ビジネス書と文学の相違
世は新書ブームで、新書を読めば手軽にノウハウも分かるし、知識も得られる。
自分も、教師になって以来、」ビジネス書のコーナーによく立ち止まった。
手早く「生き方」を学ぶなら、ノンフィクション・ビジネス書・新書がいい。自分の知りたいテーマで学び取ることができる。
一方、文学作品は、ひょっとして読了するまで、何が得られるかが分からない。最初から好みのテーマで作品を選ぶ人もいるだろうが、読み進めるうちにテーマが伝わってくることの方が多い。ということは文学は生き方を学び取るには極めて「遠回り」である。
にも、かかわらず久しぶりに文学作品を何冊か読んでみると、その学びの多さに改めて感心してしまった。
自分なりに考えたのは、「生き方の学び」をどう汲み取るか、だった。
自分は、ずっとビジネス書のような類で生き方を指南されることが多かった。
しかし、そのようなものとは違う生き方指南が文学にはあるという思いが強くなった。
まどろっこしい文学作品からの学びが、お手軽なビジネス書の学びよりも心に残るという実感がある。
誤解を恐れずに言うと、次のような実感がある。
◆ビジネス書はお手軽に生き方を入手できるが、お手軽ゆえにインパクトが弱い。
◆文学作品は生き方を入手するには、まどろっこしい。しかし、一度得られた「生き方」の学びには衝撃性すらある。人生観を変えるような読書体験も、ままあることだ。
なぜ、このような差異があるかというと、それは
◆実務的な読書は、要約的に(ダイジェストに・コンパクトに・ストレートに)に生き方を指南される。
一方、文学作品の読書は、敷衍的に生き方を指南(示唆)される
からなのだと思う。ここで前回述べた「要約と敷衍」が絡んでくる。
自分の命を投げ打つ行為の尊さは、
「自分の命を投げ出すなんて、なかなか出来ないものだ」と何百回聞いてもピンとこないが、例えば『塩狩峠』を読めば多くの人が腑に落ちる。
道徳の授業も同じだ。
「○○しましょう! 」
「○○してはいけません!」
と教えるだけなら学級指導で1分もかからない。
しかし、そのような内容を、腹の底から実感させるためには、実話や寓話を用いた方が効果がある。
それが道徳の時間の存在価値であり、資料の存在価値なのである。
イソップ寓話集も同様だ。
具体的なエピソードがあって、その後に「この話は○○ということを教えている」というようなまとめがある。
道徳の授業は、このようにあるエピソードを通して生き方を学ばせるように仕組んである。
そして、文学作品は、あるストーリーを通して生き方を学ばせるように仕組んである。
遠回りではあるが、ストレートなメッセージ(お題目)よりも、成果があるのだ、というのが今の私の実感である。
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