誰の視点で小説を読むか
久しぶりに『天気の好い日は小説を書こう』を開いてみて、腑に落ちる箇所があった。
先の志賀直哉の『小僧の神様』のくだりで次のように書いてある。
◆これはですね、中学校の時に読むと、小僧の神様の立場で読んでしまうんです。
・・・三田氏の主張を、教師はしっかりと自覚しないといけない。
視点人物が誰であれ、子どもは子どもの立場から作品を読んでしまうということだ。
新美南吉の「きつね」のラストで朗読して泣いてしまったのだが、子どもは母親の立場では読まないから、このお話では多分泣かないのだ。
中2の「大人になれなかった弟たちに」は、少年が話者であり視点人物だから生徒は少年の立場で読む。だから生徒に「母親の立場」に感情移入させる必要はないということだ。
もし、親の視点で書かれた小説が教科書に載っていたら、その時は、「親の視点」に読むように指導すればいい。
「視点」について、三田氏は「『小学生の作文』にならないための諸注意」の章でアドバイスをしている。
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失敗している作品のほとんどは視点が動いているんですね。
神の視点でものを見て、父と子が出てくるとですね、どうもお父さんがうすっぺらく見えてしまうということになる。
子どもなり、娘なりの視点に徹して描いていくと、おのずと父親の影というものが気配に伝わってくるものです。子供の目には見えない父親の影の部分は、見えないままにしておく。その方がいいんです。
見えないものは描かない。すると立体感が出てくるのです。神の視点で何もかも描いてしまうと、嘘っぽくなる。
同様に、書き手が何もかもを解釈し、説明してしまうと、ただの図式になり、奥行きがなくなってしまいます。
(中略)人物が出てくると、必ずその人物を説明う人がいるんですね。「これがこれこれこういう人である」というふうに説明しちゃったら、それは「絵に描いた餅」になってしまいますね。
そうじゃなくて、主人公の目でじっと見る、見えたものだけを書けばいいんです。
そうすると見えなかったものは書かれないということになります。その人物の裏側というのは主人公に見えないわけですね。見えないけど、裏も何かあるんじゃないかなという気配だけが残る。すると作品が立体的になるんですね。
(P153/154)
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いわゆる「キャラが立つ」についての解説だ。
書き手は人物の解釈や説明をしていない。
だからこそ、読者は自分で解釈し説明を加える。
書き手が書いた解釈や説明をなぞるのではなく、書いていない解釈・説明を読者自身が実行する。
そのことに遠慮もためらいも必要ない。 堂々と、自分で解釈すればいいのだ。
でも、みんな自信がないから解説本や解釈本や、著名な批評家のコメントを探して参照してしまう。
重松清の作品などは作者のサービス精神が過剰なゆえに、人物の解釈・解説までもが詳細に描かれているような印象がある。
この件についても三田氏は次のように述べている(P116)
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もし、これがですね、志賀直哉が父親に向かって、「お父さん、僕の赤ん坊が死んでしまいました。その瞬間、私はお父さんの気持ちがわかりました。いままでの私がわるかった。お父さん、許してください」と言ってですね、父親が息子を抱き締めて、「いや私もいままで説明不足だった。お前もお父さんのことを許してくれ」と言って、二人がひしと抱き合ったら(笑)非常にわかりやすい話になりますね(笑)
しかし、それでは大衆文学になってしまうんです。教養のない人にはわかりやすいかもしれないが、志賀直哉はそういうふうには自分の文学を作っていかなかったんですね。何にも説明しないんです。だけどわかる人にはわかる。私も二十五歳にして初めてわかったんですね。
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重松清は直木賞作家だから、大衆文学のジャンルだ。
だから重松清の小説に分かりやすい解釈・解説が含まれるのはそれでいい、ということになる。
「わかりやすさ」が望まれ、分かりやすい大衆小説が増えているので、語らないことの良さを備えた小説がますます減ってしまうのかもしれない。
ついでながら「1Q84」第三部も読了した。
こちらは、思ったより「解説」が多かった。そのことは賛否分かれるところだろう。もっと自分で読み取っていきたい読者もいるはずだからだ。
ただし説明が一切なくて分からないところも山ほどある。
NHK集配人も看護婦さんも作品での存在意義がよく分からなかった。
これは「教養のない人には分からない」という村上春樹のメッセージなのだろうと解釈している。
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