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February 22, 2009

「お任せ」文化は、日本の誇り!~「クオリア立国」~

 Kuoria_2
「おまかせ」という流儀が日本的かどうか気になっていた。
 料理を食べるのに、「ご主人のおまかせで」というオーダーが可能になるのは

①日本は単一に近い民族国家だから、趣味・趣向が近い。
②日本は「他人と同じ」を好む民族だから、個々でオーダーするより「みんな一緒」がいい。
③「おまかせ」は、お客さんに料理人が最高の「おもてなし」をしようという心の現れ

といった印象を持っていた。
 そして、「おまかせ料理」の延長に、みんなで一緒の「観光パック」があり、業者の設定したおまかせを楽しむ「ミステリーツアー」があるのではと考えた。
 ただし、西洋料理でもフルコースは「おまかせ」に近いので、「おまかせ」=日本文化、は無理があるかなという不安もあった。

 「日本 文化 おまかせ」でネット検索してみた。
 すると、茂木健一郎さんの『クオリア立国論』(ウエッジ)に、「おもてなし」と「おまかせ」が日本的であると書いてあるらしいことが分かった。。
 茂木さんの「伝えたい日本」というコラムに、「おまかせ」の記述があった。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/127?page=3
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 たとえば、食文化のひとつである「おまかせ」。これはすばらしい文化です。飲み屋さんに入って、お客さんが「まかせるよ」と主人にひとこと言えば、主人はその客の年齢や好みなどを考慮しつつ、料理を出していくわけです。こうしたサービスは、日本独特のものであると思います。
 これが欧米であれば、イニシアティブは客にある。ホテルもレストランも、客が何かを要求しないと何もサービスは受けられません。ところが日本の場合には、客が望んでいるであろうことを想像し、先回りしてサービスを提供する文化をもっているのです。これは、日本流「おもてなし」の美学であると言ってもよいでしょう。
 また店の側に立ってみても、「おまかせ」文化は非常に合理的なものです。メニュー方式であれば、メニューに掲載されている料理はすべて出せるように準備しておかなくてはなりません。そうすれば、食材を無駄にすることになるかもしれない。しかしこれが「おまかせ」料理であれば、無駄がなくなります。
 また「おまかせ」にすることで、その日の料理の仕込みに集中することができます。あれもこれも準備するのではなく、今日の料理にだけ神経を行き届かせることができる。それが日本料理の骨頂にもなっているのです。この「おまかせ文化」ということが、いかにすばらしいか、私たちはよくわかっていない。
 脳科学の立場から言っても、あらかじめ何が出てくるかわかっていて、それを順に追っていく経験よりも、次に何が出るかわからないまま待っているほうが、出てきたときのサプライズは大きい。喜びを感じたときに出る「ドーパミン」という脳内物質だって多く出るんです。 このように我々にとってはごくごく当たり前のことのなかに、日本のクオリア、我々が生きるということを支えてくれるさまざまな知恵があるんです。だから我々はもっと自分のことを鏡に映して見てみなければいけないのではないでしょうか。

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 なるほど、自分の仮説が正しかったと言うと大げさだが、ちょっとうれしい記述だった。
 茂木さんの言葉であらためて分かったのは、日本人にとっての「おまかせ」は、【安心・信頼】と、【神秘・サプライズ】の2面性があるということだ。

 ただし、別のサイトで、「おまかせ」の功罪を知った。
 安易に他人に委ねる習性はビジネス上では危険だということが分かる。
http://satoshi.blogs.com/life/2004/10/post_4.html
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 もう一つは、日本独特の「あいまいさがあっても相手を信頼する」文化である。アメリカのレストランでは、"Today's special"、"Chef's choice" などと、一見「おまかせ」に相当するものがあるが、ほとんどの場合、それが実際には何があるか(差込の)メニューに書いてあるか、ウェイトレスが説明してくれる。日本の「おまかせ」のように、何が出てくるか分からないまま注文するアメリカ人はほとんどいないと言っていい。色々な人種やバックグラウンドの人たちが集まってできたアメリカでは、原則としては相手を信頼せずに全てを契約書ではっきりさせる、という習慣が日々の生活にまで浸透しているのである。日本人が「おまかせ」を頼む時は、「『おまかせ』って言うぐらいだから旬のおいしいものが出てくるに違いない」と期待に胸を膨らませるものだが、アメリカ人だと「何が出てくるか分からないのに高い金が払えるか」と思うのである。
 日米間のビジネスにおいても、すごく細かな点まで指定してくる米国の企業に併行(竹田注:閉口?)する日本企業や、「おまかせ」的な契約書を交わしてしまって後で思いっきり足元を見られてしまう日本企業などが沢山いるはずだ。米国の企業と契約を交わすときは「あいまいさ」は禁物である。相手に「おまかせ」してしまうのは、もっての他である。
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・・・その通りだ。注意しないといけない。
 いずれにせよ、「おもてなしの心」と同じく「おまかせ」も日本的なのだということが分かった。
 
  さて、『クオリア立国論』(ウエッジ)を入手できた。
  茂木さんの本を読む前に、自分がイメージした「おまかせ」は、ミシュランガイドの3つ星レストラン「すきやばし次郎」だった。茂木さんが出演するTV『プロフェッショナル』でお寿司の「おまかせコース」が紹介されたそのシーンがすごく印象的だった。
 自分のメニューに圧倒的な自信を持って「おまかせ」を出す主人のやり方は西洋的ではない、と感じた。
 だから「おもてなし」と同じく「おまかせ」も日本文化なのでは、と考えたのだ。
 茂木氏は、以下のように書いている。
 茂木氏が例示する「おまかせ」の典型例が「すきやばし次郎」であった。
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 すきやばし次郎の店主である小野二郎という人は、素材を仕入れて、魚に仕事を施し、舎利と一緒に握る。そして客の前に出す瞬間に最高の味になるように計算しているわけです。すべては客の前に出す瞬間から逆算している。最高の状態を味わってもらうために最高の心配りを施している。そういう凄みを感じます。ただ、それだけではなく、常にすべての客に目を配っています。食べるペースは人それぞれです。ペースの速い人には、必要以上の間が開かないように握って出す。ペースがゆっくりとした人には、急かさないような出し方をする。お年寄りや女性の人ならば、ほんの少し舎利の量を減らして握ったりもする。そうして出された一貫の寿司は、もう小野二郎という人の芸術品としか言いようがありません。「おかかせで」と言った瞬間からその芸術は始まり、「ごちそうさま」と言った瞬間に客の至福は最高潮に達するわけです。
(中略)
 日本が育んできた「おまかせ」という文化は、これほどまでに職人の技量と心配りを進化させてきたのです。
(P49~51)

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 「おまかせ」は、「気配り」の新骨頂であり、「おもてなし」の典型例なのだということがよく分かった。

  茂木さんの『クオリア立国』を、まだパラパラ見ただけではあるが、それにしても「クオリア(数値に表れない質感)」を中心に立国を説く茂木さんの主張は「観光立国」の主張に極めて近い。

◆経済が成熟するほど、人々はより繊細で高度なクオリアを求めます。脳が肥大化した人間の欲望は、クオリア自体に向かうのです。レストランに行くこと、旅に出ること、ドライブすること、これらのすべては、脳がクオリアを消費する行動であると見なすことができるのではないでしょうか。
人々が求めるクオリアを提供する産業が、これからの成長産業となることが期待されるのです。◆(
P12)
って、ほとんど、観光を成長産業にしようという意向と同義である。

日本には豊富な資源もないし、安い労働力もないし、生き馬の目を抜く戦略性も乏しいのです。一方で、この島国の四季の移ろいの中で培われたクオリアに対する感性の伝統だけは確かにあります。文脈によっては弱点にもなり得るクオリアに対する繊細な感性が、クオリア消費の時代には強みになるのです。日本人が受け継いできたクオリアに対する感性を、高付加価値の商品、サービスの開発に生かす「クオリア立国」こそが、これからの日本の一つの生き方なのです◆(P13)

・・・日本の伝統文化や日本人の生き方に誇りをもって、それを武器に日本を繁栄させていこうという茂木さんの主張は実に明快で未来志向である。もっともっと勉強していきたい。

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February 21, 2009

中川財務相の酩酊会見

 中川財務相の酩酊会見はひどかった。あちこちのニュースで何度も見た。
 野党からは「日本の醜態を世界中にさらした責任は重い」といった批判があがった。
 テレビや新聞も同じようなトーンだ。
 確かに、酩酊ぶりにはあきれたが、違う印象を持った。
 
①   そもそも、なぜ、あのような酩酊状態のまま記者会見を行ったのか。
①-1 大臣には秘書がいるはずだ。
①-2 経済会議なのだから官僚もいるはずだ。
①-3 自民党の議員もいるはずだ。
・・・だから、秘書と官僚と自民党議員が中川氏の味方なら、体調不良などを理由に最初から会見を中止や延期すればよかったのだ。

②   そもそも、会話の異常さは、一言話せば分かる。なぜ会見の途中でいいからやめにしなかったのか。
②-1 秘書や官僚や自民党議員が、さっさと中止宣言すればよかった。
②-2 記者団もおかしいと思ったら、やめさせればよかった。
    体調を心配してもいいし、泥酔じゃないかと抗議してもいい。
②ー3 そもそも、あの会見は誰が仕切っているのか。そこが報道からが見えてこない。
・・・だから、体調不良などを理由に、途中で会見を中止すれば、あんな騒ぎにはならなかったのだ。

③   では、なぜ、あのような異常な会見を垂れ流したのか。
③-1 国益を損ねると分かっているのなら、会見の報道を慎むよう依頼すべきではなかったのか。
③-2 再度、きちんとした会見を開き、差し替えるような形にできなかったのか。
③-3 会見の責任者がいるのだとしたら、なぜ報道を放置したのか。
・・・だから、会見をしてしまったとしても、報道されないように対処すればよかったのだ。

④   あの会見が流れたらどうなるかの危機意識がなかったのか。
④-1 あのまま報道されたら、どういう反響があるか、
     大臣本人も秘書も官僚も自民党議員も会見責任者も考えなかったのか。
④-2 流す方のマスコミは、面白おかしければ、何でも流すのか。
    こんなくだらないことを糾弾するのはかまわないが、日本の恥=国益を考えたら、「武士の情け」で大騒ぎ     しないという大人の対応はないのか(無理だわな)
④-3 ③-2と重なるが、なぜ、やり直し会見で、きちんとした発言を発信しないのか。
・・・だから、さっさと「おわび・やり直し」で毅然とした態度を示せばよかったのだ。

⑤   なぜ、醜態を何度も世にさらすような報道をするのか。 
⑤-1 なぜ、「国家の恥だ」と大騒ぎして、国家の恥をさらに拡大するのか
⑤-2 「日本の醜態が世界中に流された」と言いながら、なぜテレビでは何度も映像を繰り返して
    「日本の醜態を世界中に流し」続けているのか。
・・・だから、最初は知らなかった人まで知るところとなる。知らないでいい人にまで映像が届いてしまう。

 単に中川氏を陥れたり、自民党を追い詰めたりするための「批判」材料として用いる戦略はある。
 でも、その批判の言葉の中に「国家の恥」を入れて、繰り返すのはやめてほしい。
 大枠でいえば同じ日本人なのである。
 日本人の不祥事をわざわざ日本人が強調することの、影響をよく考えてほしいと思う。
 まあ、甘い考えだということは、十分分かっているのだが・・・。
 
 野党も、今回の自民党の不祥事について、声を荒げない大人の対応をすることで自民党に「貸し」を作る「戦略もあったと思う。
 嬉々として批判する姿はみっともない。
 同じ日本人による日本人の批判・批難にはウンザリなのである。

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February 08, 2009

松方幸次郎氏は日本の誇り

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1月18日(日)15:00~16:25 日本テレビ
・・・全てではないが、車の中で音声だけ聞いていた(聞き流していた)。
 ところが、途中から、非常にのめりこんでしまった。

▽世界の名画を集めた男!激動の昭和史の旅▽関口宏・水野真紀
情熱人・松方幸次郎◇大正から昭和初期にかけて西洋美術を収集し、世界有数の”松方コレクション”を築いた実業家、松方幸次郎の生涯に迫る。造船所の社長だった松方は、日本人に一流の芸術を見せたいという思いから膨大な私財を投じ、ヨーロッパの絵画など大量の美術品を買い集めた。
芸術を通じて日本の近代化を夢見た松方の波乱の人生と松方コレクションがたどった数奇な運命を再現ドラマを交えて伝える。
また東京・上野の国立西洋美術館やフランスのオルセー美術館など各地に散った松方コレクションを紹介する。

 車中だから、何が残念と言って、どんな絵画の紹介をしているのか画像が見られなかったことだ。
 帰宅して、「松方コレクション」で検索すると、国立西洋美術館のサイトがまっ先にヒットした。
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株式会社川崎造船所社長であった故松方幸次郎氏(1865-1950)は、1916年から1923年にかけて、私財を投じてパリを中心にヨーロッパ各地で数千点におよぶ西洋の絵画、彫刻、工芸品を収集しました。また、西洋の美術作品だけではなく、当時外国に散逸した日本の浮世絵を収集したことも有名です。これら約8000点の浮世絵は現在、上野の東京国立博物館に所蔵されています。

松方氏はこれらのコレクションをもとにして、東京に共楽美術館を設立し、日本で西洋の美術作品を見る機会を提供しようと考えていましたが、1927年の経済恐慌によってこの計画は陽の目をみることはありませんでした。経済状況の悪化によるコレクションの散逸、イギリスでの倉庫火災によるコレクションの消失などによって、現在では当時の膨大なコレクションの全貌を知ることは不可能となっています。
その中にあって、当館の松方コレクションとは、第二次世界大戦当時フランスに残され、サンフランシスコ講和条約によって一旦フランスの国有財産となった後、日本に寄贈返還された絵画196点、素描80点、版画26点、彫刻63点、合計370点の作品からなるコレクションのことをさしています。
http://www.nmwa.go.jp/jp/collection/permanent/matsukata.html
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 ウイキペデイアでは、次のように記してある。

1950年から松方コレクションの返還交渉が始まったが、難航していた。1951年のサンフランシスコ講和会議の際に、首相吉田茂がフランスの外務大臣に要求し、返還されることが決まった(平和条約によれば、連合国に管理されている日本の財産はそれぞれの国が没収するが、個人の財産は所有者に返還されるはずであった)。しかし、その後の交渉の中で、コレクション中、重要なゴーギャンやゴッホなどいくつかの作品についてはフランス側が譲らず、結局、絵画196点、素描80点、版画26点、彫刻63点、書籍5点の合計370点の作品が、美術館を建設して展示するという条件付きで返還された。受入れのための美術館が建てられ、1959年に国立西洋美術館で公開された。

・・・恥ずかしながら、全然知らなかった。
 東京国立博物館も西洋美術館を訪れたことがない。
 中学校教師として修学旅行で何度も東京に引率したが、もちろん、生徒にも、このような史実を伝えることもなかったから、班別行動で西洋美術館を選ぶグループは、極めて少なかった(上野の文化ゾーンでいろいろ観ようという班もあったことはあった)。
 今度、東京に行くときは、ぜひ、西洋美術館と国立博物館を訪れたいと思う。
 それは、絵画を見るためだけではない。もともと絵画に興味があるのなら、とっくに訪れていただろう。
 松方氏が私財を投げ打って日本人の文化のために集めた作品群をこの目で確かめたい。
 そして、「自宅には、ただの1枚も絵を飾らなかった」という無私の行動に感謝の意を表したい。

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中田厚仁さんは、日本の誇り

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1993年4月8日。元国連ボランティア(UNV)、中田厚仁さんがカンボジアの総選挙監視員として活動中に、カンボジア中部コンポントム州プラサットサンボー郡で殉死した。
詳細は以下のサイトに詳しい。

http://www.bangkokshuho.com/archive/2007/oldcolumn/cambodia/1261.htm
 中田さんが亡くなった時、その場所には誰も住んでいなかった。 しかし、中田さんが亡くなってから2年後に村が出来た。 村人たちは、中田さんの温かい人柄、献身的な活動と無念の死を悼み、感謝を歴史に残そうと、村の名前を「アツ・ビレッジ」と名づけた。 公式には「ナカタアツヒコ・コミューン」と呼ぶ。

自分の名前が後世に残る。
それだけでも、すごいと思うが、異国の地で村の名前になってしまうというのは、どれほどの尊敬を集めてのことなのか、想像を超える。

http://tamezou6.iza.ne.jp/blog/entry/536110/ の冒頭は印象的なエピソードが示されている。

"I am dying"(私は死んでいきます)という荘重な言葉を最期に、中田厚仁さんが、二十五年の短い生涯を終えたのは、今から五年前の平成五年四月八日、場所はカンボジア、コンポトム州であった。中田さんはUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)のボランティアメンバーとして、総選挙実施の支援活動をしていた途中、何者かに、至近距離から二発撃たれ、一発の銃弾は左側の頭の後ろから左目に貫通したのである。

アツ村のアツ小学校を実際に訪れた人のブログは、実にうれしい。
http://angkor.blog13.fc2.com/blog-entry-774.html
カンボジアに行く機会が生涯のうちにあるかどうか分からないが、アツ村の存在は忘れない。
心の中で中村厚仁さんに手を合わせたい。

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