3月末のサークル例会は、中学校での実践報告が中心になり、自分のかっての中学校勤務時の大変さがよみがえってきた。
中学では「あたりまえのことがあたりまえにできる」ことが、それだけで「すごい!」ことになる。
だから、当時の学年主任も
◆「あたりまえのことが、あたりまえにできる学年にしよう」
と訴えてきた。同感である。
だから、NHKの『プロフェッショナル』での、あるパテイシエの言葉
◆「あたりまえを続けると、特別になる」
を「なるほど!」と思った。
たとえば中1の入学直後のしっかりした態度を見た時は
「みんなの態度はすばらしい」
と心から思えた。
(「最初が一番いい」というあたりが、小学校勤務の先生には、意外だったようだ)。
1年の最初の学年集会では「今より下がるな!」と訴えたことがある。
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今のみんなは素晴らしい。
そこでお願いがあります。
それは「今より下がるな」ということです。
「今できていることを最低ラインにして、さらに成長してほしい。」
ということです。
中学校に慣れるということは、服装をくずしたり、授業をさぼったり、
先生にさからったりすることではありません。
今できていることはそのまま続け、さらに部活動でも活躍し、
勉強でも伸びていってほしい。
気が緩んで自分のレベルが下がることがあるかもしれません。
そんな時、先生たちは
『1年生の4月はちゃんとできていたぞ』
と言い続けます。
みなさんは、自分にいつも『自分は下がっていないか』を
問いかけてみてください。
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このようなスタートがあり、行事後や学期末には
「よくがんばったよ」「成長しているよ」
と言葉をかけた。
「がんばっているよ」「よその先生がほめていたよ」
といった支援があるから、中学生は前を向いて歩くことが普通になる。
多くの生徒は後ろ向きな生き方を否定するようになる。
後ろ向きな生き方は楽であり、前向きな生き方はしんどい。
しかし、しんどさの先に幸せがあることが分かれば、生徒は信じて生きていける。
だから「努力の大切さ」「努力の先に幸せがあること」を繰り返し語って生徒の進路を支えていく。
TOSSデー講座の練習をした20代の先生は、
◆率先垂範
◆凡時徹底
そのものだった。
◆ささいなことにも全力を尽くす
◆ささいな乱れもみのがさない。
といった意気込みが感じられた。
市内の中学の先生がセミナーに顔を出すことはなかなかないが、多くの中学校の若手の先生に知ってもらいたい内容だった。
さて、ここまでは、中学生の対応の苦労の部分である。
しかし、中学生の対応にも負の部分と正の部分がある。
決して大変な生徒ばかりではない。当然だが、いい子はいい子だ。
そのこともきちんと伝えておかなくてはいけない。
春休みに中学校に出向くことがあり、ほんのわずかだが中学生に触れた。
真面目な中学生=ごく普通の中学生は、優秀な小学生よりレベルが高い。
そういう意味では、小学生より「すごさ」があり「パワー」があり「配慮」がある。
例えば、本校の6年生が卒業式に「旅立ちの日に」を歌った。
一生懸命歌うが、そんなのは合唱コンクールの中学生の歌に比べたら何十分の一の迫力しかない。
声量もそうだが、何より歌に込める感情が違う。
同じことは掃除でも言える。
確かに小学生は熱心に掃除をやる。中学生の方がサボる子は多い。
しかし、真面目にやる中学生の清掃態度は小学生の比ではない。
多くの小学生にとって掃除は「体を動かす楽しみ」の1つであり、「毎日の決められた行動」の1つである。
中学生になると、本来の掃除の意味を考えて行動する。
本気になった中学生の掃除はすがすがしい。
「そこまで気がつくか!」と何度も感激した。
同じことは「あいさつ」にも言える。
意味のある=心からの「あいさつ」を言うのは中学生の方が多いと私は思う。
中学生には、すごいパワーがある。
スポーツの世界では、オリンピックに出たり、日本記録を出したりする子がいる。
西部中の勤務時代、岩崎恭子はオリンピックで金メダルをとった。
中部中の勤務時代、浅田真央は年齢制限でオリンピックは逃したが世界選手権優勝だっ
た。
芸能界でも、中学生で大活躍する人がたくさんいる。それは我々が小学校時代の中3トリオの頃から変わらない。
宇多田ヒカルのデビュー曲が15歳の作というのも驚きだった。
中学生は、もう「将来」が始まっており、日本を支え始めている。
◆「この子には、将来かなわないだろうな」と感じることもあったし、
◆「この子には、もう既にかなわないな」と感じることもあった。
体格だけでなく、人間的にも学術的にも、である。
小学生を相手にしては、めったに感じないことだが、中学生を前にするとよく感じたも
のだ。
◆人間形成という意味でも
◆教師と生徒の距離が近いという意味でも
小学校教師には味わえない魅力がある。
だからこそ、中学校教師が我流に埋没せず、謙虚に学び続けてほしい。
◆教師自身が歩んできた道
◆教師自身の現在の生き方
が問われている。
本を読めと語る教師が、どれほど本を読んでいるか。
堂々と意見を言えと語る教師が、」どれほど発言しているか。
毎日学べと語る教師が、日々どれほど学んでいるか。
努力の継続を語る教師が、日々どれだけ努力の継続をしているか。
クラスの「和」を説く教師が、日々の職員室での人間関係にどれほど気を配っている
か。
人の生き方(意気込み)は、オーラのようにほとばしり出る。
学びの成果は、さりげない会話の端々にあらわれる。
信頼できる教師かどうか、子どもは見抜く。
それが「率先垂範」であり「背中で語る教育」だと思う。
教師の生き様が「まあ、これでいいのではないか」だったら教えられた子は「まあ、これでいいのではないか」を日々インプットさせられる。
教えられた子はそれ以上には伸びないかもしれない。
教師の規定したワク以上に子どもを伸ばすことは極めて難しい
(よほど子どもに力があるか、家庭その他の教育力があれば教師の規定を越えて育っていくだろう)。
また、中学校は、特に教科担任制だから、担任1人の力で子どもを支えることは難しい。
だからこそ、学年全体・学校全体で一枚岩になることが望まれる。
たとえば、学年集会における学年主任・生徒指導担当の言葉は、生徒に訴えるとともに学年の先生に訴えるために存在する。
学年の先生に意図が伝われば、その後の指導はチームワークが可能です。
学年主任が発行する学年通信は、生徒を通して保護者に訴えるとともに、学年の先生に訴えるために存在する。
これも、学年の先生に心に響けば、各クラスでフォローしてもらえる。
むろん、学年主任1人しか意識していない問題を訴えても教師集団には響かない。
今の教師集団にとっての「最大公約数」となる問題を、うまくピックアップする必要がある。
その意味では教師集団の雑談や日常会話が大事だと思う。
特に中学1年の学年経営は3年間を左右します。
3年間を見越した「語り」を続けると、賛同する先生・賛同する保護者が増えていく。
春日井市では小学校勤務から中学校勤務に異動することが多い。
その異動は決して「大変だよね」ではない。
心から「やりがいのある仕事だよね」「楽しみだよね」とエールを送りたい
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