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February 24, 2008

記憶の三段階

 佐々木信一郎著 『子供の潜在能力を101%引き出すモンテッソーリ教育』(講談社α新書)中に、モンテッソーリ教育の中で用いられる用語として「セガンの3段階」があると書いてあった。
  「セガンの三段階の名称練習」=「概念と言葉を結び合わせる活動」を自分なりにまとめてみる。(P70~73)
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1)「これは○○です」と名称を伝える「短期記憶」の段階。
2)「どっちが○○ですか」「○○をください」と何度も名前を聞いて選ばせる「保持」の段階。
  「リハーサル」とも書いてあった。
3)「これは何ですか」と聞いて「○○」と答えさせる。「再生」の段階・長期記憶の段階。
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・・・セガンの三段階の名称練習は、認知心理学によっても裏付けられる方法です、とある。
 また、第2段階の「大人が名称をいい、子供が何度も動く」場面が大事だとされている。
 ネットの心理学用語辞典を調べたら、よく似た箇所があった。

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☆記憶 memory
 記憶とは生体が過去の経験の効果を保持し、後にそれを再現して利用する機能。符号化(明記)、貯蔵(保持)、 検索(想起)の3段階からなる。

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・・・記憶の3段階は「明記・保持・想起」というのは、セガンの3段階と同義だとみてよいだろう。

 さて、この部分を読んで、いろんな実践が思い出された。

◆算数で用語を教える場面では、
 「○○とは△△のことを言います。」
 「○○とは何ですか?」
 「△△のことを何と言いますか?
の3番目のように、きちんと逆からも問うことが「詰め」になっている。
 
◆「対比」の用語を教える場面では、
1)○○と△△のような関係を「対比」と言います。

2)○○と対比されている言葉は何ですか?
2)○○と△△は、どんな点で対比されていますか。

3)この場面では何と何が対比されていますか?
3)この場面に対比はありますか?
 
1)用語を記名レベルで教えこむ
2)用語の持つ意味や定義をきちんと理解させる
3)別の場面でも自分でその用語を使いこなせるようにさせる
というように導いていかなくては、教えたことにはならない。
 
 この記憶の3段階は、認知心理学の「理解」の3段階
1)想起レベル
2)解釈レベル
3)問題解釈レベル

とも重なってくるのかが気になってきた。
 自分の知識では理解できないので、今後の課題としたい。

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February 17, 2008

論理数学的な法則性

 Photo
モンテッソーリ教育の第一人者、相良敦子氏の『お母さんの敏感期』のたくさんの箇所に付せんを入れた。

P112~113・145
・《知性の働き》は、ひとことでいえば〈区別する〉ことです。まず「分ける」のです。次に分けたものを「集める」、分けたものを「較べる」、分けたものを「合わせる」などします。別の言葉でいえば、「分析」「集合」「比較」「対応」などをするということです。知性は分析・集合・比較・対応など論理数学的な法則性によって、どんどんと展開します。
・《知性の性質》は、ひとことでいえば〈自発性〉なのです。知性が働くところには自発的な発展が見られるわけです。

・・・とりわけ「対比されている表現を集め、分類し、意味づけして主題に迫る」という国語の授業は、論理数学的な法則性だったという意味でも画期的だったわけだ。
 浴びるほどの体験の蓄積→ 「分析」「集合」「比較」「対応」という授業も、論理数学的な法則性に則しているわけだ。
 そして、この知性の働きについて、数字がもっている三つの構造を示している。

P146~147
①分類したり、結合させたりする。(代数的構造)
②A<B<Cのように系列化する(順序の構造)
③空間とか図形の性質にそって、連続させたり、隣接させたり、包囲したりする(位相的構造)

・・・思いつきの授業は、科学的根拠を持てない。
  確かな授業は、確かな科学的根拠に支えられている。
  以下の引用部分も要注意である。

P152
「分けたり・集めたり・較べたり・合わせたり」という〈数学的〉働きをしながら、また、「抽象したり・因果関係をしらべたり・類推したり」という〈哲学的〉働きをしながら、知性は、その働きを続け、どんどん発展させていくという性質をもっています。だから、知性の性質は「自発性」だといえます。

P161
《自律とは》
・自分の頭で考え(知性を働かせ)
・自分のからだ(感覚器官や運動器官)をよく使い、
・自分のやりたいことを自分で追求したり展開できる力
P162
《自立》の前提となるものが《自律》のように思えます。
・「これをこうすれば、こういう結果につながる」という見通しがもてること。
・そのように考えたら、自分の思い通りに動けること
・やり始めたことを、どんどん発展させていけること
このような力を身につけている子どもは《自律》能力を備えているといえましょう。

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「天洋食品」産と中国産の異同の自覚

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中国産の冷凍食品というだけで、敬遠する風潮が広まっている。
たしかに心境的には、そうなる。
だから、下記のような主婦の嘆きも分かる。
http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080214/sty0802141654003-n1.htm

しかし、今現在、天洋食品の冷凍食品だけが問題なのだ。
しかも、特定の人物が混入したと言うことなら、特定の日付のものに限定される。
それを拡大視して中国産すべてが危険なようなイメージをもって一方的に排除しておいて「困った」「家計に響く」と嘆くのは、おかしいのではないか。

三菱自動車にリコールがあって、日本車すべてが拒否されるか。
ナショナルのファンヒーターに欠陥があって、日本の家電がすべて拒否されるか。

そう考えたら「天洋食品」=「中国の冷凍食品」というイコールはありえない。
少なくともマスコミは、冷静な判断に努めるべきだ。
先の特集は対象を勝手に拡大していたずらに不安をあおっているとしか思えない。 

もちろん、個人が中国産の購入を敬遠するかどうかは自由である。

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February 16, 2008

食糧自給率を憂う自分の位置

 食糧自給率を憂うことも、中国への食糧依存を批判することも簡単だ。
 2月15日中日新聞夕刊の「紙つぶて」で、作家の宮内勝典氏が書いている文章に衝撃を受けた。
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中国製の冷凍餃子に農薬が入っていた。この事件によって露わになってきたのは、日本の食糧自給率の低さであった。だが、それを批判する資格は自分にはない。地を耕したこともなく、種をまいたこともなく、1粒の米も野菜も作ったことがないまま、いまもパソコンに向き合って自給率の低さを嘆いている。こうした矛盾をだれもが抱えているはずだ。糾弾する資格があるのは農業に従事している人たちにほかならない。
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 まさに、その通りだ。
 もちろん、そのように卑下してしまうと、当事者以外は何も言えなくなるから「言論封鎖」になってしまう。
 「だから口をつむれ」とは言わないが、自分の立脚点をしっかり自己認知しろ、ということは言えるだろう。
 「お前が偉そうに何を言うのか」と糾弾されないよう、自分が言える「分」をわきまえることが重要だ。
 それが今流行の「空気を読む」ということなのかもしれない。

 ちなみに、食糧自給率をどうするか、農業就業者をどうするかを授業で話し合うと、子どもでも、というか、子どもだから、というか「農業従業者の公務員化」が出てくる。
 これは、社会主義経済か自由主義経済かということにもあるのだが、義務教育だって公務員が支えているのだから、食糧自給を公務員が支えることは決しておかしな発想ではない。
 雇用がない・働き口がないという問題も深刻だが、
 農業の跡継ぎがいないという問題も深刻である。
 ところが、この2者は容易につなげられない。 
 「利益の上がる農業」がなかなか成り立たないからだ。
 そして日本の農業の利益が上がらない原因が、安い食糧の輸入依存なのだから、この「負の連鎖」は根が深い。

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道路特定財源の無駄遣いの本質は?

 冬柴国土交通相は14日の衆院予算委員会で、ガソリン税などを原資とする道路特定財源で中部地方整備局名四国道事務所が2004年8月、アロマセラピーの器具を購入していたことを明らかにしたそうだ
 ニュースの見出しの「アロマ器具購入」もセンセーショナルだ。
 で、金額は2台で約46000円。
 それは、果たしてとんでもない数値だろうか。
 記事の後半には、道路事業宣伝のミュージカル公演費用が3年で約5億2600万円が道路特定財源から支出されたともある。
 明らかにケタが違う。
 4万円のアロマセラピーや、数万円の野球道具やカラオケセットは、イメージしやすいから批判も起きやすい。
 逆に何億・何十億の無駄な道路や橋、ミュージカルなどは、数値が大きすぎて批判しにくいのだろうか。
 「アロマセラピーすみません」「カラオケセットすみません」とわびて、数十万円の無駄遣いが正されたとしても
何億・何十億の無駄が見逃されては全く意味がない。
 小さな無駄にこだわって、大きな無駄が糾弾されないのであれば、それは、まさに「木を見て森を見ず」ではないか。
 
 全国のアロマセラピーやカラオケセットをいくら節約しても、道路1mの建設費にもならない。 
 そのことを十分意識して、糾弾しなければ、時間の無駄・紙面の無駄なのである。 
 レジ袋節約ばかり注目して、もっともっと大きな石油浪費が話題にならないのと同じ構図がここにある。

・・・・このブログは、社会批判として書いたのではない。
これも1つの「メデイアリテラシー」の好教材だと考えている。念のため。

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February 11, 2008

食の安全保障

  中国ギョーザについてブログに書いたら、翌日の中日新聞の社説が「食の安全保障 自給率はもう限界だ」だった。

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2008021102086745.html

◆食料生産の舞台裏を記録した映画「いのちの食べかた」が異例のヒット中だそうだ。
◆六〇年代はじめ、日本の自給率は約八割。ドイツの六割よりも高かった。
◆パン食が普及し、九一年の牛肉自由化が、肉食に拍車をかけた。和食の自給率56%に対し、洋食は14%。
◆頼みの中国も、十三億の人口を抱え、二〇〇四年から農産物の純輸入国。
◆米国は、日本の輸入量の七割を賄う大豆畑をつぶして、トウモロコシから油を搾るバイオエタノールの増産に突っ走る。
◆豪州では異常気象が、小麦の生育に深刻な影響を及ぼし、近海の漁業資源は底をつく。
◆自給率94%の米を余らせ、埼玉県の面積に相当する耕作放棄地を抱える矛盾、
◆食料の輸送距離に重量をかけた「フードマイレージ」が世界で断然一位の無理
◆宴会料理の15%を食べ残してしまう無駄。
 「命をつなぐ食料を他国にゆだねるさまざまな危険や無駄と向き合うことから、自給率向上への道筋がきっと見えてくるはずだ」と結んでいる

 食の安全保障・国家戦略の必要性は、国防以上に重要だ。
 核攻撃がなくたって、食糧輸入がストップしたら日本はお手上げなのだ
 もちろん輸入食品にテロ集団が薬物混入したら大パニックになる。、
  
 「C02削減の観点から「フードマイレージ」を考え、地産地消を考える。
 「限界集落」「離農」の観点から、農業政策を考える。
 「雇用確保」の観点から、農業従業者の拡充を考える。
 
 他人事ではない。他人任せでもいけない。
 自分にできること・子供たち自身ができることを考えていかねばならない。

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中国ギョーザ事件の影響

中国産の冷凍ギョーザに農薬(劇薬)が付着していた問題は、死者がでなかったとはいえ、あやうく死者がでるところだったわけで全くとんでもない事件だった

でも、この事件のおかげで、いくつかの事実が再確認された。
1)日本の食糧がいかに中国産・外国産に依存しているか、よく分かった
2)日本の食糧は、けっきょく「安全」より「価格」を優先していることも、よく分かった。
3)地球温暖化対策の1つは「フードマイレージ=C02の排出量の記録」であり、「輸入削減」「国産重視」「地産地消」の動きである。そのような方向に国民の目がいくようになった。

 とはいえ、すぐに中国産全面輸入禁止というのは重い
 国産と中国産では単価が違うから食料品が値上がりする。
 しかも日本の農業の担い手の6割は60才以上というから、急に生産量は上げられない。
 言うほど簡単には国産だけで食料は確保できないのだ。

 せっかくの事件だ。
 国民の意識が後押しするから、自給率アップに向けてアクションを進めるいいチャンスだとは思うが、道のりは険しい。

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