「なぜ」で追い込んではいけない
指導がうまくいかない時や子どもが思うように動かない時。
ついつい
「どうして、そんなことするの?」
「どうして、先生の言った通りにやらなかったの?」
と言うことがある。
自分では気がつかなかったが、先日、他の人が「なぜ?」で子供を責めている場面をみて「これは、いかんわ」と思った。
やり方が定着していないから苦労して算数の問題を自分なりに解いている子に浴びせかける「どうして」の嵐。
「どうして、そんなやり方でやるの?」
「どうして、また同じ間違いを繰り返すの?」
「どうして、分からんの?」
・・・「どうして」(実際は名古屋弁なので「なんで」)と問う側は、そもそも相手に理由など求めていない。
「どうして」と質問の形にはなっているが、実際は「詰問」であり「批判」であり「侮蔑」である。
「どうして、そんなやり方するの? だめに決まっているでしょう」
・・・反語的な使い方
「どうして、分からんの? 馬鹿だねえ、この子は」
・・軽蔑的な使い方
言われた方が、「なぜ」に正対して返答することはない。
間違った理由など存在しないので答えようがない
・・・無理由ゆえの無返答
批判・軽蔑の意味であると分かっているから答えない
・・・・・あきらめゆえの無返答
したがって「どうして~」と詰問された子は、悲しそうな顔をしているか、不満そうな顔をしている。
逆ギレ風に言うならば
「最初から分かっとったら苦労せんわ」
「分かるように教えるのがお前の仕事だろう」
「馬鹿で悪かったな。ほかっといててくれ」
ということになる。
逆ギレされずにすんでいるのは相手が小さいうちだ。
いつか反撃を食らう。
自尊感情を傷つける「どうして?」には、何の効果もない。
言う側の憂さ晴らしだけだ。
そして言われた側には、屈辱感が残り、遺恨が残る。
まさに、エラー・ラーニングだ。
想像してみるといい。
おかしな使い方をして器具を壊したからといって、家電メーカーの人は「どうして、そんな使い方をしたんですか」とは言わない。
心の中でそう思ったとしても、ぐっとこらえて「ああ、壊れてしまったんですか」と故障した現実を受け入れるだけだ。今更、過去を責めても何の意味もない。
相手を子どもと思っているから無遠慮に嫌味混じりに「どうして?」が出る。
われわれ教師は、相手が子どもだからと、つい相手の尊厳を損なう言い回しをすることがある。
その1つが「どうして、そんなことしたの?」という詰問だ。
もっともっと発する言葉に敏感にならねばと思う。
以上の考察の背景には、言語の「語用論」的なアプローチがある。
「語用論」とは?
これは、検索してみればいろいろヒットするはずだ。
要するに
「言葉には額面どおり受け止められないことがある」
「言葉の状況によってその意味が規定される」
ということだ。
「マッチ持っていますか?」という問いは「はい・いいえ」を答えて欲しいわけではなく、「マッチを貸してください」の意味である。
「今、何時になった?」という問いは実際の時間を尋ねているのではなく、「早く終われ・今何時なのか早く気付け」の意味である。
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