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June 27, 2007

社保庁のボーナス自主返納

先日も書いたが、再度書く。
ボーナスを自主的に一部返納するという。
 

政府は年金記録漏れ問題に関連し、ずさんな年金管理を行っていた社会保険庁について、職員のボーナス(期末・勤勉手当)や給与の一部を削減する検討に入った。
 首相自身のボーナスなども一部返上する方向で調整している。首相周辺が22日、明らかにした。
 公務員のボーナスは、6月と12月の年2回支給されており、6月の支給は目前に迫っている。このため、いつの支給分から適用するか、削減対象を社保庁職員のどの範囲まで広げるかなどを政府内で検討している。
 首相は22日の読売新聞などのインタビューで、「社会保険庁には親方日の丸的な体質が残っている」などと述べ、社保庁の組織体質が年金記録漏れの温床になったとの認識を改めて示した。ボーナスや給与の返上は、国民の社保庁への批判に対し、一定のけじめをつけさせる狙いがある。(2007年6月23日3時20分 読売新聞)

社保庁職員が先日から休日出勤で対応して、その手当てを支給されているのだとしたら、
遅くまで残務処理して、その手当てを支給されているのだとしたら、
5%程度のボーナスを返納しても、大したことないだろう。

我々教員には残業手当がないから、給与がカットされたらお手上げである。
残業手当や休日出勤でまかなえる職場がうらやましいですよ。

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June 26, 2007

食品の危険

食肉会社の不正が話題になっている。
不正が20年以上前から行われていたからなのだろうか。
社長は当初、ほとんど悪びれることもなく、「みんなやっている」という雰囲気だった。
しかし、以前下記のブログで書いたことを考えると
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/07/post_9c77.html
そんなことは、本当に他社でも日常化していて、驚くに足らないのではないか。
差別発言するわけではないが、日本の会社でもこのようなデタラメが起きる。
輸入食品では、もっともっとデタラメが起きているのではないかと思う。
不信・不安というよりも、ほとんど確信レベルである。

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民間と公務員

 公務員の不祥事やルーズな仕事ぶりが話題になると
「民間では考えれません」
などとキャスターがコメントする。
 民間でない僕は腹が立つ。
 そんなに民間は立派か?金銭感覚が厳しいか?
 接待でただ飯が食べられるなんて「公務員では考えられない」じゃないか。
 家族を役員や社員にして必要経費と生活費をごっちゃにして領収書が切れるなんて「公務員じゃ考えられない」じゃないか。
 福利厚生で立派な施設が利用できたり、住宅補助で立派な賃貸住宅を借りられるじゃないか。
 夕方になると公園の駐車場に営業車で寝ている人がたくさんいるじゃないか。
 もちろん、そのような例がほんの一部であることは百も承知だ。
 だから、一律に「民間はいいよなあ」とは言わない。 
 だから、逆に「民間では考えられません」という言葉で束ねないでほしい。

・・・ただ、今回、民間の「ミートホープ」の件で、1つ「公務員では考えられない」ことがあった。
 突然の休業(廃業)と解雇だ。
  社会保険庁が、いくらとんでもない不祥事を起こしても、職員はも上司もクビにならない。
  明日から「仕事がない」ということはない。
  社保庁はおそらく臨時で土日出勤すれば、それは臨時で手当が出ているのだろう。
  ボーナスを自主返還しても、休日出勤や残業手当でカバーできるならアホらしい話だ。
  社会保険庁がなくなっても、職員はおそらく救済される。
  公務員は「失業手当」がないから、クビにならずにすむと言えるし、クビにしたくてもできないとも言える。
  「ミートホープ」の社員も不正を知っていたなら解雇もやむなしか。
  しかし、簡単に「解雇」というが、明日からの生活は大変だ。
  罪を憎んで人を憎まず、でつい社員の方に同情してしまう。
  もし、会社が世間の同情を誘うために突然の社員解雇を決めたなら、それはそれで、お見事というしかない。

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June 22, 2007

陰陽二元論と弁証法

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 陰陽二元論について、以前書いた。
 それは「弁証法」がよく分からなくて、たどりついた用語だった。
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/cat6782175/index.html

 久しぶりに実家に帰って気になる書物を探し出した。
『コトワザ教育のすすめ』庄司和晃(明治図書)
1987年第1版である。つまり約20年前。
「弁証法コトワザ」という項目がある。
 読んでいくと、白黒をはっきりさせない「陰陽二元論」と同じなのである。
 それは「ひょっとして」と思った自分の予想通りだった。
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1)万物変化の法則(全てのものは変わる)
・月日変われば気も変わる
・貧すれば鈍する

2)万物関連の法則 (全てのものはつながっている)
・悪事千里を走る
・大風が吹けば桶屋が儲かる
・下手があるので上手が知れる

3)対立の統一の法則 (全てのものは矛盾を背負う)
・東方の極端は西方なり
・長所は短所
・会うは別れのはじめ

4)量質の相互転化の法則(物事は互いに転化しあう)
・薬の過ぎれば毒となる
・下手は上手の元
・進みすぎて無に帰す

5)対立物の相互浸透の法則(対立物は互いに浸透しあう)
・坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
・住めば都
・習うより慣れろ

6)否定の否定の法則(物事は二度の否定で発展する)
・隠すために隠さない
・急がば回れ
・雨降って地固まる
・負けて勝つ

1・2の万物変化と万物連関は、伝来したインド的思考で言うと
「諸行無常」(あらゆるものは流転し変化する)
「因縁所生」(全ての現象は原因と条件によって生起する)
======================
 いかに自分が勉強不足か分かる。
 20年前の書物も「あれども見えず」だったのである。

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June 13, 2007

中学の選択授業廃止!

 まったく腹立たしいニュースが飛びこんできた。
 「中学校の選択授業の廃止」案である。
 まあ、中学校の教師でないと全くピンとこない問題ではある。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2007060902022810.html

中学の選択授業廃止へ 中教審部会長見通し語る 必修教科を優先 2007年6月9日 朝刊  学習指導要領見直しを進めている文科相の諮問機関・中央教育審議会教育課程部会の梶田叡一部会長(兵庫教育大学長)は八日、都内の講演会で「中学校の選択授業は多分なくなる」と見通しを語った。ゆとり教育を掲げた現行指導要領で、個性を伸ばすことを目的とした中学の選択授業拡大は目玉の一つだった。学力低下批判を背景に進められている今回の見直しでは、基礎基本の充実に重点が置かれており、必修教科の授業時数確保を優先するかたちとなりそうだ。  二〇〇二年度実施の現行指導要領では、それまで学年や教科の制限があった選択授業を一年生から全教科に拡大し、多様な学習活動を認めた。一年生〇-三十時間、二年生五十-八十五時間、三年生百五-百六十五時間の授業が可能。これまでの教育課程部会の審議では「まずは基礎基本」「好きなことはやるが、とっつきにくいことはやらないという子どもが増えておりバランスが問題」などの意見が出ていた。  この日の講演で梶田部会長は選択授業について「時間(の融通)がどうにもならない。選択の面白いところは総合学習の中で生かしてもらう」と述べた。小中学校ともに総合学習は存続させ、論点となっている小学校の英語も総合学習とは別の形で実施する方向で検討を進めるとした。  今後、部会の中でこの方向性を示し正式に審議が進められる予定

 多くの中学校で「選択授業は、やりにくいと思っていた。
 テストがあるわけではないし、好きな子同士で集まってしまう場合も多いので授業として成立しづらい。出席確認をとるだけで大変だし、週1回の授業準備が大変といった問題があった。
 中には全員選択と称して、全員一律の教科を教える学校もあった。
 それでも、昨年の世界史・書写の授業の未履修の問題と同じで
「どこの学校だってやっていない」
「やっている学校は少ない」
といった言い訳は通用しないから、おそらくどの学校も例年以上に「仕方なく」選択教科について取り組んだ矢先だと思うのだ。
 それが、中教審の方針で選択廃止だと!
 じゃあ、選択授業を自主的に削減して一律に必修教科を補充してきた掟破りの学校の方が結局は正しかったということではないか?
 選択授業より必修科目の充実という発想は、ほとんどの中学校の常識だった。
 その常識を無視して「選択教科」を押し進めてきたことに対し、「わび」の1つも欲しい、というのが我慢してきた現場の感覚である。

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June 08, 2007

いじめアンケート ~このごろのぼく・わたし~

8007
 「『いじめ発見システム』をつくる」(TOSS道徳「心の教育」③・明治図書)は、1998年初版だが、今でも十分参考になる書物である。
 教師向けのアンケートの実例もあって役に立つ。
 渡部敬氏が書いた「中学年・子供向けアンケート」が分かりやすかったので、一部改変して次のようなものを作成してみた。
 アンケートの内容は、時期・地域・学年に応じて適宜工夫すればいい。
 ただし、定点観測をしたければ、項目は変えず、いつも定番アンケートを実施する必要がある。
=============================
 このごろのぼく・わたし
           年      氏名(          )
 このごろ、あなたが感じていることや思っていることを教えてください。
 今の気持ちにあうものに○をつけましょう。
 これはテストではありません。だれにも教えません。
 
①あなたは、毎朝気持ちよく起きることができますか?
 ( )毎朝気持ちよい  ( )時々気持ちよい ( )毎朝起きるのがつらい

②あなたは、毎朝学校に来るのが楽しみですか?
 ( )毎朝楽しみだ  ( )時々楽しみだ ( )毎朝学校に行くのがつらい

③あなたは、このごろわすれものが多くなったと思いますか?
( )今までとかわらない・へった( )少し多くなった ( )かなり多くなった

④学校で、あなたのくつや持ち物がなくなることはありますか?
( )ない        ( )時々、なくなる    ( )よく、ものがなくなる

⑤あなたは、休み時間、楽しく遊んでいますか?
( )いつも楽しく遊んでいる ( )時々楽しんでいる ( )いつも楽しくない

⑥あなたは、おなかがいたくなったり、あたまがいたくなったりすることがありますか? 
( )ほとんどない    ( )時々、いたくなる   ( )よく、いたくなる

⑦悪口やあだ名を言われてからかわれることはありますか?
( )ない        ( )時々言われる     ( )よく言われる

⑧何もしていないのに、だれかにたたかれたり、けられたりすることはありますか?
( )ない        ( )時々ある       ( )よくある

⑨教科書やノートなどに、らくがきされることはありますか?
( )ない        ( )時々ある       ( )よくある
 
⑩学校であったことを、家の人に話しますか?
( )よく話す      ( )時々話す       ( )あまり話さない


★このごろの自分のことで、先生に何か話したいことはありませんか? 
ある人は下に書きましょう。


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ノブレス・オブリジェ 「高貴なる義務」

 ノブレス・オブリジェはもともとはフランス語。
 英訳すればnoble obligement。
 日本語に直訳すれば「高貴なる義務」となる。
 要するに、階級が高く、普段庶民よりもよい生活をしている人はいざ、国の一大事となった場合は真っ先に国民を守る。そのために貴族はまっさきに戦場にかけつけ、危険な場所で生命を賭けて敵と戦うという精神のことを言う。
 日本では「武士道」の精神、「いざ鎌倉」の精神が、これに近いと言われる。
 「高貴な義務」という美徳は明治維新とともに滅びてしまったとも言われている。

http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/rakka03.htmlの発言は参考になった。
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日本帝国陸海軍の元帥大将たちは、「生きて虜囚の辱めを受けるな」と兵士に訓示していた。このため真面目な兵士や民間人たちが数多く戦死し、あるいは自決した。ところが敗戦となった時、人間の真価がポロリと出ている。
軍人中の軍人として権勢を極めた陸軍大将はピストル自決に失敗し、米軍の捕虜となった。多くの高級将官たちも自決どころか「生きて虜囚」となった。
人前では威厳に満ちた将官でさえ、生命への執着心がいかに強かったことか。哀れなのは、虜囚の辱めを受けまいと死を選んだ兵士たちや民間人である。
エリートと見えし方々も平凡な人間であったのだ。本当に尊敬に値する人はいつの世でも数少ない。
日本では、「ノーブレス・オブリージ」に相当する身近な言葉がないから規範や倫理となって定着していない。
強いて言えば「率先垂範・出処進退」の心得がこれに相当しようが、どうもこれだけでは少しニュアンスが違う。
「率先垂範」以上に難しいのは蹉跌の場合の「出処進退」であろう。
士農工商の階級社会がなくなったのはよいが、商道や倫理観を欠く商工優位の金権社会に堕落したように見えるケースがしばしぱ起きる。
その度毎に、政治家や経営者や高級官僚の「出処進退」がジャーナリズムの話題になるが、残念ながら根本的な解決にならない。
「ノーブレス・オブリージ」は、辞めれば済むという問題でもないからだ。
「率先垂範・出処進退」などの「行動規範」以上に大事なのは、「ノーブレス・オブリージ」の根幹をなす「倫理規範」であろう。
昔は商いにも「商道」があった。一般的には「良識的判断」「弱者への思いやり」「責任感」「正義感」といった徳目であろう。英国では「嘘」と「賄賂」は通用しない。
進学・体育・芸能などの英才教育は盛んであるが、徳育の英才教育は聞かない。
人格にいささかの欠陥があっても、偏差値が高ければ社会的に高い地位に就けるようであれば、官僚や経営者のスキャンダルは減るまい日本の風土にあった「ノーブレス・オブリージ」の倫理を、身近な日本語による教訓として確立し、規範として定着させ、伝承させる必要があるのではなかろうか。

・・・「武士道」とか「滅私奉公」といった言葉が過剰反応をもたらすなら、
「ノブレスオブリジェ(高貴なる義務)」や「率先垂範」という言葉を用いて、その美徳を推奨していきたい。

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June 05, 2007

「徳育」の教科化

教育再生会議の第二次報告で「徳育」の教科としての位置づけが提言された。
2007年6月2日の中日新聞の社説は「教育二次報告 『修身』復活はごめんだ」と題して早速、戦前の教育とダブらせて論証抜きの印象批判を展開した。
「『修身』のような授業」という表現で批判をするなら、「修身」のどこに問題があったのかについて、一言でもいいから触れるべきだ。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2007060202020879.html

 「徳育」は教科とし、教科書もつくれという。教育再生会議がまとめた第二次報告は、提言の柱の一つに「徳育の充実」を掲げた。教材の例に偉人伝を挙げるが、戦前の「修身」復活ならごめんだ。
 二次報告は「学力向上」「心と体-調和の取れた人間形成」「大学・大学院の再生」「財政基盤のあり方」を四大テーマとし、「心と体」の冒頭の提言で「徳育の充実」をうたっている。
 社会の規範意識や公共心を身につけさせる教科に道徳があるが、再生会議の議論ではいまの道徳教育は十分ではないとし、さらに発展させた教科として徳育を位置づける。国語や社会科、体育、総合学習の時間なども関連付けて充実させるとしており、重要視している姿勢がわかる。
 ことし一月の一次報告は子どもの規範意識を高める方策として「民話や神話・おとぎ話、茶道・華道・書道・武道などを通じて徳目や礼儀作法、形式美・様式美」を掲げた。復古調が目立ち、諮問した安倍晋三首相が絶賛した内容だった。
 この具体的手段が徳育の教科化だが、教材には「教科書と副教材を使う」という。「その際、ふるさと、日本、世界の偉人伝や古典などを通じ、他者や自然を尊ぶこと、感動などに十分配慮したものが使用されるようにする」と補足説明も付く。
 教科書とは文部科学省の検定を受けたものを指す。すでに小学校では副教材「心のノート」が使われているが、これには一定の考え方や感じ方を教え込むものではないかとの批判が出ている。検定を受け、一定の枠にはめられた教科書で徳育を教えることはその傾向がさらに強まる。ましてや、偉人伝などとくると、戦前の教科書を思い浮かべてしまう。
 徳育の評価方法に報告は「点数」を外した。規範意識の習得度を数値化するのは困難であり、当然だ。ただ、教科である以上は評価が伴う。記述式も検討されたという。
 具体的には中央教育審議会でも議論されるだろうが、教科化そのものをもっと慎重に吟味すべきだ。徳育が昔の「修身」のような授業として復活を目指すのなら、批判は相次ぐだろう。
 徳育の教科化に会議メンバーの間では意見が分かれていた。まとまらない段階で座長と座長代理に結論が一任された。七月の参院選を前にして出てきた二次報告は、これを「美しい国」の土台にしたい首相の意向に再び沿う内容だ。会議は公開されておらず、結論までのプロセスが見えにくい。子どもの将来にかかわる重要なことをこんな手順で進めていっていいものだろうか。

  
1) まず「心と体-調和の取れた人間形成」「徳育の充実」とあるが、
 この提言に異論があるのかどうか。この提言そのものに反対せず、再生会議の提言に反対なら、代案を示すべきだ。

2)検定を受け、一定の枠にはめられた教科書で徳育を教えることはその傾向がさらに強まるとあるが、
 日本人としてのごくごく当たり前のルールやモラルを全国共通となる教科書で教える(涵養する)ことのどこに問題があるのかをはっきりさせてほしい。それすらためらうから、ルール無視・モラル低下の現在があるのではないか。

3)ましてや、偉人伝などとくると、戦前の教科書を思い浮かべてしまう、とあるが
 偉人伝のどこが問題なのかがよく分からない。偉人伝はそんなに蔑視されるべきものなのか。
 修身の教科書に登場する偉人は決して批判される人物の羅列ではない。
 巻四で、孝行・兄弟・勉強・規律に登場する渡辺登。 志を堅くせよに登場するイギリスのジェンナー、博愛のナイチンゲール、法令のソクラテスなど感心する人物も多い。巻五は上杉鷹山・勝安芳・吉田松陰・コロンブスといった著名人以外にも三河の古橋源六郎・伊予の作兵衛・伊勢の伊藤小左衛門・山城の義兵衛など失礼ながら地味な人物の例示も多い。「偉人伝=戦前の教科書」とは低俗な印象批判にすぎない。

4)徳育が昔の「修身」のような授業として復活を目指すのなら、批判は相次ぐだろう、とあるが、
どうしたらルール無視・モラル低下に歯止めがかけられるのか、具体的にどうしたらいいかを述べてほしい。。
 ちなみに、「徳育が昔の『修身』のような授業として復活を目指すのなら、批判は相次ぐだろう」ということは、
「『修身』のような授業として復活を目指さないなら、批判はないだろう」ということになる。
 誰も「修身のような授業として復活を目指す」などと述べていないのだから、この「批判は相次ぐだろう」は余計なお世話ともいえるイメージダウンの操作でしかない。
 
 一方、産経新聞の社説は正反対。
 タイトルは「教育再生会議 評価したい徳育の教科化」である。
 その見解の相違をきちんと論じてほしいものだ。
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070602/shc070602001.htm

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June 02, 2007

リップンチェンシン=日本精神

リップンチェンシンで検索すると、いくつかヒットする。
自分は『文芸春秋』昨年の8月臨時号「私が愛する日本」で知った。
金美齢さんの言葉の中で次のように。
============
台湾では、戦後、日本時代を懐かしんで、「リップンチェンシン(日本精神)という言葉が使われるようになりました。それは、旧日本軍などが使った国粋主義的な意味合いではなくて、清潔、公正、誠実、信頼、責任感といった人間が生きていく上で守る倫理、美徳といったものを総称した言葉なんですね。(中略)反対語としてインチキはするわ、お金が万能だわ、汚職は大変だし・・というやり方を「中国式」といいます。
============
他国が褒め称える日本の美徳が失われているならば、手遅れになるうちに策を講じるべきだ。
しかし、だからといって「徳育の時間の設置」などと言われると、具体的に決まっていない時点で、批判も上がっている、要するに「修身教育の復活」というトーンである。
「知育・徳育・体育」だから「徳育」という言葉は決して問題はないのだがイメージが悪い。
高校の社会で実施されている「倫理」の授業という名称の方が反発が少ないと個人的には思う。

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