学校でいかに「我慢」を教えるか
アメリカの大学の実験で、おやつのマシュマロを何分か我慢して食べないルールにした。我慢できなくて食べてしまう子どもと、言われるまで食べない子どもの2グループの10年後の学習成績は、我慢できた子どもが抜群によかったのだそうだ。
・・・「我慢できる人の徳」というタイトルのコラム。
地元中日新聞の土曜日に付いてくる「中日ホームサービス」の一宮稲沢版、「ホーム春秋」の9/20号である。
北京五輪男子マラソン優勝者のワンジル選手の言葉もあった。ワンジル選手は、仙台育英高校で駅伝で優勝し、トヨタ九州でも活躍した選手。
「日本では我慢することを教わった。我慢、我慢、きょうはそれが完璧にできた」
・・・「我慢が美徳と言われる時代は、おしんのドラマとともに去った」ともある。
1983年の朝ドラだから、若い教師は「おしん」と言われても分からない。「巨人の星」のようなスポーツ根性ものは、さらに古く1970年代になる。
私の育った家には「忍耐」の文字が額に入れて飾ってあった。
「忍」という字のバランスがよくて、自分でも「忍耐」は好きな言葉だった。
しかし「忍耐」も「我慢」も「辛抱」も育てにくい世の中になった。
「無理しなくていい」「嫌ならやめればいい」と止めてしまう親も多い。
「欠点を補うより、長所を伸ばす」=「嫌なことをするより好きなことを」という風潮がある。
でも、我慢できる子を育てる意味は大きいから、我慢できる子を育てる手だてを仕組んでいきたい。
ちなみに、中学校の部活動が「我慢」の指導場所になっていることは間違いない。
親の言うことをなかなか聞かない子どもたちも、部活動なら我慢できる。
理由は自分が納得して選んだ行為・自分の好きな行為だからだ。我慢しただけの成果がいつか得られるのだと想定できるからでもある。
「好きなことなら我慢できる」。
ならば、いかに「好きだと思えるような行動を仕組むか」が鍵になるのだと分かる。
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