茂木健一郎氏とモンテッソーリと向山型指導法
茂木健一郎氏の「脳を活かす勉強法」が書店で平積みになっている。
中でも「ドーパミン」「強化学習」の記述部分は、
「向山型指導法と同じだ」
「モンテッソーリ教育と同じだ」
と感じる内容だった。
抜粋して再構築してみると・・。
◆一生懸命考えていた問題がやっと解けたとき、脳の中にはドーパミンが分泌されて大きな喜びとなる。
◆ドーパミンが分泌された快楽を再現しようと脳は行動を記憶する。
◆ドーパミンは、できると分かっていることをなし遂げても放出されない。できるかどうか分からないことに、一生懸命になってぶつかり、そして苦労の末それを達成したときに大量に分泌される。
◆どんな小さなことでもいいから自発的にやったことで「成功体験」を持たせることが大切である。
◆「成功体験」による快感がくせになり上達していく状態が「学習」のメカニズムである。
◆「学習」について試行錯誤を経て脳内に強固なシナプス(神経回路網)ができることを「強化学習」と呼ぶ。
◆何をするにも「自分が選んでいる」という感覚こそが強化学習には欠かせない。
さて、モンテッソーリ教育の第一人者である相良敦子先生の著書、『幼児期には2度チャンスがある』を読んで、モンテッソーリ教育で「敏感期」と呼ばれる感覚が研ぎ澄まされた時期があり、「正常化」と呼ぶ劇的な変化があることを知った。
◆「正常化」が起こると、「歪み」がひとりでに消えるばかりでなく、その子本来の落ち着きや善良さが現れてきます。(P75)
・・・この変化は、「敏感期(幼児期)」でなくてもよい。集中体験が人生を変えるのだと相良先生は書いておられる。
『お母さんの敏感期』には次のようにある。
◆幼児期の強烈なエネルギーがほとばしりでる敏感期のようなかたちではないにしても、人間には生涯にわたって、いつも何か夢中になれるものがあり、そのために情熱を傾ける時期があります。
そして、全力投球して夢中にやり抜いたあとは、人間いくつになっても素直になり寛大になります。(P107)
・・・自分が選択した課題について集中してやり遂げたとき落ち着きが生じ、人格に変化が現れる「正常化」は「ドーパミン」による効果だったのか。
向山型もモンテッソーリ教育も、どちらも最新の脳科学の知見によって、その教育の効果が裏付けられたことが分かる。
さて、斎藤孝氏の『天才になる瞬間』(青春文庫)では、表紙に次のように書いてある。
◆自分の中の未知能力をスパークさせる方法
◆ブレイクスルーは誰にもやってくる!
斎藤氏の用いる「スパーク」「ブレイクスルー」は、相良先生の書かれた「正常期」の叙述と酷似している。
◆『天才になる瞬間』とは、自分の才能をガシッとわしづかみにした感覚が生まれる時のことだ。
「そうだ、これがやりたかったんだ!」「自分じゃないみたいに体と頭が勝手に動いてうまくいった」
表現は色々あり得るが、自分の才能をふと肯定する瞬間は、それほど珍しいことではないだろう。 (P5)
また、斎藤氏の用いる「渾身」は、相良先生の書かれた「集中」の叙述と酷似している。
◆渾身というのは、言ってみればブレイクスルーの極意なのです。(中略)壁全体ではなく、壁の一部、それも針の先ほどの一点に向かって、持てる力のすべてを託して打ち込むーそれが”渾身”という意味であり、天才の領域に向けて突破口を開くコツでもあるわけです。(P24)
モンテッソーリ教育を意識して日常を過ごすと、いろんなものがひっかかってくるようになった。
ところで、敏感期・臨界期といった言葉が出てくると、当該年令を超えてしまった保護者には焦りをもたらすし、小・中学校の先生は無関係かなとも思われがちだ。ななめ読みすると不安と絶望に襲われる。
たとえば、「お母さんの敏感期」次のような記述。
◆からだを100%使って、精一杯の努力を惜しまないのは一生に一回、この時期だけです。しかも、大事なことは、この時期に100%の力をだし切る全力投球の経験をした子どもは、小学生以後、何ごとにも力をだし切ることができます。ところが、幼児期に100%の力をだし切って全力投球でがんばる経験をしなかった人は、小学生以上になってから、最後までとことん努力をするという粘り強さに欠けます。能力はあるのに、100%の努力をしないで、「もう、ここらでいいわ」と切りあげてしまいます。(P94)
でも、相良先生の著書を安心して読んだ。 「敏感期を取り逃した」「手おくれだ」という意見に対して同じ『お母さんの敏感期』に次のようにあるからだ。(P107)
◆幼児期の強烈なエネルギーがほとばしりでる敏感期のようなかたちではないにしても、人間には生涯にわたって、いつも何か夢中になれるものがあり、そのために情熱を傾ける時期があります。そして、全力投球して夢中にやり抜いたあとは、人間いくつになっても素直になり寛大になります。
・・・そうなんだ。いくつになっても夢中にやり抜くと変わることができるんだ。
たとえば中学生の部活動。
自分で選択した部活動で全力投球すると、1年生も夏休みを越えてぐっと顔つきが締まってくる。
軟弱なこの時代、部活動に参加して初めて全力投球を体験する子も多いのだ。
たとえば、チャレランから発展した「30人31脚」の全国大会。
悔し涙を流しながら「先生、ありがとうございました!」と感謝を述べる子どもたちのたくましさには、ぐっとくるものがある。
相良先生の著書の「集中・熱中」の部分に高学年や中学生をイメージしてあてはめても、十分成立する。
『ドラゴン桜』では、「何か夢中に慣れた経験のある子は伸びる可能性がある」とあった。
これも同じ意味合いなのかもしれない。
「幼児期」の重要さを説きつつも、一方で、いつだって全力投球の経験をすれば人は変われるのだと説いている。
そこが、きわめて重要だ。
このような誤解のないようなアピールを我々が反復させていかないといけないのだと思っている。
再び、茂木さんに戻る。2009年3月31日の「プロフェッショナル」で、「自発性の回路」の話があった。
◆脳には、“自発性の回路”があらかじめ備わっていると、茂木は言う。「自発性の回路は、ある意味では、何で育んでもいいわけです。例えば音楽のレッスンを子供にさせている場合、音楽で自発性の回路を育まなくても、ほかのことで育めばいい。それがいつかは音楽にも生きてくるのです。一番いけないのは、“あれをやりなさい”“これをやりなさい”と強制すること。これでは自発性の回路を育む機会が失われてしまいます」
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/090331/index.html
これも、同じ意味なのかと考えている。
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