« さだまさし「償い」と東野圭吾「手紙」 | Main | さだまさし「償い」と「風切るつばさ」(木村裕一) »

June 21, 2008

さだまさし「償い」と『ごんぎつね』

 「償い」を考えさせる児童作品といえば『ごんぎつね』が思いうかぶ。
 小学校4年生の国語教科書の定番作品だ。
 自分のいたずらで兵十につらい思いをさせたと思いこんだ「ごん」は、償いのために栗やまつたけを送り届ける。
 残念ながら兵十はかえって盗人扱いされてしまうなど、必ずしもごんの「償い」は通じない。
 おまけに、ごんは自分の償いのみつぎ物を「神様のしわざ」と思う兵十に不満を持つ。
 ごんは自分の「償い」を伝えたかったのだろうか。
 ごんは自分の「償い」に感謝してほしかっただろうか。
 最後に兵十はみつぎ物を持ってきたごんを盗みに来たと思って銃で撃ってしまう。
 「ごめんなさい」
 「いたずらのおわびをしに来ました」
 「自分の償いのしるしを受け取ってください」
と言えない人間ときつねの間であるがゆえに起きた悲劇である。

相手に通じない「償い」は「償い」になりえない。
という教訓さえ感じる作品だ。

みなさんは言葉が通じ合えるのだから、謝罪も償いも言葉で示しましょう。

 そんな気にさせる作品なのである。

|

« さだまさし「償い」と東野圭吾「手紙」 | Main | さだまさし「償い」と「風切るつばさ」(木村裕一) »

Comments

クマと申します。検索で見つけて伺いました。
私は過ちを償うことはだれもできないと思っているんです。できることは償おうとする思いと行為です。言葉を尽くせば償えるかと言うと、それは行為を尽くしても償えないのと同じくらいに償えないと思いませんか?ただ、相手が許したとしても償えたかどうかはわからない。
もしあなたの愛する人が殺されたとして、何万語かを費やせば償ってもらえたと思いますか?行為よりも言葉ので謝られた方が償ってもらえたと思いますか?ある意味行為よりも言葉の方が相手に伝わらないと思いませんか。
ごん狐の行為は、死した後、確かに兵十に伝わったではないですか。でも償えたかどうかはわからないですよね。でも行為の中に償いの意志を感じ取れたわけですよね。
償うことは難しいと書かれながら「謝罪も償いも言葉で示しましょう。」と言う方が私には理解できません。裁判長はいみじくも「被告の謝罪の言葉には心を動かされない」と仰っている。「手紙の中味はどうでも良かった」それよりも「手紙を書いてくれた」という行為がありがたかったんですよね。「第三者の僕は許されたのじゃないか?」と思っても、たぶんゆうちゃんは思っていないはずです。
それと贖罪の行為とストーカー行為は違う行為で、被害者の奥さんもそれくらいわかりますよ、許せないにしても。「手紙」に関しては「本人からじゃなければ許せるわけない」じゃないですか。本人からの謝罪の言葉と行為でさえ許せないのですから。兄を疎ましく思う弟は論外です。「本人のお前が謝れ!償え!」ってことですよ。
そう僕は思います。でも考えるに値する問題提起ありがとうございました。


Posted by: くま | June 23, 2008 at 09:24 PM

コメントありがとうございます。
さだまさしと「ごんぎつね」と「手紙」の償いを分けて論じないと難しいですね。
1)さだまさし・・・「償い」は難しいと書きました。7年間の仕送りという行為は尊いが、被害者につらい思いをさせたことは無視できないという意味を込めました。「償い」はしないよりはすべきだと思ってます。繰り返しますが「辛いから仕送りをやめてほしい」という手紙を「内容はどうでもよかった」「返事が来たのがうれしくて」と感じるのは、どうかと思います。

2)ごんぎつね・・・相手に隠れてこそこそ償っても通じない代表格として例示しました。「償い」はしないよりはすべきだと思ってます。謝罪の言葉だってないよりはあった方がいいと思っています(償いや謝罪をしたからといって相手が許すかどうかは別問題)。

3)「手紙」・・これは加害者の兄が被害者宅と弟にせっせと手紙を出しているお話。被害者家族は迷惑だと反応しているし、実の弟は自分の苦悩も知らずに手紙を送り続ける兄を疎ましく思っている。そのようなストーリー設定であることを付け加えておきます。

「謝罪」については、もう少し書きこむ予定です。

Posted by: 竹田博之 | June 26, 2008 at 11:48 PM

償いとは相手に許して貰う行為では無いと思います。
自分が自分を許せないから償うのではないかと思います。
自分主義ではなく、最大限相手に出来る誠意の行為だと思います。
ごんであろうとゆうちゃんであろうと、本人の精一杯の誠意の行動なのだから、他人はその誠意について批判するのは道徳的におかしいと思います。
許されるためにとる行動は、償いとは違うと思います。
自分中心ばかりではなく、もっと相手を思いやる気持ちが大切だと思います。

Posted by: HAL | August 03, 2011 at 12:25 AM

HALさんの主張は
「本人の精一杯の誠意の行動なのだから、他人はその誠意について批判するのは道徳的におかしいと思います」ということで、お前は黙っていろ、という意味なのでしょうか?

Posted by: | August 06, 2011 at 04:29 PM

償いの「辛いから仕送りをやめてほしい」は被害者の方便であって、本意は「これからはあなたの人生をあなた自身のために使ってほしい」ということだと思います。

手紙は加害者本人ではなく、加害者の兄の行動なので被害者家族の心に響かないのは当然ですし、償いという歌と比べるのは混乱を招くと思います。

償いとは見返りを求めずに行うことであって、相手に通じること、許されることを期待して行うような行動では被害者の気持ちを慰めることにはならないのではありませんか?

Posted by: TK | May 21, 2012 at 08:43 PM

コメントありがたいですが、「手紙」は加害者本人のものです。そのように解説しましたが、何より「手紙」を読んでもらえばわかるはずです。

Posted by: | May 24, 2012 at 01:03 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/64491/41598950

Listed below are links to weblogs that reference さだまさし「償い」と『ごんぎつね』:

« さだまさし「償い」と東野圭吾「手紙」 | Main | さだまさし「償い」と「風切るつばさ」(木村裕一) »