いじめ発見のスタンス
市内小学校で恐喝事件が起き、新聞をにぎわせた。
市議会で教育長が経緯説明したと地元紙の近郊版に載っていた。
「早期発見、早期対応できなかったことが一番の反省点。
各校で規範意識の醸成、子どもの出すサインを見逃さないよう今まで以上に取り組む」とした。
・・・ここまでは型どおりの発言。
注目したのは、このあとだ。
また、子どものサインを認知することの難しさを踏まえ
「小さな子は転べば泣くが、大きくなると転んでも笑うようになる」
と例を挙げ「笑っているから平気だと思うようでは教員失格。
子どもが周囲に知られないよう、故意に隠すつらさをとらえられる教員であってほしい」と語った。
・・・手厳しい意見ではあるが、同感である。
同じような意味合いで自分もまとめたことがある。
「言葉の裏読み」がいじめを防ぐ・・・2006年10月のブログだ。
一部修正して提示してみる。
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人間の言葉と心は複雑で「書いてあることと裏腹」ということもある。
「Aと書いてあるけど本心はBなのだ」ということだ。
中1国語の『大人になれなかった弟たちに・・』の中に栄養失調で子どもを失う母のセリフがある。
ヒロユキは幸せだった。母と兄とお医者さん、看護婦さんにみとられて死んだのだから。
空襲の爆撃で死ねば、みんなばらばらで死ぬから、もっとかわいそうだった
この母親の発言は「裏腹」である。
「強がり」であり「やせがまん」である。
幸せだと思いこまないとやりきれない母親の悲しい心境が隠れている。
しかし、授業を受けた子どもは「ヒロユキは幸せだと思う。~と書いてあるから」
と「幸せ」であることが当然だと反応する子が半数いる。
本心でないことを口にする、ということがなかなか想像できないのだ。
そこで、次のような例を使って話す。
◆思い切り足をぶつけて、みんなが心配そうに「大丈夫?」と近づいてくる。
こんな時、本当はすごく痛いんだけど「痛くないよ・大丈夫だよ」と言うことがあります。
この時に「あっ、そう、痛くないんだ」と、あっさり認めてしまっては冷たい人間になってします。
「そうは言ってるけど本当はどうなのかな」と声をかけてあげられるといいんだよ。
相手を心配かけまいとして、思ってもいないことを言うことがある。
その時に、言葉通り受け取って放置してしまうような子どもには、したくない。
「発した言葉の裏を読む」ことを国語の読解指導の中の1つとして位置づけて指導していきたい。
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・・・平気を装う子どもの発言から真実を見抜くなどというのは口で言うほどたやすいことではない。
そのように努力していても、なお目に見えないところで「いじめ」は起こる。
しかし、表情や口調・日頃の行動との比較を含め、ささいな変化・小さなサインを見逃さない努力だけは続けていきたい。
◆本人からの聞き取りに細心の注意を払うのが「ヘッドワーク」なら
◆友人や保護者からの情報が得られる状況をつくるのが「ネットワーク」
◆情報を「待つ」のでなく自分から情報を収集に動くのが「フットワーク」
にあたるだろうか。
いじめ対策は、何しろ子どもの「生死」を左右し「その後の人生」を左右するのだ。
とにかく自分の全知全能で立ち向かう気概が必要である。
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