「お任せ」文化は、日本の誇り!~「クオリア立国」~
「おまかせ」という流儀が日本的かどうか気になっていた。
料理を食べるのに、「ご主人のおまかせで」というオーダーが可能になるのは
①日本は単一に近い民族国家だから、趣味・趣向が近い。
②日本は「他人と同じ」を好む民族だから、個々でオーダーするより「みんな一緒」がいい。
③「おまかせ」は、お客さんに料理人が最高の「おもてなし」をしようという心の現れ
といった印象を持っていた。
そして、「おまかせ料理」の延長に、みんなで一緒の「観光パック」があり、業者の設定したおまかせを楽しむ「ミステリーツアー」があるのではと考えた。
ただし、西洋料理でもフルコースは「おまかせ」に近いので、「おまかせ」=日本文化、は無理があるかなという不安もあった。
「日本 文化 おまかせ」でネット検索してみた。
すると、茂木健一郎さんの『クオリア立国論』(ウエッジ)に、「おもてなし」と「おまかせ」が日本的であると書いてあるらしいことが分かった。。
茂木さんの「伝えたい日本」というコラムに、「おまかせ」の記述があった。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/127?page=3
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たとえば、食文化のひとつである「おまかせ」。これはすばらしい文化です。飲み屋さんに入って、お客さんが「まかせるよ」と主人にひとこと言えば、主人はその客の年齢や好みなどを考慮しつつ、料理を出していくわけです。こうしたサービスは、日本独特のものであると思います。
これが欧米であれば、イニシアティブは客にある。ホテルもレストランも、客が何かを要求しないと何もサービスは受けられません。ところが日本の場合には、客が望んでいるであろうことを想像し、先回りしてサービスを提供する文化をもっているのです。これは、日本流「おもてなし」の美学であると言ってもよいでしょう。
また店の側に立ってみても、「おまかせ」文化は非常に合理的なものです。メニュー方式であれば、メニューに掲載されている料理はすべて出せるように準備しておかなくてはなりません。そうすれば、食材を無駄にすることになるかもしれない。しかしこれが「おまかせ」料理であれば、無駄がなくなります。
また「おまかせ」にすることで、その日の料理の仕込みに集中することができます。あれもこれも準備するのではなく、今日の料理にだけ神経を行き届かせることができる。それが日本料理の骨頂にもなっているのです。この「おまかせ文化」ということが、いかにすばらしいか、私たちはよくわかっていない。
脳科学の立場から言っても、あらかじめ何が出てくるかわかっていて、それを順に追っていく経験よりも、次に何が出るかわからないまま待っているほうが、出てきたときのサプライズは大きい。喜びを感じたときに出る「ドーパミン」という脳内物質だって多く出るんです。 このように我々にとってはごくごく当たり前のことのなかに、日本のクオリア、我々が生きるということを支えてくれるさまざまな知恵があるんです。だから我々はもっと自分のことを鏡に映して見てみなければいけないのではないでしょうか。
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なるほど、自分の仮説が正しかったと言うと大げさだが、ちょっとうれしい記述だった。
茂木さんの言葉であらためて分かったのは、日本人にとっての「おまかせ」は、【安心・信頼】と、【神秘・サプライズ】の2面性があるということだ。
ただし、別のサイトで、「おまかせ」の功罪を知った。
安易に他人に委ねる習性はビジネス上では危険だということが分かる。
http://satoshi.blogs.com/life/2004/10/post_4.html
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もう一つは、日本独特の「あいまいさがあっても相手を信頼する」文化である。アメリカのレストランでは、"Today's special"、"Chef's choice" などと、一見「おまかせ」に相当するものがあるが、ほとんどの場合、それが実際には何があるか(差込の)メニューに書いてあるか、ウェイトレスが説明してくれる。日本の「おまかせ」のように、何が出てくるか分からないまま注文するアメリカ人はほとんどいないと言っていい。色々な人種やバックグラウンドの人たちが集まってできたアメリカでは、原則としては相手を信頼せずに全てを契約書ではっきりさせる、という習慣が日々の生活にまで浸透しているのである。日本人が「おまかせ」を頼む時は、「『おまかせ』って言うぐらいだから旬のおいしいものが出てくるに違いない」と期待に胸を膨らませるものだが、アメリカ人だと「何が出てくるか分からないのに高い金が払えるか」と思うのである。
日米間のビジネスにおいても、すごく細かな点まで指定してくる米国の企業に併行(竹田注:閉口?)する日本企業や、「おまかせ」的な契約書を交わしてしまって後で思いっきり足元を見られてしまう日本企業などが沢山いるはずだ。米国の企業と契約を交わすときは「あいまいさ」は禁物である。相手に「おまかせ」してしまうのは、もっての他である。
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・・・その通りだ。注意しないといけない。
いずれにせよ、「おもてなしの心」と同じく「おまかせ」も日本的なのだということが分かった。
さて、『クオリア立国論』(ウエッジ)を入手できた。
茂木さんの本を読む前に、自分がイメージした「おまかせ」は、ミシュランガイドの3つ星レストラン「すきやばし次郎」だった。茂木さんが出演するTV『プロフェッショナル』でお寿司の「おまかせコース」が紹介されたそのシーンがすごく印象的だった。
自分のメニューに圧倒的な自信を持って「おまかせ」を出す主人のやり方は西洋的ではない、と感じた。
だから「おもてなし」と同じく「おまかせ」も日本文化なのでは、と考えたのだ。
茂木氏は、以下のように書いている。
茂木氏が例示する「おまかせ」の典型例が「すきやばし次郎」であった。
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すきやばし次郎の店主である小野二郎という人は、素材を仕入れて、魚に仕事を施し、舎利と一緒に握る。そして客の前に出す瞬間に最高の味になるように計算しているわけです。すべては客の前に出す瞬間から逆算している。最高の状態を味わってもらうために最高の心配りを施している。そういう凄みを感じます。ただ、それだけではなく、常にすべての客に目を配っています。食べるペースは人それぞれです。ペースの速い人には、必要以上の間が開かないように握って出す。ペースがゆっくりとした人には、急かさないような出し方をする。お年寄りや女性の人ならば、ほんの少し舎利の量を減らして握ったりもする。そうして出された一貫の寿司は、もう小野二郎という人の芸術品としか言いようがありません。「おかかせで」と言った瞬間からその芸術は始まり、「ごちそうさま」と言った瞬間に客の至福は最高潮に達するわけです。
(中略)
日本が育んできた「おまかせ」という文化は、これほどまでに職人の技量と心配りを進化させてきたのです。
(P49~51)
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「おまかせ」は、「気配り」の新骨頂であり、「おもてなし」の典型例なのだということがよく分かった。
茂木さんの『クオリア立国』を、まだパラパラ見ただけではあるが、それにしても「クオリア(数値に表れない質感)」を中心に立国を説く茂木さんの主張は「観光立国」の主張に極めて近い。
◆経済が成熟するほど、人々はより繊細で高度なクオリアを求めます。脳が肥大化した人間の欲望は、クオリア自体に向かうのです。レストランに行くこと、旅に出ること、ドライブすること、これらのすべては、脳がクオリアを消費する行動であると見なすことができるのではないでしょうか。
人々が求めるクオリアを提供する産業が、これからの成長産業となることが期待されるのです。◆(P12)
って、ほとんど、観光を成長産業にしようという意向と同義である。
◆日本には豊富な資源もないし、安い労働力もないし、生き馬の目を抜く戦略性も乏しいのです。一方で、この島国の四季の移ろいの中で培われたクオリアに対する感性の伝統だけは確かにあります。文脈によっては弱点にもなり得るクオリアに対する繊細な感性が、クオリア消費の時代には強みになるのです。日本人が受け継いできたクオリアに対する感性を、高付加価値の商品、サービスの開発に生かす「クオリア立国」こそが、これからの日本の一つの生き方なのです◆(P13)
・・・日本の伝統文化や日本人の生き方に誇りをもって、それを武器に日本を繁栄させていこうという茂木さんの主張は実に明快で未来志向である。もっともっと勉強していきたい。
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Comments
たしかにこの日本ならではの文化は大切に
したいものですが,国際的なかかわりの
なかでは,ある程度控える必要があるの
ではないかなあと考えます.最近日本が
かかえる多くの問題の背景にはこれが
マイナスに作用しているような感じが
します.
毎回このブログ拝読しています.
「日本人」とか「日本」を結構強調されて
おられるようで,s新聞の論調を見ている
ような感じも時にはしますが,明快ですね.
実際の学校の教育現場ではこのような「国」
意識を感じさせるような教育はされておら
れるのでしょうか.
Posted by: ポストン | March 03, 2009 01:17 AM
ボストン様、ありがとうございます。
・自分に自信を持つ
・母校に自信を持つ
の延長に「郷土愛・祖国愛」があります。
経済では立ち行かなくなったニッポンの進むべき選択肢の1つが「観光立国」です。観光教育と言うとビジネスっぽいですが原点は自分の住んでいる地域・国をよく知る、ということです。
Posted by: 竹田博之 | March 08, 2009 04:09 PM