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September 25, 2008

学校でいかに「我慢」を教えるか

 アメリカの大学の実験で、おやつのマシュマロを何分か我慢して食べないルールにした。我慢できなくて食べてしまう子どもと、言われるまで食べない子どもの2グループの10年後の学習成績は、我慢できた子どもが抜群によかったのだそうだ。
・・・「我慢できる人の徳」というタイトルのコラム。
 地元中日新聞の土曜日に付いてくる「中日ホームサービス」の一宮稲沢版、「ホーム春秋」の9/20号である。
 北京五輪男子マラソン優勝者のワンジル選手の言葉もあった。ワンジル選手は、仙台育英高校で駅伝で優勝し、トヨタ九州でも活躍した選手。

 「日本では我慢することを教わった。我慢、我慢、きょうはそれが完璧にできた」
・・・「我慢が美徳と言われる時代は、おしんのドラマとともに去った」ともある。
 1983年の朝ドラだから、若い教師は「おしん」と言われても分からない。「巨人の星」のようなスポーツ根性ものは、さらに古く1970年代になる。
 私の育った家には「忍耐」の文字が額に入れて飾ってあった。
 「忍」という字のバランスがよくて、自分でも「忍耐」は好きな言葉だった。
 しかし「忍耐」も「我慢」も「辛抱」も育てにくい世の中になった。
 「無理しなくていい」「嫌ならやめればいい」と止めてしまう親も多い。
 「欠点を補うより、長所を伸ばす」=「嫌なことをするより好きなことを」という風潮がある。
 でも、我慢できる子を育てる意味は大きいから、我慢できる子を育てる手だてを仕組んでいきたい。
 
 ちなみに、中学校の部活動が「我慢」の指導場所になっていることは間違いない。
 親の言うことをなかなか聞かない子どもたちも、部活動なら我慢できる。
 理由は自分が納得して選んだ行為・自分の好きな行為だからだ。我慢しただけの成果がいつか得られるのだと想定できるからでもある。
 
 「好きなことなら我慢できる」。
 ならば、いかに「好きだと思えるような行動を仕組むか」が鍵になるのだと分かる。

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September 23, 2008

愛知の醸造文化

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 古い話だが、5月31日(土)の中日新聞夕刊に「いのち伝承 愛知の醸造文化」と題した広告が掲載された。 
 ネットで、調べてみたら今でも中日新聞のサイトから閲覧できることが分かった。
 
 http://www.chunichi.co.jp/k/inochi/series/series17.html

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 愛知の醸造文化
 日本は世界の中でも屈指の発酵食品が豊かな国です。特に発酵させ醸造して生まれてきた味噌、しょうゆ、みりん、酢などの調味料は、私たち日本人の毎日の食生活に欠かせない存在になっています。愛知県南部では古来より伝統の醸造技術を活かし、酒をはじめとする醸造製品が盛んに造られてきました。温暖な気候・風土に加え、矢作川、豊川など豊かな水源もあり、三河平野で収穫された米、麦、大豆をもとにした発酵・醸造製品が数多く算出されてきた土地柄となっています。
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・・・なるほどね。これは、とっても大事な指摘である。
  以前、岡崎八丁味噌に職場見学に言ったとき、岡崎で味噌造りが盛んになった理由を聞いたことはあったが、愛知県全体を「醸造文化」でくくれるとは思わなかった。
 ちなみに私の育った西枇杷島町にも醤油や味噌を製造している工場があって、脇を通ると独特の香りがあった。そういえば酢の工場もあった。

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 大豆からは味噌・しょうゆ、米からはみりん・酢が造られます。これらの醸造調味料の中でも、独自に発達した醸造製品が愛知県にあります。三河武士の兵糧食に用いられたと言われている「豆味噌(赤味噌)」は、味噌の中でも旨み成分が最も多いと言われているこの地方独自の醸造品です。その豆味噌から生まれたツヤやコクのある「たまりしょうゆ」は全国でも有名となっています。また、小麦に少量の大豆を合わせて仕込んでできた「白しょうゆ」は愛知県の碧南市が発祥の地となっています。郷土の風土に育まれ先人達の知恵や工夫によって進化してきた天然醸造の「味噌・しょうゆ・みりん・酢」などの調味料づくりが一つのひとつの地域に集積している愛知県は全国でも愛知県は全国でも稀な醸造王国と言えましょう。
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 すごいじゃん。
 愛知県民にとって、なんと誇らしい内容であることか!
 醤油ソースは国際的にも評価が高い。
 それが、この愛知の地で、こんなに盛んだったなんて。
 「醸造」に特化して観光プランを考えたり、新たな授業プランを考えてみることで、愛知県民であることに自信の持てる子ども達を育みたい。

◆画像は、出身地、西枇杷島の「ナカモみそ」の会社HPからいただきました。

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September 20, 2008

世阿弥「初心忘るべからず」

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 前回書いた「離見の見」は、世阿弥の「花鏡」にあるそうだ。
 そして、この世阿弥の「花鏡」には、もっと有名な「初心忘るべからず」もあるのだそうだ。
 そして、そして、この「初心忘るべからず」は、本来「初志貫徹」のような意味ではなく、「未熟だったころの辛さや悔しさを忘れるな」という意味なのだそうだ。ということで、「常に志した時の意気込みと謙虚さをもって事に当たらねばならない」(広辞苑)は、元来の意味とは違うということだ。
 そして、そして、そしてこの言葉は、3段階あるのだそうだ。
http://kuzukiria.blog114.fc2.com/blog-entry-23.html
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「奥の段」

しかれば、当流に万能一徳の一句あり。
  初心不可忘。(しょしんわするべからず)
この句、三ヶ条の口伝あり。
  是非初心不可忘。
  時々初心不可忘。
  老後初心不可忘。
この三つ、よくよく口伝すべし。

一、是非初心を忘るべからずとは、若年の初心を忘れずして身に持ちてあれば、老後にさまざまの徳あり。「前々の非を知るを、後々の是とす」と言へり。
一、時々の初心を忘るべからずとは、これは、初心より、年盛りの頃、老後に至るまで、その自分自分の芸曲の、似合ひたる風体をたしなみしは、時々の初心なり。されば、その時々の風儀をし捨てし捨て忘るれば、今の当体の風儀をならでは身に持たず。過ぎし方の一体一体を、今当芸にみな一能曲に持てば、十体にわたりて、能数尽きず。その時々にありし風体は、時々の初心なり。
それを当芸に一度に持つは、時々の初心を忘れぬにてはなしや。
一、老後の初心を忘るべからずとは、命には終りあり、能には果てあるべからず
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 是非とも初心忘るべからず
 時々の初心忘るべからず 
 老後の初心忘るべからず

 修行を始めた頃の初心(未熟さ)を忘れてはならない。
 修行の各段階ごとに、各々の時期の初心を忘れてはならない。
 老境に入った時もその老境の初心を忘れてはならない。
 
http://wagamamakorin.client.jp/syoshin.html

http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc9/zeami/gyouseki/kakyou_details.html

 今思えば自分にも若さゆえの暴走も失言も失敗がたくさんある。消してしまいたいほどの過去もたくさんある。
 でも、その過去をなかったかのようにふるまうのではなく、過去を背負って生きる方が「謙虚」であれるということなのだろう。「前々の非を知るを、後々の是とす」は対句表現の見事な言葉だ。

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September 19, 2008

「離見の見」と「メタ認知」

 齋藤孝著の『コミュニケーション力』(岩波新書)のP122に「離見の見」という言葉が出てくる。
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 世阿弥の言う「離見の見」は、観客側から見える自分の姿を役者が意識するということだ。
自己を客観視する力である。
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 それって、「メタ認知」のことじゃん。
 今風の「メタ認知」は、世阿弥の時代に語られていたのだ。そのことを知って大いに感激した。
 先日の朝日新聞『天声人語」に、この「離見の見」が載った。
 9月12日の「福田首相と『離見の見』」だ。
 福田首相の辞任会見で言った言葉、「自分自身を客観的に見ることができる。あなとは違う」を取り上げて、世阿弥の『花鏡』の中の言葉、「離見の見」になぞらえていました。
 「天声人語」は著作権もあるので、リンク先は、個人ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/mytown_8/16595847.html

 世阿弥の書いた能楽の秘伝書『花鏡(かきょう)』に、その言葉があるのだそうだ。
 「離見の見」と「メタ認知」で検索すると、たくさんのサイトが出てくるから、それはそれで当然のことだったようだ。
 自分を客観視する行為を、地図を俯瞰する「鳥瞰図」のイメージで指導している方もいる。
 いずれにしても、自分を一歩離れた場所から見る(もう1人の自分が自分を見る)という感覚を覚えると、カッとせず、暴走せず、ひとりよがりにならずで、とてもいい。

なお、「メタ認知」については過去に書いたことがある。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/03/post_ab99.html

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/03/post_927e.html

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2006/03/post.html
 

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September 17, 2008

企業は社会の公器

 松下電器には「遵奉すべき精神」と呼ばれる七か条がある。
http://panasonic.co.jp/company/philosophy/conduct/03.html
、産業報国の精神
産業報国は当社綱領に示す処にして我等産業人たるものは本精神を第一義とせざるべからず
一、公明正大の精神
公明正大は人間処世の大本(たいほん)にして如何に学識才能を有するも此の精神なきものは以て範とするに足らず
一、和親一致の精神
和親一致は既に当社信条に掲ぐる処個々に如何なる優秀の人材を聚(あつ)むるも此の精神に欠くるあらば所謂(いわゆる)烏合(うごう)の衆にして何等(なんら)の力なし
一、力闘向上の精神
我等使命の達成には徹底的力闘こそ唯一の要諦にして真の平和も向上も此の精神なくては贏(か)ち得られざるべし
一、礼節謙譲の精神
人にして礼節を紊(みだ)り謙譲の心なくんば社会の秩序は整わざるべし正しき礼儀と謙譲の徳の存する処社会を情操的に美化せしめ以て潤(うるお)いある人生を現出し得るものなり
一、順応同化の精神
進歩発達は自然の摂理に順応同化するにあらざれば得難し社会の大勢に即せず人為に偏(へん)する如きにては決して成功は望み得ざるべし
一、感謝報恩の精神
感謝報恩の念は吾人(ごじん)に無限の悦びと活力を与うるものにして此の念深き処如何なる艱難(かんなん)をも克服するを得真の幸福を招来する根源となるものなり

・・・全文理解できるわけではないが、すばらしい七か条だと思う。
企業理念の中には、次の項目もある。
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 企業は社会の公器
 その意味では、私たちの会社は私企業であっても、事業には社会的責任があります。
私たちは、「企業は社会の公器」との理念のもと、その責任を自覚し全うしなければなりません。
さらに、さまざまなステークホルダーとの対話を通じて、透明性の高い事業活動を心がけ、そして説明責任を果たします。そのために、私たちは、常に公正かつ正直な行動をスピーディーに行うよう努めます。
================

・・・松下電器の崇高な企業理念に対して、正反対の情けない企業がある。 
 事故米と呼ばれる食用にならない米を不正転売して利益をあげた業者。高濃度の農薬やカビがあるから「事故米」として処分されているのに、それを食用に回すなど言語道断。あきれて物が言えない。

 そして、昨日経営破たんした企業リーマン。 

http://news.livedoor.com/article/detail/3820640/

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リーマン・ブラザーズが経営破たん…ライブドアにも資金提供
        2008年09月16日08時15分 / 提供:スポーツ報知
 
 ライブドアによる「ニッポン放送買収劇」にも登場した米証券大手のリーマン・ブラザーズが経営破たんし、日本の民事再生法に相当する米連邦破産法11の適用を申請すると15日、発表した。リーマンは昨夏以降、サブプライム関連の損失を合計140億ドル(約1兆5000億円)超計上。経営不安の高まりで株価は9日に前日比で約45%も急落していた。
 米国ではサブプライム問題に端を発した金融市場の混乱が収まらず、経営体力が弱った米金融大手の淘汰(とうた)と大型再編に発展している。
 リーマンは、05年にライブドアがニッポン放送株を大量取得した際、巨額の資金を提供。その引き換えに借り受けたライブドア株を大量売却(空売り)するなどして、最終的に約160億円の利益を得たとされる。
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 リーマンはライブドアのCB(転換社債型新株予約権付社債)の引き受けにより、800億円を同社に投資した。売上高100億円のライブドアにその8倍もの資金を投じたことで、リーマンは気前のいい投資家に映る。しかし、その取引構図を見ると、利益への執着ぶりがよく分かる。堀江社長ばかりが目立つが、資金提供などを仕組んだリーマンこそが陰の主役だ。
http://www.nikkeibp.co.jp/archives/360/360094.html
 ================
  
・・・栄枯盛衰も世の常なのだ。
 


 

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September 15, 2008

ペットボトルの国内販売量

Photo
9月8日の中日新聞の「環境と暮らし」の欄に、ペットボトルの情報が掲載されていた→ここ

◆環境省によると、二〇〇六年度の国内のペットボトル販売量は五十四万四千トン。このうち回収されたのは66%。回収されたボトルは粉砕処理され、化学繊維や卵パック用のシートに作りかえられる。
◆ペットボトルのリユースは、ドイツやデンマークなどのヨーロッパのほか、タイやフィリピンなどアジアも含め二十カ国以上で導入実績がある。先進的に取り組んでいるドイツでは一九八六年に取り組みが始まり、リユースボトルの回収率は95-98%という。

この環境省の元データが探せなかったが、

国内販売量約54万トン

というのを、きちんと押さえておこうと思う。

環境用語「ペットボトル」には、次の数値がある。

 2004年度、容リ法による収集量は238千トン、回収率46.4%、参加市町村数2,796。
再製品市場は、繊維・シート・ボトル・成形品等である。

・・・238千ト=23万8千トン。これが回収量46,4%なのだから、
2004年の生産量は約51万2千トン。
そして
2006年が54万4千トン。

月刊チャージャーのサイトでは、武田邦彦氏が下記のQAで数値を紹介している。
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Q.ペットボトルのリサイクルは本当にムダなんですか?
本にも書きましたが、リサイクルをする前はペットボトルのために使っていた石油はおよそ26万トン。リサイクルをするようになってからは約200万トンの石油を使っているんです。平成16年には約50万トンのペットボトルを作り、再利用できたのは3万トンだけ。年間で推定1000億円の予算をかけて、使う資源もゴミの量もおよそ7倍になっているのが現実です。

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・・・平成16年には約50万トンのペットボトルを作り、とある。
 回収量が20万トンを超えるのに、再利用できた量が3万トンにすぎないと算出されたのは、回収されても焼却されていたり不法に海外流出されたりしているからだ。
 2006年の新しい数値で考えてみよう。
 販売量・生産量が54万トン。
 回収率66%で計算すると35.6万トン。
 百歩ゆずって、回収されたペットボトルは有効利用されたとして、残りが約20万トン。
 この20万トンのペットボトルが無駄ということになる。
 となると、この20万トンのペットボトルに使う石油量を算出してみたくなる。
 武田氏のサイトには、ペットボトルは石油で作られる。大きさや目的にもよるがおおよそ1本で20グラムから40グラムである、と書かれいる。
 しかし、20万トンがペットボトルの本数に換算できるのか分からないので中断。
 ペットボトルを薄くしたポカリスエットのサイトには、次のように記されていた。
======================
 今回、「ポカリスエット」500mlペットボトルの容器を『エコボトル』にして約30%の容器の軽量化を行うことにより、年間約2,700トンのペット樹脂量が削減できます。これをエネルギー量で原油換算すると年間約4,000kLの削減となり、10km/Lの燃費で走る車のガソリン量で換算すると走行距離として地球約950周分に相当します。また、CO2削減量としては、年間約8,300トン-CO2の削減となり、約1,500世帯分の年間CO2排出量に相当します。
今回の「ポカリスエット」500mllペットボトルの軽量化を機に、500mlペットボトルを使用する当社他商品においても、順次『エコボトル』を使用する予定です。

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 「2700トンのペット樹脂で原油換算4000KL」が確定。
 この比率で未回収のペット20万トンの原油を計算すると、
 20万÷2700×4000=約296286トン=約30万KLとなる。
 じゃあ、この30万KLの石油はどのくらいの規模だと考えられるのか?
 そこを考えないと、ペットボトルの無駄の意味が見えない。
 

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September 07, 2008

『償い』(矢口敦子)

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 36歳の医師・日高は子供の病死と妻の自殺で絶望し、ホームレスになった。流れ着いた郊外の街で、社会的弱者を狙った連続殺人事件が起き、日高はある刑事の依頼で「探偵」となる。やがて彼は、かつて自分が命を救った15歳の少年が犯人ではないかと疑い始めるが……。
絶望を抱えて生きる二人の魂が救われることはあるのか?
感動の長篇ミステリ。(カバーの紹介文より)

 タイトル買いしたくなる本。しかも、このカバーの紹介文だ。表紙絵もきれいだし書店に平積みされているから、ついつい手にしてしまう。朝日新聞に紹介されてから売り上げが急に上がったという話を聞いた。

http://book.asahi.com/bestseller/TKY200804020211.htmlが、朝日新聞に掲載された書評なのだろうか。

 ただ、「そんな切実な心の叫びが、強く響いてくる」とまで評されると、そこまでスゴイかなあと思ってしまう。
 よかった。けっこう深い内容だった。様々な人物が交錯して少々読み取るのに苦労したが、着想がさすがだと思った。個人の書評の中にはこっぴどいものもあり、そのように批判する真意もよく分かったが、あえて、よかった点のみ取り上げる。 
  「人を殺したら罪を問われるのに、心を殺しても罪は問われないのか」という問題提起は「償い」と絡んで興味をそそられた。
 妻の心の痛みをが理解できなかった主人公は、妻を自殺に追いこんでしまう。
 主人公は結果的に職を断つことで自分に罪を課している。
 妻の心を殺した罪に悩み、妻を殺した「償い」として、自分の人生を犠牲にする。そのような「償い」もあるのだ。
 何もそこまで自分が背負わなくてもいいではないか、と思う他人の苦しみまで背負いこんでしまう少年の姿も悲しい。
 自分が生きてしまったことまでをも責めの理由にし、そこまで含めて「償い」をしなければならないのだとしたら、このタイトルの意味は重い。

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September 05, 2008

あきらめなければ夢は絶対にかなうのか?

 「あきらめなければ夢はかなう」とよく言われる。夏の北京オリンピックや日本テレビの24時間テレビでもよく聞いた。
 卒業式で子どもが歌う歌に中にも「かならず夢はかなう」「夢をあきらめないで」というフレーズがある。
 その言葉の大事さは分かる。
 しかし、その一方で、無条件に「あきらめなければ夢はかなう」を信じてはいけないぞ、と抑制が働く。
 頂点に立ったほんの一握りの有能選手の下には、たくさんのあきらめた選手がいる。
 100人が「オリンピックのマラソンの代表に選ばれたい」と願ったら、かなうのは4年に3人の狭き門だ。
 夢破れた人が逆に「どうせ、俺は挫折した人間だ」などと自己嫌悪に追い込まれるようではいけない。
 
 「○○高校に入りたい」と受験勉強にがんばってる中学生も、たくさんいるだろう。
 どんな高校だって、全員合格ははありえない。
 そんな時「あきらめなければ夢はかなうと信じて勉強してきたのに、結局、別の高校に行くことになった」と自暴自棄にならないようなケアが必要で、「必ず夢はかなう」という言葉だけが絶対視され、あきらめずに夢をかなえた人だけが英雄視されるのは問題だと思う。
 転身も大事な人生の1つの選択肢のはずだし、失敗も挫折も人生の大切な糧である。
 
  そもそも「夢」というものは、「○○になりたい」「○○で優勝したい」といった即物的なものである必要はないわけで、「人の役に立ちたい」「自分の長所を生かした職につきたい」というような幾分漠としたものであってもよい。
 後者のような夢の設定なら達成の確率はがぜん高くなる。
 夢の内容を絞り込めば絞り込むほど自分の首を絞めることになる。大人はそれが分かるが、子どもはどうだろうか。
 
 週刊ポスト9・12号の連載コラム『昼寝するお化け』(曽野綾子)の中に、同じような主張があった。
 東京オリンピックの際は「なせばなる」というフレーズをマスコミが熱狂的にもちあげたのだそうだ。
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人間社会で「なせばなる」が通るなら、それは戦争中に命を賭けて闘った日本人すべてを否定するものだ。そんな非礼はない。それなのにスポーツの世界になると、そんな熱狂が平気で通るのである。
人間の世界には、どんなになそうとしてもなし得ないことがある。その悲しみを知るのが人間の分際であり、賢さだろう。
(中略)人間の生涯の勝ち負けは、そんなに単純なものではないのだ。私たちが体験する人生は、何が勝で、何が負なのか、その時はわからないことだらけだ。数年、数十年が経ってみて、やっと答えが出るものが多い。その原則を無視するスポーツに、私は基本的にはあまり魅力を感じない。
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 私はそこまでスポーツを嫌わない。
 でも曽野氏が批判する戦時中の「なせばなる」と、昨今の「あきらめなければ絶対に夢はかなう」は同義だ。
 無節操な根性主義が、相変わらず日本の精神性に会っていると言うことなのだろうか。

 それにしてもスポーツと人生は違う。
 スポーツの成功者の談話をすぐに人生訓として用い、スポーツコーチングのノウハウを日常のメンタルトレーニングたビジネスの管理術に安易に流用するような風潮は戒めていきたい。

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