)

Book5
 『日経スペシャル ガイアの夜明け』(日本経済新聞出版社)の文庫を買った。
パラパラ読んでたら、バイオエタノールの記事があった。
(このように情報は気にする人のところにやってくる)。
放映日も2006年2月14日と明記してあったので、HPからバックナンバーを探すこともできた。
 
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview060214.html

 そこで、アサヒビールは、沖縄・伊江島、九州沖縄農業研究センターと組み、国産で安いバイオエタノールを作る実験を始めている。アサヒビールの研究員・小原聡さん(33歳)は、「アルコールの会社だからアルコールで地球に貢献することをしたい」と語る。
 その実験の舞台となるのが沖縄本島の北部にある伊江島だ。基幹産業はサトウキビから作る砂糖の生産である。しかしそのサトウキビの生産量は年々減りつづけ、今ではピーク時の10分の1に落ち込んでいる。
そこで、小原さんたちは、サトウキビから「砂糖とエタノール」を同時に作ることを提案。
九州沖縄農業研究センターとの共同研究で、従来の2倍以上の収穫ができるサトウキビを新しく開発した。つまりそれならば、砂糖の生産量を確保しつつ、バイオエタノールも作れるのだ。コストを抑えながら、関係者すべてにメリットをもたらす事業として成立させる狙いだ。最終的なバイオエタノールの製造コストの目標は1リッターあたり30円。ガソリン価格を凌ぐことも可能になる。

 伊江島だから、環境庁が推し進めている宮古島のプロジェクトとは別である。
 こちらはアルコール製造が得意な「アサヒビール」のプロジェクトである。
 こちらはサトウキビそのものの品種改良でエタノールの採取量を2倍にすることを可能にしたのだと。

 こまかな数値は後日示す。
 少なくとも、年始めのニュース「トウモロコシの値上がり」とは別次元でのエタノール燃料のプロジェクトである。
 今後も注目していきたい。

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エタノール燃料の未来は明るいか(2)

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 11月に行った授業では「バイオエタノール」についての中日新聞のコラムを提示した。
 そのコラムは「未来は明るい」というトーンだった。
 したがって、その時の授業も明るい未来を提示して終われた。
 それなのに、今年になっての「エタノールを供給する穀物の不足・値上げ」が話題になってきた。
 となると、昨年の記事と今回のニュースの数値等を照合してみる必要がある。
 前の記事の概要は、WEBで見られる次の2記事と良く似ている。
http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=6417
http://www.okinawatimes.co.jp/day/200608301300_05.html

1)宮古島では特産物のサトウキビからバイオエタノールを作り実車走行が実験的に行われている。
2)砂糖をとった後に残る糖みつを発酵・蒸留してエタノールを製造している。
3)島内のサトウキビから1400キロリットル。E3(エタノール3%)ガソリンで2万台分。
4)ガソリンを全てE3にすると全国でCO2約250万トン分に相当し。
  2010年までに国が見込む運輸部門の排出量の約23%に相当する。
5)環境省は2010年のエタノール国内生産量を約3万キロリットルと見込む。
6)しかし導入目標達成のためには大半を輸入に頼ることになる。

◆先のニュースのトウモロコシでなく、サトウキビ、しかも砂糖をとった残りかすである点では、やや状況が異なる。
しかし、授業では(6)「大半は輸入」を見落とした。
子どもには直接資料を印刷・配布していないから「サトウキビで車が走る」という希望的な部分だけが強調された。
 しかし、(6)を読むと、決して楽観はできない。
 輸入部分を世界各国で奪い合いになると、値上がりも起きるし、確保が困難にもなる。
 
先のニュースと比べてみると
(1月ニュース)・・環境省は2010年までに原油換算50万キロリットルのバイオガソリンの普及を目指している。
(昨年新聞)・・・・環境省は2010年のエタノール国内生産量を約3万キロリットルと見込む。 
 ところが大本の環境省のHPを探しても、原典がなかなか分からないのである。
 ちなみに、別の記事もヒットした。
 トウモロコシ・サトウキビではなく、コメからエタノールというプランである。

http://www.asahi.com/business/topics/TKY200611100089.html

この記事は、「米からエタノールを(水田を油田に)」ということで、減反調整で余った水田を利用して食用ほどの質でないコメを作ればいいなら採算の見込みが立つのでは、ということだった。
 エタノールの原材料をどこから調達するかでも、いろいろ情報が違ってくる。

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January 11, 2007

エタノール燃料の未来は明るいか

200611080018a1_1
国語の教材『未来をひらく微生物』の中でバイオエタノールの話題が出てくる。
石油の枯渇問題を解決できると考えると、環境にもやさしいし、未来も明るいなあと思えてくる。
ところが冬休みの間のテレビのニュースで「石油代替えの需要のため穀物・砂糖・食用油の値上がり」といった話題を数回目にした。

ネットのニュースでは次のように。
http://www.business-i.jp/news/world-page/news/200611080018a.nwc

米国でトウモロコシが急騰し、食品業界や畜産業者の経営を圧迫している。トウモロコシを原料にしたガソリン代替燃料のエタノール生産が急拡大しているためだ。需給が緩和する見通しは立っておらず、一段の上昇を予想する声も出ている。
AP通信などによると、トウモロコシ価格は米シカゴ商品取引所で先週、約10年ぶりの高値水準となる1ブッシェル(約25・4キロ)=3・4475ドルを記録。2ドル台前半で推移していた9月前半に比べ50%近くも上昇した。
原油価格が高止まりしていることを受け、エタノール燃料の需要が増加。自動車燃料としてガソリンに混ぜて使われるエタノールの原料としてトウモロコシが大量に消費されているためだ。

穀物の代わりに家畜の脂肪を利用するという動きもあるらしい。
http://www.business-i.jp/news/world-page/news/200701090021a.nwc

トウモロコシの価格が上がると、途上国での食料不足を引き起こす。
日本は大丈夫だと思ったら大間違いで、家畜飼料が打撃を受ける。もちろんコーン油も。
サトウキビも同じような状況なら「砂糖」の値上げは多くの食品に影響する。

新聞を整理していたら関連記事があった。
1月4日の中日新聞のシリーズ「資源有事」の3

 国連世界食糧計画(WFP)によると、飢えに苦しむ人は約八億人。トウモロコシなどは最貧国への主要な支援物資だが、貧しい人の口ではなく、自動車の給油口に注がれることは、世界規模での飢えを誘発することになる。

もう1点驚いた点がある。
・環境省は2010年までに原油換算50万キロリットルのバイオガソリンの普及を目指している。
・農水省は年間ガソリン消費の1割に当たる600万キロリットルの生産計画を掲げている。
・ただし600万キロリットルのエタノールを製造するには、今ある日本の水田・休耕田を全てつぶしても計算上は届かない。
・だからといってエタノール生産を輸入に頼れば、現地の森林伐採・環境破壊を招きかねない。

 到底届かない600万キロリットルのエタノールでさえ、消費する石油の1割に過ぎないのだ。
 いかに消費する石油の量が多く、石油枯渇の問題の根が深いかである。
 これは太陽光発電・風力発電に甘い期待(過度な期待)を寄せている問題と同じである。
 
 うーん、このような問題を考え始めると「明るい未来」が見えなくて気持ちが沈んでしまう。
 もっと明るい未来が持てる情報も仕入れないと、子どもには提示できないな。

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January 10, 2007

「武士道」から「和俗童子訓」へ

 会津若松市の「あいづっこ宣言」について「童子訓のようだ」という指摘がWEBにあった。
 「童子訓」で検索してみる。
 いろいろ出てきて整理するのが大変だった。
 明治時代の「武士道」で再評価される「徳」は、江戸時代の儒学者の教えと通じている。
 とりあえず、今日は、このようにまとめてみる(盗用といえば盗用ですから、心苦しいなあ)。
 
 江戸元禄時代の儒学者であり『養生訓』の著者貝原益軒(1630~1714年)が「子どもの教育に関する体系的な書として『和俗童子訓』を著わした。
 益軒の著作は武士庶民を問わず江戸時代の人々によく読まれた。
『和俗童子訓』は日本初の"子ども教育論"であり寺子屋のバイブルだった。
 益軒によれば「しつけとは幼い子どもに生活上の習慣や社会で守るべき規範を身に付けさせること」としている。
 「およそ小児は智なし、心もことばも万のふるまいも、皆かしづきしたがう者を見習い聞きならいて、かれに似する」=子どもの心も言葉も全ての行いも、見習い聞き習い模倣することで、その人に似通ってくる。
 
①およそ子を育てるのに、生まれたときから度を越した愛情を注いではならない。
度を越した愛情を注げば、子を台無しにする。
② 「人の悪徳は衿(きょう)なり」=人が徳にはずれて悪いのは、誇ること、いばることである。子どもに善行があったり、才能があっても褒めてはならない。褒めると、高慢になって学問もしなくなり、また、人から学ぶこともしなくなる。
③幼いときから、心、言葉は「忠信(まこと)」、すなわち誠心誠意を主とし、嘘・偽りがあってはならない。
もし子どもが嘘をつき、人を欺くような場合には、厳しく戒めなければならない。
まして、親の方から幼い子どもを欺いて嘘をつくことを教えてはならない。
親が嘘をつけば、子どもがそれを習うからである。
④ 父母が子どもを厳しくしつけなくて、度を越してかわいがることをすれば、子どもは父母を軽蔑し、行儀が悪くなり、道に背くようになってしまう。
⑤子に対しては幼い時より、孝悌の道をもっぱら教えるべきである。

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あいづっこ宣言

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会津若松藩、日新館の「什の掟」については、以前も書いた。

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです 

現在の会津若松市には「あいづっこ宣言」の看板が掲げられているそうだ。

1.人をいたわります 
2.ありがとう ごめんなさいを言います 
3.がまんします 
4. 卑怯なふるまいをしません 
5.会津を誇り、年上を敬います 
6.夢に向かってがんばります
やってはならぬ やらねばならぬ 
ならぬことは ならぬものです

教育委員会のHPを見ると、それぞれの項目には解説(宣言内容の具体的な内容)が書かれている→ここ
お題目だけでは効き目がないかなと思っていたので、そこまで書かれてあると安心する。
また、お題目のような宣言で効果を上げるのか疑問もあったのだが、次の説明で理解した。

この「あいづっこ宣言」に込められた内容は、青少年の行動規範であると同時に、大人の行動規範でもあります。
幼いころに「あいづっこ宣言」を覚え、思春期や青年期には困ったときや苦しいときに思い出し、親になったときには子育ての柱として、また、大人として人生に悩んだときには生きる力として、また、孫たちには教え聞かせるなどして、人生のそれぞれの時期に、私たち会津人の心の糧として、この「あいづっこ宣言」を生かしてほしいと考えています。

 「三つ子の魂百まで」というか「門前の小僧、習わぬ経を詠む」というか。
 お題目だと一蹴するのは簡単だが、簡単なフレーズだからこそ、いつまでも心に残り、心の糧となるんだなあ。

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January 03, 2007

「新・武士道」岬龍一郎(講談社+α新書)

Misaki
とりあえず読了。
PHPの『武士道』のあとがきと重なる箇所も多く、復習しながら読み進めることができた→ここ

しかし、ネットサーフィンではないが、この本を読むと、次から次へと読む必要のある本が増えてきた。
人物で言えば西郷隆盛・上杉鷹山・山岡鉄舟・福沢諭吉・二宮尊徳・・・
この本に紹介された概要では、なかなか満足できない。入門書としては読みやすくてよかった。
先日書いたように「武士道」は、もういいかなと思っている。
それは、「武士道」の大元は儒教や仏教や神道である以上、明治時代や江戸時代よりも、もっと遡ったことろから勉強しないといけないからだ。
 例えばP85では西郷隆盛の道徳規範『西郷南州遺訓」のある言葉の大元が『論語』の「天を怨みず、人を尤(とが)めず」であると解説している。また内村鑑三の用いる「天」の言葉に関連して、老子(道家の祖)の「天網恢々疎にして漏らさず」を紹介している。
 「天道は厳正だから、どのような悪事でも早晩見つかり、その報いは必ず来る」という意味から、
・天が見ている・・オテントウさまが見ている
につながっている.。
 「天知る、地知る、我知る、人知る」は「後漢書(楊震伝)」の言葉である。
 したがって「教育勅語」や「武士道」でなく、もっともっと古くからの日本人の道徳規範について勉強していきたいのである。

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January 02, 2007

「パート労働法改正」についての学習

 昨年12月31日の中日新聞に「パート労働法来年改正へ」という記事が掲載された。
そこに掲載されたグラフの原典を厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」の「労働者の平均所定内給与格差の推移」で検索したが分からなかった。
 したがって、注目した数値を示す。

05年の統計で、
・男性一般労働者の給与を100とした場合、
・女性一般は67.1
・男性パート52.5
・女性パート46・3

 単純に言えば、一般男性が1日で1万円の給与だとして女性パートは4630円だということだ。
 教員は公務員だからとのんびり「高みの見物」できる問題ではない。

 また、総務省調べの「正規職員・非正規職員の推移」のグラフによると
・06年の統計で
・非正規雇用者の割合は男性18,5%、女性52.9%

  そのような数値をきちんと押さえた上で議論していきたい。
 「ニート・フリーター」「格差社会」「ワーキングプア」「再チャレンジ計画」・・・。
 「パート労働法改正」が今年のことなら、今年のニュースに注目していこうと思う。

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January 01, 2007

拝金主義

 『武士道』(PHP文庫)のあとがきで岬龍一郎氏が次のように書いている(P218)

バックボーンたる精神を捨てれば、それに代わるものとして登場するのは、目に見える物質主義となるのは必然である。いわば戦後の日本が、経済至上主義のもとで効率だけをもとめ、私利私欲のエコノミック・アニマルと化したのも、当然の帰結だったといえる。そして、その結果として、”拝金教”のみを信じ、社会人として守るべき公徳心を忘れ、人情をなくし、住みづらい世の中を作ってしまったのだ。
『国家の品格』の藤原正彦も「ルールさえ守ればいい」「儲かればそれでいい」という現代の風潮を批判している。
 時代の寵児と、もてはやされた堀江社長。
 同じく他人のお金の運用で巨額の富を気づいた(失った?)村上ファンドの村上社長。
 「お金を儲けて何が悪いのか」という開き直る彼らのやり方は、「日本人」の大方の支持を得られなかった。 
 お金と切り離して生きることはできない。
 フリーターの問題は正社員の6割程度の賃金しか得られないことでもある。
 でも、お金さえあれば「何をしてもいい」「何でもできる」わけではない。
 「拝金主義」なんて、品のない言葉だ。
 マイナスイメージを強調するにはいいが、必ずしも悪ではないお金儲けを正当に評価する言葉はないのだろうか。

注 岬龍一郎氏には『新・武士道~いま、気概とモラルを取りもどす』(講談社α文庫)という著作もある。その序章でも上に記したことと同じような内容(岬氏が新渡戸『武士道』にひかれた理由も)書かれている。この本についてもきちんと読みこんでみようと思う。

注 『文芸春秋』1月号に「武士道の奥義を極める10冊」が紹介されているが、この中では新渡戸「武士道」以外、入手していない。自分の中では「武士道」は、もういいかなという思いもあるが、これだけ目にしていない本があると、もう少しがんばってから次へ行こうかなとも思う。
 斉藤孝氏が薦める「偉大なる生涯・伝記10冊」も、篠沢秀夫氏が薦める「日本の素晴らしさを伝える10冊」もなかなかおもしろそうだからだ。

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