教材研究・発問研究には「愚直さ」が必要だ
ある講座で、国語の教材研究の仕方で、どれを選ぶかが問われた。
①まず教科書を何度も読む。優れた実践を集め、ノートにコピーして貼る
② 〃 人の実践を参考にする前に、まず自分で考えてみる
③ 〃 学校にある指導書を読み、指導書の流れを覚える
私の回答(常套手段)は、②であった。
まずは素の状態で教材にあたりたい・まずは自力で読んでみたいからだ。
そこで、向山洋一氏の回答が紹介された。
まずは、教材を何度も読むことである。教材を何度も何度も声を出して読む。
そして、すぐれた実践を集め、コピーしてノートに貼っていく。
さらに、そのノートに、自分の意見を書き込んでいく
「教室ツーウエイ」1994年4月号
まずは先入観を持たずに自分の読みでぶつかってみる、という方法を好んで行ってきた。
中学校の国語実践や、東京書籍の教科書教材は先行実践が少ないこともあったが・・。
これが甘かった。
講座を聞いてなるほどな、と思った。
自分の弱さ・甘さの大元がここにあることが分かった。
向山氏、1教材でノート1冊作ると言われる、
しかし、どうしても自分がやると1冊もいかない。それで仕方ないと思ってきた。
国会図書館を含めありとあらゆる参考文献を入手したと言われた高段者の先生の話を聞いても、次元が違うと思うだけだった。。
ネットで検索してヒットしたサイトは、とにかく全部目を通すと言われた先生もいる。そこまでしないで、よしとしてきた。
まずは自分で。その後、資料を少々・・というパターンでお茶を濁してきたのだ。
『ドラゴン桜』12巻にも同じような甘い姿勢を批判する箇所があった。
2学期の指導方針を考えるのに、何の資料も出していない先生を侮蔑する桜木。
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要するに資料を探すのが面倒だから、自分の力だけに頼ろうとしているだけなのだ。
◆「それなのにお前らは自分自身の頭で考えると言って何の型もないところからスタートしようとする」
◆「だから全然先に進まずに時間だけ無駄に喰っていつまでも形が見えてこない。」
◆「自分で考えてる・・ということは何も考えていない・・ということなんだよ」
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この後、東大生の思考パターンを「楽したい・めんどくさがり屋」と断定するくだりが気に入らなくて無視していたのだが今は別の意味ながら、よく分かる。
先行実践に学ぼうとする謙虚さもなく、コピーして貼ることさえサボってしまい、書き写す作業も怠った。
「ノート1冊」とか「見開き100問」と言われても、そこまでやってこなかった。
5回は読め、と言われた本も1回しか読んでいないまなかった。
先人の有効な授業を乗り越えられないのは、先人の実践を丁寧に調べ上げていないからだ。
要するに、まだまだ学ばねばならない段階なのに、早々と「守・破・離」と称して自力でやりたがる。これが「我流」につながるのだ、
もう1点、100の発問を列挙をするには、並みの発想だけに頼っていてはだめだ。
逆から考える・視点を変えてみる・対比的、類比的に考えをつなげていくのは当然のこととして、一番感じたのは次の点だ。
くだらないと思っても切り捨てない
「くだらない」と思うような自由な発想の中に、新しい創造が生まれる。
100の発問を列挙するには
◆どんなくだらない意見も入れよ
◆恥ずかしいなと思う意見も入れよ
◆とんでもないアイデアを大事にしろ、
・・・つまり自分で自分の愚かさやくだらなさを受け入れろということなのだ。
これは、教室も同じ。
どんなくだらない意見も競って発表する
どんなくだらない意見も喜んで受け入れる、
そんな、教室の「自由度」が必要なのだ。
だから「裏文化」に強い子が存在感を発揮できる。
優秀な表文化タイプの子(先生の意見を受け入れるだけの子)の発想では100は列挙できない。
大胆で悪ふざけのできるタイプの子(先生の意見を無視するような図太い子)を受け入れる教師・受け入れる学級こそが、知的な創造力を育むのだ。
すぐれた学級では、やんちゃ君が活躍する意味(必然性)がよく分かる。
これが逆転現象にもつながっていくからだ。
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