何気ない仕草に心が表れる
道徳研究発表会で講師にお招きした関西学院大学の横山利弘氏は、「心は見えるか」と問い、
「何気ない仕草に心が現れる」
「心の変化は言葉や態度に表れる」
と話をされた。
本年度の市内教務主任研究のテーマは「言語力の育成」だった。
言語が重要だというのは、人間が生きていく上で当たり前すぎる指摘なのだが、文科省がその当たり前のことを声高に指摘しなければならないほど子どもの実態として言語力が乏しくなっているということなのだろう。
そんなわけで、言葉と心について調べてみる。
昔から格言などを列挙してみた。
(1)「中(うち)に誠なれば外に形(あらわれ)る」
心の中に誠意があれば、それは自然とその人の言葉や表情や動作などに表れる。
儒教の経書の一つである「大学」の言葉。「大学」は南宋以降、『中庸』『論語』『孟子』と合わせて四書とされた経典
(2)「思い内にあれば色外にあらわる」(大学)
心に思うことがあると、自然に顔色や態度にあらわれる。
(3)「言葉は心の使い」
言葉は心を外に表す道具であり、心に思っていることは自然に言葉になって表れる。
(4)「お里が知れる」
ちょっとした言葉や態度によって、その人のことがわかってしまう。
(5)「言葉は身の文(ことばはみのあや)」
出典:「春秋左氏伝-僖公二四年」「言身之文也、身将隠、焉用文之」
言葉は、その人の人柄や品性を表わすものである。
(6)「言葉は立ち居を表わす ( ことばはたちいをあらわす )」
言葉はその人の性行を表わすものである。
(7)「言葉は人格を表す」
(8)「言葉の乱れは心の乱れ」
・・・言葉に 「必ず」 心が表れるとは限らない。
「裏腹」とか「虚勢・見栄・やせがまん」のように、心の内をひた隠しにして思ってもいないことを口にすることもあるからだ。
それでも、国語の授業や道徳の授業で登場人物ので心情を想像するにしろ、
「セリフから読み取る」
「行動から読み取る」作業が有効であることは変わりない。
心の動きが表現されていなくても、セリフや行動から心の動きを汲んでいくことが読解作業の大切な要素になる。
「言語力の育成」は、表現から遊離した勝手な思いこみを排除はする。
しかし、だからといって「書いてないから分からない・書いてあることしか読めない」という読みの態度も排除する。
子供たちの「言語力不足」の1つは、
◆自信のある解答は堂々と言えるが、理由を問われたり自分の考えを問われると、とたんに沈黙してしまう。
のような点で、これがPISA型調査でも全国学力テストでも顕著に表れている。
思うに、自分の読みに自信がないと、書いていない気持ちを想像し、その解釈を口にする勇気が持てない。
文章に書かれたセリフや行動描写を根拠に、心情を解釈し、堂々と表明し、説得できるが「言語力」の1つ「読解力」向上の課題になるのだろう。
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