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June 30, 2008

秋葉原事件と「手紙」(東野圭吾)

 百歩ゆずって秋葉原事件の犯人に同情する部分を感じたとしても、殺人という行為は絶対に許さない。
 派遣雇用への怒りは感じるが、だからといって殺人は容認しない。
 絶対に秋葉原事件の犯人をヒーロー扱いしてはいけない。
 しかし、残念ながら、愉快犯・模倣犯が後を絶たないようで、ついに30人を越えたそうだ。

 http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jiji-30X791/1.htm

犯行予告、3週間で30人摘発=未成年14人、無職10人-警察庁
2008年6月30日(月)16時53分配信 時事通信
 東京・秋葉原の通り魔殺傷事件後に相次いでいるインターネットへの犯行予告書き込みで、全国の警察が29日夕までに、29件の30人を摘発したことが30日、警察庁のまとめで分かった。未成年者が14人を占め、職業別では無職の10人が最多だった。
 同庁によると、「大量殺人します」「爆破する」といった犯行予告を書き込んだとして摘発されたのは、11~43歳までの男女30人で、女性は4人だった。
 未成年者は半分近い14人で、このうち13歳が3人、11歳も1人いた。30代と40代は1人ずつだった。
 職業別では、最多が無職の10人で、アルバイト6人、大学生4人、会社員と中学生3人ずつ、と続いた。
 
 そんな殺人犯・模倣犯には、東野圭吾の「手紙」をぜひ読んでほしい。
 でも、きっと読まないだろうから、かいつまんで教えてあげるよ。
 殺人犯の弟である主人公は、友人をなくし、アパートを追い出され、就職もできないんだ。
 恋愛をすれば厳しく身元を調べられ、何か事件があれば真っ先に疑われるんだ。
 殺人犯は自分の犯した罪のせいで、自分の家族までもが不幸になる事実をしっかり想像しておくべきなのだ・・というようなセリフが出てくる。その通りだ。
  
 死刑になった宮崎勤の父親は、当の死刑囚よりも早く命を絶った。
 家族は死刑囚以上に、責任を感じ、周囲の差別に苦しんで、一家離散状態になった。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/unknown7miyazaki.htm
被害者、遺族の悲劇はいうに及ばないが、事件で宮崎家の家族や親類の多くも婚約の破談、離婚、退職に追い込まれた。改姓した親族もいた。逃げるように住み慣れた町を後にした人もいた。
 父親は、被害者への賠償金を支払うため先祖代々の土地を売り払い、5年後の94年11月、青梅市内の多摩川にかかる橋の上から飛び降り、自殺した。

 そのような事実も、また犯罪の抑止力になるのだから、繰り返そう。
 罪を犯せばあなただけでなく、あなたの身近な人もその罪を背負うことになるし、苦しく辛い一生を送ることになる。あなたが死刑にならなくても、あなたの家族の中に死を選ぶ者がいるかもしれない。
 自由な生活を奪われた家族は、あなたが刑務所でのんきに隔離されている間、あなた以上に辛い思いを強いられるのだ。 

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June 29, 2008

さだまさし「償い」と菊池寛『恩讐の彼方に』

Photo
 罪を償う尊い行為を考えさせるエピソードの筆頭として『青の洞門』、菊池寛の『恩讐の彼方に』がある。
 どこまでが実話で、どこからが実話でないかは微妙だが、たとえ実話でなくても、十分に意義のある作品だ。
 ただし、菊池寛の『恩讐の彼方に』は妾殺しのような内容を含み、文章表現も難しいので「青の洞門」として伝わる民話の方が受け入れやすい。道徳の副教材も「青の洞門」である。
たとえば、次のサイトから内容が把握できる。

http://www.d-b.ne.jp/siga/panora/honyabakei/yabakei360.html

 次の部分などはクライマックス言えようか。

年も60歳をこえているうえ、ひたすら岩かべをほりつづけたため、すっかり体がよわりきっている禅海にむかって、「禅海、わすれたか。 わしは、お前に殺された中川四郎兵衛の子、実之助だ。父のかたき討ちにきた。かくごしろ。」と、武士がさけんだ。 このことばをきいた禅海は、「なんで忘れましょう。この四十年間、あなたの父上をころした罪に、いつも苦しんできました。その罪ほろばしのために、穴をほりつづけているのです。もうすこしです今、あなたの手にかかって死ぬのが本当ですが、あと三年、命をかしてください。この洞道ができましたら、いつでもあなたに討たれます。どうかおねがいします。」と、手をついてたのんだ。しかし武士は、「いや、ならぬ。かくごしろー」と、刀に手をかけた。 そばでようすを見ていた、跡田村の庄家喜作さんは、けんめいにふたりの中にはいると、実之助に、禅海の三年の命ごいをして、工事をつづけることにした

 3年後、実之助はトンネルの完成を禅海と手をとりあって喜び、敵討ちを放棄する。トンネルを掘り初めて30年。罪を犯してから40年後、禅海は許しを得たのだ。
 禅海は、被害者の肉親である実之助に宣言して贖罪のために穴掘りをしたわけではない。工事が終わったら殺されてかまわないと語っている。
 ひょっとしたら実之助は禅海がこのような行為をしていることも知らないまま、一生憎しみを抱いて過ごしたかもしれない。禅海が実之助に贖罪の意思表示していないのだから、それは当然だ。
 その意味で、禅海和尚の行為は、もともと自己完結な行為であって、加害者へのメッセージには、なっていない。

 それでも読者の心を打つのは何だろう。
 裁判官も加害者にさだまさしの「償い」を勧めるなら、「青の洞門」を勧めればよかったのに、と感じたのはなぜだろう。
 被害者に一切の謝罪をしていない禅海の贖罪行為など無意味ではないか、と切り捨てる気になれないのはなぜだろう。

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さだまさし「償い」と「風切るつばさ」(木村裕一)

 『風切るつばさ』(木村裕一)という作品は小6の東京書籍の国語教科書にある。
 初めて目にした時は驚いた。
 しかし、自分の感じ方が独断的なのかもしれないが、次第に、この作品のよさ(重さ)を感じるようになった。

おおざっぱに言えば、
主人公のツルは、親友のためにしたある行為で仲間はずれにされ、ショックで体が動けなくなる。
当の親友は多くを語らず、主人公の脇でじっと彼が動ける日が来るのを待ち続ける。

という内容である(2人の名前がクルルとカララで混同しやすい)。
 最初の印象は「この内容は、まずいんじゃないの?」だった。
 親友のカララは、自分のためにした行為で主人公クルルが周囲から非難されている時に何の弁護もしなかった。下記のように書いてある。

「そのときから、クルルは、まるで仲間殺しの犯人のようにあつかわれるようになった。だれ1人、かれの味方はいない。カララでさえ、だまってみんなの中に交じっている」

 なんと厳しい状況であろう。
 クルルにしてみれば、親友のカララにだけは守ってもらいたかったに違いない。
 その後のカララは、はっきりと謝罪の言葉を言うわけでもなく、動けなくなってしまったクルルの横に寄りそうだけだった。
 クルルだって今さら謝罪すればすむ問題ではないと思っているのだろう。
=========================
 もしカララが「さあ、いっしょに行こう!」と言ったら、たとえ飛べたとしても首を横にふるつもりだった。「おれなんかいらないだろう」とも言うつもりだった。でもカララは何も言わなかった。ただ、じっととなりにいて、南にわたっていく群をいっしょに見つめていた。
========================
と書いてあるから、謝罪の言葉など通用しなかっただろう。
 しかし、だからといって謝罪もせずに黙ってそばにいる神経が最初は分からなかった。

 ただ、何度も読んでみると、黙って寄り添っていた期間がずいぶん長かったことが読みとれる。
 主人公のクルルが飛ばないなら、カララは一緒に飛ばない、つまり一緒に死ぬ覚悟を決めていたらしい。
============================
日に日に寒さが増してくる。(こいつ覚ごしてるんだ・・)クルルの心が少しずつ解けていく気がした。(そうか、おれが飛ばないとこいつも・・)と思った。
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 最後には主人公は親友を許した。
 それは、言葉ではなく謝罪の行為が主人公の心を動かしたのではないだろうか、と読める。
 逆説的に言えば、

◆謝罪の言葉をいくら繰り返しても「言えば許される」というものではない。
◆大事なのは相手に気持ちを考えて行動することだ。

ということになる。
 さんざん非道いことをしておいて「ごめんね」と一言謝って、それで相手が許さないと「謝ったからもういいだろう」と開き直るような子が現実には存在する。謝罪の言葉の軽さにあきれることも多い。

 それを考えたら、この親友の行為も一理あるのかなあという気がしてきたのだ。
================
大事なのは言葉ではない
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 もし、これが教科書編集者の意図だとしたら、すごいことだ。
 6年生の国語の教科書のトップバッターに
◆「言葉が全てではない」
◆「心のない言葉は要らない」
を意図的に配置したのだとしたら、見事だ。
 言葉を伝える=心を伝えることの重さを十分に感じさせてくれる作品だ。
 
 さて、この作品も「償い」について考えさせる。
 「ごんぎつね」の悲劇は、きちんと謝らないでおいて陰でコソコソお詫びの品物を届けたから起きた。
だから4年生の子どもには「コミュニケーションの大切さ・きちんと言葉で伝えることの大切さ」を伝えたいと思う。
 それを踏まえた上で、6年生の子どもには「いくら口で謝ったって心がこもっていなければ相手の心に響かない」という1つ上の行動を要求しているのだと言える。

 先にも書いた。
 自分の感じ方が独善的なのかもしれない。
 押しつけるつもりはないが、このような読みも可能範囲なのだと思っている。

 さだまさしの「償い」を考えよう。
 世の中には、罪を償うために、被害者の感情を逆なでしないために、意識的に被害者との接触を避け、日々の行為で贖罪を貫いている人も多いと思う。
 その代表例が菊池寛「恩讐の彼方に」=「青の洞門」である。
 これも、小学校の道徳教材になっているので、次に考察を加えてみます。

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June 21, 2008

さだまさし「償い」と『ごんぎつね』

 「償い」を考えさせる児童作品といえば『ごんぎつね』が思いうかぶ。
 小学校4年生の国語教科書の定番作品だ。
 自分のいたずらで兵十につらい思いをさせたと思いこんだ「ごん」は、償いのために栗やまつたけを送り届ける。
 残念ながら兵十はかえって盗人扱いされてしまうなど、必ずしもごんの「償い」は通じない。
 おまけに、ごんは自分の償いのみつぎ物を「神様のしわざ」と思う兵十に不満を持つ。
 ごんは自分の「償い」を伝えたかったのだろうか。
 ごんは自分の「償い」に感謝してほしかっただろうか。
 最後に兵十はみつぎ物を持ってきたごんを盗みに来たと思って銃で撃ってしまう。
 「ごめんなさい」
 「いたずらのおわびをしに来ました」
 「自分の償いのしるしを受け取ってください」
と言えない人間ときつねの間であるがゆえに起きた悲劇である。

相手に通じない「償い」は「償い」になりえない。
という教訓さえ感じる作品だ。

みなさんは言葉が通じ合えるのだから、謝罪も償いも言葉で示しましょう。

 そんな気にさせる作品なのである。

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さだまさし「償い」と東野圭吾「手紙」

Photo

さだまさしの「償い」の歌詞を読んで、東野圭吾の「手紙」を思い出した。
といっても、実は本を読んでいない。DVDだけなので、書籍とはストーリーも異なっていると思う。

DVDでも十分「償い」を考えさせられた。
殺人犯の兄は愚直に手紙を出し続ける。
弟に、そして被害者宅に。
殺人犯を家族に持つ弟は、兄の手紙を疎ましくさえ思うようになる。
転々と職を変えねばならず、自分の人生を狂わされてしまったからだ。
被害者宅には読まれない手紙の山が積んである。封も切られていない。
加害者からの手紙など読む気になれないのだ、というような心境だ。

兄の「償い」の手紙は、なかなか相手には通じないのである。
そのことを思い知らせるこのDVDは、実に重い作品だった。
「こんなに謝っているんだから許してあげてもいいじゃないか」
「こんなに『償い』の手紙を出しているんだから、許してあげてもいいんじゃないか」
という淡い期待を吹き飛ばす現実の辛さを感じさせる作品だった。

さだまさしの「償い」を読んで、素直に感激できなかったのは東野圭吾の方が「償い」の意味を深くえぐっていたからだ。

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さだまさし「償い」は、道徳資料になるか?

 さだまさしの楽曲に「償い」があるのだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%9F%E3%81%84_(%E3%81%95%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%97)

 「実際の裁判で引用され話題となり、命の尊さ、犯した罪への償いを考えさせるため、運転免許更新の際の放映ビデオ内で使われているほか、交通キャンペーンにも使用されている」のだそうだ。
 詩の内容は以下の通り。ネット検索すると動画で歌も聴ける。
 便利な世の中になったものだ。
 http://jp.youtube.com/watch?v=yX4lwo5nL98&feature=related
====================

 しかし、私は、個人的には、このゆうちゃんの「償い」の行為の価値を素直に認められない。
 なぜなら、被害者の奥さんが手紙を出したのは「思い出して辛いから、送金はやめてください」
という理由だとちゃんと書いてあるからだ。
 ゆうちゃんを許すための手紙か、これ以上関わらないでほしいという絶縁の手紙かと言われたら後者の意味合いの方が強い。
 「手紙の中身はどうでもよかった」
 「返事が来たのがありがたくて」
と単純に感激しているが、これでは、「これ以上つきまとわないでほしい」と手紙をもらったストーカーが大喜びする「大きな勘違い」と変わらないではないか。
  
 ゆうちゃんにとって、「仕送り」は、せめてもの償いの気持ちである。
 その気持ちは尊い。
 でも、相手は「仕送り」される度に、辛い思いをしてきたのである。
 7年間、仕送りをされる度に、亡くなった主人を思いだして辛かったのである。
 自分の思いだけでは「償い」は評価できない。
 相手の感情を逆撫でするような行為は「償い」とは言えない。
 償うとは、それほど難しい行為なのだ。

 この歌詞にある行為は、
◆「償い」しないよりはマシである。 しかし、7年間続けた自分の行為すら相手に届かないこともある。それほど「償い」とは難しいものなのだ
という意味を教えるなら意義深い。
 「ゆうちゃんの行為がまさに『償い』だ、見習いなさい」と伝えるだけならあまりにも薄っぺらだし、それは、この詩の内容からしたら「誤読」だと思う。

注: ~単純に感激しているが、これでは、「これ以上つきまとわないでほしい」と手紙をもらったストーカーが大喜びする「大きな勘違い」と変わらないではないか~ の部分は割愛します。気分を損ねた方にはお詫びいたします(原文は残します 2009・2・10)。

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June 15, 2008

「派遣労働者の絶望」

フリーター・ニート・正社員の問題は何度も書いてきた。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/09/post_6ecd.html

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/09/post_4bb0.html

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/11/post_8c7e.html

世界のトヨタ自動車も期間工やら派遣社員でコストカットをしている。
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2008/06/post_26e1.html

そのような社会のひずみを受けて、日々の生活に困っている人・将来に期待が持てなくて困っている人がたくさんいる。

だからといって絶望して、無差別殺人をしていいわけではない。それは当然だ。
しかし、全てではないにしろ「自殺する人」「他殺する人」は根っこの部分が同じではないかと、最近強く感じる。
この間までは洗剤を混合させた自殺者の増加が問題になった。
そして、今回の無差別殺人。
「自殺」も「他殺」もひっくるめて対処する策の重要な1つに「雇用の安定」があると自分は思う。
有識者に、そのようなコメントはないものかと思っていたら見つけた。
6月13日(金)の中日新聞朝刊の鎌田慧氏の特別寄稿。
タイトルは「派遣労働者の絶望」
見出しは「不安雇用 若者追い込む」
======================= 
かつて私が「絶望工場」と名付けた労働現場の悲惨はさらに深まり、若者たちはなんの保証もない移動を繰り返している。
自己責任社会の中で、自殺か他殺か、その選択しかないほど追い詰められている。
=======================
 
自殺しても世間からすぐに忘れさられてしまう。
その腹立たしさが「他殺」に向かってはいないか。
ならば、根っこを救済しない限り、同じ惨事が起きる。

繰り返すが「無差別殺人」を擁護するつもりはない。
無差別殺人するような奴は射殺すればいいのに、と本気で思っている。
でも、今のままでは、同じ事が繰り返されるだろうとも本気で思ってしまうのだ。

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「かさ」を表す自分の言葉

前回のブログ「科学的思考~」と前々回のブログ「リットル」を重ねた報告をする。
350mlと500mlのペットボトルを提示して「どっちがたくさん水が入る?」と聞く。
全員が500mlを選ぶ。視覚的に明らかだ。
「どうしてそう思ったか、わけが言える人?」
これは大人でも難しい。
自分でも何と答えていいか分からないまま尋ねてみた。
「こっち(500ml)の方が大きいから」
という意見が出た。
なるほど。確かに「大きい」だな。

次に500mlと1Lのペットボトルを比べる。
全員が1Lを選ぶ。これも視覚的に明らかだ。
「どうしてそう思ったか、わけが言える人?」
これは、どう答えるだろうか。
さっきより手が上がっている。
「こっち(1L)の方が大きいから」
「長い」
「長くて大きい」
「太い」
「長くて大きくて太い」
などが出た。
なるほど、「長くて大きい」というダブルも「長くて大きくて太い」にトリプルも、子どもなりによく考えた証拠だ。

子どもなりに、「どう表現したらいいか」について知恵を絞ることが大事なのだ、と前回のブログで学んだ。
「大きい」も「長い」も「太い」も、厳密には、不的確な表現かもしれない。
でも、何とか、この場に合う表現を探そうとする行為が大切なのだと思う。

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June 14, 2008

科学的な思考と文学表現

Hyousi0804
ありがたいことに「サイエンスウインドウ」という冊子が学校に配られる。
科学技術振興機構の出版物で、HPからもダウンロードできる。
http://www.jst.go.jp/rikai/sciencewindow/

古くなったが4月号は「言葉ってスゴい!」が特集。
理科的な立場から、言葉・表現・思考について言及している。
P8は、次の見出し。

「分かった!とは自分のことばで説明できてはじめて得られる感覚でしょう」

・・・この指摘は、すばらしいと思う。とても重要な指摘だ。

特に興味深かったのは「文学的な表現」とも言える比喩表現と、科学的な表現の折り合いだ。
P13の記述。
===================
理科の観察事象を発表したり、レポート記述をする場合、比喩表現(メタファー」のようないわば文学的な描写表現は推奨しないというのが教育現場の一般的なスタンスだろう。
(中略)
ところが、こういった事象と初めて向き合う子どもたちは、食塩水が塩をもうこれ以上とかすことがないと気付いても「飽和」という言葉は、知らないので当然出てこない。
ある子どもはやっとの思いで「水が満腹だ」と言い、ある子どもは熱が伝導していく様子を「ロウが逃げるようにとける」と表現した。対象を人物にたとえた擬人表現である。
 井上教科調査官(国語科)は、「これらの比喩表現は子どもが思考の過程で用いたもので、生活の基盤から出た主体的な言葉です。先生方には子どもの豊かな表現を上手に取り入れて、科学の言葉に結びつけてあげてほしいですね」と話す。
==========================
 全く同感なので、数ヶ月経過しても、いつか記しておきたいと記憶していた部分だ。
 同じような意味がP15の八嶋真理子先生の次の言葉。
「子どもたちにとって、イメージがたくさん生まれる国語と、実験や観察などの体験がたくさんできる理科とを、一工夫して組み合わせると、楽しい授業に発展すると思います」
 これも意義ある言葉だと思う。
 P18・19にはPISA学力調査の「科学的リテラシー」の特集もあり、
 「探求心や自信、楽しさ、目的意識が足りない」
 「自ら疑問を見つけて問題集にない問題の解決を」
とある。
 勝手に仮説を設定すると、次のようになる。
◆自分の言葉で科学的事象を表現することで、主体的な学びが生じるのではないか。
◆自分の言葉で科学的事象を思考することで、科学的リテラシーの力がつくのではないか。

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June 12, 2008

リットルを教える

小学校3年生の算数で「かさ」を学習する。
要するにリットル・デシリットル・ミリリットルだ。
1リットルますやペットボトルを用意して、他の容器にどれぐらい入れてみようと思う。
ところで、水の使用量がどれくらいなのかも教えてみようと思うが、正確な数値が、よく分からない。
そこで、下記のように、ネット検索した物を並べてみた。

http://www.toto.co.jp/kids/environment/index.htm

1)歯みがきのときに、水を1分間流しっぱなしにするとペットボトル6本分(12リットル)になる。
2)「トイレの水を流すのは1回だけ! 」トイレを2回流すと、ペットボトル3本~6本分(6~13リットル)くらいの水がむだに流れてしまう!
3)おふろを1分間出しっぱなしにするとペットボトル6本分(12リットル)くらいのお湯がむだに流れてしまう。
4)4人家族(かぞく)が1年間で使う水の量は、学校のプールの量と同じくらい。
5)一般家庭の1人当りの水道使用量は一概には言えないが、1日当り200~300L程度となることが多い。
6)浴槽は小さなものでも200リットル。
7)洗濯は注水すすぎだと165リットル。
8)5分間の庭のまき水で、60リットル。

1平方メートルは1000リットルだから、1M立方のお風呂があったらペットボトル1000本。
単純計算でプールは25M×12M×1Mとして300立方メートル。
このような数値を導入で紹介をした。

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June 07, 2008

スピード社の水着とプラシーボ効果

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 スピード社製の水着を着た選手が次々と日本記録を樹立した。
http://sports.nifty.com/cs/headline/details/ec-mn-mainichi-2008060700m050/1.htm
「みんながぽんぽんと日本記録を出すのを見て『私も絶対に出そう』と思ったという中村礼子さんのコメントがあった通り、この水着ならいい記録が出そう、という暗示効果も当然あったと思う。

 それが「プラシーボ効果」だ。
http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/placebo.htm
=======================
 新薬を開発すると、それが本当に効き目があるかということをテストします。
 その時に使うのが、プラシーボ(プラセボ・偽薬)です。
 有効成分が含まれる薬を投与するグループと、有効成分がまったく入っていない偽の薬を投与するグループをつくり、経過を見ます。
 このとき、どちらのグループにも効き目がある薬だと言っておきます。
 なぜ、このようなテストをするかというと、薬の効き目は人の心理的作用に左右されることがあるからです。
 多くの場合、偽薬を投与された人の数%に症状の改善が見られます。
  まったく有効成分が入っていないにもかかわらず、効果が出てしまうのです。
 2つのグループの効果の出かたの差が大きければ、その新薬は効果的なものであることになりますが、
差があまり大きいといえない場合には、効果が期待できないということになります。
============================

 いずれにしろ「スピード社の水着を着ると記録が出る」という事実と風評があるのだから、それを利用しない手はない。着用するしないは選手の自由だが、着用の禁止はありえないと思う。
 それは逆のプラシーボ効果(他社の水着は記録が出ないかもしれない)が作用するからだ。

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June 06, 2008

ニュースの読み方

6月4日の中日新聞朝刊の記事は、奇妙だった。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008060401000731.html
「低所得、39%負担増 後期高齢者医療の保険料」と題した記事。

2008年6月4日 18時38分
 後期高齢者医療制度(長寿医療制度)導入に伴い、市町村が運営する国民健康保険(国保)から移行した1000万人強の保険料の変化について厚生労働省が全国の実態を調査したところ、負担増となった世帯割合を所得別に比べると低所得で39%、中所得25%、高所得22%と、所得が低い世帯ほど保険料負担が増えたと推計されることが4日分かった。
 厚労省は「所得の低い層は負担減、高所得層は負担増の傾向にある」としてきたが実態は異なり、これまでの説明が覆った形だ。
 同省は「3種類ある国保保険料の算定方式のうち、過半数の自治体が採用する1種類の方式で説明してきた」と釈明している。
 実態調査は5月中旬、全国の1830市町村で実施。4形態の世帯類型と3形態の収入区分を組み合わせた12のモデル世帯の保険料変化に関し自治体の報告をまとめ、これを基に推計した。(共同)

・・・ん?
 「負担増」という見出しの割には、書いてある内容は結構「負担減」ではないか。
  「低所得で39%、中所得25%、高所得22%と、保険料負担が増えた」
ということは、
 「低所得で61%、中所得75%、高所得78%と、保険料負担が減った」
ということだ。なんだ、マスコミが騒ぐわりには、けっこう負担は減っているではないか!
 だから、同じニュースソースで、次のように「下がった」を見出しにしているメデイアもあった。

http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080604/wlf0806040134000-n1.htm
「7割が保険料下がった 後期医療制度で実態調査」と題した記事。
 (2008.6.4 01:34)。
 
 75歳以上が対象の後期高齢者医療制度(長寿医療制度)の対象者約1300万人のうち、新たに保険料徴収対象となったサラリーマンの扶養家族だった約200万人を除く約1100万人の7割ほどが、従来の老人保健制度からの移行に伴い、4月からの保険料が下がっていたことが3日、厚生労働省の実態調査で分かった。政府高官が同日、明らかにした。
 後期高齢者医療制度をめぐっては、これまで「新制度で保険料が上がった」との批判が多かったが、実態調査結果を見る限り、大多数の高齢者の保険料は下がっていたわけで、政府・与党が検討している運用改善策や後期高齢者医療制度廃止法案の審議にも影響を与えそうだ。
 政府高官は同日夜、記者団に対し、「きょう厚労省から報告があり、1100万人のうち7割の人は保険料が下がっている。残る3割は上がっている。7割のうち、所得がどの程度の人が多いとかは分からない」と述べた。野党4党は新制度の廃止法案を提出していることにも触れ、「民主党はどうするつもりなのか」と指摘した。
 保険料をめぐる実態調査は、舛添要一厚生労働相が4月末、新制度をめぐる混乱が続いていることを受けて、次回保険料が年金から天引きされる6月13日までに実施するよう指示。厚労省は市区町村にモデル世帯の保険料の増減を報告するよう要請していた。

 ところが、である。
 この日の「報道ステーション」で、このニュースソースにクレームをつけていた。
http://www.tv-asahi.co.jp/hst/
 後期高齢者医療制度の導入により、75歳以上の高齢者1100万人のうち約7割の人の保険料負担が減っているとの厚生労働省の調査結果を受け、民主党は5日、厚生労働部門会議で担当者を追及した。厚労省では今回、12のモデルを取り出して集計したが、担当者は民主党側の質問に対し「必ずしも実態を反映しているとは言えない」と説明。また、これまで子供に扶養されていたため10月から新たに保険料を払うことになる200万人を含めると、保険料の負担が減るのは55%であることを明らかにした。一方で、医療団体「民医連」が全国309の医療機関や薬局などで4645人の患者を対象に行った調査によると、保険料が「高くなった」と答えた人は42%、「変わらない」が18%、「安くなった」が7%だった。こうしたなか、野党が提出した廃止法案が5日、与党が欠席するなか参議院の委員会で採決され、野党の賛成多数で可決された。民主党は週明けにも福田総理の問責決議案を提出する方針を決め、対決姿勢を強めている。

・・・先の記述を繰り返してみる。
 「低所得で39%、中所得25%、高所得22%と、所得が低い世帯ほど保険料負担が増えたと推計されることが4日分かった」の「推計」が、厚生労働省の作為的なデータだったというのだ。

 A:あるデータを「増えた」と報道
 B:あるデータを「減った」と報道
 C:あるデータを「作為的」と報道

 あきれかえるような事実だが、同じニュースソースで3種類も反応があるなんて、メデイアリテラシーのネタとしては、ゾクゾクするような掘り出し物である。


追加
次のようなニュースがネット配信された。
見出しは「大ウソツキ厚労省!制度欠陥の言い繕い」。
http://news.nifty.com/cs/item/detail/gendai-02037188/1.htm

全体の7割は負担減になる」ことをことさらPRしていたが、7割という数字の根拠は、4つのモデルケースからはじき出した推計に過ぎず、実態を調べた数字ではない。推計する際の計算方法も不明で、いい加減な数字にしか見えない。こんなものを記者発表前に一部の大新聞・TVが報じた。厚労省の意図的リークとしか思えない。

厚生省の発表を「垂れ流し」したのだとしたら、一部の大新聞・TVが、おそまつだったとしか言いようがない。

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June 04, 2008

「ありがとう」をきちんと言わせる

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図書館にあった『努力の天才バッター イチロー』(高橋寿夫著 旺文社)。
 イチローの努力のすばらしさは、他の本でもたくさん読んできたから特に驚かなかった。
 P110に、さりげないエピソードが書いてあった。
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イチローのまわりはいつも、サインをねだるファンでいっぱいだ。イチローはたいてい気軽にサインに応じるが、サインをもらった子どもが、お礼もいわずに帰ろうとすると、きまって強い口調でこういう。
「『ありがとう』は?」
いわれた子どもはあわてて「ありがとうございます。」という。
イチローは両親や野球チームの監督たちから、お礼をいったりあいさつしたりすることのたいせつさを教えられてきた。だから、みんなにも、そういうことをたいせついにしてほしいのだ。
 あこがれのイチロー選手からお礼のたいせつさを教えられたことで、少年たちは、きちんとお礼のいえる子どもになるにちがいない。
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 その通りだ。
 よく、「あいさつしない」「礼儀がない」と文句だけ言う教師がいる。
 だれだって、自主的なあいさつを求めたいし、自主的なお礼を求めたい。
 自分に「ありがとうを言え」などと言うのが厚かましいとも思う。
 しかし、我々教師は指導者だ。
 子どもの足りない部分は教えてあげないといけない。

 「『ありがとう』は?」

 余分なお説教はいらない。
 これだけ言えば子どもは十分分かる。
 言わないで期待するのは虫がよすぎるのだ。
 指導すべき事はきちんと口にしないと、子どもには伝わらない。
 伝わらないまま放置しておいて「最近の子どもは・・・」と愚痴るのは指導の放棄=教師失格だという気概が大切である。
 ちなみに、引用した部分の章題は「『人の心』がわかる男」である。 

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June 01, 2008

「雪」のイメージ

雪   
           三好達治
 
 太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 現在、6年生の国語の教科書(東京書籍)に掲載されている。
 正直言って、多くの先生が、何をどう指導したら困ってしまう詩だ。
 さまざまに読める詩であって、無理に1つのイメージに確定しなくてもいい詩なのだと思う。
 先日、NHKで東山魁夷の絵が紹介された。
 その中の「京洛四季」の中の「年暮る」。
 個人的には、三好達治の「雪」は、このようなイメージなのかなあと思った。
 もちろん確定はできないし、押しつけるつもりもない。
 ただ、どうイメージしてよいか全く検討がつかない子には、この絵なんかどう?と提示してみたらどうだろうか。
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トヨタの繁栄の裏側

トヨタ自動車繁栄の「裏」を記した中日新聞の特集「結いの心」は力作だ。http://www.chunichi.co.jp/article/feature/yui_no_kokoro/

たくさんの下請け工場のコストカットがトヨタの繁栄を支えている。
正社員になれない期間雇用労働者・派遣社員・外国人労働者の低賃金がトヨタの繁栄を支えている。

以前も特集があって「下請け企業の年収がトヨタ正社員のボーナス以下」という指摘もあった。

愛知県は「トヨタ自動車」があっていいですね、と他府県から見られるのかもしれない。

トヨタのおかげで潤っているのか、トヨタのせいで苦しんでいるのか。
社会的・世界的な信用を得ているトヨタだからこそ、下請け工場の生活保障まで考えてほしいと思うのは牧歌的な幻想にすぎないのだろうか。
名ばかり店長に残業が支払われないように、大手企業ほど「あこぎ」な印象がぬぐえない。

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コメ減たん政策の見直し

町村官房長官の発言として「コメ減たん政策見直し」が報じられた。

http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2008053100299

2008/05/31-20:41
減反政策見直しを=食料自給率の目標引き上げ検討-町村長官
 町村信孝官房長官は31日、都内の講演で、政府が長年続けてきたコメの生産調整(減反)について「世界では食糧不足の国があるのに減反するのはもったいない。減反を含めて農業政策を根本から見直すことが必要だ」と強調した。
 世界的な食糧不足と価格高騰が深刻化する中、町村長官は「少ない食糧をお金持ちの日本が発展途上国と取り合うのはよくない」と指摘。また、食料自給率を2006年度の39%から15年度に45%まで引き上げる政府目標に関し、長官は「それで十分なのか。さらに5割、6割という数字を目標にすることを考え始めている」と述べた。

 6月1日の中日新聞の社説も「食の奪い合い、分かち合い」である。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2008060102014139.html
 
 世界的な食糧高騰・食糧不足を考えたら、減反政策の維持はおかしいと誰もが思う。
 それはそれで当たり前すぎる話である。
 それゆえ、意地悪に考えてみたくなる。
 減反政策をやめて、米作りはより進むだろうか。
 
◆農家の継承者は確保されているか。
◆農家にとって減反政策よりも収入が上がる保証があるか。

 農家だってボランテイア=社会的な意義だけで米作りに励むわけではない。
 それで生計を立てるのだ。
 
 ちなみに、日本が食料価格高騰で困っているのは「米」ではない。
米は現在でも自給率は高い。ほぼ100%だ。
 現在の課題は、中日新聞社説のいう「2007年を境に小麦、トウモロコシ、大豆が三倍に」の部分だ。 
 町村氏が踏み込んで発言すべきは、穀物飼料の自給率アップなのではないか。
 バイオエタノール生産に必要な穀物需要が、途上国の人々の食料とバッテイングするのが問題であるように、
 日本の家畜飼育に必要な穀物飼料の需要が、途上国の人々の食料とバッテイングするのも問題だ。
 
 とはいえ、働く農家の「利益」が保障されないなら、誰だって穀物飼料の生産など手がけない。
 国際価格が3倍に上がるというのは、国内生産しても十分競争できる価格ということなのだろうか。
 そうした数値の検討をしないと、「働き手は、いるのか」の問題が解決しない。

★追加
夜になって、時事ドットコムで、次の記事が配信された。

2008/06/01-19:19 「コメ減反見直し」に反発=価格暴落で混乱-自民・加藤氏  自民党食料戦略本部長を務める加藤紘一元幹事長は1日、フジテレビの番組に出演し、町村信孝官房長官がコメの生産調整(減反)を見直す必要性に言及したことについて「コメ価格が下がって大変なことになる」と反論した。  また加藤氏は「正直言ってコメは余っている」と指摘。その上で「大豆や小麦を作らないと駄目だ」と述べ、大豆や小麦の増産を優先させるべきだとの認識を示した。

 減反を見直した部分のコメは、当然食糧不足の海外輸出に回るのかと思ったら、そうでもないんだな。 
 大豆や小麦の増産をするといっても、価格が下がるなら、誰も働かない。
 働き手をどうするか、働き手の収入確保をどうするかまで考えないと、事態は何も変わらない。
 

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