« October 2008 | Main | December 2008 »

November 30, 2008

小学校唱歌「金剛石」

『正論』12月号の調査室のコーナーで「金剛石」という歌についての質問と回答があった。
 明治20年昭憲皇太后が華族女学校(後の女子学習院)に賜ったものだということなので、今の女子学習院のサイトを探ってみる。

http://www.gakushuin.ac.jp/girl/kyoiku/houshin.html
本校は、明治18(1885)年、皇后陛下(昭憲皇太后)の「女子にも独自の教育を施す」という思し召しによって「華族女学校」として開設されました。その後学習院女学部、女子学習院、そして現在の学習院女子中等科・女子高等科と学校の名称や校地は変わりましたが、現在に至るまで一貫して「その時代に生きる女性にふさわしい品性と知性を身につける」ことを目標として女子教育を行って参りました。
その教育理念は明治20年に皇后陛下から賜りました御歌「金剛石・水は器」に表され、現在も入学式に歌い継がれています。その御歌には「金剛石もみかかすは 珠のひかりはそはさらむ 人もまなひてのちにこそ まことの徳はあらはるれ」とあります。この一節には自ら学習に励むことの大切さが示されています。この御歌を指針として、ダイヤモンドの原石である生徒たちが自らの能力を磨き上げるとともに、一人一人が個性を輝かせ、互いに切磋琢磨する六年間となるよう教職員一同力をあわせ、支援して参りたいと考えております。

・・・歌詞の全文と実に詳細な解説が次のサイトである。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/c5d4ab8d71b57f07c95ecb8e69e70eb1

金剛石・水は器
            昭憲皇太后御歌
            奥 好義作曲

金剛石もみがかずば   / 珠の光はそわざらん
人もまなびて後にこそ   / まことの徳は現るれ
時計のはりのたえまなく / めぐるがごとく ときのまの
日かげおしみて 励みなば / 如何なる業か ならざらん

水はうつわにしたがいて  / そのさまざまになりぬなり
人はまじわる友により   / よきにあしきにうつるなり
おのれにまさるよき友を   / えらびもとめて もろ共に
こころの駒にむちうちて    / まなびの道にすすめかし


曲は下記のウェブで聴くことができる。
http://oukai.etc.gakushuin.ac.jp/song/konmizu.htm
http://www.geocities.jp/abm168/Doyo/kongoseki.html

 左翼の方から見れば「皇太后の歌などトンデモナイ」のだろうなあ。
 純粋にこの歌詞を読めば、しっかり学んでほしい・しっかり育ってほしいという明治皇后の思いがよく分かる。
 1番は、自己研鑽することの大切さを磨けば磨くほど輝きを増す「金剛石(ダイヤモンド)」に喩えている。
 2番は、よき友と交わること大切さを器に従って形を変える「水」に喩えている。
 1番の自己研鑽の言葉に比べ、2番はインパクトがあった。

◆人は良くも悪くも友達の影響を受けるから己に勝る友を選びなさい。
◆その友と一緒に、自分の心に鞭を打ちしっかり学びなさい。

・・・このような歌を入学式で歌う伝統があるというのがうらやましいとさえ思う。
 ちなみに『正論』では、ある小学校の通信簿に掲載されていたが、戦後GHQの指示で墨で塗りつぶされたのだそうだ。
 北九州の読者、境孝毅氏によれば、境さんの保存している尋常小学校1年生の対象13年度通告簿に記載されているが、3年後に転校した学校では記載されていなかったそうだ。
 境さんは詳細に次のように補足された。
◆御歌は明治二十年昭憲皇太后が華族女学校(後の女子学習院)に賜ったもので、これに宮内省楽士の奥好義(おく・いきよし)が作曲して同年五月に発表されました。
その後、明治二十九年に編まれた「新編教育唱歌集」(第四集)に収められたとき「尋常小学唱歌」の五学年用の巻頭に掲載されて一般に歌われるようになったものです。

・・・中学生なら年に一度は触れさせたい歌である。

| | Comments (162) | TrackBack (0)

November 27, 2008

ドーパミンの分泌が「強化学習」につながる

 茂木健一郎氏の講演記録が愛知県の教育振興会が発刊している「ゆうゆう」という雑誌に掲載された。
 十月に西尾市で行われた「ソニー科学教育研究会」の記念講演だ。
 「強化学習」については、以前も読んだことがあるのに、改めて読んで合点がいった。
 それは、エラーレスラーニング == 褒める授業 ==  ドーパミン と、このところ連続して意識していたからだ。

◆強化学習というのは、何かをやっていて、うれしいときに出るドーパミンという物質が出ると、その前にやっていた行動の神経回路が強化されるっていうことです。
例えば、数学をやる。先生にほめられるとうれしい。ドーパミンが出る。数学をやるっていう回路が強化される。
◆逆に、この強化学習っていうメカニズムから考えると、今子どもがあることが苦手だと思っていても、それは単にドーパミンの強化のサイクルが回ってないからかもしれないんです。これね、一度回り始めれば、しめたもんなんですよ。

 講演の中で『脳を活かす勉強法』(PHP)の紹介もある。
 ネットの書籍紹介には次のようにある。

"喜びを感じることで、「快感」を産み出す脳内物質「ドーパミン」が分泌され、
脳はその快感を再現しようとして脳内に新しいシナプス(神経回路網)を形成する。
それにより快感を生み出す行動が次第にクセになり、繰り返していくうちにその行動が上達していく…。
これを「強化学習」といいます。"(本文より抜粋)

ネットで茂木さんのプレジデントファミリーの文章も見ることができた。

http://www.president.co.jp/family/backnumber/2008/20080700/6247/6248/
 ドーパミンは、脳の真ん中あたりの中脳というところから、前のほうにある前頭葉に放射される神経伝達物質です。脳には様々な働きをする神経伝達物質がありますが、その一つ。
 何らかの行動によって脳が「喜び」を感じたときにドーパミンは分泌され、人間に「快感・快楽」をもたらします。脳はその快感をもたらした行動をよく覚えていて、また同じようにその快感を再現しようとする。
 このとき脳の中では何が起こっているかというと、より効率的にドーパミンを分泌させようと、脳内にあるニューロン(神経細胞)がつなぎ変わり、新たなシナプス(神経回路網)ができます。つまり脳が変化している、ということですね。
 そしてその快感をもたらした行動を繰り返すうちに、上達していく。これが「学習」のメカニズムです。特に、試行錯誤を経ることでそのシナプスはより強化され、その行動に熟練していく。
 こういった一連のサイクルを、脳科学では「強化学習」といいます。これは、学問としての勉強だけに当てはまるのではありません。

・・・エラーレスラーニング == 褒める授業 ==  ドーパミン ==強化学習というようにつながっている。
 すごいなあ。自分の中で、どんどん整理が進んでいく。うれしくて自分の脳にもドーパミンが分泌しそうだ。

| | Comments (20) | TrackBack (0)

November 26, 2008

褒める意義は、ドーパミンとセレトニンの分泌にあった

 たまたま目にしたダイヤモンド社の情報サイト。
 タイトルは「部下の扱いにご注意!ほめないと不機嫌になる女・負けるとヘコみっぱなしの男」
http://diamond.jp/series/mf_rules/10017/
 特に注目したのが2ページ目・3ページ目、ドーパミンとセロトニンの話だ。
 内容を私の文責で精選すると次のようになる。

 ①他人からの称賛、感謝、愛情を受けると、脳の腹側被蓋野(ふくそくひがいや=「報酬系」と呼ばれている部位)などの部分が刺激を受ける。

 ②ここからドーパミンという快楽を生み出すホルモンが大量に分泌され、気分はハイになる。

 ③もし、報酬系が刺激されず、ドーパミンが十分に分泌されない生活を送っていたら、頑張ってもご褒美がもらえないことに脳が気づき、だんだんとやる気が失われてしまう。

 ④ドーパミンがどっと出たあとは、セロトニンもおおいに分泌される。
  「セロトニン」は心に安らぎを与えてストレスから守る役目をする別名「幸福ホルモン」。
  ドーパミンが快楽を高め、感情をたかぶらせると、セロトニンがドーパミンの暴走を防ぎ、感情を鎮めるアクセルとブレーキのような関係である。

 ⑤気持が不安定なところへ、報酬系が刺激を受けない状態が続いたら、イライラが募り、気分も落ち込んでしまう。

 ⑥逆に、「ほめ言葉」によって報酬系の部位が刺激されるとドーパピンが分泌され、同じく心を鎮めるセレトニンが分泌されるので、
  イライラもせず、ニコニコしていられる。

 ⑦ただし、ケンブリッジ大学の研究によると、ドーパミンを生み出す脳細胞「ドーパミンニューロン」は、刺激を受けっぱなしだとかえって活性が落ちるという。もっとも活性が高まるのは、刺激を受ける確率が50%のとき。
つまり、ほめたり、ほめなかったりを繰り返すのがコツ。ほめすぎないこと

 ⑧これに対し、スタンフォード大学薬学部の研究によると、男性脳の報酬系を刺激するのは、ほめられることより、競争に勝つこと。
 競争に挑戦する機会と、正当な人事考課こそが、男性における最大のインセンティブ。ほめることも必要だが、それより「勝たせること」が男性部下の育成のカギ。

・・・長々とまとめたのは、エラーレスランニングと学習中の褒め言葉の関係について書いたことつながっているように思えたからだ。
 エラーレスで学習が行われれば、必然的に「褒められる場面」が多くなる。
 報酬系が刺激されてドーパミンが分泌されれば気分がハイになり、セレトニンも多量に分泌されるから落ち着いた生活も送れる。だから、ますます成功体験が積み上がる。
 すると、昨日書いた「『どうせ自分なんか』から『やればできる』」に心境が変化していく
 自分に自信を持てる=健全な自尊感情の育成につながっていくのである。

 ちなみに上記の⑧は「褒め言葉」とは違う。
 しかし、ペーパーチャレランや五色百人一首を例に出すまでもなく、TOSS実践は⑧の「正当な個別評定」「勝たせる機会の設定」には定評がある。
 やみくもに競争原理を否定するのではなく、裏文化など適宜競争場面を設定しているTOSS実践が科学的に実証されたということになるだろうか。
 


| | Comments (31) | TrackBack (0)

健全な自尊感情の育成(「ドラゴン桜16巻」が教える「しなやかマインドセット)

本の整理をしていて「ドラゴン桜」16巻をパラパラめくった。
久しぶりに目を通してみて、印象に残る部分があった。
下記の裏表紙にも書いてあるフレーズが、ある意味でこの巻のメインなのだと言えよう。

==============
◆人間は変われるんだ、1年も経たないうちに。
◆お前の体の中に1年前と同じ細胞はもうほとんど残っていない!!
◆お前は完全に生まれ変わってるんだ!!
===============

自分は注目したのは、その前後のくだりである。
桜木先生の言葉だけ一部抜粋してみる。

=================
◆お前が「自分はやればできる」と思い始めている。
◆お前はこの春東大受験を目指して勉強しだすまでは「どうせ自分なんか・・・」と思っていたはずだ。
◆実はできない子の口癖がまさにそれ・・「どうせ自分なんか」。
◆ではそう思い込む原因は何か。
◆それは・・親や周りの大人たちに「どうせお前なんか」と言われたから。
◆「やればできる」と難度も繰り返し励まされた子どもは何事にも自信を持って積極的に行動できる。
◆逆に「どうせお前なんか」と否定的な言葉を浴びせられると・・「どうせ自分なんか」と過小評価して考えるようになり、努力することを放棄して何事も諦めてしまう。
◆しかしお前は劇的に変わったじゃないか。
◆「どうせ自分なんか」から「やればできる」と思うようになった。まさに劇的な変化だ。
====================
・・・・この後、前述したフレーズが入る。そして細胞の新陳代謝の話が続くが省略して次の部分。
 
====================
◆人の心は簡単に変わらないとよく言われるが、水野・・お前は心まですっかり生まれ変わってるじゃないか。
◆「どうせ自分なんか」から「やればできる」に。
◆変われるんだ。たった一つのきっかけで・・東大を目指して勉強しただけで・・
◆お前は劇的に自分を変えられた人間なんだ。だからやれる・・必ずやれる
◆後ほんの少しだ 頑張れ
====================
・・・この桜木のアドバイスを聞いて水野は「そうか・・私 知らないうちに変われたんだ」と涙する。
 小さい頃から母親に「何やってもダメ」と言われ、傷ついて悲しんでいた水野は、自分の成長に喜びの涙をこぼす。
 まさに、この巻のクライマックスシーンだ。
 
 ところで、桜木先生が水野の「やればできる」への変化に気付いた場面だが、模試を終えた水野が答えたセリフは
 「全然ダメ」
 「やっぱり時間が足りなくて・・」
 「数学はあと少しで一問は完答できそうだったのに・・・英作文も半分しか書けなかった・・。」
である。

 何を愚痴ばかり言ってるんだ、今さらがたがた言うなとでも言いたくなる場面だ。
 ここで「すごいじゃないか。」「お前は変わったんだ」と言える桜木先生のセンスはすごい。
 自信喪失した生徒水野の愚痴の聞き役としてでなく、自分さえ気付いていない生徒の心の成長を指摘し、自覚させた。
 「そうか・・私 知らないうちに変われたんだ」
 この言葉を生徒に言わせた桜木先生に感服してしまった。

 今、道徳の研究をしていると「健全な自尊感情」が1つのキーワードになっている。過度な自尊感情を持っている子は自信過剰で思い上がる。
過小な自尊感情の子は自分に自信が持てないでいる。
 この桜木先生の対応場面は「健全な自尊感情」を持たせる場面なのだと言える。

2016/6/29追記
 「努力すれば自分は変われる」という「しなやかマインドセット」の大切さを表した1冊だということが、今になって分かった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 20, 2008

相変わらず「いじめ」の表現に問題あり!

大学でのいじめ事件が起きた、といったニュースが報じられた。
 表記が大事なので、全文引用させていただく。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/backnumber/n_kyohaku2__20081116_2/

“いじめ報告”に腹立て後輩恐喝、元愛知学院大生2人逮捕
 愛知学院大学(愛知県日進市)の男子バレーボール部所属中に、後輩部員から現金を繰り返し脅し取ったとして、愛知県警愛知署は15日、元部員の八幡素寿(もとひさ)(23)(愛知県長久手町山野田、12日付けで退学)、中古車販売会社員高取峻也(21)(同町東狭間、昨年9月退学)の両容疑者を恐喝の疑いで逮捕した。
 発表によると、両容疑者は昨年4月末、1年の男子部員(20)が、2人から受けたいじめを監督に報告したことに立腹し、「お前のせいで部活を辞めなければならなくなった。300万円を2年で払え」などと言い、暴行を加えた上、昨年5月末から今年9月にかけて、計25回にわたって現金150万円を脅し取った疑い。男子学生はアルバイトなどで金を工面していた。
 八幡容疑者らは、男子部員を山中に放置したり、高速道路のサービスエリアで裸にしたりするなどのいじめを繰り返し、男子部員は1か月で体重が12キロも減ったという。
 さらに「暴力団員の知人がいる」などとして、別の男子部員(21)に暴力団員のまねをさせるなどしていた。同署は暴力団員役をした男子部員も恐喝容疑で書類送検する方針。
 同部は、東海大学リーグ戦で優勝34回の強豪。事件を受けて当面、対外試合を自粛する。
(2008年11月15日23時04分 読売新聞)

・・・監督に報告した「いじめ」の具体的な内容は定かではない。
 しかし、その後の行為は暴行・恐喝・陵辱と言えるような非道いものだ。「いじめ」の見出しは、あまりにも的外れではないか。
 ちなみに、同じニュースを時事通信社では「いじめ」とは呼んでいない。

 元愛知学院大バレー部員2人逮捕=後輩から150万円恐喝-県警 (時事通信)
 愛知学院大学(愛知県日進市)の男子バレーボール部員2人が後輩から現金を脅し取っていたとして、県警愛知署は15日、恐喝容疑で八幡素寿(23)=同県長久手町山野田=と高取峻也(21)=同町東狭間=の両容疑者を逮捕した。いずれも大筋で容疑を認めている。また別の男子部員(21)についても同容疑で書類送検する方針。
 同大によると、八幡容疑者は事件が発覚したため今月退学処分となり、高取容疑者は昨年9月に家庭の事情で自主退学している。
 調べでは、八幡容疑者らは、日常的に暴行していた後輩の男子部員(20)が監督に相談したことに腹を立て、昨年4月、部の寮で男子部員の両手をロープで縛って暴行を加えるなどし、「どうやってけじめを取るんや」などと脅迫。同5月から今年9月にかけ、現金計約150万円を脅し取った疑い。 

・・・こちらの報道は「日常的な暴行」と表記している。暴行・恐喝ような行為を「いじめ」でくくってしまうと、事の重大さがぼやけてしまう。
 「いじめは、れっきとした犯罪です」というコピーもある。
 しかし、犯罪性を強調するなら、暴行・恐喝の方が、響きが重い。
 そもそも大学生である。きちんと犯罪性を強調して報じてほしい。
 そのような報道が「いじめ抑止」につながるのである。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

November 16, 2008

ジャパニメーションは日本の誇り

 地元中日新聞の連載「早坂隆のニッポン三面鏡」は、毎回、日本のよさを紹介している。
 11月12日は「ワーナーが日本アニメの映画化権を獲得」。

十月、アメリカ誌『ハリウッド・レポーター』は、ワーナー・ブラザーズが川尻善昭真原作のアニメ『獣兵衛忍風帖』の映画化権を獲得したことを報じた。
とある。
 映画化のプロデューサーはレオナルド・デイカプリオで、彼は実写版の『AKIRA』のプロデュースも決まっているのだとか。

◆日本のアニメやマンガが世界的に評価され、「ジャパニメーション」などと呼ばれてすでに久しい。アメリカ紙『ワシントン・ポスト』が「クールな帝国・日本」という特集記事を掲載したのは、四年前のことである。
(中略)記事では日本について、「地球上最もクールな国だ」と評し、「文化が(製造業を凌駕する)日本最大の輸出品となった」と記した。

◆韓国の『朝鮮日報』は今年五月の記事で「『魅力』を売るクールな日本」と題し、「韓国人が意識しない間に、日本は経済大国を脱皮し、『文化大国』に変身した。今、日本は世界で最も魅力的な国として通じている」と書いた。

◆戦後、製造業を軸として他に例のない経済発展を遂げてきた日本だが、近年それにソフトコンテンツが加わった。

・・・と、がんばって視写する気持ちで打ちこんでみた。
 「20世紀の浮世絵=ジャポニスム」「21世紀のアニメ=ジャパニメーション」は初耳ではないのだが、改めて読むと、やっぱり誇らしくなる。
 で、原典を探ってみたくなる。
 http://animeanime.jp/biz/archives/2008/10/post_475.html

獣兵衛忍風帖』は、1993年に製作された長編劇場アニメである。川尻喜昭監督でマッドハウスがアニメ制作を行なった。忍者同士の戦いを描いた伝奇SFで、国内以上に欧米地域で高い人気を得た。
 日本アニメが90年代に海外進出する際の代表的な作品として、多くのクリエイターに影響を与えたとされている。それだけに海外での実写映画化の噂が絶えなかったが、ワーナーとディカプリオ氏が製作に乗り出すことになったようだ。

・・・続いて朝鮮日報は以下の記事である。
 http://www.chosunonline.com/article/20080505000025
 http://www.chosunonline.com/article/20080505000026

 朝鮮日報が「日本経済は、もはや製造業だけの経済ではない。無形の国家魅力と文化的価値で金を稼ぐポスト・モダン経済に転換した」と評価している。
 日本が日本文化のすばらしさを自覚しないままでいる場合ではない。
 日本のすばらしさを韓国が脅威と受け止めていることを、もっともっと自覚すべきだろう。

・・・・ちなみに中日新聞の早坂隆氏の記事は、上記の朝鮮日報の記事をかなり流用している。
流用と書いたのは、明確に引用でない箇所にで、朝鮮日報と同じフレーズが見られるからだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 14, 2008

「公益資本主義」と「企業は社会の公器」の理念

以前、松下電器の崇高な企業理念に感銘したことを書いた。

http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2008/09/post-d4de.html

企業理念の中には、次の項目もあった。
==============
 企業は社会の公器
 その意味では、私たちの会社は私企業であっても、事業には社会的責任があります。
私たちは、「企業は社会の公器」との理念のもと、その責任を自覚し全うしなければなりません。
==============

 「正論」12月号で櫻井よし子さんが「公益資本主義」という言葉を紹介している。(P53)
 財務省参与の原丈人さんが公益資本主義という論文を書いており、個人の利益は社会の利益につながっていかなければならないという考え方を実践してこられたと書いてる。
 そして、その例としてバングラデイシュで最先端の技術を駆使して教育や医療を普及させるプロジェクトを行ったそうだ。
 この理念は、先に書いた松下電器の企業理念と同じである。
 マネー資本主義でアメリカ型の経営が破綻した今こそ、日本らしさをアピールすべきなのだと思う。

 櫻井さんは次のように述べている。
============
 日本人には、侍なら、貧しくても模範になる生き方をしようという清貧の伝統がありました。そういう哲学や身を律する規範がなければ人間の社会は結局上手く行かない。世界中に存在する極端に豊かな人と貧しい人との間の格差は絶望的なまでに埋まらない。
 だからこそ、麻生さんは世界に向けて提唱すべきなのです。(中略)日本の価値観こそが世界を新たな地平に導き、より多くの人を幸せにするのだと麻生さんは訴えてほしい。
=============
 力強いメッセージに賛同を寄せている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

新川和江の2つの詩

 新川和江の詩「わたしを束ねないで」については、国語の授業をしたことがある。
 世俗的な男性社会と戦い、自立を求める女性の力強さが感じられる詩だと解釈している。

http://homepage2.nifty.com/take-t/tabanenaide.htm

わたしを束ねないで   新川和江

わたしを束ねない./あらせいとうの花のように/白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂/秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

わたしを止めないで/標本箱の昆虫のように/高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き/こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

わたしを注がないで/日常性に薄められた牛乳のようにぬるい酒のように
注がないでください わたしは海/夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水

わたしを名付けないで/娘という名 妻という名/重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風/りんごの木と
泉のありかを知っている風

わたしを区切らないで/, や . いくつかの段落/
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには/
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに/はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩


・・・一方、同じ新川さんの作である「名づけられた葉」は中学校の合唱曲としても有名だ。
 国語の教科書にもあった記憶があるが、先に合唱曲として出会ったので、「詩」として味わうことも授業することもなかった。
 新川さんを扱うなら「わたしを~」で十分だと思っていた。
 しかし、改めて詩を読んでみて,後悔した。
 この詩もきちんと中学生に教えたかったし、「わたしを~」と重ねて読ませられたからだ。

ポプラの木にはポプラの葉
何千何万芽をふいて 緑の小さな手をひろげ
いっしんにひらひらさせても
ひとつひとつのてのひらに載せられる名はみな同じ

わたしも いちまいの葉にすぎないけれど
あつい血の樹液をもつ にんげんの歴史の幹から分かれた小枝に
不安げにしがみついた おさない葉っぱにすぎないけれど
わたしは呼ばれる
わたしだけの名で朝に夕に

だからわたし考えなければならない
誰のまねでもない 葉脈の走らせ方を刻みの入れ方を
せいいっぱい緑をかがやかせて うつくしく散る法を
名づけられた葉なのだから

・・・「わたしは呼ばれる わたしだけの名で朝に夕に」の部分は、ある意味で「わたしを束ねないで」と正反対の発想だ。 「わたしを束ねないで」の4連は「わたしを名づけないで」とあるから、一方的に決めつけられたりレッテルを貼られたりすることを拒んでいるからだ。
 ところが、一方で「名づけられた葉」と「わたしを束ねないで」には共通した発想がある。
 名づけないでと拒否しているのは「娘・妻・母」といったマスの呼び方であって、個人名ではない。
 名づけられた葉なのだからと受け入れているのは、自分だけの名で呼ばれることだ。
 自分だけの名で「名づけられた葉なのだから」、だからこそ「誰のまねでもない 葉脈の走らせ方を刻みの入れ方をせいいっぱい緑をかがやかせて うつくしく散る法を」考えなければならないと述べている。 
 私は娘でも妻でも母でもなく、1人の人間として生きていきたいのだ、という意味では同じなのだ。
 自分が自分であることにプライドを持ち、精一杯自分らしく(人間らしく)生きよ、というメッセージを感じる。
 自分らしく生きるというのは、精一杯自分で考える行為なのだ。自分でしっかり考えなければならないのだ、という自分への叱咤激励である。
 他人任せにしない力強さがそこにはある。

 面白い。
 子どもたちに両方の詩を提示して、新川さんの「名づけないで」と「名づけられた葉なのだから」は矛盾しないか、と問うたらどう考えるだろう。

| | Comments (8) | TrackBack (0)

November 11, 2008

「貧困ビジネス」のおそろしさ

 11月4日(火)放送されたNHKの『クローズアップ現代』は悲しくて厳しい現実だった。

援助か搾取か “貧困ビジネス”
 今、年収200万円以下の人は全国で1000万人以上。こうした低所得層を対象にする「貧困ビジネス」が横行している。「敷金ゼロ・礼金ゼロ」を謳い文句に貧困者を誘い、家賃を少しでも滞納すると違約金の支払いを迫る不動産業者。住所不定で就職が難しい人を、「住民登録」できることをPRし長期滞在させるネットカフェ。ホームレスを住居に入れ、「生活保護費」を申請させてその大半を受け取る"福祉"をうたう宿泊所。逃げ出すと生活保護費を失うことになるので、脱けられなくなっている人も多い。
  貧困ビジネス業者は、ホームレス対策が遅れているなどの地域に進出、セーフティネットの不十分さが浮き彫りになっている。格差の広がりとともに増殖を続ける「貧困ビジネス」の実態に迫る。
(NO.2654)

 内容は次のサイトに詳しい。http://blog.hix05.com/blog/2008/11/post_814.html

 東洋経済オンライン10/31付のニュースには、ゼロゼロ物件について詳しく載っている。

”ゼロゼロ物件”の被害続出! 住宅「貧困ビジネス」の強欲(1) - 08/10/31 | 07:00

http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/80ebfec36c692d85a30da05fd672cf67/

悲しい。
就職ができなくて収入がないから、きちんとした住居が手に入らない。
住所が不定だから就職ができない。http://www.h2.dion.ne.jp/~cha2/essay/kaitaku/25.htm
これでは、いつまでたっても前に進めない。ただただ悪循環だ。
 そこに違約金をとるアパートも、住民登録できるネットカフェも、生活保護費を強制的入金させる宿泊所も、取れるだけ取ろうという「カモ」にしか考えていない。

 かつて漫画の「カイジ」を読んだ時の、借金返済に困る人たちの底なしの地獄に驚いた。
 借金返済のために働いてもどんどん借金が増えていく悪のシステムだ、いわゆる「タコ部屋」の描写だ。
 それでも「タコ部屋」を肯定する体験者もいる。
http://www.h2.dion.ne.jp/~cha2/essay/kaitaku/25.htm
 結局は、高額でも住めるだけありがたい、住民登録できるならそれでいい、大半の生活保護費を取られても少しは残るのだからいいという意味では現代の貧困ビジネスも必要悪として需要があるのだから、結局なくなることはないのかもしれない。高利だからとわかっていてもサラ金でしかお金を借りられない人は、それを利用するしかない。
 それが一番悲しい。

| | Comments (198) | TrackBack (1)

November 03, 2008

ガソリン値下げで変革のチャンスを失ったのか

 高速料金を1000円にするという愚策については下記に書いた。
http://take-t.cocolog-nifty.com/kasugai/2008/11/post-116e.html
 福田首相がガソリンの暫定税率撤廃しなかった理由の1つが「ガソリン消費の抑制」だった。
 環境問題や将来のエネルギー不足を考えると、安易にガソリンの価格を下げて消費量を増やすのは問題があるという見解だ。
 その通りだ。
 だから、ガソリン価格が200円近く上がった時は、脱石油社会・省エネ社会に移行するためのチャンスだった。
 たとえば
◆(批判があることは承知だが)バイオガソリン・アルコール燃料の普及に向けて1歩進むとか
◆さらなる低燃費自動車の普及に向けて1歩進むとか
◆ガソリンを使わない電車やバスなどの交通網の整備がもっと進むとか
◆日本の最先端の環境技術で「脱石油社会」を目指す世界のリーダーにあるとか
◆輸送費と輸送によるCO2を削減するため、地産地消や国内生産がもっと進むとか
があるかなあと思っていた。
 思っていたら、ガソリン価格は、ずいぶん下がってきた。
 1リットル140円近くになってきたから、元に戻った感じ。
 そして、さらに、高速道路の利用を促す「1000円高速」の提言。
 市街地の車の集中を高速に移して渋滞を減らしてCO2削減させる、という趣旨ではない。ただただ利用を促進し、消費拡大をねらっているだけだ。
 環境サミットが終わったから、もう脱石油社会を目指さなくてもいいのか。
 ガソリン価格が下がったから、もうバンバン消費すればいいのか。
 このような節操のなさが情けない。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

November 02, 2008

「見た目で入試不合格」は、いけないことか?

 「見た目で入試不合格」のニュースについて、むしろ擁護の立場の意見が続出しているらしい。
http://news.cocolog-nifty.com/cs/catalog/cocolog-news_article/catalog_blog-200810311910_1.htm?s=app

 大事な入試であるならば全力を出すのが当たり前。
 全力の1つが学力テストであり、面接の口の聞き方であり、当日の身だしなみである。
 以前勤務した中学校では、授業にほとんど出ないで体育館脇でタバコを吸うような生徒も、入試の当日はほかの生徒から標準服を借りた。頭髪も黒くして行った。
 それをしないで受験するというのは、挑戦・挑発としか思えない。
 もともと合格する気がないのか、自分の服装や身なりを変えてまで合格する気がないのか、「不合格に出来るもんならやってみろ」と思っていたのか、「成績はいいんだから不合格になるはずはない」とタカをくくっていたのか。

 受験日に頭髪や服装をきちんとできない生徒と真面目に受験して高校生活を送る生徒たちと一緒にしたら、他の生徒がかわいそうだ。逆に言えば「どうして、あんな格好の子が合格できるのか」という批判だって起こりうる。事実、入学した生徒の保護者からは不合格生との救済措置に抗議の声が上がっているとラジオのニュースで聞いた。

 もちろん、公立高校の入試だ。税金で維持しているのだから安易に不合格を出してはいけない。
 批判する理由も分かる。
 選考基準以外の事情で合否を決めるのはおかしいと言われれば、そうかもしれない。
 面接の配点が多くて、服装や頭髪・まゆ毛も選考基準に入ることがあらかじめアピールしてあればよかったのかもしれない。
 それにしても、である。
「服装や頭髪・まゆ毛の不備は合否に関与します」などということは、ほとんど暗黙の了解だし、日本ではごくごく常識であるはずだ
 そのような常識を持ち得ない生徒が、選考の末に不合格になるのは、仕方のないことだと思う。
 内部告発で事態が分かり、校長先生は懲戒処分らしい。
 なんとも情けない世の中である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

「思いやり」は具体的な行動が問われる

「『思いやり』って大事ですね。みなさんも思いやりを大事にしましょう。」
と話して、それで指導したと思ったら大間違いである。

◆「思いやりが大事」だってことは、言われなくても分かっている。
◆ところが、言われたからって、できるものではない。
◆そもそも、どう行動することが「思いやり」かが明確でない。
◆「はい、思いやりを大事にしています」と言い切る子が、本当に大事にしているかどうかは分からない。

 つまり「思いやりを大事にしましょう」と呼びかけられても、具体的な行動としてのイメージが確定できないと、単なる言葉遊びにすぎなくなる。いくら言葉で立派なことをいってみても、行動が伴わなければ意味がない。

 先日、校長先生に聞いた話。
 プリントを各列に配布する。1枚足りなかったとする。
 2番目・3番目の子は枚数の不足に気づくかどうかは分からない。
 しかし、後ろから2番目の子はまちがいなく気づく。
 その時、後ろから2番目の子が
◆「ないよ」と告げて、最後部の子に「ありません」と取りに行かせるのか
◆最後尾の子に1枚を配って、自分が「ありません」と取りに行くのか
が問われている。
 「思いやり」がある子は、例えば「配布されるプリントが足りない時に、自分の分をもらうのではなく、次の子に渡して自分が取りに行ける子」ということだ(と、共通理解できるかどうかは別)。
 例えば「給食の牛乳のふたを捨てるゴミぶくろがあふれている時に、次の人のために、ぎゅっと押さえて捨てやすくしておける子」である。
 例えば「放課が終わって隣の席の子がいなかったら心配になって先生が何か知っていないかを尋ねる子」である。
 例えば「給食当番で自分の分担が終わったら、ためらいなく他の子の仕事を手伝える子」である。
 
 「思いやり」の心をを育てたいと学校やクラスが望むなら、例えばどんな行為ができることを望んでいるかを明確にしないといけない。あるいは、子どもたちで話し合って自分たちにとっての「思いやりある行動」を確定しないといけない。
 大事なのは「例えば・・」の「・・」の部分を明確にすることだ。
 宇佐美寛氏が、
◆「もっともっと具体的に思考せよ」
◆「相手より具体的な例を出せ」
◆「もっと低級に考えろ」
◆「神は底部に宿り給う」
と主張したのは、この意味であると思っている。
 むろん「思いやり」があるかどうかは、1つの行動ができるかどうかだけで判断することはできない。
 1つの行為だけできて、あとは全然気がつかないではお話にならない。最後は「自分で判断できる子」になってほしい。
 それでも、学年発達や学年・クラスの状況から見て「まずは○○ができるような子になってほしい」と宣言するなら、その1点を周知徹底させ、全員実行を、めざしたい。他の行為までおよんでほしいと望むなら次の段階だ。
 指導者側に求められるのは、「思いやり」って、例えばどういう行為が出来ることだ、とたくさん列挙することだ。

| | Comments (5) | TrackBack (0)

November 01, 2008

1000円高速は、ありえない

 政府・与党は追加経済対策の一環として、東京、大阪の大都市圏を除き、高速道路料金について土日祝日は原則として1000円で乗り放題にし、平日は3割引を打ち出したという。
 本気だろうか。
 そんなことをしたら、高速は渋滞して機能しなくなる。今だって連休の午前・午後は渋滞が多い。そう考えるのが普通じゃないのかなあと思っていた。
 どうやら自分の発想はマイナーではなかった。

「1000円高速」に批判続出…費用対効果ゼロ

と題したニュースが配信されていた。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/fuji-320081031203/1.htm
2008年10月31日(金)17時0分配信 夕刊フジ
 

高速代全国一律1000円構想が波紋を呼んでいる。金子一義国交相は「早い段階で実施する」と明言したが、陸運業関係者は「ただでさえ激しい週末の渋滞がますます激しくなる」と大ブーイング。「渋滞が激化するだけで費用対効果はゼロ」と警告する専門家もおり、単純に喜んでばかりもいられない。

 すぐにでも実施されそうな勢いで、インタビューでは歓迎ムードも見られた。
 しかし、数ヶ月前に民主党の高速道路無料を批判した自民党が1000円高速の提案では、ほとんど大差ないように思う。
 また、今回の1000円高速はトラックは無関係らしい。この不平等は何だ?
 仕事に必要な高速道路代金はコストに影響する。高速代金の値段が下がれば工業製品や食料品の価格だって下がる可能性がある。あるいは赤字覚悟でコストダウンしている企業を救い、従業員の生活を救う可能性がある。余暇の利用を促し支出を促進するのが狙いだろうが、トラック無視の理由が分からない。

| | Comments (12) | TrackBack (1)

« October 2008 | Main | December 2008 »