視点の転換=発想の転換
酷暑に中、セミが元気よく鳴いている。
「長い間、土の中にいてほんの数日しか地上にいられないセミはの命を惜しむように精一杯鳴き続けるのだ」
・・・というようにイメージしていた。
そのような視点でセミを見てきた。
ところが、ふと、考えてみた。
地上に出てきてからのセミの暮らしの方が幸せなのだと誰が勝手に決めたのか。
セミは幼虫の姿で7年も8年も土の中で平和に暮らしてきたのだ。
地上に出てきて外的にさらされながら約10日間、あちこち飛び回って逃げ回る姿が幸せなどと誰が勝手に決めたのか。
セミは悲しくて鳴いているのかもしれない。
土の中の生活は楽しかった、土の中を追い出され、いよいよ数日後には死ぬ、なんて悲しい生涯だろう。もっと土の中で暮らしたかったなあ、というように・・。
・・・このような解釈が成り立つのは、しょせん「セミの考え」など人間の勝手な想像に過ぎないからだ。
成虫が幸せか不幸せかといった議論は人間本位の勝手な推測に過ぎないのだから、どちらの解釈が優位に立つというものでもない。セミに聞いたって答えが分かるわけでもないし、セミが答えてくれるわけでもない。
それにしても、こんな風に視点を変えてみたら、いろんな常識を疑うことができて、新しい発想も生まれてきそうな気がする。
あるコラムで、ある夜の駅での場面が紹介されていた。
塾帰りで学習テキストを読んでいる中学生と携帯電話で騒いでいる中学生を対比させて、話の流れは後者を嘆くものだった。
・学力低下(科学的応用力2位から6位)
・学習時間低下(30カ国中15位)
・数学の授業時間の減少(年間105時間)
・1人あたりの名目国内総生産(99年2位から00年18位)
といった具体的な数字を挙げて「がんばれ日本」のトーンで語っていた。
しかし、だ。
今の世の中で塾通いの子どもと携帯少年と、どちらが世渡り上手でコミュニケーション上手で将来の日本を背負うかは分かったものではない。
優等生が一歩間違って事件を起こす例も少なくない。
塾通いして手に入れた学歴が生きるかどうかは分からないのが今のニッポンだ。
今の世の中でいちばん求められるのが「コミュニケーション能力」だと言う立場の人からすれば黙々と塾通いする少年よりも誰とでも話ができるナンパ少年の方が、世間は求めているのかもしれない。無論そう断言したいわけではなく、そのような見方もあるという意味である。
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