いじめ対策 ~小さなサイン~
愛知県教育委員会発の
「小さなサインが見えますか」には、次のようにある。
今いじめに苦しんでいる あなたへ
「どうして、私がいじめられるのだろう」
「私のどこが悪いのだろう」
「みんなは、私のことがきらいなんだ」
って、悩んでいない?
そんなことは、何も関係ないんだよ!
いじめている子たちは相手が誰でもいいの
あなたが悪いわけじゃないの
でも、仲間はずれにされたり、
いやなことを言われたりするのはつらいよね
そんなときは、一人で悩まないで相談してね!
決して一人にはしないよ!
「小さなサイン」の筆頭は、被害者のサインである。
辛い思いをしている被害者児童の心の変化・表情の変化・行動の変化をくみ取ってあげたい。
ただし、「小さなサイン」は、加害者にも表れる。
今回も、加害者に暴行を加えてストレス発散をしていたという。
家庭環境・人間関係・学習成績など、どこかにSOSがあったはずだ。
恐喝が進行するから金遣いも荒くなったのだ。
表情の変化・行動の変化は、決して「小さなサイン」ではないだろう。
そして、今回の匿名投書に見られる、傍観者の「小さなサイン」
傍観者の中には、葛藤に苦しむ者もいる。
・被害者を救ってあげたい・先生に教えたい
・でも怖くて言えない
・仕返しが怖い
・仕返しを恐れて言いだせない自分が情けない
というように、自分で自分を責める辛い気持になった子もいるはずだ。
そのように苦しんでいる子にも、やはり「小さなサイン」がある。
「見ていられない・黙っていられない」と第3者の相談でいじめが発覚したことはよくあるケースだ。
今回も、新聞に大々的に報じられ、「自分がもっと早く言えばよかった」と後悔する子がいるに違いない。
そのような傍観者を「どうして言わなかったのだ」と、一方的に攻め立てるのは酷だ。
「見かけてしまった苦しみ」を救ってあげるというスタンスも必要だ。
ひとたび、いじめや暴行・恐喝事件が起これば、どの子たちにもの苦しみ・辛さが生じる。
教師は、そのような事態を想定し、すべての子ども達の「小さなサイン」を汲んであげることが責務だ。
子どもからの訴えを待つのでない。
自分から言い出せない苦しみから解放してあげるためには、こちらからのアプローチが必要である。
昔からの言葉を借りれば「目をかけよ 声をかけよ 手をかけよ」だ。
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